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写真=田渕睦深

梅とみかんの野山から、「共生」の物語が始まる! 小田原の農家が、地域と人をつなぐ

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梅は日本人の食卓には欠かせない食材の一つ。そんな梅の産地といえば、和歌山などが思い浮かぶが、都心から1時間ほどの距離にある神奈川県小田原市も、古くから梅の栽培が盛んな地だ。生協パルシステムに梅を出荷する産直産地の一つ、ジョイファーム小田原でも、5~6月にかけて、収穫作業で休みのない日が続く。そこには、梅の栽培だけにとどまらず、消費者とのつながりを深め、地域を盛り上げようと奮闘する農家の姿があった。

「みかん危機」から始まった、本格的な梅の栽培

 小田原市・曽我地区。富士山を背景に見事な梅林が広がり、開花シーズンの2月には大勢の観光客で賑わう。梅の歴史は古く、江戸時代から栽培が奨励されていたという。

 「小田原は東海道の宿場町。この先は箱根の山を越えなけりゃならない。梅干しはお弁当に入れれば防腐効果がある。だから旅人の必需品として、重宝したんでしょう」

 そう話すのは、有限会社ジョイファーム小田原・代表の長谷川功さん(69歳)。梅のほか、みかんなどのかんきつ類、キウイフルーツ、ブルーベリーなども生産する専業農家だ。

 軽トラックで急な坂道をグンと上がっていくと、山々に長谷川さんの畑が点在する。地域で維持できなくなった畑も引き受けるなどして広げてきた畑は、なんと70カ所。これは、周辺の一般的な農家5軒分もの広さ。家族や従業員とともに、忙しく畑を回りながら管理する日々だ。

写真=田渕睦深

 そんなパワフルな存在で知られる長谷川さん。今のように様々な種類の果物を栽培するようになったのは、ある出来事が発端だ。もともと父から継いだのは、みかん農家。その大事な収入源であるみかんの価格が、今から45年前に大暴落したのだ。

 「1960年代までは、みかん農家に生まれりゃ、誰でも会社の重役ぐらいの収入があったんですよ。それぐらい、稼ぎがいい果物だった。ところが全国で過剰なまでに生産されるようになって、大きな問題に。1972年には、みかんの豊作と前年のグレープフルーツの輸入自由化が重なり、価格が暴落したんです」

 「みかん危機」という言葉が生まれるほどの逆境のなか、長谷川さんは「みかんだけでは食っていけない」と、畑を梅やキウイフルーツ、ブルーベリーなどに植え替えていった。新たな販路も開拓しようと模索するなか、ある生協との出合いが生まれたのもこのころのことだ。

写真=田渕睦深

生協との産直――「これしかない!」

 価格が安定しない一般市場に翻弄されることなく、生産の立場も理解してくれる消費者と直接つながることはできないものか……。みかんでの苦い経験から、長谷川さんにはそんな思いが芽生えていた。そんな時のことだった。

 「『現代農業』という雑誌を読んでいたら、先進的な生協として江戸川生協(パルシステム東京の前身生協の一つ)というのがあると紹介されていたんです。『これだ!』って思って。それで、地域の仲間と一緒に直接売り込みに行ったんですよ」

長谷川功さん(写真=田渕睦深)

 江戸川生協は、後のパルシステムの原型を形作る、東京の小さな生協の一つ。この時代、安全・安心を求める各地の生協と、こうした産地との結びつきが、少しずつ生まれていく。それが、今に続く「産直」につながっていった。

 「その時は、まさか今のように大きな生協になるとは思っていなかったけどね」(長谷川さん)

 江戸川生協が環境に優しい農産物を求めていることを知った長谷川さんは、産直取引を機に、有機農業への移行も始める。まだ環境保全型農業という言葉すらない時代から、化学合成農薬や化学肥料の使用を減らしていったのだ。当初は見た目の悪さからクレームもあったが、消費者との関係を密にしながら、理解を深め合っていった。

収入が安定すれば、地域の農家も若手もついてくる

 季節ごとに果物を出荷するだけでなく、梅干しやジャムの加工をはじめ、最近では青いうちにもいだみかんで「緑みかんシロップ」を作るなど、数々の加工品も手がけるようになった。

 「おかげで、1年中忙しくなっちゃって。昔はみかんをもぐだけの仕事で、あとは問屋さんが買い付けに来てくれて終わりだった。こんなはずじゃなかったんだけどね」。長谷川さんの妻の由美子さんが笑う。

長谷川由美子さん(写真=田渕睦深)

 だが、こうした幅広い取り組みによって、みかんだけでは難しくなった農家の収入の安定につながった。初めは3人のメンバーで始めた産直だったが、「収入が安定する」と誘った仲間はどんどん増え、今では148戸の農家が加入する、県内でも有数の産地ヘと成長した。

 農業の担い手が不足するなか、若手も積極的に受け入れる。根尾岳彦さん(31歳)は、大学で農学を専攻後、就職先として長谷川さんの農園を選んだ。

 「小さいころから自然が好きで、農業に関わる仕事がしたかった。募集を見て長谷川さんに電話したら、『キウイの受粉作業があるから、明後日から来い』ってなって(笑)。とにかくがむしゃらに働いて、気が付いたらもう8年に。1年中、何かしら作業が詰まっていて、充実していますね」(根尾さん)

