村松純子さん

そこにある、見えない命のために。日本発、世界初のマタニティマーク「BABY in ME®」誕生から20年、変わらない思い

  • 暮らしと社会

妊娠初期(※1)は、つわりが出やすいなど、妊婦には心身ともにつらいことの多い時期だ。厚生労働省が「マタニティマーク」を制定したのは2006年のこと。今では市民権を得たこのマークだが、ある一人の女性の思いが大きなきっかけとなったことはあまり知られていない。それが、1999年に誕生した「BABY in ME®」だ。20年前に比べれば理解は広がったが、「嫌がらせをされそうで、つけるのが怖い」という声もある。一人一人に問われている優しさ、気づかいとは何だろうか。

※1:妊娠2か月に入った妊娠5週から、4か月である15週までを表すことが多い(それより以前は「妊娠超初期」)。そのあとは妊娠中期(5~7か月)、妊娠後期(8~10か月)となる。

そこにある、見えない命

 「BABY in ME」の事務所は、隅田川がよく見える都内のマンションの一室にある。バッグチャームやトートバッグなど、ところせましと飾られたかわいいグッズの数々。お腹に大きなハートを宿した笑顔の女性が、「BABY in ME」のイラストだ。

マタニティマークをあしらったバッグチャーム

プレートタイプ(左)と牛革製(右)のバッグチャーム

 考案した村松純子さんは、健康・医療関係の冊子やPR誌を手がけるフリーライター。インタビューの前に、関西大学でジャーナリズムを学ぶ仲里莉央さん(※2)のレポートを読ませていただいた。タイトルは『そこにある、見えない命のために~マタニティマークに込められた思い』。一読して、胸をうたれた。村松さんのコメントをていねいに拾いつつ、妊婦への細やかな愛情が込められていたからだ。

 「20年の節目に、若い方がこうしてまとめてくれたことがうれしくて、感激しました。私自身、きちんと活動をふりかえらないといけないと考えています」

 村松さんの最初の“気づき”。それは1995年、30代のときだった。当時いっしょに本をつくっていた友人のライターから、「妊娠したの。出版社には言わないで」と告げられたのだ。

 「私たちの持ち込み企画だったので、企画が延期になることを彼女が心配したんです。妊娠したことを、隠さないといけない時代だったんです。友人はつわりなどで体調が悪くなると、車酔いするタクシーではなく、できるだけ電車に乗っていました。『気分が悪くなったら、席を譲ってもらえる?』と訊いたら、『もらえない。お酒に酔っていると勘違いする人も多い』と。別の友人からは『妊娠初期はお腹が大きくないから、駅員さんに無理に満員電車へ押し込まれる』とも聞きました。お腹に宿した命を大切に思う気持ちが、切実に響きました」

 当時、周りに妊娠を知らせる「マタニティマーク」のようなものはない。妊娠したことのない人たちには、妊娠初期の大変さもあまり知られていなかった。

 「つらさはみんな同じなんだ、そう感じました。私は重いアレルギーで、幼いころからアトピーに悩まされていたんです。横浜の自宅から都内の病院に通院するとき、電車で立っているのがつらくて、でも言い出せない。そうした経験もあって、“おなかに赤ちゃんがいますマーク”があればいいのに、と思ったんです」

※2:関西大学社会学部メディア専攻ジャーナリズム専門プログラム履修。

「BABY in ME」の船出

 “気づき”をかたちにするまで、それから数年かかった。“目に見えないけど、つらいですマーク”のようなコンセプトを考えたこともあった。しかし、個人で取り組むにはテーマが大きく、「妊娠初期」にしぼったと話す。

 「仕事で忙しい日があると、そのあとは体調をくずして、何日も自宅で寝込むような生活でした。でも、頭は元気(笑)。自分に何ができるのか、つらつら考えていました。気持ちが一歩進んだのは、コピーライターの夫が教えてくれたTシャツのデザインコンテスト。『BABY in ME』の言葉をまず決めました。母性・母を意味するマタニティ(Maternity)ではなく、まだ目には見えない赤ちゃんのことを伝えたかったんです。ところが、イラストで悩んでしまって……」

村松さんのアイデアノート

大切に保存している「BABY in ME」のアイデアノート。一字一句に村松さんの真摯な想いがあふれている

 妊娠を知らせる大切なマークだからこそ、中途半端なイラストやデザインでは応募したくない。結局コンテストには出さず、そこからイラストが決まるまで1年もかかった。村松さんがお手本にしたのは、日本ではまだ知られていなかった「ピンクリボン」(※3)のマークだったという。

 「ラフ案づくりには、親しいイラストレーター、デザイナーにも声をかけました。『甘えるな!』みたいに、妊婦さんが嫌がらせされるようなものは絶対につくれません。でもおしゃれで、可愛くて、口で説明しなくてもコンセプトがわかるもの。これがなかなかむずかしい。ああでもない、こうでもないと悩むばかりで」

 当時のデザイン案やイラストを、村松さんは大切に保存している。スラッとした立ち姿の女性、卵から生まれる赤ちゃん、『BABY in ME』を可愛く文字化したものなど、いろいろある。試行錯誤のすえ、1999年にようやく、村松さんが描いたラフ案をもとにしたイラストが完成する。

ノートに描かれたイラストのラフ

村松さんが描いた「BABY in ME」の元になったイラスト

 「産まれたあとのイメージに縛られてほしくないので、お腹には赤ちゃんではなく、大きなハートをあしらいました。2ページしかないホームページで、オリジナルのマタニTシャツを販売したのが始まりです。妊婦さん同士でおしゃべりするイメージで、3人描きました。今日、私が着ているものがそれです」

