はじめよう、これからの暮らしと社会 KOKOCARA

食と暮らし、持続可能な社会を考える、
生協パルシステムの情報メディア

写真=深澤慎平

毎日3回の食事から未来を変えられる? 作家・島村菜津さんが語る「スローフード」の可能性

  • 食と農

ふと気がつくと、私たちの食卓には、作り手の顔が見えない食品が並びがちだ。けれど、そんな現状を変えていこうというムーブメントも着々と育まれている。ファストフードに対抗しようと1980年代に生まれた「スローフード」は、作り手とのつながりを大切にし、「食べること」のあり方を見直す運動だ。国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」が注目を集める今、国内外で取材を続ける作家の島村菜津さんにスローフードの可能性について聞いた。

「いつでもどこでも同じ味」はいいことなのか?

――島村さんがイタリアで生まれた運動を日本に紹介して20年近くになります。改めてスローフードについて教えていただけますか?

島村 「スローフード運動」がイタリアで始まったのは、1986年、マクドナルドがローマに進出したことがきっかけでした。といっても、ファストフードをつぶそうという運動ではないんですよ。ファストフードがあってもいい。だけど、ファストフードの背景にある「世界中いつでもどこでも同じ味」という考え方はどうなのだろう、という問題提起です。

ファストフード

写真=イメージ

 効率や生産性を優先するあまり食が画一的になりつつある流れにあらがい、地域に根づいた独特の文化や長く守られてきた伝統、それを誇りとする人々によって育まれてきた食の豊かさに光を当てる。お金では計ることができない食の価値を大事にしましょうというのが、スローフード運動の出発点でした。

 そのために掲げられたのが、「質のよいものを作ってくれる生産者を守る」「子どもたちを含めた消費者への味の教育」「在来種や伝統漁法など希少な農水産物や伝統の味を守る」の3つの柱。20周年を迎えたときから、「おいしい」「クリーン」「公正」と表現を変えましたが、生産者を守るという初期の視点が、個人的にはスローフード運動に最も惹かれたポイントでした。

――この20年間でグローバル化はますます進み、格差や貧困、また温暖化など環境問題も深刻になっているように思います。

島村 そうですね。スローフード運動も、先ほど述べた3つの基本的な柱は変わっていませんが、環境問題へのスタンスは大きく変化しています。正直言うと、90年代にイタリアのスローフード協会の方たちに環境の話をしたときには、ちょっと驚いたのですが、まだエコロジー運動とスローフード運動とは別物だというスタンスでした。

国際スローフード協会のイベント

国際スローフード協会が主催する国際イベントのようす(写真提供=島村菜津)

 でも2000年あたりから彼らの認識はすごく変わってきた。きっかけは、「テッラ・マードレ=母なる大地」という南半球、アフリカや南米を中心とする生産者たちと密接につながるようになったことでした。「原産地」と呼ばれ、貧困も環境問題も最も深刻で、かつ何の対策もなされていない南半球の生産者から話を聞けば聞くほど、これは決して他人ごとではないと。大量消費・大量廃棄を当たり前にしてきた北半球の自分たちと、南半球の生産者の置かれている状況が密接に関わっていることをひしひしと感じるようになったのです。

 スローフード運動と環境運動はもっとつながるべきじゃないか、つながれば面白いことができるんじゃないか。そんな機運が生まれ、私もすごく影響を受けました。

島村菜津

写真=深澤慎平

“つまらない”商店街は、誰が作ったのか。

――「スローフード運動」に関わる中、島村さん自身、社会や食を巡る状況で特に気になることはありますか?

島村 「物を買うということは投票と一緒だよ、次の社会を選ぶってことだよ」と作家の井上ひさしさんに亡くなる前に言われました。ヨーロッパでは若者たちまで浸透している考え方ですが、私自身も今、それをひしひしと感じています。

 最初に「おや?」と思ったのは、『スローフードな人生!』を書いていた2000年前後。家の近くの商店街がなんだかつまらなくなってきたように感じたんです。商店街にある製麺屋さんで麺を買って、ちょっと離れたところにある比内鶏専門店でガラを買って家でラーメンを作るというのが私の休日の楽しみだったのに、ある時期から商店街のお店がバタバタとつぶれてしまった。

 商店街で長く営まれていた小さなお店が消えて、代わりに増えたのが全国展開のチェーン店です。

シャッター街

写真提供=うげい/PIXTA(ピクスタ)

――確かに今は、どの地方に行っても同じような看板が並んでいますね。

島村 ええ。しかも、私は西アフリカのギニアでも同じようなことを感じたんですよ。スンバラっていうすごくいい味の出る伝統調味料が欲しくて市場に行ったのですが、驚いたことに、市場全体が世界最大の食品企業の化学調味料の広告であふれていた。地元の伝統料理を出すというお店をがんばって探したのですが、やっとたどり着いたそこにも、その化学調味料の大きな広告が一面に……。

