増え続ける獣、拡大する生息域
2021年11月、渋谷区の住宅街で猿の目撃情報が相次いだ。東京の真ん中でも、野生動物の目撃例は年々増えており、人的被害の危険性も高まってきている。
地方に目を向けると、獣による農作物への被害が急増[1]しているだけでなく、獣の侵入を防ぐ防護柵の破壊、道や石垣といった建造物の崩落など、農業はもちろん、集落に住み続けることすら困難にしかねないほど、被害は深刻になっている。
獣害の増加・深刻化の理由は、純粋に獣の数が増えていること。餌の少ない人工林から餌を求めて人里まで生息域を拡大していることが挙げられる。そして、その背景には、人間社会側の要因が大きく関係している。
すでに日本の人口は減少し始めており、国勢調査によると、2000年に1億2693万人いた人口は、2020年には1億2615万人となり、全国で78万人が減少。その幅は地方ほど大きく、例えば、獣害の深刻な県の一つである和歌山県では、同じ20年の間に15万人弱、1年に7千人以上が減っている計算になる。
住む人が減れば、農業や林業、狩猟をなりわいとしてきた人も減り、当然空き家は増える。かつて維持されていた地域コミュニティは、存続そのものが危うい苦境に立たされている。この事態を獣側から見れば、捕獲される可能性は下がり、人間の圧力が少なくなることで、おのずと活動域を広げられる。
農家が直面する獣との「戦い」
生協パルシステムの産直産地でもある(有)大紀コープファームは、奈良県に本拠地を置き、和歌山県・三重県の農家とも直接取引をしている。農地のほとんどがいわゆる「中山間地域[2]」で占められており、同産地では、約20年前から、獣による農産物の食害に悩み続けている。「猪は柿や梅の木を掘り返し、果樹そのものをダメにしてしまいます。鹿は新芽を食べてしまうので、果樹の成長が止まってしまう。いずれも樹そのものに深刻な被害を与えてしまいます」と大紀コープファームの和田尚久さん。
そこで、三重県にある同産地の自社農場では、獣害を防ぐために農地の周りにぐるりと電気柵を設置した。しかし、獣はすき間をこじあけたり、無理やり押し倒したりして、たびたび農場内に侵入。そのたびに修繕が必要になり、人手も時間も費用もかさんでいった。「一度入ると味を占めて、必ず二度三度と無理やりにでも入ってくる。思っていた以上に獣は賢く、しつこい。完全に防ぐ必要があるのですが、実現にはかなり時間がかかりました」
試行錯誤の末、電気柵の手前側にもう1重ネットを張り巡らせたことで、その後ほとんど被害はなくなったという。
「しかし、この対策を個人の農家がやるのはとても難しい。とくに高齢化が進む中では、傾斜のきつい場所などでの作業は大変ですし、危険も伴います」と和田さん。
「中山間地域の農業は、昔から大規模にはしようもなく、小規模農家が寄り集まって営んできたものです。とくに、収穫などは、昔からみんなで協力し合ってやってきました。農業を次の世代に残すためには、農地をきちんと守ることが中山間地域の農業には必須条件。そのためにも『安心しておいで!』と言える環境でないと、必要不可欠な若い人を呼び込めません」
ジビエは救世主になるのか?
