もし、故郷に原発がやってきたら。そのとき、あなたはどうしますか? 能登・珠洲の30余年の闘いが、震災後の私たちに問いかけるもの[能登半島地震から見つめる -2]
2024年元日に発生した「令和6年能登半島地震」。実は、特に被害が甚大だったのが奥能登地域にはかつて「原発の立地計画」があり、地元住民による苛烈な反対運動の末、撤退した歴史があった。住民たちはその日々をどう闘ったのか?
- 環境と平和
2024年元日に発生した「令和6年能登半島地震」。実は、特に被害が甚大だったのが奥能登地域にはかつて「原発の立地計画」があり、地元住民による苛烈な反対運動の末、撤退した歴史があった。住民たちはその日々をどう闘ったのか?
2024年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」。被災地となった石川県能登半島では、長い歴史のなかで工芸や工業が発展してきました。発災から半年がたつ頃、さまざまな立場でものづくりに関わる方々に、ここまでの歩みと思いを聞きました。