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「農村の未来」をどう守る?子も孫も「幸せ」と思える場所に―アップルファームさみず

  • 食と農

2008年をピークに減少傾向にある日本の人口。けれど、それより30年も前から、深刻な高齢化と過疎化が始まっていたのが各地の農村です。なかには、人口流出がやまず、地域コミュニティそのものが崩壊しつつある地域も...。そうしたなか、パルシステムの産直産地のなかには、農業を柱にしながら、地域づくりの核となり、コミュニティを保ち続けていこうと力を尽くしている組織が少なくありません。今回は、そうした産地のひとつ、長野県北部の飯綱町に位置する「(有)アップルファームさみず」を訪ねました。

りんごの村に12年ぶりの赤ちゃん誕生!

 晩生の「ふじ」が収穫のピークを迎えた11月下旬、(有)アップルファームさみずの代表、山下一樹さんに案内されて足を踏み入れたのは、山下さんの家の裏山。積もる落ち葉を踏みしめながら雑木林を抜けた先に、鈴なりの実をつけたりんごの樹々が並んでいました。

 印象的なのは、園地全体を覆ういわゆる"雑草"の類。「気がつくとすぐに茂ってしまうんです。りんごの生育にはあまり影響がないのですが、作業がしづらいので草刈りは欠かせません」と一樹さんはため息をつきますが、これは「安心して食べてほしい」「環境にも負荷をかけたくない」と、ずっと除草剤を使ってこなかった証でもあります。

除草剤を使わない畑では、雑草も茂る

 一樹さんの隣で妻の絵里さんが抱っこしているのは、生後10カ月になる宇汰(うた)君。

 「このあたりでは、12年ぶりの赤ちゃんだそうです。外を散歩していても、みんなに声をかけられるんですよ」と絵里さん。「宇汰が生まれたことで、環境や安全への想いが一層強くなりました。りんごだけじゃなく、子どもたちも育っていく場だから、安心・安全を第一に考えたいと思っています」と一樹さんが表情を引き締めます。

 りんご農家に生まれながら、「農業を継ぐ気はなかった」と工学系の大学院まで進んだ一樹さんですが、学生時代に体験した農作業のアルバイトで改めて農業の面白さを実感し、7年前に長野に戻り就農。

 一方、絵里さんは、結婚して初めてこの地にやってきました。育児をしながら、顧客との窓口や出荷業務、ホームページのブログなどを担当。 「農業も未経験で最初は戸惑いがありましたが、私なりの経験も少しずつ活かしていけたらと思っています」と軽やかな笑顔で語ります。

『複合汚染』の時代、「農薬に頼らないりんごがほしい!」

 飯綱町のなかでも(有)アップルファームさみずのあるのは、"旧三水村"と言われる地区です。標高が500~600mと高いため昼夜の寒暖差が大きく、春から秋の日照時間が長い、積算温度が高いなど、りんご栽培にとっての好条件がそろう適地。このあたり特有の粘土質の土壌も、きめ細かくて実の詰まったりんごを育てるといわれています。

 一樹さんの父、勲夫さんが、(有)アップルファームさみずの前身である出荷組合「アップルさみず新流会」を作ったのは1973年のこと。折しも、有吉佐和子さんの『複合汚染』が新聞に連載され、急激な工業化や農業の近代化に伴う環境汚染が、深刻な社会問題になっていた時代でした。勲夫さんは20代前半に通っていた東京の農業者大学校の仲間たちと交流しながら、農薬や化学肥料にできるだけ依存しない環境に配慮した農業を模索。そんなとき出会ったのが、安心・安全なりんごを求める首都圏の消費者団体でした。

袋かけをしないりんごは、当初はまれな存在だった

 「農薬をできるだけ使わないで、という要望を聞き、『よーし、やってやろう』と意欲がわいた」と勲夫さん。「ひとりでは対応しきれないから」と、地元で募った同年代の仲間5名とともにグループを結成し、市場に出荷せず、都市の消費者に直接りんごを届けるという取り組みを始めました。

