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写真=柳井隆宏

原発計画に二分された町のこれから――。山口県上関“奇跡の海”を生かした町づくりへと動き出す人々

  • 環境と平和

「瀬戸内最後の楽園」「奇跡の海」とも呼ばれるほど美しく希少な自然を残す山口県上関町。この地域が原発建設の候補地となって35年以上、住民たちは、原発誘致を巡り対立と分断を余儀なくされてきた。しかし、2011年3月11日に起きた福島第一原発の事故を経た今、住民の意識が大きく変わりつつあるという。豊かな自然を軸に、自立した地域づくりに取り組む「上関ネイチャープロジェクト」を取材した。

「この素晴らしい自然を、次世代に残そう」

 陸地の緑を水面に写す、内海のおだやかな波。野鳥や船が島々の間を往来し、波間には魚が跳ねてきらめく。磯の潮だまりでは色とりどりの貝類や古代生物の姿を今に伝えるナメクジウオの姿。遠くを見渡せば、世界一小さなクジラ、スナメリが顔をのぞかせ、運がよければ世界に5000羽しかいないカンムリウミスズメの親子を見ることもできる――。

上関はカンムリウミスズメの世界唯一の周年生息地(写真提供=上関ネイチャープロジェクト)

 瀬戸内海西部の海辺の町、山口県上関町。研究者たちが「奇跡の海」と称するこの地の海には、失われたはずの瀬戸内海の生態系が今なお残る。

 2017年2月、この素晴らしい自然を次世代に残すこと、そして自然を生かして自立した町づくりを進めようと、「上関ネイチャープロジェクト」が発足した。上関を拠点に活動してきた4つの団体が母体となり、上関の自然や暮らしを体感するための施設やイベントの運営・企画などに取り組んでいる。

 このプロジェクトは、「原発に頼らなくても、生き生きと暮らしていける町をつくっていきたい」という共通した願いを持つ人は誰でも参加できる。背景には、原発計画によって二分されてきた、住民たちそれぞれの思いがある。

上関ネイチャープロジェクトの拠点となる上関町室津地区。背後に皇座山を抱き、山裾に住居が並ぶ(写真=柳井隆宏)

「町を発展させてくれるなら、何も悪いことはないじゃろ……」

 山口県上関町は、古くから瀬戸内海における海洋交通、交易の要所として栄えてきた歴史ある町だ。輸送手段が海路から陸路へと変化するにつれて貿易拠点としての機能は薄れ、現在は漁業を基幹産業としている。この町に、中国電力の原子力発電所建設計画が浮上したのは1982年のことだった。

図=編集部作成

 「原発の話が持ち上がった時は、電気を作って町を発展させてくれる、お金ももらえるし、何も悪いことはないじゃろとみんな思っていました」と、上関ネイチャープロジェクトのメンバーの一人であり、地元で漁師を続けて50年になる小浜治美(こはま・はるみ)さんは当時を振り返る。

 「あの頃は、いろんな講演会が開かれちょった。原子力がどんなもんか、分からんからいろいろ行ってみたけど、推進派の講演では何も聞けんのですよ。有名な歌手や漫才師が来て、頑張れ頑張れ言うだけで。反対派の講演は、専門の先生が原子力の仕組みやリスクを説明してくれて、聞くうちに今の技術では事故のリスクは高いのではと思い始めたんです。町は発展するかもしれんけど、わしらは漁師じゃけん。事故が起きれば暮らせなくなるし、事故がなくても風評被害は免れないという指摘も、もっともだと感じました」

上関生態系調査船グループ代表の小浜治美さん(写真=柳井隆宏)

 小浜さんをはじめ住民の一部に原発のリスクが知られるようになる中で、1988年、上関町は原発誘致を正式に中国電力に申し入れる。「子供や孫のために、原発を誘致して地域振興を」「リスクを考えれば原発は認められない。豊かな自然と資源を守らなければ」――。地域振興や環境への影響、漁業補償や土地取得などを争点に、住民の意見は二分されていった。

 中国電力は立地調査や土地の取得などを着々と進め、2001年、国の電源開発基本計画に上関原発計画が盛り込まれた。反対する人々との攻防が続く中、2011年2月、反対行動を押し切り、放水口予定海域にて埋め立て工事が強行された。しかしその直後、同年3月11日に福島原発事故が発生。山口県は中国電力に慎重な対応を求め、以降2018年5月現在まで工事の中止が続いている。