増え続ける獣を逆手に取り、獣を捕獲・解体し、その肉を積極的に活用していこうという動きが、全国的に注目を集めている。いわゆる「ジビエ」と呼ばれるもので、個人での開業はもちろん、最近では市町村が主体となってジビエ用の食肉解体処理施設を建設する例も珍しくない。獣害が深刻な地域では、都道府県を挙げてその推進に取り組んでいる。
そのかいもあってか、2020年のジビエ利用量は2016年と比較すると1.4倍に。[3]都会の飲食店でも鹿肉や猪肉といった言葉を見る機会が増え、確実に浸透してきている印象がある。
しかし実際は、ジビエという言葉が海外から流入する前より、日本でも鹿肉・猪肉は、とくに山間部の人にとっては身近な食文化だった。猟師は猟期になれば山に入って猟にいそしみ、捕獲した個体は各自が解体して隣近所に配る。肉は住民の間でも重宝され、皆で命を頂く循環が自然に巡っていた。
だが猟師の数が減った今は、捕獲数よりも新たに生まれる数が圧倒的に上回り、その速度は増している。また、捕獲できたとしても獣の解体には大変な労力と技術が必要なので、近隣で食べる人が少なくなれば、やむをえず産業廃棄物として処分する場合も多いのだという。
大紀コープファームの提携農地がある和歌山県(ジビエ利用量全国8位217トン)でも、現在県内全域でジビエの活用を推進しているが、解体処理施設はそれぞれの課題を抱えている。
紀北にあるかつらぎ町(旧花園村)の阪本晃一さんは、2020年12月に新しい食肉加工施設「めつげらいさかもと」を立ち上げた。もともと肉を食べることが好きだった阪本さんは、いつしか肉の解体や加工に興味を持つようになり、保育士の職を辞したのち、本場の技術を学ぶためにドイツへ留学。3年の修業を経てドイツの国家資格である肉職人(ゲゼレ)を取得した。帰国後は、和歌山県内の解体処理施設で修行し、同町の協力隊[4]として3年間猪・鹿の解体の実践と肉の利活用に取り組んだ。
阪本さんは、鉄砲・くくりわなの狩猟免許を有する猟師でもある。よほどの予定がない限り、日の出とともに銃を担いで毎日猟に出掛ける。阪本さんの頭の中には、あそこの谷筋に先週2頭の鹿がいた、この斜面によく鹿が現れる、この獣道をよく猪が行き来する…。といった山のポイントが頭に入っており、獣が出現しやすい気候や条件なども身体が覚えている。だが、これだけ熟練した技術を持ち、かつ獣の数が増えている状況でも、毎日当たり前に獣を捕獲することはできない。地道にポイントを回り、くくりわなや箱おりを仕掛けては見回りをして、動向を注視するが、1頭も取れない日もしばしばだ。
「当然、飲食店は必要なときに必要な分の肉が欲しいですよね。その気持ちはもちろん分かります。でも、ジビエは、安定供給できる肉ではない。一定の品質で、安定的な量を確保するのはかなり難しい……」
阪本さんは、地域おこし協力隊時代から、住民との関係性を第一に考えて活動してきた。築いてきた信頼関係は、現在の仕事にも欠かせない核となっており、地元猟師との連携が阪本さんを支えている。自分が取れなかったとしてもだれか一人でも捕獲できれば肉を確保できる。工房で加工作業をしている最中にも何本も電話が入り、「今日はダメだった」「あそこで1頭取れた、何時に来れる?」といった会話が繰り広げられるのだという。
実は、この猟師たちも本業が別にある人がほとんどだ。現在では、専業の猟師はほとんど存在しない。ある人は農家、ある人は会社員、またある人は自営業と、その職種はさまざまだ。阪本さんが施設を立ち上げたことで、今まで捕獲後の処理を考えて狩猟をためらっていた人の背中を押し、持て余していた肉の有効活用にもつながっている。さらに、新たに狩猟免許を取得する若い住民も現れるなど、地域全体の活気を取り戻す火付け役としても一役買っている。
加工品で、よりジビエを身近に
阪本さんは、ドイツでの経験を生かして、牛や豚の肉、そしてジビエを活用したソーセージ加工も積極的に進めている。さらに、どうしても出てしまう食肉に適さない部位や端肉は、ペットフードに加工する。「少しでもおいしく、余すところなく活用して、食べ手に喜んでもらえること。これが、何より命を尊重することだと思っています」