 「当時は色付きをよくするために、実に袋をかける農法が主流だったけれど、袋をかけるとりんご自体に日光が当たらず味が落ちる。だから仲間とは"無袋栽培"で統一。農薬もできるだけ減らすことを申し合わせたんだ。地域の中では"変わり者"と思われていたよ。でも、そのりんごをお客さんに持って行ったら、すごく喜んでもらえた」。勲夫さんは誇らしそうに語ります。

 パルシステムの前身生協との産直も、そうした流れのなかでスタートしました。

 「当時は、トラックにりんごを積んでよく東京まで持って行ったよ。高速道路もない時代で、7~8時間は軽くかかったかなぁ。生協からも職員がしょっちゅう来ていた。みんなでスキーをやったり夜は宴会したり大騒ぎだったな」(勲夫さん)

地域づくりの核となるべく、法人化を決断

 (有)アップルファームさみずの足跡を語るのに外せないのが、「法人化」というキーワードです。

 最初は5戸だったメンバーも、徐々に増え、設立から30年目にあたる2002年には19戸まで拡大。そこで、勲夫さんは、組織の体制を、単なる共同出荷のための任意の組合から「有限会社アップルファームさみず」、つまり会社組織へと転換することを決断したのです。

 「会社なんて経費もかかるし不安要素もたくさんあると、最初はみんなに反対されたよ。りんごがたくさん売れればいい、売れた分だけ稼げればいい、出荷組合のままで充分じゃないかという意見が大半だった」と勲夫さん。それでも勲夫さんが"会社設立"にこだわったのは、先を見据えたときに、個人単位で農地やりんごの樹を守っていくことには限界があると感じていたからです。

二人三脚で山下家を支えてきた勲夫さん・和子さん夫妻

 「当時はまだ空いているりんご園なんかなかったけど、近い将来、今の現役世代がごっそりリタイアする時代がくることはわかっていた。"農地を継ぐ""農業を継ぐ"という課題を個々の農家任せにしていたら、使われない畑がどんどん増えて、そのうち地域全体が立ち行かなくなる。次の世代にここの地域を渡していくためには、みんなで協力して地域を"面として"持続させていかねばならないと考えたんだよ」(勲夫さん)

 「とうちゃんたちの世代は、平日は会社勤めをしていても日曜は親の畑を手伝うのが普通だったけど、今は、実家が農家でも、会社の休みに畑仕事をするなんてないものね。だから親世代がリタイアしたらそこでりんごはおしまい」と語るのは、勲夫さんの妻・和子さん。「それでも、先祖代々受け継いだ土地を見も知らない人には渡したくない。そういって、うちに相談に来る人が増えているんですよ」(和子さん)

 法人になった(有)アップルファームさみずでは、後継者がいない畑を借り受けて直営農場とし、そこで研修生や社員がりんごを栽培。耕作放棄地になりかねない農地の受け皿として、就農を希望する若者の研修の場として、雇用の場として、地域のなかで重要な役割を担ってきました。

親世代の本音、後継者のジレンマを乗り越えて

 2013年7月に勲夫さんは、生産農家としての山下家の経営を一樹さんと絵里さんに委譲。さらに、2015年9月には、(有)アップルファームさみずの代表からも退きました。

 「後継ぎも決まり、ほっとしている」と言う勲夫さんですが、「農業は定年がないから、なかなか譲るきっかけが掴めないんだよな」と本音もぽろり。外部から来た研修生が、2年ほどの研修を経て独立するのに対し、いわゆる"農家の跡継ぎ"はなかなか経営を任せてもらえないという現実もあるそうです。

 「うちの親父たちの世代って、まだまだ元気なんですよね。苦労しながらこだわりのある栽培に取り組んできた自負もあるから、発言力も強い。新規就農者に比べて後継者は農地もあるし農機具も揃っているしと恵まれている面もあるけれど、責任をもたせてもらえないとモチベーションを保つのもむずかしいですよね」と一樹さん。「これって、どこの産地の後継者も抱えているジレンマなんでしょうね」と苦笑いします。

有限会社アップルファームさみずの代表取締役となった山下一樹さん

"おじいちゃんの家"に遊びに来たように......

