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老老介護の二人

©「ぼけますから、よろしくお願いします。」製作・配給委員会

「ぼけますから、よろしくお願いします。」と言われて。娘が撮った、認知症の母と耳の遠い父の老老介護

  • 暮らしと社会

認知症と診断された母、87歳。そこから、95歳になる耳の遠い父による介護が始まる。究極の老老介護。認知症であることにたじろぎ、苦悩する母親をカメラで追う、娘であり、ディレクターの信友直子さん。大反響を呼んだテレビドキュメンタリーが昨秋『ぼけますから、よろしくお願いします。』として映画化、全国で上映されて好評を博している。監督の信友さんにお話を伺った。

母に向けるカメラ、涙が止まらなくなる私

――映画のユーモラスなタイトルは実際にお母さまがおっしゃった言葉だそうですね。

信友 はい。2年前のお正月に母が私に向けて言った言葉です。おどけたふうですが、そこには母の不安と切実な思いがこもっていました。認知症でいちばん傷ついているのは本人です。今までふつうにできていたことがどうしてできないのか。自分はこれからどうなっていくのか。たじろぎ、不安におののく日々なのです。私自身、母が認知症になって初めて、認知症の人の複雑な胸の内を知ったのです。

信友直子さん

信友直子さん(写真=堂本ひまり)

――お母さまの発症を、信友さんはどうとらえられたのでしょうか?

信友 私は母が大好きでお母さんっ子でした。その母が母でなくなっていく。最初はショックで、受け入れたくないという気持ちが強かった。でも、私がいくら認めたくなくても、母が認知症であるという事実は覆せません。それなら母の病状を認めたうえで、どう付き合っていくのか、そう頭を切り替えたほうが楽になると腹をくくりました。カメラを回すことがその切り替えを助けてくれたように思います。

食事中の両親を撮影する直子さん

©「ぼけますから、よろしくお願いします。」製作・配給委員会

――映画ではお母さまの取り乱す様子が隠すことなく描かれて、認知症のもたらす懊悩のすさまじさにたじろいでしまいました。

信友 母も父も初めは「他人の手を借りたくない」と介護サービスを受けようとしませんでした。でも、現実の老老介護は生易しくありません。母の症状は徐々に悪化し、「私はバカになった」「どうしたらいいんかね」と自分をさげすみ、泣く母。カメラを回しながら私は、以前私が乳がんに罹ったときに上京して看護してくれた母の姿を思い出し、涙が止まらなくなりました。

歩く母を撮影する直子さん

©「ぼけますから、よろしくお願いします。」製作・配給委員会

95歳で初めてリンゴの皮をむいた父

――映画の中のお父さまのホンワカ泰然としたたたずまいが素晴らしく、ファンレターも届いているのだとか。

信友 ははは。そうなんです。上映館の舞台挨拶に立ってもらったこともあるんですが、私より拍手が多いのです(笑)。年を取って親子の関係が変わるというのはどの家庭にもあることなんでしょうけど、私が生まれてから母が病気になる前の50年間より、病気になった数年間のほうが父と多く会話しています。そして気づいたんです。父が意外といい男で、妻思いのいい奴なんだと(笑)。映画の配給会社のスタッフの間でも大人気なんです。

連れ添って歩く両親

©「ぼけますから、よろしくお願いします。」製作・配給委員会

――映画の中で、お父さまが荒れるお母さんを激しく怒るシーンがあります。これも忘れられなくなる場面です。

信友 そうですか。じつはカメラを回しているときは気づかなかったのですが、父は感情の赴くままに怒っているようで、じつはそうではなく、本当は母をこんこんと諭していたんです。編集段階でそのことに気づき、父の器の大きさに、私はまた泣いてしまいました。

部屋で寝そべる母と裁縫する父

©「ぼけますから、よろしくお願いします。」製作・配給委員会

――お父さまがリンゴの皮をむく場面が出てきます。とくにラストシーンのお皿にのったふた切れのリンゴが印象的でした。

信友 最初のシーンは、父が95歳にして初めてリンゴをむいた瞬間でした。それもふくめて家事や洗濯をする父の姿を、私は今回初めて目の当たりにしたのですが、それを父に問うと、「いやあ、兵隊に取られたとき、そんなこともずいぶんやらされたからなあ」と答えました。何気ないその言葉に、私はそれまでまったく知らなかった父の若いころの姿を知ったのです。思えば、母が認知症になったことでこうして父との距離が縮まったわけで、認知症もあながち悪いことばかりではないと。ラストシーンのリンゴの映像はお客様の見方にゆだねたいと思います。いろいろな解釈があると思いますので。

買い物からの帰り道の父

©「ぼけますから、よろしくお願いします。」製作・配給委員会

連れ添って生きて、互いに老いていく

――全編にあふれるのはご両親の仲のよさと信友さんのご両親への深い愛情です。深刻なテーマを扱ってこれほど読後感のよい映画はめったにありません。

信友 娘としてだけ向き合っていたら、ここまで多くのことに気づかなかっただろうと思います。母にカメラを向けて「ディレクター」の目線で「この人は何を考えているんだろう」と想像力を働かせたからこそ見えてきたものがあります。父親の意外な実像、認知症とどう向き合うか、そして家族って何だろうとか……。

信友直子さん

写真=堂本ひまり

 いちばんの気づきは、たいして仲が良いとも思っていなかった両親の間に、娘すら入り込めないきずながうまれたこと、これはうれしかった。そういう意味では、認知症の家族を抱えることは必ずしも不幸なことではなく、新しい発見をさせてくれるギフトともとらえることができそうです。

笑顔の家族3人

©「ぼけますから、よろしくお願いします。」製作・配給委員会

――信友さんの映画関係者が、「彼女が取材すると、その被写体に何かが起きる」と言っています。ご両親の中に生まれたきずながそれなのですね。

信友 私は母も父も大好きですが、ドキュメンタリーも大好きなんです。つくづく思うのは、なにも特別な人でもなく一市井人であっても必ず物語がある。ドキュメンタリーになりうる。ですから、私にとって両親は最愛、最高の被写体だったのです。母の発症の前からプライベートで撮っていたふたりの映像の中に突然「認知症」が忍び込んできて、親子3人の力関係は明らかに変わりました。家を仕切って凛として夫と娘の世話を焼いていた母は、今やとても愛らしい赤子の存在に変わりました。映画の公開日には母は89歳、父は98歳。連れ添って生きて、互いに老いていくふたり。そして私を含めた家族3人が、これからどうなっていくのか。最後まで見届けるのが私の使命です。

母に抱かれる生後間もない直子さん

©「ぼけますから、よろしくお願いします。」製作・配給委員会

――映画を見終わってすぐ思ったことは、ご両親のその後でした。それほどおふたりに感情移入してしまったのです。お元気でいらっしゃいますか?

信友 ありがとうございます。じつは昨年9月に母が脳梗塞で倒れ、幸い大事に至らず、今は病院でリハビリ中です。父と私が面会に行くたびに母は「ありがとうね~心配かけてごめんね~」と繰り返し、父が「早うようなって家に帰ろうで」というと「ほうじゃねえ~」と頷いています。この先、どういう生活がふたりにとって幸せか、娘として考えなければと思っています。

取材協力=株式会社ネツゲン 取材・文=斎藤明 写真=堂本ひまり 構成=編集部