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写真=編集部

平和を作るために必要なこと。中村哲さんが私たちに残した「哲学」とは

  • 環境と平和

南アジアと中央アジアのはざまに位置する多民族国家、アフガニスタン。2021年8月にイスラム主義組織タリバンが実権を握り、出国を求める市民が首都カブールの空港に殺到した模様は記憶に新しい。1979年末のソ連侵攻以来、9.11を経て混乱状態にあったアフガニスタンで、支援活動に身をささげていた医師、中村哲さん(NGOペシャワール会現地代表/PMS総院長)が、銃弾に倒れてから2年がたった。今、改めて中村さんの「哲学」をひも解き、平和を勝ち取るために私たちに必要なことは何か?を知るため、自身も医師であるペシャワール会現会長、村上優さんを訪ねた。

タリバンも評価するPMS/ペシャワール会の取り組み

――2021年8月15日の政変後、日本ではタリバンの非人道的な側面を強調した報道が散見され、多くの人が「ペシャワール会」の活動を案じました。実際には、8月21日に医療活動が、9月2日に農業が、10月7日には用水路建設事業が再開されたそうですね。タリバンはそれらの事業に対してどのような立場を取っているのでしょうか?

村上 今回の政変について、日本での報道と現地での受け止め方は全く違います。実際のところ、現地ではタリバン政権の復活を多くの人々が受け入れようとしています。私たちの事業に関しては、タリバン政権下の河川局担当者らに要請されて用水路事業の説明に行ったり、彼らが現場に視察に来るなど、双方向の行き来がありました。彼らは、私たちの事業を賞賛し、「いかなる協力も惜しまない」と約束してくれています。事業を承認するレターも、すでに新たな州政府から受け取っています。診療所に患者としてやってきたタリバンの役人たちも、ペシャワール会が支援するPMS(Peace Japan Medical Services=平和医療団・日本)の医療活動に感銘を受けてくれたそうです。

ペシャワール会スタッフとタリバン政権スタッフ

タリバン政権下の役人たちの現場視察で説明するPMSのエンジニアたち(写真提供=PMS)

――日本では、中村哲さんを描いた壁画が消されたという報道もあり、タリバンへの反感につながった部分が少なからずあるようですが。

村上 壁画が消されたのは、純粋に宗教上の理由です。伝統的なイスラム教徒は偶像崇拝を大変嫌います。その文化的な背景を報道しないのは、マスコミの作為ではないでしょうか。そもそも、アフガニスタンが「復讐社会」だということも理解されていません。「タリバンがだれだれを殺害した」という報道はよく耳にしますが、彼ら自身、これまで家族や親族を多数殺されていた。日本でも振り返れば戦国時代や江戸時代には、仇討ちという形で復讐は公然とあったわけです。もちろん、だからといってタリバンは間違っていない、と言いたいわけではありません。現地の風習や習慣を知ることなく、現在の欧米的価値観のすべてがあたかも正義であるかのような思い込みはフェアではないと思うのです。ちなみに、(消された壁画とは別の場所にある)ガンベリ公園の記念塔に描かれた中村先生の肖像画は残っていますよ。地元の長老たちが「彼は我々を助けてくれた人。消すわけにはいかない」と強弁して、そのまま残されることになったようです。

今も残る中村哲さんの肖像画

今もガンベリ公園の記念塔には中村哲さんの肖像画がある(写真提供=PMS)

過去最悪の干ばつと飢餓がアフガニスタンの人々を襲う

――タリバンに対する受け止め方が、現地とアフガニスタン以外の国々とでは大きく異なるようですね。一方、現地で今、干ばつや飢餓などの問題に直面していると聞きますが。

村上 干ばつは2000年から続いていますが、2021年のそれは特にすさまじいものでした。2021年10月25日にはWFP(世界食糧計画)が「11月以降、人口の半数以上に当たる2280万人が急性食糧不安に陥り、870万人が飢餓に直面する」という、過去最悪の予測を発表しています。私たちが活動しているナンガラハル州の3つの郡は、用水路のおかげで農業を営めていますが、それ以外の多くの地域では農地が土漠化しています。窮した農民たちは都市部のカブールに流れてきます。しかしカブールの気温は-20℃まで下がることも。すでに肺炎患者、餓死者、凍死者が出ているのが現状です。

村上優さん

アフガニスタンが直面する飢餓を懸念する村上さん(写真=編集部)

経済制裁で苦しむのはだれ?

