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[戦後70年]憲法から平和を考える 「憲法、読まなソンしますで!」―谷口真由美さん

  • 環境と平和

モットーは、おばちゃんの底上げとオッサン政治に愛とシャレでツッコミを入れること――2012年にフェイスブック上のグループ「全日本おばちゃん党」を立ち上げた谷口真由美さんは、大学では法学者として国際法や憲法を教え、家では2人の小学生を育てるお母さんでもあります。「うちの子もよその子も戦争には出さん!」と、軽妙な大阪弁で「おばちゃん」のネットワークを広げようと活動する谷口さん。日増しに批判の声が高まっている集団的自衛権や安保法制の問題点について、「憲法」の観点から伺いました。

「集団的自衛権は、もともとは"スイミー"みたいなもん」

――谷口さんの著書『日本国憲法 大阪おばちゃん語訳』は、大阪弁でとてもわかりやすく解説されていて、憲法のことが身近に感じられました。メディアや講演でも、ざっくばらんでくらし目線のお話に共感される方が多いようですね。そんな谷口さんに、まずは「集団的自衛権」とはどういうものであるのかをお聞きしたいのですが...。

谷口 私は、よく「集団的自衛権」って「スイミー」みたいなものだと説明しています。「スイミー」って、小さな魚が大きな魚に対抗するために体を寄せ合って自分を大きく見せるって絵本なんですが、もともと集団的自衛権は、東西冷戦の時代に大国の緊張関係の狭間に置かれた南米の小国が、「もしアメリカやソ連が攻めてきたらどうすんねん。怖いがな。隣同士ちょっと助け合っていこうや」っていうことで、認められた権利なんです。

 そもそも1945年に国際連合(国連)ができて以降、国連憲章2条4項というのに「武力行使禁止原則」というのが書いてあり、国連に加盟している193国は、原則として武力行使や武力による威嚇はしてはならないことになっています。ただ、その例外として自衛権だけは認められていて、そのなかに、個別的自衛権と集団的自衛権があるんです。

 個別的自衛権というのは、自分の国が攻められたときや攻められそうになったときに、自らを防衛するために使う武力ですから、たとえば、隣の小さな国がやられているとしても助けに行けないし、逆に、隣の国に「助けて」とお願いすることもできない。

 そこで、そういう小さな国々が、「いざというときには助け合いができるように国連憲章に書いておいてね」と言ってできたのが集団的自衛権なんです。だから、そもそも集団的自衛権は、力の弱い小さな国のためにできたもの。当時は、まさか大国が徒党を組むなんて想定外だったんですね。

 それが1990年代以降、とりわけ湾岸戦争ぐらいから、アメリカが集団的自衛権を使うって言い出した。クジラがスイミーになるって言い出したわけです。

 個別的自衛権は、殴られたら殴り返すっていうようなものでしたが、集団的自衛権になると、"密接な関係にある国"に「お前も俺の戦いについて来いよ」と言われたら、今までは「いや、私たち憲法9条で戦争放棄してるから、お金だけ出させてください」と言って許されてきたのが、世界中どこにでもついていかなければならなくなってしまう。もしかしたら、その国のほうが間違っているのかもしれない場合でも、「来い」と言われたらついていく。日本が今やろうとしているのは、そういうことです。

――なぜ、今、「集団的自衛権」が必要なのかの理由が明確に示されていません。

谷口 本当ですよね。国連憲章上、「集団的自衛権」は認められているけれど、「日本は憲法9条があるから使えません」と封印してきた。その封印を、「いや、使えんねん」「いや、封印解いてええねん」ってなったとしたら、その理屈をきっちりと説明しないといけないはず。

 まず、昨年の閣議決定による解釈改憲が問題です。そもそも一内閣がそんなことできるのって言いたい。次に国会に行ったら、多くの憲法学者が無理だろうと言った。でも、「賛成だって言う人もおるもん」って、結局、衆議院を通してしまった。

