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絵本作家の浜田桂子さん

写真=深澤慎平

「へいわって どんなこと?」 日中韓の作家が、国境を越え、出会い育んだ平和絵本で伝えたかったこと

  • 環境と平和

『へいわって どんなこと?』(童心社)は、絵本作家の浜田桂子さんが、日常の中にある平和の素敵さを子どもたちに伝えたいと描いた著作だ。この絵本は、日中韓の絵本作家が、平和をテーマに一人1冊ずつ作るプロジェクト中で生まれた。画期的な絵本作りを呼び掛けた一人でもある浜田さんは、「本当に人と人とが出会うと、国境とか歴史とかは吹き飛ぶんです」と振り返る。

「平和絵本」に抱いてきた疑問

――「へいわって どんなこと?」をテーマに絵本を作ろうと思われたのには、何かきっかけがあったのですか。

浜田 子どもたちが小さかったとき、いわゆる「平和絵本」をよく読んであげていました。戦争の悲惨な体験が基になっているような絵本です。ところが、下の娘は「嫌だ、嫌だ、怖い!」と拒否反応を示して。上の子は、「僕、昔の子でなくてよかった。昔の子はかわいそう」と、全然自分の生活と結びついていない。伝わっていないんだなと思いました。それで、「平和絵本」というものに、ちょっと疑問を持っていたんです。

 戦争が起きたら大変だと伝えることはすごく大事なのだけれど、だから平和が大切というのでは、消去法のようで平和がかわいそう。平和ってこんなに素敵なんだよと、もっと平和のうれしさとか喜びを語る絵本が、なぜないのかなと思っていたんです。戦争の悲惨さを伝えることと、平和ってこんなにうれしいよということの両輪を備えた平和の概念があっていいんじゃないかと。

浜田桂子さん

写真=深澤慎平

 でも、その膨大な概念を、小さな子どもにも1冊の本で伝えられるようなものは、とてもじゃないけど私の手には負えない。けれども、そういう絵本があったらいいなという思いは、ずっとありました。

 日中韓の絵本作家が一緒に平和絵本を作るプロジェクトを立ち上げたとき、ここで意見交換をしながらなら、作れるかもしれないと思ったんです。

日中韓平和絵本シリーズ

「日・中・韓平和絵本」シリーズ(写真=深澤慎平)

中国、韓国の作家に手紙を出して

――「日・中・韓平和絵本」シリーズは、どんな経緯で生まれたのですか。

浜田 前段に、『世界中のこどもたちが103』(講談社)という絵本の制作がありました。イラク戦争への自衛隊派遣への異議申し立てとして、2004年に103人の絵本作家が参加して作ったものです。私と同じくその呼び掛け人だった田島征三さんが「次は、僕たち日本人が踏みつけてきた中国、韓国の絵本作家たちと一緒に本を作ろう」と提案されたんです。そのとき私は、そんなことできっこないと思いました(笑)。

 ところが、当時の首相の靖国神社参拝や、歴史教科書からの従軍慰安婦の記述の削除など、平和を脅かす出来事が相次いで起き、もう黙っていられなくなりました。田島さんと私、和歌山静子さん、田畑精一さんの4人が呼びかけ人になり、まず、懇意にしている中国と韓国の絵本作家たちに手紙を出したんです。2005年の10月から翌年2月にかけてのころです。

手紙

韓国の作家宛に出した手紙(写真=深澤慎平)

 韓国のクォン・ユンドクさんは、手紙の中の「絵本は子どもの心に直接働きかけられる媒体です」という文章に胸を打たれ、このプロジェクトに参加することを決意したと言ってくださいました。2006年8月には日本の作家4人全員でソウルに出かけ、大歓迎を受けました。

 このとき、韓国の作家さんたちが私たちを西大門(ソデムン)刑務所歴史館に案内してくれました。日本が植民統治時代に、独立を叫ぶ政治犯を収監し、拷問や処刑をした場所です。平和を言うのであればここが出発点ですよという、韓国作家たちの意志を感じました。表面的な平和ではなく、加害、被害の双方の痛みを共有していきましょうと。背筋を正される思いでした。