 ところで、山下家の敷地内でぱっと目をひくのは"土蔵"のような趣ある建物。和子さんが中心になって運営している農家民宿「土蔵ファームイン へんぺさんち」です。グリーンツーリズムの先進地であるドイツなどを視察した和子さんが農家民宿を始めたのは、今から20年前。そこには、「りんごを通して出会った都市に住む人々に、さみずをもっとよく知ってもらいたい」との想いがありました。

 「農薬を減らし、除草剤を使わない栽培を続ける大変さを理解してもらおうとあちこちで話をしてきたのですが、時代とともに、私たちの話がきちんと伝わっていないのでは、と感じることが増えてきて......」と和子さん。

 都市に住んでいれば、農業や土に触れる経験は少ないだろう、体験がなければ想像も働きにくいだろう、と和子さんは分析。「このままでは、農薬を減らすとか有機肥料にこだわるとか以前に、農業という生業自体がわかってもらえない時代が来るんじゃないかと心配になったのです」(和子さん)

宿泊型の体験ができるようにと用意した農家民宿「土蔵ファームイン へんぺさんち」

 当初は和子さんの実家近くの農家の空き家を借りていましたが、11年前に、敷地の一角で50年間眠っていた土蔵を改築し、「土蔵ファームイン へんぺさんち」をオープン。ちなみに、「へんぺ」とは、勲夫さんの高校時代のニックネームです。

 「へんぺさんち」に宿泊しながら、薪でお風呂を沸かしたり、目の前の野菜畑で野菜を収穫したり、裏山でキャンプしたり...と利用者は思い思いに「田舎暮らし」を体験。なかでも人気なのは、勲夫さんたち手づくりの石窯を利用した料理体験です。

 「せっかく来ていただいたのだからもっともっと楽しめることはないかと考え、石窯を使ったピザの手づくり体験を思いついたんですよ。この間は、中学生が4人、それぞれ個性的なピザを作ってましたよ」と和子さん。「おじいちゃん・おばあちゃん家へ遊びに来たように、田舎遊びを楽しんでもらえればいいなと思っています」と語ります。

「地域があって我々の存在もある。みんなが元気よくなきゃ」

 「まずは、農地があるのに子どもは帰ってこないというのを、なんとかしたい」と、今は一歩引いた立場から、地域全体の行く末に思いを馳せる勲夫さん。

 地方の過疎化や高齢化に対しては、国でも補助金を出したり税制上の優遇措置をとったりとさまざまな対策を講じていますが、「そもそも肝心の人がいなければ使いようもないもんな」と表情を曇らせます。

 「だから、人がそこから離れない、そこに戻ってくるにはどうすればいいのかをまず考えなければならないと思う。そういう意味で、農業にできることはまだまだあるんじゃないかな」

 「昔は地域の変わり者だったけど、今じゃ、俺らも地域づくりの一端を担っているって言えるんじゃないかな。うちのグループだけがよければいいんじゃなくて、地域があって我々の存在もある。地域にいるみんなが元気がよくなきゃ、我々だけがんばっていてもだめなんだよ」(勲夫さん)

 そんな勲夫さんの思いをいっそう後押しするのは、孫・宇汰君の存在。

 「りんごづくりだけにこだわっているわけじゃない。ここで生まれ育った子どもたちに、ここを"いいところ"だと思ってほしいんだよ。ここの環境はすばらしいと思うけれど、宇汰にも同じ年頃の友だちとも遊ばせてやりたいもんな」と勲夫さんはしみじみと語ります。

「地域が元気になるために」。山下家の視線は明日へ向いている

 「昔話で『いいところだったよね』じゃなくて、今も将来も、子どもや孫たちに『ここに住んで幸せ』と思ってもらえる地域にしたい」――

 多くの産地が「地域の維持と存続」という、より深刻で切実な課題を抱えるなか、勲夫さんたちの願いに私たちはどう寄り添っていけるのか。「産直」の真価が、今、問われています。

取材・文/高山ゆみこ 撮影/深澤慎平 構成/編集部