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写真=深澤慎平

写真=深澤慎平

「これからを生きる子どもたちへ」 絵本作家・かこさとしさんは、子どもたちに何を遺したのか

  • 暮らしと社会

『からすのパンやさん』や『だるまちゃんとてんぐちゃん』など、数多くの名作を生み出したかこさとし(加古里子)さんは今年の5月、その生涯を終えました。「大切なことは、すべて子どもたちに教わった」と語っていた加古さんが絵本に込めた思いとは何だったのか。越前市かこさとしふるさと絵本館「砳」(らく)・館長の谷出千代子さんに、作品とともにその人生を振り返っていただいた。聞き手は、生前の加古さんと対談経験もあるライターの永江朗さん。

原点はふるさとの自然と人情

永江 加古里子(かこさとし)さんは生まれ故郷の武生(たけふ)の記憶を大切にしていたそうですね。

谷出 ええ。武生の自然をこよなく愛されていました。もうひとつは人情味がすごく厚い町だということを強調されていました。

福井県越前市武生の風景

福井県越前市武生の豊かな自然(写真=スズキアサコ)

 加古さんのお父さんが、この町にあった大同肥料株式会社、現在の信越化学工業武生工場に勤めていました。幼い加古さんは、社宅から2キロも離れた幼稚園に徒歩で通っていました。毎朝、お父さんやお兄さんお姉さんと一緒に家を出ますが、途中からは一人になります。

 すると町の大人たちが、「気ぃつけてな」「夕方から天気が悪ろうなるから、寄り道してはいかんよ」などと声をかけてくれたそうです。大人たちが子どもを気にしてくれる。情をかけてくれる。加古さんは、この町の人々が人とのつきあいを教えてくれた、と後に振り返っています。

永江さんと谷出さん

インタビュアーの永江朗さん(左)と谷出千代子さん(右)(写真=スズキアサコ)

永江 加古さんの絵本の原点がこの町にあったんですね。加古さんは8歳で東京に引っ越しますが、その後もおつきあいがあったんですか。

谷出 加古さんは絵本作家になってからも、たびたびこちらにいらっしゃいました。私が初めて加古さんの講演を聞いたのもお隣の敦賀市で、たしか40年ぐらい前のことです。

来館時のかこさん

2013年5月に来館した加古里子さん(写真=来館者提供)

創作のきっかけは戦争体験――大人は子どもの導き手

永江 生前、アトリエに加古さんを訪ねた際、子どもたちが遊びを通じて社会性を獲得していくことに学んだ、とおっしゃっていました。

谷出 多感な青年期に銃後の街で戦争を体験したことが、加古さんのその後の生き方を左右しました。彼は航空士官になりたかったけれども、視力が足りないので東京大学工学部に進みます。同世代の人たちは次々と戦死していき、自分だけが生き残った。加古さんは「死に残り」という言い方をされます。

 昨日まで「天皇陛下バンザイ」といい、「非国民」と言って人を裁きののしっていた人たちが、1945年8月15日を境に「これからは民主主義だ」と言うようになった。そんな人間の心の変わりようは嘘だ、と加古さんは言います。

 人間は嘘をついてはいけない。だから子どもには、嘘をつかない生き方、自ら考えて、自ら行動して、自ら発見する生き方をしてほしい、と加古さんは願っていました。

永江 アトリエでは子どもたちの遊びをスケッチした膨大な資料を見せていただきました。加古さんは子どもが自分で工夫しながら遊びを生み出していくことに関心と尊敬の念を抱いていたのですね。

アトリエと加古里子さん

多くの書物が並ぶアトリエで、創作活動をする加古里子さん(写真=深澤慎平)

谷出 大人は子どもに何でも教え込むのではなく、子どもが自分で気づき、発見するきっかけになるよう導いていくのが役目だ、と加古さんは考えていました。

 例えばエノコログサ(ねこじゃらし)でも、それを手折って与えるのではなく、生えているところに一緒に行く。すると子どもは、手の平に乗せたり、首をくすぐってみたり、自分でエノコログサの特性や扱い方を発見していく。

エノコログサの遊び方

『だるまちゃんと楽しむ 日本の子どものあそび読本』(2016年、福音館書店)より(写真=編集部)