――アメリカによる経済制裁で、アフガニスタン中央銀行の資産90億ドルをはじめ、世界銀行のアフガニスタン復興信託基金やIMF(国際通貨基金)のアフガニスタン供与金がすべて凍結されたことも悪化に拍車をかけていると聞きます。

村上 現金を下ろせなくなったことで、あらゆる経済活動や支援活動がストップし、すでに混乱が始まっています。そのしわ寄せは力のない人たちに及びます。診療所には栄養失調の子どもや妊婦さんが増えてきています。私たちも限られた現金しか引き出せず、現地スタッフへの給料も遅配せざるをえませんでした。用水路事業は、毎年川の水が減る10月から本格化するのですが、重機のレンタル代や燃料代を確保できず苦労しました。今は生産された野菜を売った代金で、何とか継続できている状態です。

――報道からはタリバンが混乱を招いているという印象を受けますが、実際は経済制裁による影響も大きいということですね。

村上 飢餓すらもタリバン政権に原因があるかのような報道がなされていますが、それもまたフェアではないでしょう。確かに政変によって混乱は生じましたが、経済制裁さえ解かれれば、飢餓に苦しむ人々を支援する手だてはありますから。アメリカはノーコメントです。世界銀行は現状の混乱を見て、凍結を解除すると言ったものの、具体策は出ていません。さいわい国連は人道支援を呼びかけています。「経済封鎖」と「人道支援」を同時に進めようとは、何たる矛盾なのでしょうか! 今私が恐れているのは、この状況の中で社会不安が起こることです。再び内戦が起きれば、困るのはここで暮らしているごく普通の市民たちなのです。

アフガニスタンの復興を妨げている本当の原因

――2001年から20年にわたって、アメリカは軍事費を除いても約100兆円相当をアフガニスタンに投じてきましたね。それらの資金は国内で正常に機能したのでしょうか?

村上 カナダのヒューストン・ビクトリア大学の報告によると、その巨額の資金は1割の人たちの間にばらまかれ、人口の9割を占める貧困層には届かず、消えた、といいます。腐敗がまんえんしただけです。ソ連侵攻以前のアフガニスタンには、貧しくて文字が読めなくても、先祖代々伝わってきた詩を朗々と吟じるような、高い知性を持つ人々が町の中にたくさんいました。彼らの誇り高く豊かな暮らしをしのんで、「あのころのアフガニスタンに戻りたい」と話す人もいますよ。外から大金を投じて混乱を招くのではなく、彼らの文化や歴史を尊重して、変化が起きるのを待つべきだったと私は思います。大事なのは、アフガニスタン人自身の手によってかつての姿を取り戻すことなのですから。

荒野だった農地がよみがえった

干上がったアフガニスタンの農地は、PMSのかんがい事業で数年後、見事にその姿を取り戻した(写真提供=PMS)

アフガニスタン人が望む3つのこと

――アフガニスタン情勢を長きにわたって見続けてきた村上さんは、現地の方々の本当の幸せはどこにあると思われますか?

