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写真=坂本博和(写真工房坂本)

発酵学の第一人者・小泉武夫さんに聞く。「みそ汁は、いわば肉汁。日本人のスタミナ源だよ」

  • 食と農

昔から、日本人が当たり前のように食べつないできたみそ。「みそは医者いらず」など、健康と結びつけたことわざも少なくない。発酵学の第一人者・東京農業大学名誉教授の小泉武夫さんは、食に関する著作が100冊以上あり、「発酵仮面」のあだ名がつくほどの大の“発酵食好き”だ。なぜ、みそはそんなにすごいのか、ご自身の食体験や最近注目されている科学的な知見も含めて語っていただいた。

「みそ汁を飲むと、からだが喜んでいるのがわかるね」

――全国の大学で学生を指導し、講演や執筆、メディアへの登場と大活躍されていて、さぞやお忙しいでしょうに、肌つやがよく声にも張りがあって、失礼ながら御年73歳にはとても見えませんね。

小泉 そうでしょ。自分でも若いと思いますよ(笑)。これは、まさしく、みそ汁と納豆のおかげです。何十年と毎日みそ汁を飲んでいますからね。たまに飲みそびれていると、何か不安な感じになる。何か足りないよってからだが訴えてくる感じですね。みそ汁を飲むと、からだが喜んでいるのがわかりますよ。

 私とみそとの縁は長いです。まだよちよち歩きのころ、あまりにも活発で生傷が絶えないもんだから、祖母が三尺帯を2本つないでその端に私を、もう一方を母屋の柱に縛り、左手にはみそ、右手には身欠きにしんを持たせておいたそうです。そうしておけば、にしんにみそをつけてしゃぶって、おとなしくしていたのだとか。それが私の味覚の原点にもなっているんです。

 調べてみると、日本とみそとの歴史も古いですよ。大豆はすでに縄文時代から作られていたようですが、みそが文献に登場するのは、701年の大宝律令のなかで、「未醤」と出てきたのが最初。これが「未醤」→「未曽」→「味噌」となったといわれています。「噌」の字は日本でつくられた字なんだそう。そこから、それぞれの土地の気候や風土に見合った形で独自に変化し、日本各地にさまざまなみそが生まれていったようです。

 私が子どものころは、みそがないなんて考えられなかった。ごはんとみそがあれば生きていけるといわれていた。どんな田舎にもこうじ屋があって、そこからこうじを買ってきて、自分で育てた大豆で仕込んだものなんですよ。家ごとにみそを作るなんて大変だなって思っていたら、そうじゃなかったんだね。集落ごとに共同でこうじと塩を買って、みんなで作って分け合っていたんですよ。つまり“集落みそ”。なんか、日本人の人間愛が感じられる話じゃないですか。

日本人の勤勉さは、みそが育んできた?

――2013年、和食がユネスコの無形文化遺産に登録された際、小泉さんは検討委員も務められていましたが、和食の中におけるみその位置づけとはどういうものなのでしょう。

小泉 みそを仕込むこうじ菌は、日本酒と同じでニホンコウジカビ(アスペルギルス・オリゼ)といって、日本にしか生息しない菌なんです。日本醸造学会によって、“国の菌”にも指定されています。ほかの国で同じような材料を使ってもみそはできない。みそは、日本独特の、誇るべき民族の調味料といえるでしょうね。

写真=坂本博和(写真工房坂本)

 無形文化遺産への登録にあたって和食の奥深ささを改めて感じたのですが、そのなかでも、とくにみその存在が大きいと思いました。昔の人が「大豆は畑の肉」と言ったように、みそに含まれるたんぱく質は、米みそで10~13%、豆みそなら18%前後と豊富で、肉と比べてもひけをとりません。しかもみそには、生命を維持するために不可欠な必須アミノ酸8種がすべて含まれている。つまり、みそ汁とは、まさに肉汁(にくじる)なんです。

 日本人は非常に勤勉な民族っていわれてきたでしょ。朝早くから田んぼ行って畑行って、午後になったら山に行って。海でも、朝から夕方まで漁をしている。あのスタミナの素は一体何かといったら、やっぱりみそ汁なんですよ。なにせ、肉汁を毎日飲んでいるようなものなんだから。しかも、朝昼晩と。日本人の民族的な力の強さはみそ汁が育んできたんじゃないか、そのくらいの位置づけでいいと思いますね。

