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哲学対話を行う参加者とNPO法人「こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ」理事の鳥羽瀬さん

分からないのがいい答え? これからの社会を乗り越える“考える力”が育つ「こども哲学」ってナンダ?

  • 暮らしと社会

目まぐるしく変化する予測不可能な現代。大人でも対応するのに必死なこれからの社会を、子どもたちはどう乗り越えていけばいいのか。その方法の一つとして注目したいのが、「こども哲学」。参加者が輪になって一つの問いをめぐって考え、感じたことを述べたり、聞いたりして思考力を深めていく哲学対話を子どもたちと行えるよう、コロンビア大学の哲学科の教授であるマシュー・リップマンが1970年代に確立した教育プログラムだ。最近では小・中学校の授業に取り入れられるなど、日本でも広がりを見せている。「こども哲学」は子どもたちにどのような影響を与えるのか? NPO法人「こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ」の理事・鳥羽瀬有里(とばせ・ゆり)さんと「哲学対話」を実践しながら、その魅力を探った。

“哲学”は悲しみを乗り越えるヒント

 「こども哲学」とは、子どもたちと哲学対話を行い、お互いを理解するための技術と姿勢を身に着ける取り組みのこと。一つの問いに対しての考え、感じたことを言い合い、聞き合うことで考えを深めていく。

 これを提案する「こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ」は、2014年に前代表の川辺洋平さんが設立したNPO法人。フランスの幼稚園の哲学の授業に密着した映画『ちいさな哲学者たち』に感銘を受け、設立したのだという。

 哲学対話で養われるのは、「批判的思考力」「創造的思考力」「ケア的思考力」といった3つの力。これら3つがバランスよく重なり合うことで、多元的な考え方が身に着くとされる。

哲学対話で養われる3つの力

  • 批判的思考力=当たり前のことを疑問に思う力。
  • 創造的思考力=自分自身の考えを導き出す力。
  • ケア的思考力=人に寄り添う力。

 「つらいことや悲しいことが起こったときに、哲学的な問いとの出合いがある」と語るのは、現在理事を務める鳥羽瀬有里さん。子どもは成長する過程でさまざまな壁にぶつかる。人間関係はその代表例で、恋愛などもその一つ。明確な解決方法を求めるのは難しい。失恋などしようものなら…。

 「“もう生きていけない”と思うくらいのつらい出来事だと思います。でもそこで考え、悩む過程のなかで抱く“何でそんなに大切だったんだろう”とか、“なぜ愛の形は変わってしまったんだろう”といった問いはものすごく哲学的です。自暴自棄になるよりも、哲学的な問いに出合い、考えることを助けにしてほしい。いじめなどもそうですが、“世界はそこだけじゃない、自分の居場所はほかにもある”と考えることで広がる世界もあると思うんです。哲学が少しでも悲しみを乗り越えるヒントになってくれたらと思っています」

哲学的な問いに出会うことで乗り越えられることがあると語る鳥羽瀬さん

考えることが救いになると語るNPO法人「こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ」理事の鳥羽瀬さん

どんどん分からなくなっていこう

 「哲学対話」を実践する前に、鳥羽瀬さんに哲学対話のやり方、参加する際の心構えを教えてもらうと、思いのほか手軽だった。

 「いすや床に座って輪になるだけで道具はほとんど必要ありません。用意するものは、話をする人が持つ“コミュニティボール”くらい。だれが今話しているかが明確になるので、周りの子どもたちがおしゃべりしてしまったり騒いでしまったりしても、ボールを持っている人の方に耳を傾ければいいので便利です。触っていると安心するというメリットもあります。幼児の場合はただ話すということが難しいので、題材になる絵本を読んだり、動画を見たりしたあとに話すなどの工夫をしています」

 テーマの選び方も重要で、いちばん大切なのは子どもたちが興味を持つテーマにすること。そしてそれは基本的に、答えのない、正解がないものを選ぶ。

 「例えば、宇宙がテーマだとしたら、“宇宙に終わりはあるか?”という“問い”にします。終わりがないとはいわれているけれど、本当に終わりがないかはだれも見たことがないですよね。“本当にそう?”と問えるテーマは面白いです」