※3:乳がんの正しい知識を広め、乳がん検診を推進するなどの啓発を目的とした世界的なキャンペーン。アメリカ発祥の取り組みで、近年は日本でも活動が知られるようになった。

広がる共感の輪

 2000年に朝日新聞が大きく取り上げるなど、「BABY in ME」のマークとコンセプトは少しずつ知られていく。何より村松さんの励みとなったのが、寄せられた共感の声だった。友人のライターの仲介で、有名女性誌のプレゼントコーナーにTシャツを20枚提供したところ、なんと何百通もの応募が殺到。そのなかには、こんなハガキも。

 「応募された方が手描きした『BABY in ME』のイラストのそばに、『このTシャツ欲しいです!』と書いてあって、泣けました。バッジもアイテムにしたかったんですが、おこがましいというか、つけてくれる妊婦さんがいるのか自信もなく、ステッカーにしました。そうしたら、そのステッカーを貼ってバッジを手作りした方から、『50代くらいの男性が、私に席を譲ってくれました』とメールが届いたんです。そこで決心がついて、バッジを500個作成しました。2001年のことです」

プレートタイプのバッグチャーム

千代田区で配付されているプレートタイプのバッグチャーム

 2003年からは千代田区でバッジの配布が始まるなど、一部の自治体や医療機関でも使われるようになる。2005年、厚生労働省がマタニティマーク(※4)を選定することになったときも、村松さんの取り組みが大きなきっかけになった。

 活動が認知されるなか、さらに多くの感想や声も届いている。そこに、批判や中傷の類いは一通もなかった。

「出産に至るまでは常に不安があります。そんな私にとってこのバッジが、私を守ってくれていると思っています」

「見ず知らずの方々から頂いた、たくさんの暖かい気持ちを栄養にして、子供は育ち、生まれてきました」

「まだ私にはコウノトリは来ませんが、大切な人が妊娠したのでこちらを思い出し、また申し込むことにしました」

 「BABY in ME」の公式サイトには、こうしたさまざまな声が紹介されている。

 「男性からの共感の言葉も少なくありません。世の中って、冷たくないんだ。つくづくそう思いました。うれしい反面、こわさも感じましたね。中途半端では続けられない活動だと、その気持ちを強くしました」

 利用者の要望を受けるかたちで、キーホルダー、バッグチャーム、車用のサイン、スマホのケースなどグッズも増えていく。人気のトートバッグは、荒川区にある福祉作業所に縫製を発注し、障がい者の仕事づくりにもつなげている。

マタニティマークをプリントしたトートバッグ

トートバッグのデザインは4種類

 イラストは20年間、変わっていない。村松さんのなかに、デザインへの自信、かわいさへの自負があるからだ。「海外にも広げたい」という夢も明かしてくれた。

 「マタニティマークは、日本特有のものです。海外には、つらいときは自分から言い出したり、助け合う文化があるので、必要ないのかもしれません。でも、そういう国だからこそ、違った展開が出てくる気もします。2001年のアメリカ同時多発テロのとき、旅先のホノルル空港で足止めされた妊婦さんがいたんです。そのとき、バッジに目をとめたアメリカ軍の方が、気づかってくれたというエピソードもあります」

 ライターの仕事のかたわら、個人で取り組んできた20年。ひとりでできることには限界もあるが、「身体や妊娠のことを子どもたちに伝える場づくりなど、やりたいことは他にもある」と村松さんは言う。

※4:2005年12月、厚生労働者「健やか親子21」推進検討会がマタニティマークのデザインを公募。2006年2月に、1,661作品(応募者数1,243)のなかから、社会福祉法人恩賜財団母子愛育会埼玉県支部のデザインを最優秀作品に選定し、現在も各所で利用されている。

関係ない人は、誰もいない

 村松さんに、子どもはいない。「BABY in ME」を立ち上げたころは、「私も使うかもしれない」と考えたこともあったと語る。

 「子どもが欲しいと思ってはいました。それだけにすごく貴重というか、お腹に宿した命を大切に思う気持ちがわかるんです。でも、もし私に子どもがいたら、この活動は続いていなかったかもしれません。『BABY in ME』を、『私を助けてください』ではなく、周りの人が手を差し伸べやすくするマークにしたかった。そういう場面を、増やしたかったんです。妊婦という当事者ではなく、私が周囲のひとりであり続けることは、この活動をするうえで意味があると考えています」

さまざまなデザインのバッグチャーム

バッグチャームは全10種類

 20年前よりは妊娠初期への理解は広まり、マタニティマークも一定の市民権を得た。「ここまで活動が続けられたのは、多くの人が草の根で広げてくれたから」と言う。しかし─―

 「だからといって、目の前に困った人がいるのに『大丈夫ですか』と言える世の中かと問われると、そうではないですよね。『嫌がらせをされそうで、マタニティマークをつけるのが怖い』という人もいます」

 インターネットで[マタニティマーク]と検索すると、[マタニティマーク 危険]と予測ワードが出ることもある。妊婦の心身を守るはずのマークが、どうして危険なのか。冒頭で紹介した仲里さんのレポート『そこにある、見えない命のために』には、そのことへの違和感が綴られている。

 「『結婚する気はないから関係ない』『子どもはいないから関心はない』でいいのかな、と。関係ない人は、誰もいない。みんな、お母さんのお腹のなかから生まれてきたわけですから。だからといって、妊婦さんだけを大事に、でもないと思います。お年寄りも、障がい者も、身体の不自由な人も、みんな同じ。明日はわが身というか、目の前にいる困った人と自分は、きっとどこかでつながっているはずなんです。自分がつらくなったとき、よりつらく感じるのが、つらい社会。『BABY in ME』のマークが、そんな社会を少しでも変えるきっかけになればと願っています」

取材・文=濱田研吾 写真=堂本ひまり 構成=編集部