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佐渡島、トキ復活をめざす取り組みの先に 里山で紡ぎ直す、トキと人の「共生」

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野生のトキが最後まで生息していた佐渡島の野浦・片野尾地区。人工飼育や放鳥など佐渡島全体でトキ復活に取り組むなか、この地域では農薬を削減した稲作やビオトープ作りが進められてきました。土台となっているのは、自然と人が共生していく里山という思想。トキの舞う未来は、私たちが暮らしを見つめ直し、自然との関係性を紡ぎ直したその先にあります。

人と自然が折り合うなかで生きてきたトキ

 「太陽の光を受けて、薄紅色の羽がキラッと輝いてね。青空によく映えてねぇ。そりゃあ、きれいなもんだったよ」。そう話すのは、佐渡島の南東部沿岸、野浦(のうら)地区に住む臼杵春三(うすき・はるぞう)さん。パルシステムの『トキを育むお米(エコ・佐渡こしひかり)』の生産者でもある臼杵さんは、子どものころ、自分の田んぼで野生のトキが舞う姿を見たと言います。臼杵さんがトキを見たのは、1950年代のこと。ちょうど、トキが国際保護鳥に指定された時期です。

『トキを育むお米(エコ・佐渡こしひかり)』の生産者でもある、野浦地区の臼杵春三さん

 江戸時代には日本全土に生息していたトキですが、明治から大正にかけ急激に減少しました。食用や美しい羽を目的に、また稲を踏む害鳥という側面もあったことから、乱獲されたことが激減の原因といわれています。さらに追い討ちをかけたのが、田んぼの減少と農業の近代化です。強力な農薬によって田んぼからドジョウやカエルがいなくなるとともに、それらをエサとするトキも、その数を減らしていきました。1981年、佐渡島で、人工繁殖のためトキ5羽を捕獲。こうしてトキは、日本の野生下から姿を消しました。

 臼杵さんが暮らす野浦地区は、1981年1月の全鳥捕獲以前、最後までトキが生息していた場所であり、巣も確認されていました。平野部から隔てられたこの地域は、海沿いに集落が連なり、その背後に山がそびえる地形。山間部に棚田を拓いたこの土地の人々は、長い間、自然と上手に折り合いをつけながら暮らしてきました。海岸沿いに人の住まう里があり、山間部に人と自然が出合う田んぼがある。そして山奥には、人の手が及ばない自然界を擁する――そんな「里山」こそが、田んぼにエサを求めるトキのすみかでした。野浦は、トキにとっての理想郷だったのです。

斜面に拓かれた野浦の棚田。晴れた日には美しい海が見える

 「私が子どものころは、田んぼの仕事は家族総出でやるもんだったな。飼っていた牛で田んぼを耕して、田植えや収穫は手作業で......そんな土地だったから、トキもここをすみかに選んだのでしょう」(臼杵さん)

「もう一度、トキに戻って来てほしい」

 トキが絶滅への道を辿るなか、野生のトキを見守ってきた野浦の人々。島全体でトキ復活の機運が高まる以前から、自然との関わり方を深く考えてきました。トキの巣があると判明した1952年には、婦人会の有志によって、巣周辺の田んぼにドジョウを運んだり、エサとなる生きもののために、除草剤を使わず手で草取りをしたりといった活動が行われていました。そして徐々に、周辺の田んぼから農薬を抑えて米を作る動きが広がっていったそうです。2000年には、環境省がトキ復活のため、共生と循環のモデル地域として野浦を選定。これにより、住民の意識がより高まり、環境保全型農業を基軸とした地域づくりが始まりました。

佐渡島では2008年からこれまでに11回177羽が放鳥され、野生下でヒナが50羽以上誕生。野生復帰に着実に近づいている

 活動を率先してきたのは、臼杵さんら米農家です。環境保全型とひとことでいっても、野浦の田んぼは急斜面に広がる「棚田」。大型機械が入らないため、生産効率の悪い棚田で環境保全型農業を行うのは、並大抵のことではありません。

 たとえば、畦(あぜ)の草刈り。斜面を切り拓いた棚田は、田んぼと田んぼの境である畦の面積が大きく、ときには田んぼそのものを超える広さになることも。除草剤をまけばそれですみますが、「田んぼに生きるいのちのことを考えたら、除草剤は使えません。草刈り機が相棒です。1カ月にいっぺんは、3日がかりで草を刈っています」と臼杵さん。過酷な地形であっても、野浦の生産者たちは、全25戸のうち20戸が慣行栽培に比べて農薬、化学肥料を5割削減しています。