 一つのテーマを決めたら、問いをいくつか作っておく。問いの選び方もそれぞれで、多数決で選ぶこともあれば、あみだくじで選ぶこともあるそうだ。

問いが書かれた4枚の紙

 「哲学対話に来てくれる子どもたちは多数決を嫌がるんです(笑)。少数決にしようとか、じゃんけんなどの運で決めることもあります。“どうしても話したい”という子がいたらプレゼンしてもらって選ぶことも。自分が考えた問いが選ばれなかったときに落ち込む子もいるので、みんなが納得できるような問いの選び方を子どもたちに決めてもらうようにしています」

哲学対話に使用したコミュニティボール

話したい人はまず、コミュニティボールを受け取る

 参加するときの心構えは、「分からなくなっていくこと」と「言葉が出てこないときには待つこと」、そして「お互いに問い合うこと」の3点。

 「新しい問いに出合うということが重要なので、分からないことは哲学ではいいことなんです。自分がそうだと思っていたことがそうじゃなかったことでガラガラと崩れていくような感覚を味わってほしいので、“どんどん分からなくなっていこう”と声をかけています。

 哲学対話のほかの対話とは違う特徴が、話さなくてもいいということ。考えることや人の話を聞くことが大事なので、話すことはその次です。考えていれば無理に話さなくても大丈夫。最後に、お互いに質問し合うこと。意見をただ言うだけだと対話が進まないので、どんどん質問してくださいとお願いしています」

「もやもや」こそが哲学対話のねらい

 いよいよ「哲学対話」を実践する。事前に決めておいた今回のテーマは、「友達」。参加者は、編集三好、ライター石本、Aちゃん(9歳)の3人。ファシリテーターの鳥羽瀬さんからの指名でAちゃんが選んだ「問い」は、「友達と親友の違い」について。まずは鳥羽瀬さんがボールを持ってAちゃんに問いかける。

鳥羽瀬 まずは友達と親友の違いを選んだのはどうして?

Aちゃん 友達と親友の違いを知らないと何も始まらないと思ったから、まずは友達と親友の違いについて知りたかった。

選ばれたの問い「ともだちと親友の違いは?」を手にする鳥羽瀬さん

この日、哲学対話をするのは「ともだちと親友の違いは?」に決まった

鳥羽瀬 友達と親友の違いについて、こうだと思う意見がある人はいますか?

ライター石本 友達は、例えばクラスメートのような、その場所で出会った人たちの多くがまずは友達。親友は、友達からさらに一歩踏み込んだ何かがある人で、明確な線引きがあるように感じます。何でも言い合える、もしくは何も言わなくても分かり合えるような関係で、少し家族に近い感じなのかなと。

鳥羽瀬 友達と親友の差はどこにあるのでしょう?

ライター石本 差別化するなら、友達よりも深い関係が親友。女性特有かもしれませんが、「所有欲」というか、お互いに「私たち親友だよね」「そうだよね」みたいに承認し合うことで親友になれるのかなと。

編集三好 僕は「親友だよね」と聞いたことはありませんが、友達よりも一歩進んだ存在というところでは同意見です。あまり言葉を交わさなくても信頼できる、そこが友達と親友の違い。友達はその場その場で仲良く気が合う人で、親友は時間、距離が離れていても変わらない。ただ、「親友だよね」と聞いたことはないので、相手が僕のことを親友だと思っていない可能性もあるかもしれません(笑)。

鳥羽瀬 友達よりもさらに深い関係が親友ということですか?

Aちゃん 友達は近くにいるから仲良しだけど、親友は遠くにいても近くにいても仲良し。

鳥羽瀬 距離は関係なくて離れていても仲良くいられる?

Aちゃん いられる。同じものが好きとか嫌いとかも関係ない。友達だとそれぞれ好きなものを買うけど、親友とは特別なときにはおそろいのものを持ちたい。自分が好きなものじゃなくても、好きになるかもしれないから。

鳥羽瀬 親友になった子が、絶対に自分が好きにならないようなものを好きだったとしてもおそろいにする?