 大人は優しさが過剰にならないよう、導いていくように気をつけたい、と加古さんは言います。

子どもたちに向けたメッセージ

加古さんが残した、子どもたちに向けたメッセージ(写真=スズキアサコ)

「子どもさん」は厳しい観客であり読者

永江 加古さんは学生時代から子ども向けの演劇活動をしたり、昭和電工に入社後もセツルメント(社会福祉ボランティア活動)に参加して、盛んに紙芝居を創作していきます。

谷出 子どもたちは正直です。紙芝居や絵話をしても、面白くないとその場からいなくなってしまう。そんな子どもたちが大喝采したのが紙芝居『どろぼうがっこう』です。子どもたちは大喜びで、終わると「もう一回」「もう一回」とアンコールが続いたそうです。

「どろぼうがっこう」の見開き

『どろぼうがっこう』(1973年、偕成社)より(写真=編集部)

 どろぼうは最終的には警察に捕まるんですが、昔話と同様に、道徳的なものはしっかりと伝えている。道徳的なものを、大人が言葉で「こういうことはしてはいけない」と言うのではなくて、物語で伝えていく。すると、子どもは自然と「いけない」と気付くというんですね。そういう気づき方を伝えていく役目をしたい、というので、紙芝居で伝えたそうです。

 『矢村のヤ助』は山鳥版『鶴の恩返し』ともいえる信州辺りで伝わるの昔話の再話作品です。素話で語ったところ、話の結末になると子どもたちは「女房を返しておくれ」と叫んだそうです。それくらい物語に入り込むんですね。

谷出さん

谷出千代子さん(写真=スズキアサコ)

永江 加古さんは『だむのおじさんたち』(福音館書店、1959年)でデビューするまでに、膨大な数の紙芝居を創作していますが、それは目の前の子どもたちの反応を肌で感じながら描かれていたんですね。『どろぼうがっこう』をはじめ多くの紙芝居が、のちに絵本になっていきます。

谷出 加古さんは「子どもたち」ではなく、「子どもさん」という言い方をしていました。子どもたちに教えられた、ということなのでしょうね。

 一方、ユニークな絵本もあります。『ゆきこんこん あめこんこん』は、作者に「なかじままり」とありますが、これはお嬢さんとの共作です。最初のほうは、まりさんが5歳のときに紙芝居のコンテストで入賞したものです。それが面白いというので、加古さんが『あめこんこん』を描き加えたそうです。

科学絵本の奥に面白いものがある

永江 デビュー3年後、『かわ』が刊行されます。産経児童出版文化賞大賞も受賞したこの本は、河川を源流から河口、海まで描いた画期的な科学絵本です。

「かわ」の見開き

『かわ』(1966年、福音館書店)より(写真=編集部)

谷出 図鑑や事典について、「キーワードがほんの数行の説明で終わっている。これでは幼児期の子どもたちは理解できないし、小学校の低中学年でも無理だ。分かるようにするためには、絵で補足するとよい。」と加古さんは言っていました。

 加古さんの科学絵本は詳しくて、しかも正確です。「これはどうなのか」ということが、順序を追って描かれていて、しかも実験までできるように構成されています。「ストーリーとしては本に描いたところまでだけど、実はその奥に面白いものがある。その奥の面白さについて子どもが読んで分からない時は、大人が読んでお話をしてあげられる」と加古さんは言っていました。

「宇宙」の見開き

『宇宙』(1978年、福音館)は谷出さん一番のお気に入り(写真=編集部)

 1冊の科学絵本を仕上げるために、作品の中には10年という歳月をかけたものもあります。しかも本を出したらそれで終わりではないのです。例えば『小さな小さなせかい』ではニュートリノの話が出てきますが、小柴昌俊さんがノーベル賞を受けると、改訂版を出して小柴さんの名前も入れています。

永江 その意味では、科学者としても最後まで現役でしたね。

谷出 そうなんです。「なぜ?」「どうして?」をとことん追求した人でした。例えば『太陽と光しょくばいものがたり』。まずは自身で徹底的に調べて、分からないところは専門家に聞きに行く。また自分でも調べて、疑問がわくとさらに調べる。専門家のコメントが入っているものもあります。それは加古さんの探究心ですね。

「太陽と光しょくばいものがたり」の見開き

『太陽と光しょくばいものがたり』(2010年、偕成社)より(写真=編集部)