 もし、お酒やたばこは20歳までダメって言っていたのが、突然10歳から飲んでもよいということになったら、何故そう変ったのかの説明がいりますよね。昨日まで散々だめって言ってきたのに、急によいというのであれば、誰にでも、それこそ子どもにでもわかる理屈を示さないといけませんよね。

――中国の脅威が増しているから安保法制に賛成、という声もありますが...。

谷口 中国のことを言えば、これは個別的自衛権で対処すべき問題なんです。だって日本と中国の問題ですから。集団的自衛権が中国との関係で必要になるのは、あくまで、日本以外の国が中国に攻撃されているとき。

 たとえば、ベトナムやフィリピンに中国が侵入したとして、日本とベトナムやフィリピンが同盟国であって「怖いねん、助けに来て」って言われたら、日本は行かなければならなくなる。これが集団的自衛権なんです。ベトナムと組んで中国と戦争しますか? 現実的じゃないですよね。だけど、集団的自衛権を認めるというのはそういう問題なんです。

 私が、集団的自衛権が必要だって言っている人たちの話で腑に落ちないのは、危機だ危機だと言うから、どんな危機があるか示してくれって言っても、納得いく説明が全然ないこと。冷戦時代は、明らかにアメリカとソ連は敵対関係にありました。でも、いま、中国とアメリカは敵対関係ですか? お互いに複雑な感情はあっても、良好な関係を維持しようとしているように見えますよね。中国と日本が戦争になったとして、アメリカが守ってくれるとでも?守ってくれませんよ。けんかしたくないはずですよ、アメリカは中国と。

「護憲、改憲って言う前に、"知憲"でっせ」

――今回の安保法制に関しては、多くの法学者から「違憲」という声が出てましたね。

谷口 学者っていうのは、普段は政治的な動きに与しないものなんですね。とくに法学者は、そういうとこに入っていくと冷静な分析がしにくくなるので。でも、今回は違った。学者の矜持(きょうじ)だと思うんです。このままいったら、筋も道理もない話がまかり通ってしまうと、みんな危機感をもっている。

 だいたい、世の中が悪くなったらいいと思って学問している学者はいません。私も学者としての師匠から、「学問とは真理の探究だ。真理の探究とは、すなわち、平和のためにやるものだ。だから世の中に争いが増えるような学問はするんじゃないぞ」と教えられました。自分のもっている知識や理屈を、社会が平和になるように使ってほしいと思っている、それが学者です。

 もうひとつ、みんな「憲法」っていうと、9条のことばかりなんですね。変えたほうがいいという人たちも変えたらだめだという人たちも、話題は「9条」なんです。確かに9条は大切な条文ですし、日本の平和主義の根っこのところの話ですけれど、憲法は99条(補則を含めると103条まで)もあるんですよ。大事なことを書いてあるのは、9条だけじゃないんです。「護憲とか改憲とは言う前に、"知憲"でっせ」と声を大にして言いたいですね。

 たとえば99条には、誰が憲法を守らねばならないのかが書いてある。誰だと思います? 「憲法を守る義務があるのは天皇や大臣、国会議員、裁判官、公務員」とあるんです。「国民」じゃないんですよ。

谷口真由美『日本国憲法 大阪おばちゃん語訳』(文芸春秋社、2014年)

 「立憲主義」っていいますが、ここに出てくる人たちが権力を使って好き勝手やりたい放題にできないように、憲法でしっかり権力を縛るっていうことがきちんと書かれているんです。99条を見れば、一内閣が勝手に憲法解釈を変えていいなんてことはないってわかりますでしょ。

――日本国憲法を、アメリカから押し付けられたものだから自分たちの憲法に変えなければならない、と主張する人もいますが...。

谷口 アメリカに押し付けられた憲法だから嫌だという人に、どんな風に押し付けられたの、って聞いても答えが出てこない。ただイメージだけで嫌だと言っている人が多いんです。第二次世界大戦後、占領軍総司令部(GHQ)の統制下で作られたということはその通りです。でも、一方的にGHQから押し付けられたんじゃない。