Aちゃん 絶対に好きにならないと思うんだったら、たぶんそのときには友達に戻っていると思う。

コミュニティボールを持って自分の意見を言うAちゃん

Aちゃんの言葉にどきりとさせられる瞬間も

鳥羽瀬 友達から親友になって、親友から友達になることもあるんだね。同じものを共有し合えたり、近いものが好きだったりすることが親友になる条件なのかな?

Aちゃん 尊重し合えて、好きなものがもっと好きになっていくというか。広がっていく人が親友。

編集三好 僕の親友は高校時代の友達ですが、今では生活スタイルも趣味も違うし何年も会っていないけれど、変わらず親友だと思っています。社会人になってからの友達は、生活スタイルの違いで会わなくなってしまいました。当時は親友だと思っていたけれど、その人は僕の中で友達に戻ったのかもしれない。

ライター石本 会わなくなって連絡先も分からなくなってしまった人はもう親友じゃないのかなと。連絡手段が変わってもつながっている人たちは、変わらず親友ということになるのかな…。1年に1回くらいは連絡して、すぐに昔のように気を遣わずに話せる人が親友だと思います。

鳥羽瀬 親友とおしゃべりしなくなったり、やり取りしなくなったりしても親友でいられる?

Aちゃん いつ親友になったかによって違うと思う。最近親友になった子とおしゃべりしなくなったら親友じゃなくなるかもしれない。でも、すごく前から親友で、遠くに行っちゃって会話がなくなっても、前から親友だし、近くにいたときに好きだったから、やり取りしなくても親友なのは変わらない。けど、ずっと連絡がなかったら親友じゃなくなる可能性はあるかもしれない。連絡が途切れて会わなくなったら、気持ちも分からなくなる。

今回の問い、ともだちと親友の違いは?と書かれた紙

 答えという答えのないまま本日の対話は終了。時間になったらどんな状態でも終わらせるのが、哲学対話のルールだからだ。自分の“当たり前”とは違う意見に耳を傾け、「なるほど」と思いはしたものの、何となくもやもやは残ったまま。ところが、その「もやもやこそが哲学対話のねらい」と鳥羽瀬さんは言う。

 「答えはないので、“何だろう”と思ったまま終わる。もやもやを抱えた状態で終わることによって、そのあとに自分で考えるきっかけを持って帰ってもらうことを意識しています」

 終わってすぐ3人で感想を述べ合うと、「親友から友達に戻ることはあるというAちゃんの言葉にはっとさせられました。あと今まで“それは男女の違いじゃない?”で終わらせていたことも、“そうじゃないな”と考えられたことが今回の成果かな」と編集三好。Aちゃんはしばらく考えて、「分からない…」と一言。

丸テーブルを囲んで哲学対話の感想を言い合う参加者たち

哲学対話では結論は出さない。時間を決めて切り上げることも大切

 哲学対話を体験した子どもたちはどんな感想を持つのだろうか。再び鳥羽瀬さんに尋ねる。

 「小学生くらいのお子さんの感想は、大体“楽しかった”に集約されます。“楽しかった”にはいろいろな種類があって、“難しいテーマを考えたのが楽しかった”みたいなこともあれば、“自分の意見を人に聞いてもらえてうれしかった”“言っちゃいけないかなと思っていたことに対してみんなが意見をくれて楽しかった”とか本当にいろいろです」(鳥羽瀬さん)

 日常の暮らしの中で、話を真正面から聞いてくれて、全力で受け止めてもらえる機会はそんなに多くはない。哲学対話の授業の中で「自分の考えを初めて言えました」という声も多いという。一方、保護者からのフィードバックで多いのは、「人の話を聞けるようになった」という声だ。

 「ふだんの子どもたちは自分の話を聞いてほしい欲求のほうが強いので、人の話を聞きながらも次に自分が何を話すか考えている。哲学対話は話を聞かないことには進んでいかないので、一所懸命聞くようになるんです。聞くことによって“人の話って面白いんだ”と気づき、話を聞けるようになっていくんです」(鳥羽瀬さん)

「分からない」は心の栄養になる

 実際に体験してみて、子どもと一緒に考えることの楽しさは理解できた。では、「哲学」を実生活に生かして役立てるためにはどんなことを心掛ければいいのだろうか?