根尾岳彦さん(写真=田渕睦深)

「農薬に頼らなければ、地域の自然も守れる」

 今でこそ、エネルギッシュに地域の農業をリードする長谷川さんだが、子どものころは農家になることさえ嫌だったと話す。

 「みかん全盛期のころは、東北の方から住み込みで収穫作業に手伝いが来るような時代。私は3時のおやつに出すさつまいもを蒸す係だったんです。土曜日の放課後になると、友達は学校の校庭で遊んでいるのに、俺は家に帰って仕事しないと怒られちゃう。こんな毎日じゃ農家はやれないなと思っていた」

 しかしその後、農業を継ぐなかで、その仕事を客観的に見るようになった。自然相手の仕事は厳しくても、自分で自分の生活をコントロールできる農業の面白さに気が付いた長谷川さんは、生産だけでなく、加工品作り、消費者や地域との交流など、何でも取り組んでいったのだった。

 化学合成農薬の削減も、単に「求められるものを作る」、という考えだけではなくなった。

 「農薬に頼らなければ、地域の自然も守れる。地域のことを先頭に立って考えるっていう、プライドが生まれたよね。畑の草を一網打尽にする除草剤をまかないから、土壌が豊かになって、生き物もたくさん増えた。農家の仕事は奥行きが深い。学ぶことが多いってことに気付いたんですよ」

 確かに、堆肥がすき込まれた長谷川さんの畑の土は、ふかふかのベッドのようにやわらかい。こうした環境に配慮した取り組みが評価され、2000年には「環境保全型農業推進コンクール」で奨励賞を受賞した。

写真=田渕睦深

「子どもたちには、野山を駆けずり回って、たくさん学んで欲しい」

 そんな長谷川さんが、今一番に力を込めるのが、消費者との交流だ。2004年、ジョイファーム小田原や地元生協のパルシステム神奈川ゆめコープなどが参加し、交流事業のための「NPO法人小田原食とみどり」を設立。オニオン祭、田んぼの学校、はたけの学校、ハーブの学校、果樹の学校など、様々な体験メニューを用意する。

 長谷川さんは、産地にやって来た子どもたちが、夢中で梅の実を拾ったり、野山を駆けずり回ったりする姿を見て、うれしそうに目を細める。

 「私も小さい時に、野山で遊んだ思い出がすごくあるんです。みかんなんか貴重品で、腐りかけのしか食わせてくれなかったから、山に桑やザクロの実を取りに行ったり、マキの実を食べたり、イタドリの皮を剥いて塩をつけて食べたりした。一緒に遊ぶ子どもらの中にはガキ大将がいて、その中で人間関係を学んだもんです。野山から学んで、人間関係を学ぶ。交流での体験は、そのきっかけになればと思うんです」

 人と人とのつながりは、地域の暮らしの原点。そのつながりが薄れれば、地域も荒廃する。農業を基本にしながら、人付き合いが深まってこそ、その先に「共生」の社会が生まれる――。長谷川さんは今、そんな地域の未来像を描く。

 「もう、モノが売れれば済むという時代ではありません。畑を耕しながら、植える、育む、実を結ぶ。その次は、“喜び”です。産直を通して、生協も、産地も、地域もよくなっていく。そういう『共生』の物語を作っていきたいですね」(長谷川さん)

写真=田渕睦深

愛情を持って育てたものだから、漬ける時も愛情を持って

 長谷川さんの呼びかけで集まった生産者グループ内でも、消費者との交流の中で感化され、除草剤を使うことを止めた人も多いという。ただ、その代わりの草刈りの労は、量り知れない。

 「この暑いのに、夏は3回も草を刈らなきゃならん。でもね、それだけ愛情を持って作ったものだってことです。農家には、梅も生き物なんだから、『丁寧に扱いなさい』と。『簡単に放り投げたりしたら厳罰だぞ』って言ってるんです。だから、皆さんも、この梅を漬けるときは愛情を持って漬けて欲しいですね。失敗は成功の元。どうしてもわからないことがあったら、ジョイファームに電話してくれたら、お答えしますから(笑)」

写真=田渕睦深

 由美子さんも、「自分で漬ければ、食べる時の気持ちが違うと思いますよ」と言う。最近は、はちみつ漬けなど甘い梅干しも好まれるが、ジョイファーム小田原で薦めているのは、塩分濃度が高めのオーソドックスな梅干しだ。

 「どうしても塩辛いのが嫌だったら、ごはんを炊くときに、梅干し1個とだし昆布を少し、一緒に入れて炊くといいですよ。炊き上がったら、梅の種は取って、果肉が混ざるようにかき混ぜちゃって。そうすると、そんなに酸っぱくなく食べられるし、梅酢がごはんに回って、日持ちもします」

写真=編集部

 この「梅干しごはん」、交流会での定番で、参加者にも評判だとか。ちりめんじゃこも入れれば、「おかずもいらないぐらい」ごはんが進むそうだ。読者のみなさんも、思わず唾が溜まってきたのでは?

 梅干しを漬ける時、食べる時、そこに詰まった作り手の物語を噛み締めながら頂くのも、味わいひとしお。今年はぜひ、そんな思いも巡らせながら、梅を漬けてみてはいかがだろう。

撮影/田渕睦深 取材・文/編集部