 そもそもは、日本政府のなかの憲法問題調査委員会が案を出したのですが、民主主義や基本的人権を軸とする「ポツダム宣言」に沿ったものではなく、とくに天皇さんの扱いについては、大日本帝国憲法とほとんど同じだったんです。民主主義がちゃんとできるような憲法を作れって言われたのに、大日本帝国憲法と変わらないものを出し続けていたら、だめだってなりますよね。

 それで、マッカーサーさんが、急きょ占領軍の民政局に新憲法草案を作らせた。そのときには、民間の「憲法研究会」なんかが出してきた憲法草案とか、その他の民間の憲法の案なんかも参照されたって明らかになっています。命令じゃなくて勧告だから、強制されたわけではない。でも、日本側はそのGHQ案に従うことにしたんです。

――単純に「押し付けられた」とは言いきれないということですね。

谷口 私が言いたいのは、「押し付けかどうか」にこだわる前に、結果的にそれは民主的なものではなかったですか、ということです。

 たとえば、25条にある「生存権」は、本来社会主義的な考え方に基づくいわゆる「社会権」で、アメリカの発想にはないものなんです。当時はもう東西冷戦が始まっていましたし、アメリカは自由主義の国なので、本当は社会権みたいなものは大嫌いなはずなんです。GHQが本当に押し付けたのなら、こういう権利は絶対入ってこない。そこを、日本国憲法の審議会で日本の議員ががんばって提案した。結果的に私たちはその恩恵を受けているわけです。

「何で、みんな、政治の話をしないんやろ?」

――これまで政治への関心が低いと言われた若者のなかからも反対の運動が起こっていますが、一方で、まだまだふだんのくらしのなかで政治の話をしにくい雰囲気があるように思いますが、いかがでしょう。

谷口 ふだんのくらしのなかで、こうも政治のことを語りにくい社会ってどうなんでしょう。なぜ政治のことを口にしにくいのか、それが、ひいては誰にとって都合がいいのかを考えてみたらいいですよ。私たち市民が口をつぐんだり自主規制をしてしゃべらないというのは、為政者にとって都合がいいわけです。

 自分が権力者だったら、こんなにやりやすい世の中はないと思う。この頃は学生たちが主体的に安保法制反対の運動を始めたり、SNSを使って政治的な意見を発信する人も増えてきたけれど、総体的に見たら、やっぱり大人しいですもん。でも政治のことを語らないってことは、市民としての責任を放棄しているってことじゃないかと思うんですよね。

 1960年代のフェミニズム運動で盛んに使われた「パーソナル・イズ・ポリティカル」という言葉があります。つまり「私のことは政治のこと」。まさに、それだと思うんです。 一人の力では抗えない。声を通すためには政治に訴えなければならない。それなのに、誰かが「政治的なことに私は関わらない」となってしまったら、あなたはいいかもしれないけれど、次世代はどうするんだということですよ。

 なんでもそうですが、お稽古していないことはできないですからね。たとえば、自分はこれには反対だ、あるいは賛成だって意見をいつも言わないであいまいなままにしておくと、いざという場面に出くわしても、どうしたらいいかわからない。普段からしゃべるとか、文章を書くとか、絵とかなんでもいいから、政治的なものに対して発信するとか、抗わなきゃいけないときには抗うという術を身につけておかないといけないんです。

――政治的にものを考えるということを、私たちはどんな風にお稽古したらいいでしょう? いきなりデモや集会というのも抵抗がある方も多いと思うのですが...。

谷口 やっぱり家庭だと思うんです。毎日の食卓で政治の話ができるようになったらいいですね。たとえば、野菜の値段が上がったとかバターが足りない、なんていうのも、じつは政治的な話なわけです。

 この間、家にたまたま友人が買ってきてくれたパレスチナの石けんがあったんです。「これはパレスチナってところの女の人たちが作っているんだよ」って子どもたちと話をしていたちょうどそのときに、テレビで「ガザがイスラエルに封鎖されている」っていうニュースが流れた。小学校2年の息子が、「おかあちゃん、パレスチナって言うてるよ。石けん作ってくれた人たちが大変なことになってるやん」って。こんなことがすべて話のきっかけになるんです。