 「何げなくわき上がってきた問いを話せる人を見つけておくことが大事です。わき上がってきた問いについて、“何でだろう?”と言い合える人が近くにいると、日常的に当たり前とされていることや普通だと思っていることが、必ずしもみんなそうではないことに気づけるので、ある意味安心感につながるのかなと」

少し考えながら話す鳥羽瀬さん

 話せる人を見つけるために哲学のイベントに参加してみるのももちろんいいが、「まずは親子で哲学対話をやってみてください」と鳥羽瀬さん。

 「何でだろう?どうしてだろう?という問いに子どもが直面したときに、いちばん近くにいるのは親です。問いが生まれたときにすぐ話せることがベストなので、お子さんの疑問をすくい上げて一緒に“何でだろうね?”って悩んでみてください」

 「イヤイヤ期」の後に来る「なぜなぜ期」が楽しくなるというメリットもあるという。

 「私はこども哲学に出合って、息子の何で?どうして?を楽しめるようになりました。“何でお月さまは走り続けてもあそこにいるの?”という質問に対して、以前は“科学的なことだからいつか勉強しなさい”と答えてしまっていたのですが(笑)、最近は、“何でだろうね”と答えて、一緒に考えています。子どもと話していると、当たり前は私の当たり前であって、あなたの当たり前じゃないということに気づくチャンスをたくさんもらえるんです」

 「問い」をしっかりと受け止めてあげることで信頼関係が生まれ、成長していく中で家庭が正直な気持ちを話す場になっていく。

 「哲学対話のファシリテーターの役割としていちばん大切なのは、セーフティ構築。知的安全性を確保してあげることです。この場が安全な場で、問いにつながっていればどんな話でも尊重してもらえる場だということを、参加してくださっているかたに知ってもらい体感してもらうことによって対話が楽しくなっていくと思うので。だから信頼関係がすでに構築されている保護者によって知的安全性が確保できることはとてもいいと思います」

子どもへの接し方に変化があったと、鳥羽瀬さんはほほえみながら自身の経験を語る

哲学対話に出合うことで子どもへの接し方も変わるという

 また、対話するうえで知的安全性の確保のほかに気をつけたほうがいいこととして、「理由を伝えること」と鳥羽瀬さん。

 「何においても理由なしにお願いしたり指示したりしないように心掛けています。“危ないから持ち歩いてはいけない”と理由を伝えると、すべては理解できなくても背景があって指示されているんだということに気づいてもらえるので、可能な限りは相手に伝えるようにしています。理由があればそこから対話も生まれます」

 勉強などではできることが評価されるが、「哲学」では分からないことが評価される。大人も子どもも平等であるという「哲学」の考え方は、心のケアにも有効ではないだろうか。

 「学校で正解を押しつけられたり、クラスで理不尽な扱いをされて窮屈に思っているとしたら、分からないをよしとする“哲学対話”で得られる体験は有効だと思います。分からなくなっていることを隠したままにせず、“分からなくてもいい”ということを子どもには知ってもらいたいです」

 「分からないと言い合うことは心の栄養になる」と鳥羽瀬さん。目的や正解がなくてもいいと言ってくれる哲学は、思っていたよりも肩の力を抜いて楽しめそうだ。分からないという感覚が心地いいのは、子どもだけじゃない。成果、結果をハイスピードで求められる大人こそ、耳を傾けるべき考え方かもしれない。ぜひ親子で一緒に「分からない」を楽しんでみてはどうだろう。

取材協力=NPO法人「こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ」 取材・文=石本真樹 写真=坂本博和(写真工房坂本) 構成=編集部