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未来に手渡したいバナナはどれ?バナナから考える「多国籍アグリビジネス」の行方

  • 食と農

最近、スーパーなどのバナナ売場は、じつにバリエーション豊かになりました。選ぶ楽しみが増えたのはうれしい反面、パッケージからはなかなか見えてこない栽培の裏側、気になりませんか? たとえば、最近増えている「高地栽培バナナ」。濃厚な甘みが人気ですが、その陰で、過酷な労働や農薬使用による環境破壊などの問題が起きている例も...。背後には、多国籍アグリビジネスがもたらす"歪み"が見え隠れします。

日本向けに輸出される「皮のきれいなバナナ」の陰で...

 いま、日本に輸入されているバナナの9割以上がフィリピン産であることをご存知ですか。バナナの輸入が自由化された1963年以降、日本の商社と組んだ多国籍企業がミンダナオ島に広大な農園(プランテーション)を開発。「傷のないきれいな皮のバナナ」は、急激に私たちの身近な食べ物となりました。

 けれどその一方、安価で見た目のいいバナナを作るために、農薬や化学肥料の大量使用や過酷な労働が日常的に...。そうした多国籍企業によるプランテーションの問題を指摘した鶴見良行著『バナナと日本人』(岩波新書、1982年)の出版を背景に、安心して口にできるバナナを求める日本の消費者と経済的自立をめざすネグロス島の生産者との間で始まったのが、農薬を使わずに栽培された在来種「バランゴンバナナ」(※)の民衆交易(産直)でした。

化学合成農薬を使わない「バランゴンバナナ」は、洗浄においても薬剤を使わず、水でていねいに洗う(※輸入通関時の植物検疫でくん蒸処理を受ける場合があります)

 「生産者の人権侵害や産地の環境破壊につながるプランテーションバナナしか選択肢がなかった日本の消費者の間で、安全・安心な選択肢としてバランゴンは高く評価されました。元はと言えば、飢餓と貧困に苦しむネグロス島の人々に対する救済のために始まった民衆交易ですが、ともに持続可能な社会をめざす対等なパートナーへと進化。現在ではルソン島からミンダナオ島まで産地は広がっています」と、「バランゴンバナナ」の橋渡しを担う(株)オルター・トレード・ジャパン(ATJ)の小林和夫さんは語ります。

※現在、パルシステムでは『エコ・バナナ(バランゴン)』として供給しています。

「民衆交易で築いてきた人と人のつながりは揺るがない」と話す、(株)オルター・トレード・ジャパン(ATJ)の小林和夫さん

「高地栽培バナナ」のプランテーションで雇用される農民

 ところで、多様化が進む最近のバナナのなかで目立つのが「高地栽培バナナ」。品質基準や環境基準の国際的な認証を取得していたり、価格にプレミアムをのせ、学校への教材寄付、資源のリサイクルや環境保全などを謳ったものもあり、おいしいだけでなく、安全性も高く、「人の役にも立てる」という、企業の社会的責任(CSR)も打ち出しているものもあります。

 このようにプレミア感や社会貢献をアピールしている「高地栽培バナナ」も、生産や開発を手掛けているのも、じつは多国籍企業。味がよいなどの特徴があることから、今まで開発されてこなかった標高の高い土地に農園を開発し、栽培しています。90年代に入るとバナナの価格競争が激化し、従来のプランテーションバナナでは利益を確保することがむずかしくなったことから、より付加価値が高く収益が見込めるPR戦略や、高地栽培によるメリットが打ち出されるようになったのです。

日本向けに作られたプランテーション。バナナにかけられた袋には、病害予防のための農薬が塗布されている(ミンダナオ島コタバト州)

 フィリピンでは80年代後半から続く農地改革で、それまで土地を持たなかった小規模農家や農園労働者にも、自作農への道が開かれました。ところが、「高地栽培」に乗り出した多国籍企業はそうした農家から土地を15~25年契約で借り上げ、プランテーションを開発。いま、農民が地代を受け取りながら「労働者」としてプランテーションに雇用されるという形が、どんどん増えているといいます。

調査が求められる環境負荷、労働環境の実態

 農業経済学が専門で、国連「世界食料保障委員会(CFS)」の専門家ハイレベル・パネルの報告書を執筆した愛知学院大学の関根佳恵さんは、このように見えない形で進む多国籍アグリビジネスの操業実態に疑問を投げかけます。

 昨年9月にフィリピン・ミンダナオ島で行った調査によると、「労働環境は決してよくありません。不眠不休で24時間以上連続して働かされていたと話す元労働者もいました。大量に散布する農薬や洗浄用の化学物質による健康被害も心配です」と関根さんは話します。