長崎で被爆した秋月医師を救ったみそ汁のチカラ

――昔の人たちは、経験や体感でみそがからだによいということを知っていたんですね。最近では、科学的にもみその機能性について研究が進んでいるようですが。

小泉 そうなんですよ。さまざまな研究機関によって、医学的にも栄養学的にも、みその持つ効用が解明されてきています。

 たとえば、みそ汁の摂取頻度と胃がん死亡率の関係を疫学的に調べた研究があるのですが、人口10万人あたり、みそ汁を毎日飲んでいる人とほとんど飲まない人とを対象に調査したら、みそ汁の摂取頻度が高くなるほど、胃がんでの死亡率は低くなることがわかった。みそ汁を毎日飲む人は、胃がん以外のがんでも、動脈硬化、高血圧、肝硬変などの死亡率もそれぞれ低くなることが観察されているんです。

写真=坂本博和(写真工房坂本)

 また、福島の原発事故もあってよく知られるようになったのが、長崎の原爆で被爆された医師、秋月辰一郎さんの研究です。秋月先生は診療中に原爆が落とされ、夫婦ともに被爆した。ところが、秋月先生のお家ではみそを大量に作っていたので、みそ汁を被爆後にもずっと飲んでいたんですね。結局秋月先生も奥さんも白血病もがんも患うことがなかったのだけど、ご自身が発症しなかったのは「みそ汁のおかげ」ではないかと先生が述べているんです。その後、チェルノブイリの原発事故の際にも、ヨーロッパの放射能汚染地域に日本からみそがずいぶん輸出されたんですよ。

 みそについては塩分を気にする人が多いようですが、最近では知見が変わってきています。みそ汁をお椀に1杯飲んだら、塩分は約1.2~1.5g。これはほかの食品と比べても決して多い量ではないし、最近の研究では、みその摂取で血圧は上昇しないということも報告されています。

大樽に忍ばせた「乾板」のみそ漬け。忘れられない味だねぇ

――300年以上続く造り酒屋に生まれ、お父さんも相当の食通でいらしたとか。小泉さんにとって、みそにまつわる一番の思い出は何でしょうか?

小泉 最後にとっておきのエピソードをお話しましょう。私の実家は造り酒屋だったから、毎年新潟や岩手から杜氏さんが来ていたんです。その杜氏さんたち、酒造りが終わって家に帰る前に、翌年自分たちが食べるみそを大きな桶に仕込んでいくんですよ。杜氏さんたちが戻ってきたときにはみそができあがっている。それを私たちもいただいていた。それはそれは、本当においしかったですね。

 だけど、ホントの話はここから。うちの親父はすごいグルメだったんだけど、毎年、杜氏さんたちが地元に帰っちゃうと、北海道の日高から幅30cmもの、今なら値段がつかないようなものすごい昆布を2俵分も買ってきて、杜氏さんたちがみそを仕込んだ桶に縦に突き刺していく。40本くらいもあったかな。

写真=坂本博和(写真工房坂本)

 それを杜氏さんたちが戻ってくるまで、そのままにしておくんですよ。そうすると、みそは昆布のうまみを吸い、昆布はみそのうまみを吸い……。まぁ、役者がそろっているということ。それで杜氏さんたちがまた戻って来るころ、昆布を全部引き上げちゃうんです(笑)。

 べっこう色になったその昆布のみそ漬けをまな板の上にあげて、細かくきざんであったかいごはんの上にぶわーっとかけると、ホントにおいしくってね。これだけで、もう何もいらない。私の家では、「乾板(かしいた)のみそ漬け」って呼んでいましたね。「乾板」って昆布の異名です。私は昆布を突き刺す役と引き上げる役。みそといわれて一番の思い出は、これかな。

※本記事は、パルシステムのカタログ『きなり』(2017年1月3回)の記事より、再構成しました。

撮影/坂本博和(写真工房坂本) 取材・文/高山ゆみこ 構成/編集部