村上 国民の大多数が農民であるアフガニスタンで「最大多数の最大幸福」といえば、農民が幸福であることを意味します。中村先生は「まず命があること、三度三度のごはんが食べられること、家族が一緒におれること、それ以上の望みを持つアフガニスタン人は少ない」とおっしゃっていました。これはまさに、基本的人権の中の「生存権」です。今海外メディアは、タリバンによる女性の人権侵害のことばかり訴えていますが、餓死の危険が数百万人規模で迫っているときに、最も重視すべき人権は生存権です。女性の人権も当然重要です。しかし、生存権そのものが守られなければ本末転倒ではないか、と。

――ペシャワール会が支援しているPMSは2000年から井戸を、2003年から用水路を掘り続けてきました。決して平和とは言い難い状況の中で、中村哲さんが守り抜こうとしてきたのが「生存権」なのですね。

村上 中村先生は「暴力は必ず次の暴力を生む。その連鎖を断つためには、非暴力、非戦しかない」と主張し続けてきました。2001年には今と同じように干ばつがあって、経済制裁があって、貧困のどん底の中で空爆を受けて、たくさんの人が亡くなりました。その中で中村先生が非戦を唱えながら命の源となる水を届けようと事業を続け、でき上がったのがあの用水路です。この成果について、世界中の人が賞賛して手をたたくでしょう。でも、成果以上に大事なのは彼が生きた軌跡です。用水路に手をたたくのであれば、彼の生き方にこそ手をたたいてほしい、そう思います。

ペシャワール会事務所に掲げられている中村哲さんの遺影(写真=編集部)

ペシャワール会事務所には、銃撃を受け亡くなった中村哲さんと、同行していたアフガニスタン人たちの遺影が掲げられている(写真=編集部)

真実を見抜くために必要なこと

――日本の若い世代の中には、身近な社会課題に関心を寄せる人たちが増えているように感じます。遠く離れたアフガニスタンの問題について、若者たちの反応はいかがですか?

村上 この問題に関心を持つ若い層の存在はまだ不十分に思います。20年前は、中村先生の講演といえば若い人が多数詰めかけたものです。マスコミが何を言おうが、情報を自分でふるいにかけて取り入れようというリテラシーを持った人たちが大勢いた。ところが最近、若い人の参加が少ない。現地で何が起こっているのかを知ろうというエネルギーのある人たちがたくさんいれば、極端なことが起きそうになってもどこかで止められるのですが、世相が変わったのでしょうか。生きた自然や生きた人々に接する機会が減った結果、現実に目が向きにくくなっているのでしょうか。人は自然に触れないと判断力がなくなります。人間に触れなければ人間のことは分からなくなるものです。

――不確かな情報に惑わされず、真実を見抜く目を持つ——簡単ではありませんが、何か秘訣はあるでしょうか?

村上 原点に立ち返ることです。いっとき騒ぎ立てるメディアではなく、実際に現地で活動した人の本や映像に触れること。自分にとって「師匠」と思える人と出会うことも大切です。私が若い後輩たちにいつも言うのは、「ほれ込める3人の師匠に出会え」ということ。出会って、この人なら、と信じ、その人を選び取って、その人から多くのことを学ぶのです。私にとっては中村哲がそのひとり。人生最大の師匠です。

荒野だった農地がかつての姿を取り戻した

人々が生きるためのさまざまな事業が政変後の今も続いている(写真提供=PMS)

言葉を表面的にうのみにしていないか気をつけて

――最近は、小学校の授業でもSDGs(持続可能な開発目標)が取り入れられるようになり、若者たちを中心に関心が高まっています。

村上 1980年代に「グローバリゼーション」という言葉がもてはやされました。アメリカがよしとする民主主義を押し広めた結果、世界はどうなったでしょう。ひとつになるどころか格差で二分されました。意地悪なことを言いますが——SDGsという言葉を聞くと、そのことを思い出します。私たちの事業は、石や柳の木を使って昔ながらの技術で用水路を造り、土漠化した農地を回復させること。SDGsは「持続可能な開発目標」ですが、私たちの事業は開発でも進歩でも何でもない、「人々の営みを元に戻す取り組み」なんです。もちろん、進歩を否定はしませんが、進歩を最終目的にした標語が独り歩きすれば、どこかで落とし穴に落ちるかもしれない。新たな差別を生むかもしれません。私たちは、言葉を表面的にうのみにすることに自戒的でなくてはなりません。前に進むばかりが能じゃない、かもしれない。そういう視点も同時に持っていてほしいですね。

取材・文=棚澤明子 写真=編集部 構成=編集部