棚田では畦の面積が田んぼよりも広い。畦の草刈りはひと仕事だ

 パルシステムでは、2008年、野浦の隣の片野尾(かたのお)地区の生産者たちと産直関係を結び、2009年には野浦地区を加えて、『トキを育むお米(エコ・佐渡こしひかり)』(※)の取引をスタート。代金の一部をトキの保護活動資金として産地に還元するしくみを作り、お米の供給を通して、取り組みを応援しています。

 臼杵さんたちは、農薬を削減した米作りだけでなく、豊かな生態系を育むためのビオトープ作りも行っています。耕さなくなった田んぼに水を張って整備を行いながら、ドジョウをはじめとする多様な生きものがすみやすい環境を整えます。トキがいつ飛来してもエサに困らず、稲を踏まれることも防ぐ、共生のための大事な場所です。米の収量には関わらない取り組みですが、「私らにとっては、もともといたトキに"戻って来てほしい"という気持ちなんです。あの優雅に空を舞う姿を、もう一度見たい。少しずつすみやすい環境をつくってあげれば、いつか戻ってくると信じています」と臼杵さんは言います。

※現在、主に「予約登録米」で供給しています。

地域の中心にある「田んぼ」は伝統文化をも育む

 トキにとってなくてはならない場所である田んぼは、人々の暮らしも支えています。「田んぼがあることで、農道を整備したり、水を引いたり、環境を整えるようになるんだよ。そういう作業はみんなで団結して行うものだから、自然に人と人のつながりも生まれるんだな。やっぱり、田んぼっていうのは、集落の中心なんだよなあ」と臼杵さん。

 田んぼの耕作放棄が続いた結果、徐々に人が里を離れていき、過疎化に拍車がかかってしまった近隣集落もあるといいます。田んぼは、ただ食べ物を生産するだけの場所ではなく、人の絆をつくり、地域に活気を生み、人を呼ぶ――そんな好循環を生み出す地域の基盤なのです。

 トキを守り、生きものを育み、食べ物をつくりだし、人を結ぶ。そんな田んぼがあるからこそ、育まれるものがもうひとつ。それは、「地域の文化」です。野浦の人々が大切に育んでいる文化が、伝統芸能「文弥人形」です。

文弥人形「弁慶と牛若丸五条の橋の段」。演者の操る人形はまるで生きているかのよう

 文弥人形は、現在国の重要無形民俗文化財に指定されている人形浄瑠璃(じょうるり)の一種。「太夫(たゆう)」と呼ばれる唄い手の三味線と語り(一人語り)に合わせ、演者が一人一体の人形をダイナミックに動かします。義理と人情の世界を今に伝える文弥人形は、現代に生きる私たちが観ても、思わず引き込まれてしまう不思議な魅力を持っています。

 野浦では、1979年にこの文弥人形を演じる「双葉座」を結成。田仕事の傍らで、稽古を積み公演を重ねてきました。現在、双葉座の座長を務めるのは、今年82歳になる北野源栄(げんえい)さんです。「文弥人形とは、どんな存在ですか?」との問いに対し、北野さんは「"生き甲斐"、のひとことに尽きますね。村のみんなから拍手をもらうのもうれしいし、練習も楽しい。若いもんも年寄りも、週に1回集まって、いっしょに汗を流して芸を磨く。みんなで同じ目的のために切磋琢磨して、最後にちょこっと酒飲んで。お米の話も芸の話もしながらね......それがうれしくて、楽しいんです」と話します。

東京公演であいさつする双葉座のみなさん。左から三番目が座長の北野源栄さん

食べ物を通じてつながる、食べ手の私たちも「共生」の社会の一員

 最盛期には、島内に40数座の人形座があったと言われる文弥人形ですが、今残っているのはわずかに8座。地域から田んぼが消え、トキが消え、そして人が消えていくとともに、担い手を失った伝統芸能の継承は大きな課題となっています。

 そんななか双葉座は、現在、北野さん、臼杵さんを含め13名が在籍。20~30代の座員も3名と、いま佐渡島でもっとも活気のある人形座です。若手座員について話す時の北野さんのやさしいまなざしからは、文弥人形を通じて家族のような強い絆が築かれていることがわかります。文弥人形は、文化を継ぐという意義だけでなく、地域の人と人の心を結ぶという意味も持っているのです。

 トキ、田んぼ、文弥人形。野浦の暮らしは、日々食べているお米の背景に豊かな物語が広がっていることを気づかせてくれます。農村と都市が食べ物を介してつながるなか、食べ物をいただく私たちも、物語の一員です。食べ物が持つ、価格だけでは計ることのできない価値――経済効率を追い求める近代社会のなかで、いつのまにか見失ってはいないでしょうか。私たち一人ひとりが、食べ物と農の営みを「里山」として捉え直すことが、トキと共生できる未来へと、つながっています。

取材・文/編集部