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©2012天のしずく製作委員会

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[対談]今日も台所へ立つあなたへ―料理研究家・辰巳芳子さん×映画監督・河邑厚徳さん

  • 食と農

自分のため、家族のため、脈々と続く「食べる」「食事をつくる」という営み。大事なことだとわかっていながら、あわただしい生活に紛れ、ときに、おざなりになったり、おろそかになったりすることもあるのではないでしょうか。日本を代表する料理研究家・辰巳芳子さんもまた、報われることの少ない台所仕事に虚(むな)しさを覚え、「なぜ、人は食べるのか」を自問し、葛藤した時代がありました。母から受け継いだ教えと生活への深い洞察を重ね合わせながら、長い思索の末に辰巳さんが行き着いた「食べることの根源的意味」とは?

「食事を用意することは、相手のいのちへの祝福なのです」

河邑厚徳(以下、河邑) 辰巳さんは、『あなたのために―いのちを支えるスープ』というご著書のまえがきで、「スープの湯気の向こうに見える実存的使命」と書かれていますね。『天のしずく』を制作しながら、私は常にこの1行を意識してきました。辰巳さんがこの言葉で表現したかったのはどういうことですか?

辰巳芳子(以下、辰巳) 私たちはなぜお料理をするのか、ということですね。スープの湯気の向こうに何を見ようとして食事を用意するのか。お料理をするということの「実存的使命」は、やはり「誰かに食べさせる」ということでしょう。

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 食事の用意をすることは、相手のいのちを祝福することです。「生きていてよかったわね」「もっともっと生きるべきように生きていくことができますように」と願い、食事をさせてあげる。食事は労いですね。

 だから、心を込めて、「こうしてあげたい」という喜ばしい気持ちがなくてはむずかしい。お料理をしながら、その動きがあるかないか、自分の心の中を注意深くのぞいてみなければいけないと、いつも思っています。

 もし、その心が全く動かなかったら...。その心の弾みをもたないで、「一刻も早く済ませて...」「あれもこれもやらなくちゃ...」というような気持ちで毎日のお料理をなさるとすれば、それは相当かなしいことですね。

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「自分自身に仕えることができて、初めて"ヒト"は"人"になります」

河邑 心を込めて、いのちを祝福する。それは、料理をする人自身に向かっても言えることなんですね。

辰巳 もちろんそうです。自分自身に向かっても同じですよ。皆、自分のいのちは自分のものだと思っているかもしれないけれど、それはたいへんな勘違いです。自分の髪、自分の手、自分の指、と眺めているうちに、自分のいのちは自分のもの、何をどうしてもいいんだという気持ちになってしまうのね。

 けれど、よく考えてみてください。いのちは、自分が作ったものではありません。いのちは賜、恵み。いただいたものなのです。だから、自分のものであって自分のものでない。自分のいのちであっても「仕えていくいのち」なのです。

 人は自分自身に仕えていかないとならない。そうしないと、本当のいのちとして育ってはいきません。自分に仕えることができて、初めて、生物学的な「ヒト」から「人」になることができるのです。

河邑厚徳さん(左)と辰巳芳子さん(右)(写真=田渕睦深)

河邑 「ヒトが人になる」というのは、どういうことでしょう。

辰巳 とてもむずかしいことですけれど、一言でいえば、「愛を知る」ということかしら。愛し、愛されることを存在の核にすえること。食べものをつくり、食すということは、愛を一つの形にすることです。

 自分のいのちの行きつくところを、きちんと方向づけて生きるようにしないと、「人」として生きたことにはなりません。社会生活を営むうちに、忙しさにかまけて、自分のいのちをどこに運んで行ったらいいのか、いつの間にか考えることを放棄してしまいがちですが、みなさんには、ぜひ、「人」になることを深めていっていただきたいですね。

「毎日の食で細胞は入れ替わる。この事実を知り、台所仕事が喜びに変りました」

河邑 辰巳さんは、料理を非合理的というか、自分のエネルギーをそこにつぎ込むことに納得する理由をずっと持てなかったとおっしゃっていましたね。時間をかけて用意しても、ごちそうさまとすぐ食べてしまう、以前はそれを割が合わないと思っていた、と。

