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「川原での暮らしも悪いときはなかったよ」 20年間の路上生活を送った男性が教えてくれたこと

  • 暮らしと社会

「ホームレス」という言葉でひとくくりにされがちな人たちにも、一人ひとりのかけがえのない人生がある。数年前まで多摩川の河川敷に小屋を作って暮らしていた坂本軍治さん(76歳)は、20年間に及んだ川原での生活をふり返り、「家がなくても仕事はあったから困らなかったよ」と話す。現在は、生活保護を受給し立川市内のアパートにひとり暮らし。すぐ近くで路上生活者や生活困窮者への支援活動を行う、NPO法人さんきゅうハウスの寮から引っ越して1年余りになる。河川敷には、捨て猫たちのために仲間といっしょに建てた小屋が、いまも残っている。

「家に帰る楽しみがなくなって、すっ飛び出ちゃった」

 自分はペンキ塗りの職人なんです。東京の荒川区の生まれ。男4人、女4人の8人きょうだいで、勉強が嫌いだから、中学に入る頃には、もう塗装屋の小僧に入っちゃった。親方のところに5年住み込みで、教えてもらうんじゃなくて、自分で覚える。なんの色となんの色を混ぜるとなんの色ができてとかね。自分で覚えなきゃ頭に入らないですよ。

 最初は一般住宅の仕事をしていたんですが、お金になるんで、だんだん高いところの仕事専門になってね。東京タワーの塗り替えも2回やりました。あの当時で、1日の手間賃が5万5千円でした。想像できないよね。おもしろい時代でしたよ。だからペンキ屋の仕事を覚えてよかったと思いますね。学校行かなくても自分の腕で食べて行けるから。

 兄もペンキの職人で、立川で地元の人と結婚して仕事をしてたんです。兄といっしょに仕事をやろうということになって、自分も立川にアパートを借りたわけ。

 女房が亡くなったことが、どっちかっていうと(川原に出る)きっかけみたいだね。女房は元々慢性腎炎で病弱だったんです。医者から子どもを作ったら母体がもたねえって言われて、子どもはつくんなかったの。その代わりにどこかの施設の子どもをもらって育てようかという話はしてたんです。そんな話をしてた矢先に風邪ひいて肺炎こじらして亡くなっちゃった。

 女房が生きてる頃は、仕事が終わって家に帰るのが楽しみでね。帰れば飯ができてるし。その楽しみがなくなっちゃったから、アパートに荷物置きっぱなしで、すっ飛び出ちゃった。それであちこちのペンキ屋に住み込んで仕事をしてたんだけど、けがしちゃったんです。手首を折って、労災のお金がもらえるようになってから、川原に行くようになったんです。

「朝目が覚めると猫たちが、ストーブの前に火つけてくれって」

 最初は多摩川の立日橋の下の空洞のところにいたの。そこで阪神淡路大震災のことを聞いたんです。釣りに来る人に見られないように、朝6時ごろには表に出て、仕事が入れば仕事に行って、夜帰ってくる。

 そのうち橋からちょっと離れたところにO君という友だちと大きめの小屋を作って、いっしょに住むようになりました。彼も左官のプロなんです。川原にいた頃はけっこう仕事がありましたね。刷毛をもって塗るだけじゃなくて、ガンブキっていって、吹付の仕事もやっていたから。

川原で出会った猫たちのために、仲間といっしょに小屋もつくった。川が増水しても流されないようにと、骨組に鉄パイプを使い頑丈にできている

 給料をもらったら米を買って、ふたりだと20キロ買うとひと月で3~4キロ残るくらいかな。カセットコンロで飯を炊くんです。しめじと油揚げの炊き込みご飯とかも作りましたよ。自分が仕事に行っているときは、O君が飯を作って、彼が仕事のときは自分がと、交代交代でね。

 20年間川原にいたけど、悪いときはなかったね。おもしろかった。自分は猫が好きなんですよ。捨て猫を20匹ぐらい育てていました。冬になれば猫のためにストーブ焚いてね。朝目が覚めると、猫たちがストーブの前に火つけてくれってかたまっている。自分らはコーヒーが好きなんで、ストーブの上にやかんのっけて、コーヒー飲んで仕事に行って。仕事がなくて川原にいる日は、釣りやっているから。ふなとか鯉とかナマズとか、鮎も釣れます。

「猫の世話をしてるボランティアの人が撮ってくれたんだよ」と、坂本さんが何枚も写真を見せてくれた

川原もアパートも住めば都

 さんきゅうハウス(※1)の大澤さんや吉田さんが何度も訪ねて来て生活保護をすすめられたけど、立川にいる甥っ子に迷惑をかけちゃまずいっていう頭があって、意地はって断っていました。

 ところが、ある日、サイクリングロードから川原に降りてきた自転車の連中とぶつかって倒れて、自分が骨折したわけ。それで動けなくなって、生活保護を受けたほうがいいんじゃないかってことになった。さんきゅうさんで寮の部屋が空いたらすぐに入れるようにするからと言ってくれて。

 寮に入居したのは、2014年の10月です。でも、1年だけいて、翌年の10月から、今のアパートに住んでいます。

 歯がないから、寮だと少し硬いご飯が出ると食べられなくてね。わがままなんだけど。それでアパートに移ったんです。ときどきさんきゅうハウスには顔を出して、一番若いTさんに用事を頼んだりしています。Tさんは、大澤さんから、「坂本さんとこにちょこちょこ顔を見せに行ってくれ」と言われているらしいけど、Tさんには「そんなにちょこちょこ来ることないよ」と言ってるんです(笑)。

 川原に住んでたときはあっちが「住めば都」だったけど、ここに住んでからはこっちが「住めば都」になっちゃった。いまはいっしょに暮らしていたO君も生活保護をもらってアパートに移ったし、日中に川原に行っても猫には会えないしね。(談)

猫の小屋の脇には、猫たちのお墓が。キャットフードやきれいな花が供えられていた

※1:※NPO法人さんきゅうハウス:立川市羽衣町で路上生活者や生活困窮者への支援活動をしている。無料の食事や入浴サービス、フードバンク活動、コミュニティカフェの運営、安心して過ごせる居室の提供(寮)などが主な活動。ホームページはこちら

※本記事は、パルシステム連合会発行の月刊誌『のんびる』2017年2月号より再構成しました。『のんびる』のバックナンバーはこちら

取材・文/山木美恵子 構成/編集部