 さすがにぞっとしました。でも同時に、これって、日本の子どもたちを取りまく世界と同じなんじゃないかと思ったのです。

ギニアの市場

ギニアの市場。同じ看板が続いている(写真提供=島村菜津)

マギーブイヨンの看板だらけの食堂

ギニアの伝統の家庭料理を出す食堂の外観にもよく目にする看板が(写真提供=島村菜津)

 私たちは、市場原理はよきもの、企業が強くて発展するのはよきこと、どんどん販売を増やすことが成功って思い込んできているけれど、結果、大企業が提供する安価で画一的な商品ばかりになり、そこで育つ子どもたちから選択肢を奪っているんですよね。物資の少ない砂漠の町だからその実態がレントゲンのように透けて見えたけれど、日本の状況も、私たちには見えていないだけで何も変わらないんじゃないかと思いました。

 ふと気づくと、私自身、ちょっと居心地がいいからといってチェーン店のカフェに入ってコーヒー1杯で粘って原稿を書いているなんてこともある。結局、私自身が、次の子どもたちのために、隣の町と何も変わらないつまらない町を作ることに参加してしまっていたのです。

応援したいのは、どんなバナナ?

――国連は、2030年までに「誰一人取り残すことなく、すべての人にとって尊厳ある生活を実現する」ため、「持続可能な開発目標(SDGs)」を掲げました。「エシカル=倫理的消費」という言葉も注目されています。「スローフード」は、そうした課題への糸口の一つになるのでしょうか?

SDGs17の目標

国連が掲げる17の「持続可能な開発目標(SDGs)」(画像=外務省提供)

島村 食べ物が面白いのは、食べ物を真ん中にすればいとも簡単につながれること。1989年に開かれた国際スローフード協会設立大会でのスローフード宣言の中に、「スローフード運動は、食卓から始まる革命である」と謳われていますが、実際にいろいろな食の現場に行ってみると、「食卓から社会を変える」が本当に実践されていることを感じます。

 おいしいものを前にしたら、理屈とかその人の立場とか、ほとんど関係なくなってしまう。それが食べ物の持つ、ものすごい力だと思います。環境問題や多様性のことも、食のことを真ん中にして考えると一番分かりやすいし、子どもにも伝えやすいのではないでしょうか。

――食べ物の「つながる力」を手がかりにすれば、社会の問題の本質が見えてくるということですね。

島村 例えば、日本で私たちが購入できるバナナの中には、生協パルシステムが扱っている「バランゴンバナナ」(※1)のように日本の生産者と海外の生産者とが直につながって生産者や地域の自立を支援しているバナナもあれば、一方で、大手企業が現地の人を低賃金で雇い、たくさんの農薬を使って栽培するバナナもある。また、「高地栽培で無農薬だから安全で環境にも優しい」と謳っている1本100円もするバナナもあります。

バナナ

写真=イメージ

 「高地栽培で環境に優しい」なら素晴らしいバナナと思いがちですが、本当にそうでしょうか。現場に行ってみると、高価なバナナを栽培するために、貴重な森林を木の上でぼーっと寝ているナマケモノごと切り倒してしまっているといった実態もあるんです。食べる人の体には安心かもしれないけれど、生産地の環境やそこに住む人たちのことを考えると、それだけで選んでよいのかと思いますね。

 家でほっとくつろいで口にするバナナが、生産者に十分な対価が支払われ子どもを学校に行かせることができるバナナなのか、広大な森をつぶしてナマケモノを森から追いやってしまうバナナなのか。その違いは、私たちにとって、ほっと一息つけるかつけないかの大事なポイントだと思いませんか?

※1:1980年代後半、砂糖きびプランテーションに依存した農業と経済を原因とする飢餓と闘いながら、バナナの栽培による自立に向けた取り組みを応援するために始まった民衆交易によるバナナ。フィリピンのネグロス島など5つの島で生産している。

関連記事:未来に手渡したいバナナはどれ?バナナから考える「多国籍アグリビジネス」の行方

バランゴンバナナの生産者

フィリピンの「エコ・バナナ(バランゴン)」の生産者、昔ながらのかごを使って収穫したバナナを運ぶ(写真=山本宗輔)

各地で実践されている「スローフード」

――島村さんは、世界各地をフィールドワークで回られていますね。生産者の暮らしや環境を変えていくような食の現場の取り組み事例をご紹介いただけますか?