「獣の数は減っているような気もしますが、具体的な実感はまだないです。捕獲しすぎると今度は、個体の確保がより難しくなりますし、猟師同士の縄張りはとてもシビアな問題になってきます。どんな場合でも、いちばん大切なのは、人とのつながり。できるだけ多くの猟師さんと連携を取りながら、いいバランスを見つけていきたいです」
獣害への新しいアプローチ
獣害に対して、別のアプローチから解決を試みる取り組みも生まれている。
和歌山県南部の那智勝浦町(旧色川村)という山里で生まれ育った原裕さんは、2年前に「色川の小さな解体処理施設 だものみち」を建設した。原さんは地元で深刻化する獣害を何とかしたいと、鹿児島大学で畜産の勉強をしたのちに帰郷。住民自らが獣害に立ち向かえるようサポートする仕事に従事した後、この施設の建設を決意する。
「当時は、高齢のかたの防護柵設置を手伝ったり、獣の生息数調査を行ったり、猿の群れの動向調査をしたり、とにかく地域全体で獣害に立ち向かう雰囲気作りに力を入れてきました」と原さん。その成果は着実に見えてきており、ここ数年、旧色川村は獣による被害がかなり減っている。
この原さんの活動の在り方は、現在の事業にも続いている。
例えば、新型コロナウイルスが猛威を振るうまでは、「狩猟体験ツアー」という取り組みを実施し、都市から色川へ人を呼び込んできた。「ジビエをおいしく食べる」ことはあえて主目的にせず、ツアーは命を頂く背景や必要な手順、農家が向き合う獣害の深刻さを農家自らが伝えるプログラムなどで構成。田舎のリアルな現状を伝え、継続的に関わってもらうことを目的にして、計100人以上の都会に住む人を色川に招き、今でもやり取りを続ける人が少なくない。
「ジビエそのものを楽しんでもらうことに大きな意味を感じていないんです。獣にも生まれ育った場所にも愛着がある。この場所が、獣も人も住みやすい場所であって欲しい」
また、現地に訪れることが難しくなってからは、「山肉山分け仲間」というオンラインでの取り組みも始めた。複数の兼業猟師と連携して、獣が捕獲されるまでの過程やそれぞれの個性が伝わるような動画を作って参加者に伝え、現地の雰囲気を味わってもらいながら、都市と色川をつないでいる。
「あの猟師さんが捕らえた鹿肉が食べたい!といった声ももらうようになって。どこで、だれが、どんなふうに取った肉なのか、細かな情報を伝えていくことで、ジビエを理解してもらえる人を増やしていきたい。安定した供給とは逆の方向ですけど」
原さんは2021年に結婚し、パートナーである久美子さんも色川へ移り住んだ。現在、だものみちと連携した体験のできるレストラン「aima(アイマ)」の開業を目指し、施設の建設を進めている。
「単に捕獲するだけでは意味がない気がしています。猟師の皆さんが続けられる環境作りだったり、集落の環境整備[5]が進むようなサポートだったり、猟師さんもいろんな職業や人生を経験してきたかたがいて、面白い人ばかりなんです。皆さんの魅力を伝えていくことで、結果的に食べ手と作り手をつなぐ橋になりたい。それができれば、地域がうまく回っていくような気がするんです」
人と獣が共に暮らせる社会へ
「田舎は、人の存在がすべて」そう語る和田さんの声は、アプローチは違えど、阪本さん、原さんの声と重なるように聞こえる。
山に獣の数が増えても、捕獲が簡単にならないことはすでに述べた。それでも努力を重ね、獣の数を減らせたとしよう。しかし山に餌が少ないままであれば、獣はおそらく人里に下りてきてしまう。人と獣の境界線を維持するための人の数が、圧倒的に足りないためだ。確かに移住は有力な選択肢になりつつあるが、数で押し返すほど地方に人が移るとは考えにくい。そこで重要になるのは、流入が続く都市に住む人と地方に住む人が具体的につながっていくことだろう。
たとえばジビエを食べる機会があれば、肉の出どころを気にかけてみる。家族や親戚・友人が地方に住んでいれば、状況を聞いてみる。活動している地元団体などにコンタクトを取ってみる。気に入った土地を訪れ、援農や地域活動に参加してみる。考え方に共感できる地方の産品を選び、自分や周りの人にプレゼントしてみる。関心を持つことから行動へ、一歩踏み出してみることは地方にとって大きなエールになる。
そうして実りも悩みも交換できる都市と地方の関わり方は、人と獣が折り合いをつけて共存できる社会の実現にもつながっていくはずだ。