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写真=深澤慎平

カレーライスを一から作ったら9カ月かかった! 探検家・関野吉晴さんの新たな挑戦

  • 食と農

5万キロにも及ぶ人類大移動の道のり「グレートジャーニー」を人力のみで遡った関野吉晴さん。その関野さんが教鞭をとる武蔵野美術大学の課外ゼミがドキュメンタリー映画になった。タイトルは『カレーライスを一から作る』。野菜やスパイスを種から育て、米を作り、鳥を飼い、海水を煮詰めて塩をとる。食器やスプーンまで手作りだ。一体、何のために? “探検家が憧れる探検家”関野さんが、カレー作りを通して学生たちに伝えたかった想いを聞いた。

カレーライス作りも“探検”だ

――関野さんといえば、10年もの歳月をかけて南米大陸から東アフリカまでを人力のみで旅したり、アマゾンの先住民の村に通ったり、手作りのカヌーでインドネシアから沖縄まで航海したりと、壮大なスケールで世界を巡る探検家というイメージがあります。今回のテーマが「カレーライス作り」というのが意外だったのですが……。

関野 僕自身、どこかに行くばかりが「探検」だとは思っていないんです。何か新しい気づきに出合えそうだったり自分を変えてくれそうなことなら、ワクワクして何にでも首を突っ込んじゃう。大学時代に最初にアマゾンに行ったのも、やりたいことが見つからない自分が情けなくて、思い切って違った自然や文化のなかに飛び込んだら違った自分を発見できるかもしれないと思ったからなんですよ。

©クリエイト21

 このプロジェクトも肝心なのは、“一から”というところなんです。“一から”、“モノの原点を探す”という点で、今まで僕がしてきた旅の延長線上にあると思っています。

 一から何かを始める、根源を探ることで気づきが得られ、世界が見えてくる。以前、「文庫本の紙がどこから来たのか探ってみたい」と言った学生がいるんです。彼女は、出版社に問い合わせるところからチャレンジして、結局、パルプの原料がタスマニアから来ていて、そこで森林破壊が起こっていることまで突き止めた。紙1枚を辿ることで、彼女には、流通の問題とか環境の問題とか、とにかく世界が見えてきたんですね。

 カレーライスでも、自分で一からちゃんとやってみようと思えば、何かやるごとに疑問が湧いて、それを自分で調べるようになる。そんな風に、学生たちに、自分で問いを見つけて解くという体験をさせたかった。とくに自然への見方や他の生き物との関係についてじっくり考えてほしかったんです。

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アマゾン先住民の暮らしからものの原点を知る

――「原点を探していくと、たくさんの気づきがある」。これは関野さん自身が、ここまで重ねてきた体験から得た実感でもあるのですか?

関野 そうですね。僕自身の気づきの原点は、グレートジャーニーの前から通っていたアマゾンの先住民たちの暮らしです。僕が行くのは郵便局も電話局もないような場所だからいきなり行くしかない。いきなり行って、「何でもしますから、泊めてください」って頼み込むんです。それで最初の時、家の中に入れてもらってゴロンと横になって気づいたのは、家の中に素材がわからないものがほとんどないこと。柱、屋根、敷物、生活用具、服や装飾品……自然からとってきた素材を使って自分たちの手で作ったものばかりだったんです。

写真=深澤慎平

 「生活のすべてを一から作っているなんて、すごいな、この人たちは」と感動しました。僕たちの社会では、身の周りを見渡しても、アマゾンの村とは対極で、素材のわかるものはほとんどありません。ガラスとか合板とかまではわかるけれど、さらにさかのぼってその素材自体が見えてこない。何でもお金で処理しちゃっている。僕たちは本当に自然から遠く離れた存在で、そのために、大事なことが見えなくなっちゃっているような気がしたんです。

大事に育てたホロホロ鳥と烏骨鶏。殺す? 殺さない?

――映画の中でとくに印象的だったのは、肉の材料として飼育していた鳥に愛着が湧いてしまい、「いのちを全うさせてやりたい」「いや、屠(ほふ)るべきだ」とメンバー同士で議論する場面でした。関野さんはこの学生たちの葛藤をどう見ていらっしゃいましたか?

