だれもがいつでも安心して鑑賞できる映画館に
商店街の一角に建つレンガ色のビルの1階、タイル細工の看板を掲げた「シネマ・チュプキ・タバタ」がある。〝チュプキ〟とは、月や木洩れ日などの自然の光を意味するアイヌ語だ。全20席の小ぶりな館内は、壁が深い青色に塗装され、足元に敷かれているのは人工芝。120インチスクリーン(幅約2.7メートル)の前には、大きなクマのぬいぐるみが寝そべっている。
「このシアターは森の中をイメージしました。前面、側面、後面そして天井までスピーカーを配置し、豊かな森に包まれているような立体的な音環境を実現しています」とやわらかい笑顔で語るのは、同館の運営母体、「バリアフリー映画鑑賞推進団体シティ・ライツ」代表の平塚千穂子さんだ。
すべての座席にイヤホンジャックを搭載。目の不自由な人も、音声ガイドで、情景や登場人物の動きなどを知ることができる。また、耳の不自由な人のため、邦画にも日本語の字幕付き。車いす用のスペースも見やすい場所に確保され、客席の後方には、子どもがぐずったときなどに、ほかの観客に気兼ねなく鑑賞できる完全防音の個室がある。
「障がいの〝がい〟の字は、昔は〝碍〟という漢字が当てられていました。これは大きな石を前にして困っている様を表す言葉で、その人自身にではなく、社会や環境のほうに壁があるという考え方によるものです。チュプキはその壁をひとつずつ取り除き、〝障碍者〟がいないユニバーサルシアターでありたいと考えました。そんなところなら、だれにとっても居心地のいい場所だと思うからです」
「何とかしたい」という思いで続けた、15年の研究と模索
「以前は私自身にも偏見があって、目の見えない人に映画やテレビの話を持ち出すこと自体、タブーのように感じていました。目が見えないのに、映画を見たいなんて思わないだろうと勝手に考えていたのです」と平塚さん。そんな先入観を覆したのは、視覚障がいをもつ当事者の声だったと言う。
「直接話を聞いてみたら、本当は映画も見たいし興味もあるけれど、場面転換とかセリフがないシーンでついていけなくなる。テレビの副音声みたいなのがついていれば楽しめるのに、とおっしゃるのです」
映画が大好きなのに見るのをあきらめている人がいるなら何とかしたい、と奮起した平塚さんは2001年、仲間とともに視覚障がい者の映画鑑賞をサポートする団体「シティ・ライツ」を設立。早速、音声ガイドの研究に取りかかった。
「当時、すでにアメリカやイギリスでは、字幕も音声ガイドも整っているバリアフリー映画館がたくさんあったのですが、日本ではお手本もありませんでした。とりあえず自力で音声ガイドをつくっては視覚障がいの方に感想をフィードバックしてもらいながら、どういう表現なら伝わりやすいか、面白いと感じてもらえるかを模索しました」
そうして仕上げた音声ガイド付きの上映会や鑑賞会をたびたび開催しているうちに、芽生えてきたのが、映画館づくりの夢。
「上映会や鑑賞会は、開催がピンポイントだからそこに都合を合せないとならないし、ちょっと風邪をひいちゃったりすると来れなくなってしまう。それに、権利の関係から、一市民団体と一映画館では扱える作品の幅がまったく違うんです。そんなことから、お客様の都合に合わせて日が選べて、いつ行っても音声ガイド付きで鑑賞できる映画館をつくりたいと思うようになったのです」
15年間の活動を土台に設立資金をクラウドファンディングでまかない、オープンしたのは昨年の9月。館内の壁に描かれたチュプキの樹には、そのときの支援者の名前が書かれた葉っぱが天井まで茂っている。
「多くの映画ファンが、映画を見たいという障がい者の願いに共感して応援してくださった。障がいのある人も当たり前に一人の観客として大事にするというあり方自体に賛同してくださったのです。みなさんの夢も背負っているから、『お客さんが入らないからやめます』とは簡単に言えないなと思っています」
障がいをもつ人の存在に、自然に気づける場としても
最近では、スマートフォンで字幕や音声ガイドの再生などを行うことのできるアプリが開発され、大手映画会社が全作品に公式の音声ガイドをつけると宣言するなど、日本でも、バリアをなくすための環境が少しずつ整いつつある。それでも、まだまだ、映画館で鑑賞できる作品は限られているのが現実だ。
「ドキュメンタリーでもすごくいい映画があるし、自主上映しかされていない作品やメジャーでない外国映画にも秀作がたくさんあります。私たちは、シネコンにはかからないようなそうした作品にこだわって、たとえば、ひとりの監督の作品を追ってみるなど、目の不自由な人でも映画を趣味として楽しめるレベルまでラインナップを充実させていきたいと考えています」
取材で訪れたこの日は、戦時中の広島と呉を舞台にしてロングランとなった『この世界の片隅に』を上映中。目を閉じて音声ガイドを聞きながら鑑賞すると、頭のなかにくっきりと、広島の海や町中、登場人物のいきいきとした動きが浮かんでくる。こんな独特の臨場感が、ほかの映画館にはない特徴にもなっている。
「私も、ふつうに観たら見落としていたこととか、そこまで意味を考えていなかったということに、音声ガイドによって気づかされることがあります。目の不自由な人に限らず、音声ガイドは、より深く映画を味わうためのツールにもなるのではないでしょうか」
北区の市民グループといっしょにイベントを開催したり、行政とも連携するなど、以前から地域とのつながりを大事にしてきた「シティ・ライツ」。「チュプキができてからも、地元の人たちからずいぶん応援してもらっているんですよ」と平塚さんは語る。
「先日も商店街の会長さんに呼び止められて、障がいをもつ人を見かける機会が増えてきたから、みんなで案内の仕方を教わろうってことになっているんだと言われました。チュプキに来ようとして道に迷っている目の不自由な人を、近所の方が声をかけて連れてきてくださったり、不動産屋の娘さんが、このあたりで新居を探している方にチュプキを宣伝してくださったり(笑)。これからは、チュプキが、障がいをもつ人の存在に自然に気づける場所にもなっていけばいいですね」