島村 たくさんありますよ。たとえば、ハタハタ漁の取材で何度か行った秋田の男鹿半島です。秋田の人は、一昔前はハタハタを箱買いしていたんですって。ところが気がついたらハタハタが獲れなくなってしまった。ピーク時には年間2万トンもあった漁獲量が1980年代終わりには70トンまで激減し、秋田県民が1人1匹ずつも食べられないという状況に追い込まれちゃったんです。

 そこでどうしたかというと、1000人くらいの漁師たちが140回も話し合って、「俺らの海だから俺らが守らなきゃ」と1992年から3年間の禁漁を決めたんです。もちろん、他の漁で生計を立ててはいたのですが、それにしても3年間禁漁するという決断はすごいですよね。頑張って取らないでいたら、またハタハタが戻ってきたそうです。

ハタハタ漁のようす

ハタハタを浜で選別する漁師。冬の海に忽然と現れる奇跡の恵み(写真提供=島村菜津)

 漁業は地域の産業とも全部つながっている。漁協の裏にある醸造元では、一度途絶えかけたハタハタのしょっつる(※2)を復活させました。イタリアにもイワシの魚醬がありますが、ハタハタは深海漁なのでだいぶデリケートで、その分上品なお味です。その醸造元が漁師のおばちゃんたちに、作り方を教えたりしているんですよ。

――漁を休むという選択で、海の環境や地域の産業を取り戻したということですね。海外の事例もご紹介ください。

島村 メキシコでは1000人ぐらいのオーガニックカカオを作る生産者を支えるおばちゃんに会いました。

 彼女は嘆いていました。産地ではチョコレートを作るのをものすごく急かされて、カカオの実がまだ青いうちに摘まされる。それに農薬もたくさんかけられて手が荒れる。これじゃ子どもたちに継げとは言えないって。

有機カカオの生産グループを支える女性

メキシコ・タバスコ地方で、有機カカオの女性グループを支えるドンナ・セヴァスティアーナさん(写真提供=島村菜津)

 彼女がすごいのは、嘆いているだけじゃなくて、女性だけの生産者グループを立ち上げて自分たちでチョコレートを作り始めたことです。できるだけ農薬を控えて、完熟してから実を摘んで。それを飛行場に売りに行ったら、なんと60倍の価格で売れたんですって。ふつうのチョコレートがいかに生産者から搾取しているかの裏返しでもあるのですが……。おばちゃんたちのチョコレートはヨーロッパの消費者団体が商品化を手伝い、今ではしっかり輸出もしているんですよ。

チョコレート

完熟したカカオから作られた香り高いチョコ(写真提供=島村菜津)

未来を変えるのは、毎日食と向き合う私たち

――国内外の食生産の現場で、持続可能性を大切にした営みが育まれているのですね。私たち消費者は、どうすれば「スローフード」を実践できるでしょう。

島村 まずは、地球の環境の真ん中に私たちの日々の食生活があるということをもっと意識したいですね。地球のことを考えずにはおいしいもののことはもう語れない、くらいの感覚を持ちたい。「ヘルシーで安全なものを食べましょう」だけではカッコ悪い時代になってきたのかなって思います。

島村菜津

写真=深澤慎平

 例えば、広大な森があるから地球のバランスが保たれ、私たちの生活環境が守られている。もっと儲かるバナナを作りましょうと森がなぎ倒されてしまったら、一気に温暖化は進むでしょう。自然や自然に沿って生産活動を営む人たちを支えるという行為が、結局は、自分たち自身を守ることにつながっているのだということを肝に銘じたいですね。

――選んだものの結果は、自分たちのところに戻ってくるということですね。

島村 はい。私が最初にイタリアのスローフード協会に話を聞きに行ったときに、副会長が「スローフード運動とは食を真ん中にした関係性の問題だ」とおっしゃったんです。「君と家族の間に食卓がある。君とふるさとの間にも食があるだろう」と言われた。私も子どもを育てるようになって、その意味が身にしみるようになりました。

 私たちと家族、友だち、地域社会、自然の間に食がある。食べる人と作る人の間に食がある。「スローフード」とは、その食の作り方、運び方、食べ方をどうしていくかということなのです。効率や経済を優先し、大量生産や大量流通によってゆがんでしまった食がつなぐ関係性を、互いに豊かになるいい関係に修復していく。そういうことなんです。

 スローな食卓から子どもたちの未来や世界を変えていく――それを実践するのは、食の専門家だけでなく、毎日、食と向き合っている私たちです。

※本記事は、2018年6月2日に行われた『2018年度第1回「ほんもの実感!」くらしづくりアクション連続講座「できることから始めませんか?“選ぶ”で変わる地球の未来 ~食の世界からみるエシカル・SDGs~」での講演を基に構成しました。

取材・文=高山ゆみこ 写真=深澤慎平 構成=編集部