生態調査により明らかになった「奇跡の海」

 上関町の漁業協同組合は、地区ごとに分かれた8つの漁協で構成される。そのうち、建設予定地対岸に位置する祝島漁協だけが、今日まで原発に反対する立場を貫いてきた。小浜治美さんは原発推進を表明する室津地区の漁師だが、市民や研究者らによる生態調査のため、船を出すことに協力してきた。小浜治美さんに声をかけたのは、「長島の自然を守る会(現・上関の自然を守る会)」共同代表の高島美登里さんだ。

 「反対派の講演でお会いすることがあったので、漁師さんの中で、治美さんにだけは声をかけることができたんです。海草や鳥、スナメリなど、治美さんがいなければここまでの調査はできなかったと思います」

上関の自然を守る会共同代表の高島美登里さん(写真=柳井隆宏)

 そう高島さんが語るように、小浜治美さんが調査のために出航した回数は延べ1000回を超える。地道な調査の結果見えてきたのは、上関、特に原発建設予定地となっている田ノ浦が世界的にも類を見ないほど希少な生態系を育んでいるという事実だった。

 「学会の研究者の皆さんが 『ここは“奇跡の海”だ』と言ってくださったんです。『失われたと思われていた瀬戸内海の自然が唯一残る場所だ』『決して原発を建設すべきではない』と」

左/田ノ浦で発見されたナガシマツボ(環境省絶滅危惧Ⅰ類)。確認されたのは世界でこの一個体のみ。 右/生きた化石といわれるカサシャミセン(写真提供=上関ネイチャープロジェクト)

 それは、調査を依頼した高島さん自身も驚く結果だった。中でも、これまで生態が謎とされてきた絶滅危惧種カンムリウミスズメ(IUCN・絶滅危惧Ⅱ類)が年間を通じて生息する世界で唯一の場所であることが分かったのは、大きな発見だった。

 船を出す小浜治美さんは、ほぼすべての調査に立ち合ってきた。今では、誰よりも早く生き物を発見するようになったという。

 「もともと海が好きで、自然が好きで漁師になったもんですから、生き物たちに出合えるのは楽しいです。調査に関わらなければ、魚をとるだけの漁師で終わってしまうところでした。たくさんの研究者、時には海外からわざわざここを訪れ、目を輝かせて調査する先生方の姿を間近で見てね、なんもないとこじゃ思うとったけど、ここの自然は、素晴らしい宝物だなと気づかされたんです」

日本特産の海草・スギモクの黄金のお花畑。田ノ浦は西日本最大の群生地(写真提供=上関ネイチャープロジェクト)

 生物多様性のホットスポットであることが解明されるにつれ、調査活動は活発化。小浜さん以外の漁師にも船のチャーターを依頼するようになっていった。調査船を出すうちに漁師たちの目も肥え、今では、「今日あそこでスナメリを見たよ」「カンムリウミスズメが飛んでたぞ」と漁師たち自ら報告してくれるのだという。

 「魚も海も陸もすべてつながっていて、無関係じゃない。海で働く人たちは、もうみんな気づいちょる。原子力と海や漁業は共存できるもんじゃない」(小浜治美さん)

奇跡の海の、静かな朝焼け(写真提供=上関ネイチャープロジェクト)

「町は当てにせんと俺らでやるぞ!」

 小浜治美さんの甥で、漁師歴40年の小浜鉄也さんも、上関ネイチャープロジェクトのキーマンの一人だ。豪快で面倒見のよい鉄也さんは、この地を訪れる人みんなから「てっちゃん」と呼ばれ親しまれている。

 「高島美登里さんらに関わって4~5年になるかなあ。忙しくて、楽しい。忙しいほうが肌におうとるけんね」と笑う小浜鉄也さん。叔父の小浜治美さんが調査船を出す姿を見てきて、自分も一度くらいやってみるかと思ったことが、高島さんらと共に活動を始めるきっかけだった。

シーパラダイス室津代表の小浜鉄也さん(写真=柳井隆宏)

 「調査で、カンムリウミスズメの親子連れを見つけたときすごく楽しかったんです。これは、自分たちがやっている釣り体験ツアーと一緒に何かできたらええのうと思いました」

 もともと小浜鉄也さんは、15年ほど前から、「シーパラダイス室津」という釣り体験ツアーを主催してきた。「これからの漁師は魚をとるだけではいかん」という危機感のもとで行ってきた試みの一つで、観光客を乗せて船を出し、直接釣りを教える。浜に帰ってきたら釣った魚をさばき、刺身や煮付けなどの漁師飯をふるまう。