「いま『高地栽培』の拡大が環境負荷、労働搾取をもたらしている」と話す、愛知学院大学専任講師の関根佳恵さん

 国立自然公園の近くの水源林地帯にまで進出している「高地栽培」プランテーションでは、下流域の汚染や水不足、魚の減少など、自然環境への影響も出ているとの現地NGOからの報告もあります。なかには、バナナを単一で密植したために土壌が疲弊し、土壌中に病気が広がってしまい、皆伐を余儀なくされた場所もあるそうです。

 「このようになってしまった畑は、この先、作物を植えることができなくなる恐れもあります。地代は支払われても、雇用されていた農民は仕事を失います。そうした農民は都市のスラムに流れていくケースもあるでしょう。それなのに、畑のそばには『環境に配慮しています』という大きな看板が掲げられている。こうした実態がどこまで広がっているのか、今後の継続的な調査が求められます」(関根さん)

ミンダナオ島コタバト州で見られる高地栽培のバナナプランテーション。単一栽培によって病気が発生し、バナナは皆伐された

 生産者にとって一番大事なことは、日々の糧を得て、家族を養い続けていくこと。取り組みの改善をPRしている企業は増えていますが、持続可能でない開発は、小規模農家の生計の手段を奪うことにもつながります。その状況は、70年代、80年代の『バナナと日本人』の頃と変わっていない可能性があるのです。

「生産者に生存機会を保障する」のはどちらか?

 こうしたなか、いま改めて注目されるのが、年間を通して生産者に所得を生み出し、農薬による生産者への健康被害もない「バランゴンバナナ」の存在です。ゴムの木などほかの作物と混植したり、下草を生やしたままにするなど、生態系を重視した持続可能な栽培方法を採用している農園もあります。

 「実験農場に研修に来ていた生産者にプロジェクトに参加した理由を聞くと、『トレーニングを受けられること』という答えが一番多かった。自分で学んだことを子どもや仲間に教えることができるのが一番うれしいと言っていました。彼らにとって『バランゴンバナナ』は未来への希望なのです」(関根さん)

悪路を肩にかついで運搬することもある「バランゴンバナナ」は、皮に傷があることもしばしば(ネグロス東州バイス)

 多国籍企業による社会貢献型バナナの台頭で、「バランゴンバナナ」との違いが伝わりにくくなったいま、関根さんは、その最大の特徴を「ほかに代わりがないこと」と表現します。

 「"顔と顔が見える関係"、つまりこの人がここで作っているものを買う、ということに意味がある。ラベルや認証があればどのバナナでもかまわない、ということになれば、結局は価格競争になってしまいますが、『バランゴンバナナ』は、価格競争に巻き込まれない。ある意味、自由市場経済を否定する存在です」

 日本も含め、農業の大規模化・グローバル化が叫ばれる一方、貧困や格差の問題は拡大し、環境汚染や資源の枯渇、地力の低下が問題となっています。これに対し、いま国際的に再評価されているのが、家族経営による小規模な農業の存在。自らの土地を所有し、作物を栽培し、家族を養う――。こうしたあたり前の農業の姿が、食料保障、持続的な資源利用、雇用創出の面からも見直されています。

収穫したバナナは地域の集荷場に集められ、パッキングセンターへと向かう(ネグロス東州)

 関根さんによれば、最近ではFAO(国連食糧農業機関)やCFS(世界食料保障委員会)をはじめ、さまざまな国際機関が家族農業に関する報告書を発表しています。世界の14億人が極度の貧困状態(1日1.25ドル以下で生活)にあり、そのうち7割を占める農村の生活者の置かれている状況を改善するためにも、小規模な農業への政策的支援が必要になっているのです。他方、土地の開発と化学肥料の投入を必要とする大規模経営よりも、家族農業のほうがむしろ生産効率や収量が高く、石油資源への依存度が低いため、エネルギー効率も高いという報告も出ています。

 「折しも2014年は、国連が定める『国際家族農業年』でした。世界の食を圧倒的に支えているのは、『小規模家族農業』であるという考え方が、世界の潮流になりつつあるのです。『生産者に生存機会を保障する民衆交易』――それこそが、グローバル資本主義に対抗する『バランゴンバナナ』の意義であり、もう一度輝きを取り戻す"光"ではないでしょうか」(関根さん)

取材協力/株式会社オルター・トレード・ジャパン 取材・文/高山ゆみこ 構成/編集部