憲法は、権力よりも上にある「最高法規」
――講演会のオープニングクイズ、とっさに答えられるかというと、自信がありません。
楾 そうなんですよね。思っていた以上に、みなさん、誤解されていますね。「憲法というルールを守らなければいけないのは誰?」というクイズの正解は、「政治家や公務員」なんですが、たいていは、「国民みんなだと思う人?」のところで手を挙げる。「国民みんなが憲法を守って、いい国にしなきゃね」みたいに思っているようなんです。
――たしかに、漠然とそんな風に思っていました。
楾 学校でも、きちんとは習っていないですからね。
日本国憲法は、権力をもつ人たちが暴走しないように、歯止めをかけるために国民が作った憲法なんです。天皇がつくった戦前の大日本帝国憲法とは、そこが決定的に違います。
権力よりも上にある法だから「最高法規」という。だから、守らなければいけないのは、権力をもっている人たちなんです。その基本を押さえるだけで、政治や世の中の見方が、ずいぶん変わると思いますよ。
もし、「ライオン」をしばる「檻」がなければ……。
――憲法と権力者との関係をわかりやすくするために、楾さんは「檻」と「ライオン」の例えを用いていますね。檻とライオンの関係について、改めて説明していただけますか?
楾 憲法の話の前提にあるのは、「だれもが、人間らしく生きていく権利を生まれながらに与えられている」という考え方です。
私たちは、一人ひとりが人間として尊重されなければならない。けれど、それぞれ違う個性をもった人々がお互いに尊重しながら生きていくためには、ルールやしくみが必要ですよね。そこで、国民がルール作りやルールに則ったしくみの運営を任せているのが政府や国、つまり「ライオン」です。
――ライオンの役割は、国民一人ひとりが尊重される社会をつくることなんですね。
楾 そうです。ただ、人類の歴史を振り返れば明らかなように、権力をもった者はそれを濫用したがる。単にライオンに任せておいたのでは、ライオンは好き勝手をしかねません。いつ私たちに襲いかかってくるかもわからない。そこで、ライオンをしばるために私たちがつくった「檻」が憲法なのです。
私たちは、檻の中のライオンが作るルールに従って生活する。その代わり、ライオンには檻の中にいてもらう。そういう関係です。
憲法を意識しないでいられるのは、憲法のおかげ
――憲法は、私たちの権利を守ってくれるものなんですね。ただ、そんなに大切なものなのに、ふだん私たちは、憲法を意識する機会があまりないように感じます。
楾 そうですよね。実は弁護士だって、仕事で憲法を持ち出すことはほとんどありません。私も10数年弁護士をやっていますが、仕事に関係するのは檻の中の法律(ライオンが作ったルール)に関わることだけですね。多くの弁護士がそうだと思いますよ。
――そうですか。法律のプロでも、常に憲法に触れているわけではないんですね。
楾 私はよく動物園のライオンに例えるんです。私たちは動物園に行った時、ライオンを見て「すごいなぁ」と思うことはあっても、「檻があってよかった」とは考えませんよね。けれど、動物園で檻のことを意識しないのは、檻がきちんと機能しているからなんです。しっかりした檻があってこそ、檻のことを考えないで安心して動物園を楽しめる。
同じように、これまで私たちが憲法のことをあまり意識せずに暮らすことができてきたのは、憲法のおかげだということです。
「檻が壊される!」――危機感から憲法を広める活動に
――そうした中、楾さんは今、弁護士としての仕事の傍ら、憲法に関する講演を年間150回以上も開かれています。なぜ、憲法を広める活動を始めようとされたのですか?
楾 最初のきっかけは、2013年に浮上した憲法96条の改正論でした。
――憲法改正の発議に必要な国会議員の「3分の2」という要件を、「過半数」に変えようというものですね。
楾 はい。もともと憲法には、改正のためのハードルが高く設定されています。ライオンの力で簡単に壊したり広げたりできないように、檻を硬く作っているんです。ところが、96条の改正は、ライオンが、自らをしばる檻を軟らかい檻と取り換えようとするものだった。私は、それまであまり政治的なことに関心はなかったのですが、これはおかしいなと思いました。
――法律家として、見過ごせなかったということですか?
楾 はい。檻の中でライオンがどういう風にふるまうかということは政治的な問題ですが、憲法という檻を超えるか超えないかは、法的な問題ですから。
一方で、「おやっ」と意外に思ったのは、一般の人たちの反応です。
――どういう点が意外だったのですか?
楾 ほとんど関心がないように見えたんです。96条改正論は2013年の参院選の争点の一つでもあったのですが、選挙結果を見ても、「別に柔らかくしてもいいよ」「そんなこと興味ねえなぁ」って思わせるものでした。
その後も、2013年の12月に「特定秘密保護法」(※)が成立しました。でも、なかなかライオンをとがめようとするうねりにならない。96条の改正も特定秘密保護法も、みなさん、何が問題かわかっていないんじゃないか。民主主義とか権力分立とか、これまで当然の前提だったはずの枠組みが、いま壊れようとしているのに……と強い危機感をもったのです。
※:1防衛、2外交、3特定有害活動、4テロリズムに関する情報を、国の安全保障のため、行政機関の長が「特定秘密」に指定して国民に知らせないようにできる、という法律。
「知る権利」を脅かしかねない「特定秘密保護法」
――「特定秘密保護法」は、テロなどから国民を守るために必要なもの、と政府は説明していましたね。どのあたりが、憲法に照らし合わせて問題なのでしょうか?