 すべてモノの後ろにはストーリーがある。たとえばこのジュースはどこの原材料を使って、どこで作られたんだろう、何人の人が関わっているんだろう、途中で虐げられて泣いている人はいないんだろうか...そんな風に想像することが、社会を見る窓になる。

 その意味で言うと、谷口家の食卓はすごく政治的ですね、おそらく。この間も、息子が、「秘密保護法っていうて何でも秘密にしたらあかんよな」って言うから、「そうやろ、何でも秘密にしたらあかんやろ。だからおかあちゃんに隠し事したらあかんねんで」って言ってやりました(笑)。

「"おばちゃん"の野生の勘で、本質を見極めなあかん」

――私たちは、これからどう政治を見ていけばいいでしょう。

谷口 本当のことは何かってことを見極めるヒントになるのは、「そもそもそのことで誰が得するんだろう」って考えてみることですね。私たち庶民がつまらないことで足の引っ張り合いをしていると、だれかが得をする。たいてい一番得したら困る人が得する話になっているんで、そこは注意深く見守らなきゃいけない。

 私は、何でも閻魔帳に書いているんです。選挙の時言ってたことを、舌の根も乾かないうちに見事にひっくり返すってこともありますから、忘れないように書いておく。単に「反対」と主張するばかりじゃなくて、「だって、そもそもそんなこと言ってなかったやん、ものすごい後出しじゃんけんみたいですよね」って説明すると理解が広がりますね。「せやったな」って。「そもそも」が大事です。

――「安保法制案」は衆院を通過しましたが、まだ成立したわけではありません。

谷口 世論調査では、どんどん反対の数値が上がってきてますよね。それ無視して進めていったら、しこりが残るはずです。民主主義って多数決のことだと思ってる人が案外多かったりするんですけど、そんなわけありません。

 民主主義の大事なところは、じつは少数派の意見にちゃんと耳を傾けることにあるんです。憲法は権力者を縛るものだけれど、逆に法律が国民を縛る方向に向かうのはいけません。国が崩壊していきます。なんか、息苦しいと感じるような世の中は、まずいんですよ。

 結果的に、私たち、もしくは次世代がもっとしんどいことになるんじゃないかって考えたときに、それを避けようとしたら、今、何を見なきゃいけないのか。そこは、もう野生の勘でもいいですから、フル回転しないとだめですね。

――いよいよ「おばちゃん」たちの出番ですね。

谷口 そうですよ。おばちゃんはおもろいですよ。何人かの政治家さんを見て、人相がすごく悪くなったって言ってるんです。これ、ものすごく大事な視点だと思います。だいたい、うそつく、ごまかす、無理なことする、悪いお金もらう人は、人相悪くなりますね(笑)。

 「全日本おばちゃん党」は、私が「オッサン政治劇場に嫌気がさした」ってフェイスブックでぼやいたのをきっかけに「そうやそうや」と話が盛り上がって、「結党」したんです。フェイスブックに上がってくる話題は、更年期のつらさや子どもの学校のこと、原発や領土問題...と、何でもあり。「縦」でつながるオッサンと違って、おばちゃんたちは肩書に関係なく横でつながるのがいいところですね。

 やっぱり、オッサン政治、オッサン社会をのさばらせた一因は、実はおばちゃんにも責任がある。「私ら、むずかしいこと、わからへんわ」って言い続けてきたせいでもあるんですよね。 だから、「わからんわ」っていうのはもうやめようと。嫌なものは嫌や、おかしいことはおかしい、と言おう。そのために、みんなで賢くなりましょうって。おばちゃんのボトムアップも「全日本おばちゃん党」のめざすところなんです。

 以前、90歳を超えたおばあちゃんが沖縄からお葉書をくださいましてね。フェイスブックはやられてないのですが、テレビや新聞で見て知ってくださったんです。「賛同しています」って。うれしかったですね。

取材・文/高山ゆみこ 撮影・構成/編集部