西大門刑務所歴史館前

韓国の西大門(ソデムン)刑務所歴史館前で(2006年8月、写真提供=浜田桂子)

 翌年(2007年)、中国の作家も交え全員で集まった南京会議では、それぞれが持参した絵本のダミーに対して、率直な意見を交わしました。夜はホテルの一部屋に集まって、どんちゃん騒ぎ(笑)。平和絵本作りの巨大な山の登山口に集合できたことがうれしくて、それは素敵な時間でした。「これから大冒険が始まるね。お互いに頑張りましょうね」と帰国の途に就くとき、別れがつらくてみんなで号泣しました。本当に人と人とが出会うと、国境とか歴史とかは吹き飛ぶということです。

ホテルの部屋にて

南京会議後のホテルの部屋にて(2007年、写真提供=浜田桂子)

 この南京会議で、一人1冊ずつ制作、3国で共同出版、そして意見交換を続けながら作っていこうと決めたのですが、こういう時間を共有したことが、後々すごく大事でした。制作過程でどんなにしんらつな意見を言われても、分かってもらえないからやめようということは、全く気配もありませんでした。

韓国の作家からの痛烈な批判を経て

――『へいわって どんなこと?』に対しても、しんらつな意見があったということですか?

浜田 はい、信頼が深まれば深まるほど、どんどん厳しくなってきました。

 最初の「せんそうを しない」の場面は、ダミーでは「へいわって せんそうする ひこうきが とんでこないこと」と受け身の文章で書いていたんです。戦争を起こすのはいつも大人で、子どもは被害者だから。

修正前のダミー

文章を修正する前のダミー(写真=深澤慎平)

 ところが、韓国の作家や編集者から痛烈な批判がありました。「原爆は繰り返しちゃいけない、空襲はもうだめ、だから平和は大事」という日本人の潜在的な考え方が、私にも無意識にあるから受け身の文章になると。「もう二度と他国を爆撃したりしないために平和が大事」という発想ではないでしょうと。このままでは日本では読まれても、韓国や中国、アジアでは通用しないとまで言われました。

 その批判を聞いて、最初は非常に腹が立ちました。けれど、よくよく自分の心の中を見てみると、植民地支配や従軍慰安婦の問題も知っているけれど、知っているということと感覚って全然違うんですね。私が平和を意識するとき、被ばく者のことを思ったりしていました。難しいけれど、できるだけ複眼的に、被害を受けた人たちの思いとか、中国の人たちも日本軍の空襲で逃げ惑ったのだということを一生懸命感じようとしよう。そう思いました。

 それで子どもを大人に発信する立場にし、文章を、子どもたちの決意を込めた言葉に変えました。「せんそうを しない」「ばくだんなんか おとさない」「いえや まちを はかいしない」というふうに。私の本は力強くなったと感じています。

修正後のダミー

文章を修正した後のダミー(写真=深澤慎平)

「日・中・韓平和絵本」を携えてピョンヤンにも

――この本を携えて、北朝鮮のピョンヤンの小学校を訪問され、ワークショップや読み聞かせをなさったそうですね。

浜田 企画団体「南北コリアと日本のともだち展実行委員会」の方たちが、長年にわたって絵画交流などの信頼関係を築いてきたからこそ実現したことでした。

ピョンヤンの小学校でワークショップ

ピョンヤンのルンラ小学校でのワークショップ(2013年8月、写真提供=浜田桂子)

 北朝鮮にも絵本はあるのですが、紙質や印刷が悪く、日本から持っていった絵本を出すだけでみんなが喜ぶんです。1ページ1ページ読むと、子どもたちが大感激で。私がピョンヤンに行ったと言ったら、南北分断に胸を痛めているイ・オクベさんが、「僕らができないことをしてくれている」と涙を流されました。

ルンラ小学校の子どもたち

浜田さんの話に聞き入るルンラ小学校の子どもたち(2013年8月、写真提供=浜田桂子)