楾 私たちの気づかぬうちに、憲法21条で保障されている国民の「知る権利」(※)を侵しかねない可能性があるのです。
特定秘密保護法は、ライオンが檻にカーテンをつけて、檻の中を隠そうとするようなものです。もしライオンが、自分にとって都合の悪いことを隠してしまったら、私たちは、ライオンの行動の是非や選挙でどのライオンを選ぶのかを判断することが難しくなりますよね。
――でも、国の安全のためには、オープンにしないほうがいい情報もあるのでは。
楾 もちろん、国家の秘密を守ることは一定の範囲で必要なことです。ただ、弁護士会などは、そこは既存の法律で十分じゃないかと指摘しています。
何を特定秘密にするのかの基準が「その他」という言葉であいまいになっているのも問題です。実際、今、何が特定秘密として私たちに知らされていないのかもわからない状態です。本来、私たちがライオンをコントロールしなければいけないのに、私たちの目に触れる情報を制限することで、逆に、ライオンが私たちをコントロールしかねない。これでは民主主義は成り立ちません。
※:国民は、国や公共団体の権力に妨げられることなく情報収集や情報公開請求ができる。この「知る権利」は、憲法21条の「表現の自由」として保障されているとされる。
檻の外の「集団的自衛権」にライオンが手を出した!?
――2015年9月に成立した「安全保障関連法(以下、安保関連法)」も、「違憲では」という声が上がっていましたね。
楾 はい。日本弁護士連合会や全国の弁護士会などが「憲法違反で許すことができない」との決議や声明を出しています。
――なぜ、憲法違反と考えられているのですか?
楾 安保関連法が認めた「集団的自衛権」が問題なのです。
もともと憲法は、国が「戦力」や「交戦権」を持つことを認めていません。ただ、もし日本が攻められた場合、何の防衛もしなければ、憲法で保障されている「平和のうちに生存する権利」や「人間らしく生きていく権利」が損なわれてしまいます。そこで、日本が武力攻撃されたときに、やむにやまれず最低限の武力行使で自国を守る「個別的自衛権」だけは、「交戦権にはあたらず、そのための組織である自衛隊も戦力にあたらない」と解釈されてきました。
――日本が攻められたときに、最低限の武力で防衛することは「合憲」ということですね。
楾 はい。その一方で、外国が攻められたときにその国を守るために日本が戦争に加わること、つまり、集団的自衛権は、「自国を守るため」という要件から外れ、「交戦権」の行使にあたります。ところが、安保関連法では、「集団的自衛権も交戦権にはあたらない」と、憲法の解釈を変更してしまったのです(※)。
檻とライオンでいえば、個別的自衛権は檻の中、集団的自衛権は檻の外。これまでは政府も、「集団的自衛権は憲法上行使できない」と公言していましたし、それで国民と合意できていたはずです。
――それなのに、檻の外にある集団的自衛権に、ライオンが手を出したということですか?
楾 そうです。ライオンが檻の外にあるものに手を伸ばすためには、檻を広げる工事、つまり憲法改正が必要ですが、政府はその提案もせずに、数の力で押し通してしまいました。
しかも、安保関連法では、どんな場合に集団的自衛権が行使できて、どんな場合にはできないのかは、「政府が総合的に判断する」となっています。つまり、行動できる範囲をライオンが自分で決めることができるということ。このこと自体、すでにライオンが檻を壊して外に出てしまっていると言わざるを得ません。
※:これまで「自衛権」として合憲と解釈される要件は、(1)日本に対する武力攻撃が発生したこと、(2)国民を守る適当な手段が他にないこと、(3)必要最小限度の実力行使にとどめることの3つだったが、安保関連法では、(1)に「日本と密接な関係にある他国が武力攻撃を受け、日本の存立が脅かされること(存立危機事態)」が加えられ、集団的自衛権の行使が「限定的に」容認されることになった。
共通の土俵(=憲法)に乗って、議論を始めよう
――権力というライオンをしばって私たちの権利を守ってくれていた檻も、気をつけていないと、知らないうちに壊されてしまうかもしれない、ということですね。
楾 その通りです。いや、すでに壊されかけているのかもしれません。
――えっ、もう手遅れということですか?
楾 いや、そんなことはありません。私たちの行動次第で、状況は変えられます。
私たちにはそれぞれの立場で、憲法上果たすべき使命があると思うんです。たとえば、メディアは国民の知る権利に奉仕する、学校の先生は子どもの学習する権利を満たす、弁護士は、一人ひとりの基本的人権が損なわれないようにする、といったように。
12条にも「不断の努力をするように」とありますよね。憲法を「まもる(順守)」のは権力者ですが、憲法を「まもる(擁護)」役割を与えられているのは、私たち国民です。
――私たちにできる「不断の努力」とは何でしょう?
楾 まずは選挙に行って、自分の意思に沿ったライオンを選ぶことですね。選挙は、暴走しがちなライオンにブレーキをかける手段でもあるんですよ。
また、「他によい選択肢がないから」といった消去法ではない投票を行うためにも、日ごろから、国会で何が論議されているのかに注意を払い、ちゃんとライオンが国民のための政治をやっているかということをチェックする。おかしいことをやったときにはおかしいんじゃないのと声をあげることも大事です。
――政治的な話はなかなかしにくい、という声もよく聞きますが。
楾 なるほど。そんなときには、ぜひこの本(『檻の中のライオン』)を使ってください(笑)。これは政治の話ではなくて、国民みんなが知っておくべき法の枠組みの話です。最近では、学校の教材として使ってくださる先生も増えています。
憲法について話そうとすると、すぐに右だの左だの、改憲だの護憲だのという議論になりがちですが、相撲で言えば、憲法は土俵みたいなもの。右の力士と左の力士、どちらを応援するかは人それぞれの自由ですが、まずは共通の土俵に乗らないと相撲(議論)になりません。
私が言いたいのは、同じ土俵で考えるために、憲法について知っておきましょうということ。これは政治問題ではなく、憲法の問題なんです。