関野 僕から言わせれば、「あの鶏はペットじゃない、食べるために飼っていたのに何を迷っているの?」という感じでしたね。根本にあるのは、僕たちはいのちを食べないと生きていけないということです。「若葉はやわらかくておいしい」って食べちゃうのに、動物になると「かわいそう」なんて矛盾している。植物だっていのちを持った生き物なのにね。「人間って残酷ですね」って言った学生がいたけれど、人間が残酷なんじゃない。動物は皆、食物連鎖でいのちをいただいて生きている。きれいごとじゃないんです。

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 ゼミでは、芝浦と場(東京都中央卸売市場食肉市場)から職員を招いて、「屠る(=体を切り裂く、切り殺す)」という仕事について話してもらいました。いまは食肉加工の現場が暮らしから遠くなってしまっているけれど、ふだん食べている肉は、その前に必ず「屠る」という行為がある。誰がどういう想いでその仕事に携わっているのか、この仕事に対する偏見や差別が根強く残っていること、そういうことから僕たちは目をそむけてはいけないんですよ。

 でも、メンバーの一人が「殺したくない」と声をあげて話し合いができたのはよかったと思います。食べるために飼うのもペットとして飼うのもどちらも人間の都合で、いつもはどこでどう分けるのかあまり考えずにいる。それを考えてみるのも大事だと思います。皆、たしかに迷うんですよ。殺すのは仕方ない、でも自分では殺したくない、でも見ていたい……っていろんな葛藤が生まれる。葛藤が人を成長させるんです。

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意味は、10年後にわかればいい

――ひと皿のカレーにありつくまでに9カ月。何でもお金を出せばすぐに手に入る時代にあって、本来の食のあり方を改めて考えさせられました。課題やアルバイトに追われて次第に足が遠のく学生が多いなか、やり遂げたメンバーには何か変化はありましたか?

関野 カレー作りは問いの連続でしたからね。学生たちもそれぞれ何か変わっているでしょうね。今年もこのゼミは続いているんです。去年1年生で参加して、畑で化学肥料を使うか使わないかですごく葛藤していた学生が、今度は下級生に向かって「だめだよ、化学肥料なんて」なんて指導している(笑)。

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 ちなみに、この学生の教えているグループは、メンバーがほぼ残っているんです。「まめに連絡取っていますし、来た時に必ず何かを覚えられるようにしてますから」なんて言っていましたよ。去年は、一所懸命すぎて人になんてかまってられないよって突き進んじゃうタイプだったのに、成長したよね。

 いまの社会は、何でも、「それをやって何になるの」と損得で考えて、すぐ報酬を求める傾向があるでしょ。短期間で評価するから失敗も許されない。これじゃ人は育ちません。その点でいうと、僕のやっていることなんて、ほとんど役に立ちませんよ。もしかしたら一生役に立たないかもしれない。けれど、10年後、20年後に何か気づくことがあるのかもしれない。実際、10年前に卒業した学生から手紙をもらったことがあるんです。「あの時先生の言っていたことの意味が、いまやっとわかります」って。

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何でもいいから“一から”作ってみよう!

――最後に、映画を観る人へのメッセージをお願いします。

関野 僕たちは、どれだけおいしいものを食べるかということばかりに気をとられがちで、「食べ物をいただく」ということがいかに奇跡的なことであるかを感じる機会がなくなってしまっています。この映画を観て、自分たちの食卓に並んでいる料理が、たくさんの工程を経てやっとここにあるんだということを感じてほしい。食べるということが世界の「何に」「どうつながっているのか」を考えるきっかけにしてもらえたらうれしいですね。

 それと、自分たちの食べる物を何でもいいから“一から”作ってみることをおすすめします。仲間や家族といっしょにやってみたらいいんじゃないかな。最近は園芸品店でもバケツ稲っていうのがあるし、野菜はプランターでも育てられるでしょ。肉が嫌なら、野菜カレーでも海鮮カレーでもいい。あさりカレーにすれば、潮干狩りでいいんですから。

取材協力/株式会社ネツゲン 撮影協力/カフェスロー 撮影/深澤慎平 取材・文/高山ゆみこ 構成/編集部