さばきたての鯛をカルパッチョに! レモンも上関産(写真=柳井隆宏)

 「俺たち室津の漁師には、“町は当てせんと俺らでやるぞ!”という自立心がすごくあると思う。漁師みんな、ほとんど親戚のつながりがあって心が知れているから、新しいことを始めるのも応援してもらえる雰囲気があるんです。部外者に対しても、ウェルカムでやさしいですよ」(小浜鉄也さん)

 5年ほど前からは、小浜治美さん鉄也さんを中心とした漁師たちと高島さんらが連携し、魚の産直定期便の取り組みも始まった。この「上関お魚おまかせパック」の代表を務める三家本誠(みかもと・まこと)さんは、活動を始める時には大きな不安があった、と当時の心境を振り返る。

 「私や高島さんは、原発反対の立場を明確に活動をしてきたから、漁師さんたちが魚を出荷してくれるだろうかと心配していたんです。でも今では、8人の地元の漁師さんが魚を提供してくれて、お客さんから直接届く声は張り合いになると喜んでくれている。今では逆に、別の漁師さんから、うちの魚を使ってくれんかと声をかけられるほどになりました」

上関お魚おまかせパック代表の三家本誠さん(写真=柳井隆宏)

すべての人の拠点となる場所、体験型宿泊施設「マルゴト」

 「上関ネイチャープロジェクトは、作ろうと思って設立したものではないんです。私たちがそれぞれに活動するうちに、接点が生まれていつのまにか始まった。“豊かな自然を地域づくりに生かそう”という共通する思いが、全員の原動力になっています」と高島さんは語る。

 プロジェクトの大きな柱となるのは、今年4月にオープンした体験型宿泊施設「マルゴト」を拠点としたイベントやツアーの企画だ。マルゴトは、築40年の古民家を改装して作られたセミナーハウスとゲストハウスを兼ね備えた施設(宿泊施設としては2018年6月以降にオープン予定)。プロジェクトの拠点であり、上関の自然や暮らしを体験するための来訪者にとっての拠点として作られた。

できる限り、もとの古民家の雰囲気を残し改装。シングルームの様子(写真=柳井隆宏)

 設立に当たってはクラウドファンディングで費用の一部を集め、山口大学の学生のほか、パートナーシップを築いてきたアウトドア企業・パタゴニア日本支社の社員たちも連日参加して改装工事を行った。完成したマルゴトを訪れたパタゴニア日本支社長の辻井隆行さんは次のように話す。

 「今、日本は、危機的な状況にあると感じています。経済的な指標だけではない幸せがどこにあるのか。みんなが探しているなかで、ここの自然や暮らしには、そのヒントがあるように思います」(辻井さん)

「マルゴト」お披露目会では、パタゴニア社員たちもスタッフとして活躍(写真=柳井隆宏)

「何もない」から「たくさん宝物がある町」へ

 マルゴトを運営する一般社団法人の代表理事となる高島さんは、マルゴトを第二のふるさとのような場所にしていきたいと語る。

 「一度ここに来た方が、ご家族や友人を連れてまた訪ねてきてくれる、そんな場所でありたい。みなさんを、お帰りなさいと言ってお迎えするつもりなんです」(高島さん)

 マルゴトの管理人となるのは、大学院卒業後上関に移り住み漁師を目指して修行中の上田健悟さんだ。マルゴトを拠点として、今まで以上にたくさんの人に上関の自然を体感してほしいと語る上田さんだが、もっとも大切にしたいのは、マルゴトが上関の住民にとっての交流の場になることだと言う。

体験型宿泊施設「マルゴト」管理人の上田健悟さん(写真=柳井隆宏)

 「町の人たちに、この上関は素晴らしい場所なんだと再確認してもらいたい。その子供たちも、町を出て行ったとしても、うちの町はいいところなんだと誇りを持って人に言えるようになる、そんな未来をつくるための場所にしていきたいと思っています」

取材協力=上関ネイチャープロジェクト、一般社団法人上関まるごと博物館、パタゴニア日本支社 取材・文=千葉貴子 写真=柳井隆宏 構成=編集部