――日本の子どもたちには、どんなお話をして読み聞かせをなさるのですか。

浜田 時には画材も持参して、この絵にはこういう思いを込めたとか、こんなふうに描いたよといったことを話します。そうすると、子どもたちは身を乗り出して聞いてくれます。中国や韓国の作家といろいろ意見交換をして絵本を作ったことや、日本は中国や朝鮮の文化をお手本にしてきたことも話します。中国や北朝鮮のニュースを子どもたちも知っていますので、この中国版と韓国版を見せるだけで「えー?!」とびっくりしていました。

東京・四谷でのワークショップ

東京・四谷でのワークショップ(2013年6月、写真提供=浜田桂子)

 子どもたちって、「いちばん」が好きなんです。よく「この本のなかで、浜田さんのいちばんのおすすめはどこですか」と聞いてきます。そういうとき、「どのページも伝えたいことだけど、一番言いたかったのはこの『へいわって ぼくが うまれて よかったって いうこと』というページなんだよ」と話します。「だって、みんなが生まれてきたって、すごいことよ。命がずっとつながってきたんだよ」と。

「へいわってどんなこと?」見開き

写真=深澤慎平

『花ばぁば』もついに日本で出版に

――今年、クラウドファンディングによる市民の後押しを受けて、クォン・ユンドクさんの『花ばぁば』(ころから刊)が出版されました。日中韓の平和絵本制作の中で、この本だけが日本で刊行できていなかったそうですね。

浜田 モデルとなったシム・ダリョンさんの証言に事実と齟齬があるなどの理由で、日本での出版の道が途絶えてしまっていました。しかしこのプロジェクトを呼びかけた日本作家としては、断念するわけにはいきません。呼びかけ人の田島征三さんとともに、出版の手立てを探し続けました。出版を願う方たちの尽力もあって、クラウドファンディングで資金を募り、202人もの方の後押しを受けて出版にこぎつけました。「参加できてうれしい」とか、「本当にこういうものが大事だと思う」とか、胸打たれる応援コメントが多く寄せられ、すごくうれしかったです。

花ばぁば

『花ばぁば』(ころから刊)(写真=深澤慎平)

 クォンさんは、この本を読んだ子どもが「日本って嫌な国」と思ったら困ると考えて、下書き本を何冊も作り、すごく悩んで制作なさいました。

 例えば最後にアオザイを着た女の子がでてきます。これは、ベトナム戦争のときに集団的自衛権のもと送り込まれた韓国の兵士たちの残虐さを想起させるものです。日本告発でなく、普遍的な戦時性暴力を伝える本にしようとしたクォンさんの考え方はすごいなと思います。

 今の日本では、かつての加害の歴史を否定し、慰安婦問題などの言論表現をヒステリックに攻撃する風潮があります。私たちに必要なことは、真実を知り被害者の思いを想像することです。日本社会がもっと緩やかであればと願います。

加害の認識が戦争を嫌う気持ちを育てる

――この絵本プロジェクトに携わってこられて、今、どんなことを感じていらっしゃいますか。

浜田 「日・中・韓平和絵本」プロジェクトに関わって以来、被害者意識だけで本当に戦争を拒否できるのだろうかということを考え始めました。

 3年ほど前に高畑勲さんがあるインタビューで『火垂るの墓』は戦争を止める役には立たないのではとおっしゃっていて、「ああ、これだ!」と思いました。為政者はそういう目に遭わないために戦争をすると言うに決まっていると。私は、加害の認識を持つことが、戦争を嫌う気持ちを育てるのではと感じています。

 中国の蔡皋(ツァイ・カオ)さんは、このプロジェクトの収穫は、『へいわって どんなこと?』だと絶賛してくださいました。過去のことを伝えている本が多い中で、この本は今と未来に向かっているからと。

「へいわってどんなこと?」見開き

写真=深澤慎平

 韓国の作家さんたちも、絵本の読み聞かせをするときは、これは日本の人たちが呼びかけたプロジェクトで作った絵本だと言ってくださっています。

 絵本ができたら終わりということではないんです。日本でも、絵本から広がる世界をともに開いていっていただけることを願っています。

浜田桂子さん

写真=深澤慎平

取材協力=株式会社童心社、ころから株式会社 取材・文=山木美恵子 写真=深澤慎平 構成=編集部