辰巳 買い物から数えて最後の片付けまで合計4時間はかかりますよね。ところが、ごはんをおいしく食べる時間はどうでしょう。3食で2時間もかからないんじゃないですか。若い頃の私は、そこにとても矛盾を感じていたのです。際限のない台所仕事に勉強を妨げられることが受け入れがたく、いらだちも感じていました。

 自分との相剋は、40代まで続きました。とても辛かった。

 「食べることは呼吸と等しくいのちのしくみに組み込まれたこと」と自分を納得させていましたが、一種の宿命論みたいで喜びはなかったのです。自分のなかでそのしくみがわからないから、「私は、食とは何かということを本当には理解せずしてひと様にお教えしている」という負い目をずっと抱えていました。

辰巳芳子さん(写真=田渕睦深)

河邑 台所仕事へのいらだちは、台所に立つすべての人が共感できるものだと思うのですが、辰巳さんは答えを見つけたのですね。

辰巳 自分を励まして、台所に気持ちよく立つために、「人はなぜ食べるのか」ということをずいぶん考えました。根本的な答えが見つかるまで15年間を要しましたね。

 分子生物学者の福岡伸一先生(青山学院大学教授)のご著書で、ルドルフ・シェーンハイマーの「動的平衡」という学説と出会ったのです。シェーンハイマーは、食べたものは瞬時に新しい細胞になり古い細胞と入れ替わるというメカニズムをもって、「人はなぜ食べなくてはならないのか」を科学的に解明しました。

 いのちは、食べたもので新しく入れ替わり維持されている。中身は常に変化して更新されている。人は常に食べ続けないといけないということが、実験によって裏付けられていたのです。

 食べなかったら人のいのちは永続できない、まさに食べることが人のいのちを支えているのだと納得し、ようやく、日々の台所仕事の矛盾が解消されました。この時ほどうれしいことはなかったですね。体が熱くなるぐらいにうれしかった。

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「毎日の料理は、社会につながる小窓の手入れです」

河邑 以前、「料理をすることは小さな窓」という話をされていましたが、それはどのような意味でしょう? また、その窓の向こうに何が見えてくるのか、辰巳さんはどのように感じていらっしゃいますか?

辰巳 たとえば、私はいつも、煮干しの扱いをきちんとするように厳しく言っていますが、これはなぜだと思いますか?

 煮干しを頭と胴に分ける。胴をさく。はらわたをきれいにお掃除する。胴と頭を別々に炒る。粉にする。うるかす。だしをひく...こんな風に何段階にも手間をかけさせます。

 なぜこんなに手間をかけさせるかというと、煮干しひとつからわかることがたくさんあるからです。気候の変動によっていわしの漁獲量が激減しているとか、はらわたの状態が昔みたいじゃなくなってきたとか、大自然の変化がわかったりするのです。

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 そのように、日々の台所仕事をひとつの小さな窓とたとえてみると、その窓からはいろいろなことが見えてくるんですよ。食材のこと、生産者のこと、日本の食料を左右しているいろいろな国の状態、政治のありさま、地球のこと、宇宙のこと...。

河邑 なるほど。台所仕事が、外の世界につながる小窓になっているのですね。

辰巳 ええ。でも、この窓は手間を省いていたら、曇ったまま。見えるものも見えません。つまり、煮干しをきちんと扱うことは、小さな窓の「手入れ」なんです。手間を省く方と煮干しをきちんと使う方は、目の開き方が全然違います。小さな窓に現れる変化は、実際に、日々の台所仕事、つまり、やるべきことをやっている人でないと気づかないのです。

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 私にもなぜかはわからないけれど、自分が実際にやりこんだ場からでないと、真実は見えないのです。真実が見えないと後手に回る。そして一度後手に回るとなかなか先手は打てません。

 手入れのいい窓を開けてみると、見るべきものが見えてくる。宇宙までのことが見える人になる。だから私は、「取るに足らないように思えることをおろそかにせず、きちんとやりなさい」と言い続けています。

※本記事は、2014年3月31日に行われたパルシステム主催「ドキュメンタリー映画『天のしずく』上映会での、辰巳芳子さんと河邑厚徳監督との対談より構成しました。

取材・文/高山ゆみこ 撮影/田渕睦深 構成/編集部