 理科離れ、科学離れが子どもたちの間で進行している。(科学の本当の面白さが子どもたちに届いていない……)だから楽しみ、納得できる科学教育が必要なのだと言っています。

マトリョーシカから生まれただるまちゃん

永江 『かわ』刊行の5年後、67年に『だるまちゃんとてんぐちゃん』が出版されます。同じ年には『日本伝承のあそび読本』も。「だるまちゃんシリーズ」や「からすのパンやさんシリーズ」は、長く愛される作品となりました。

「からすのパンやさん」の見開き

『からすのパンやさん』(1973年、偕成社)は3世代に渡り読み継がれている(写真=編集部)

谷出 加古さんは学生時代からロシア語の知識がありました。ある時ソ連の雑誌を読んでいたら、マトリョーシカを主人公にした絵本が載っていたそうです。驚いて、日本でマトリョーシカに代わるものはないだろうか、と思いついたのがだるま。それが『だるまちゃんとてんぐちゃん』の始まりです。

 シリーズは11作品ありますが、出てくるのは虎の子や大黒、天神など、日本の民芸品にヒントを得たものです。加古さんは日本の伝統文化を大切にされていました。

永江さんと谷出さん(えほんのへや)

写真=スズキアサコ

永江 だるまちゃんもてんぐちゃんも可愛いですよね。最初は絵に目を奪われますが、彼らの言葉づかいもいい。「いいね」と、いつも肯定的です。

「だるまちゃんとてんぐちゃん」の見開き

『だるまちゃんとてんぐちゃん』(1967年、福音館書店)より(写真=編集部)

谷出 相手を認めているんです。だるまちゃんは、てんぐちゃんが持っているものを何でも欲しがります。子どもはそうですよね。他人が持っているものが珍しいし、欲しい。加古さんは「僕は児童心理学を学んでいない」と言っていますが、そうした子どもの心に寄り添える人でした。

永江 歴史についても関心をお持ちでした。

谷出 『ならの大仏さま』は、地球の歴史から始まって、奈良に都ができたことから現代まで細かく描かれています。金属をどうやって作るか、建物のバランスはどうなのか。絵本作家の多くは得意なジャンルが限られますが、加古さんは科学も創作も歴史も民話も、そして遊びもとにかく何でも調べている人でした。

「ならの大仏さま」を読む谷出さん

写真=スズキアサコ

永江 まさに絵本界のダ・ヴィンチともいうべき人ですね。

絵本館を訪れる人々へ

永江 児童文学の研究者というお立場から見て、加古里子という作家はどのように位置づけられますか?

谷出 何と言ってもパイオニアです。緻密な絵を描く作家であり、科学を推奨する作家であり、日本の伝統的な民芸品を主人公に据えた物語を創作する作家です。それまで誰もやらなかった分野を率先して描いてきました。加古さんに触発されて絵本作家になった人もたくさんいます。

 加古さんは、「僕の絵は上手じゃない」と言うんです。だからたくさん描かないと分かってもらえないんだ、と言います。

永江 絵本館の「あそびのへや」では、谷出さん解説によるスライド上映が行われていますね。

スライド上映の様子

加古さんについてのスライド上映をしている様子(写真=スズキアサコ)

谷出 加古さんの追悼展として全国の子どもたちに加古さんを再認識していただこうと、自作のスライドでお話をしました。加古さんの作品を中心に、資料を集めて展示するのが絵本館の使命だとは思いますが、工作をしたり劇遊びをしたり、音楽会を開いたり、いろいろなことをしています。

 作品を通じて加古さんを知った人が、この土地に来てくだされば、またここで加古さんの世界に会えると思います。

 最後に、加古さんのメッセージをご紹介します。

生きるということは、本当は、喜びです。生きていくというのは、本当はとても、うんと面白いこと、楽しいことです。もう何も信じられないと打ちひしがれていた時に、僕は、それを子どもたちから教わりました。(中略)だから僕は、子どもたちには生きることをうんと喜んでいてほしい。(中略)心から、そう願っています。(自叙伝『未来のだるまちゃんへ』〈かこさとし〉より)

生前の加古さん

生前の加古里子さん(写真=深澤慎平、2012年撮影)

取材協力=かこさとしふるさと絵本館「砳」(らく)、加古総合研究所 取材・文=永江朗 写真=スズキアサコ 構成=編集部