8月が近づくと心がざわざわする
――東さんは広島のご出身ですが、子どものころから平和について学ぶ機会は多かったのでしょうか?
東 広島では当たり前のように平和教育を受けて育ちました。平和教育=過去の戦争を学ぶこと。学校だけではなく、物心ついたときから家でも祖父母や親と戦争の話を普通にしていたんですよ。「今でもゴオオッという飛行機の音が聞こえるとビクッとする」と祖母が言っていたのを覚えています。
小学校では、原爆を経験した語り部さんが授業に来てくれました。遠足で広島平和記念資料館に行ったときは、怖くて怖くて……。夢に出てきそうで夜も眠れなかった。当時は「なんで、こんなことを学ばなくちゃいけないんだろう」と思っていました。
でも、大人になってみると、そういう思いをしておいてよかったなって。だって、戦争って怖いもの。だれだって怖い思いはイヤですよね。過去の戦争を学ぶことで平和を考えるようになりました。
――平和教育の影響はあったと感じますか?
東 もちろん! 今も広島の友達とは「最近の広島の平和教育はどうなん?」とか「また、ハチロク(8月6日)が近づいてきたね」と話しています。毎年、8月が近づいてくると心がざわざわするんです。
広島では、8月6日の原爆が投下された時間にサイレンが鳴るんです。夏休みでもその日は登校日。私はずっと全国の生徒が登校しているんだと思っていました。ただ、あとから考えてみると(長崎に原爆が落とされた)8月9日は(広島でも)登校日ではなかったんですけどね。
だから、高校を卒業して大阪に行ったときに、「あれっ?」って。8月6日が普通の日と全然変わらないし、周りの人も戦争に関する話をしていない。広島のような平和教育をみんなが受けているわけじゃないんだと気づいて、すごく衝撃を受けました。
ノーベル平和賞に感じたメッセージ
――東さんは、船で世界各地を巡って原爆被爆者の声を伝える、国際交流NGOピースボートの「おりづるプロジェクト」にも参加しています。また、2017年に「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」のノーベル平和賞受賞が決まったときもコメントを出されていました。
東 小さいころから原爆被爆者のかたが身近にいたんです。おりづるプロジェクトにかかわる以前からも、広島のTV番組などで被爆者のかたのお話をずっと伺ってきました。
ICANがノーベル平和賞を受賞したときは、ピースボート主宰のイベントでみんなと受賞の行方を見守っていました。でも、まさか受賞するとは、だれも思っていなかったんですよ(笑)。「今、ICANって言った? えええ!?」って、すごいびっくりして。
あれは本当に感動しました。キャンペーン活動がノーベル平和賞をとるなんて、すごいことですよ。「もっと平和について考えましょう」というノーベル委員会からのメッセ―ジのようにも感じました。会場にいた被爆者の皆さんも、涙を流して喜んでいました。
過去ではなく、今戦争は起きている
――20年ほど前にドイツ国際平和村を訪れたことも、「平和」について考える大きなきっかけになったそうですね。
東 TV番組の取材で、1999年にドイツ国際平和村(以下、平和村)を初めて訪れました。ドイツの市民が始めた平和村では、紛争などで自国では十分な治療が受けられない子どもたちを招いて、治療やリハビリの機会を提供しているんです。
それまで私は戦争を「過去のもの」か「よその国」で起きていることだと考えていました。それが、平和村に行って子どもたちと出会ってから、戦争は今同じ地球で起こっていることだという感覚になったんです。人生が変わるような経験でした。それ以来、何度も平和村に通っています。
――平和村での経験で、印象的だったことを教えてください。
東 例えば平和村にはボランティアさんが多数いるんですね。私は日本で「なぜボランティアをするのですか?」という質問を本当によく受けるのですが、同じ質問を平和村ですると、「へ!?」って感じで答えがない。理由なんてないくらい、ボランティアをするのは当たり前のことなんです。
ドイツの高校生たちにも会ったのですが、私が広島から来たと言ったらどよめいて、第二次世界大戦のことを話し始めました。「日本とは同盟国だったけれども、ドイツをどう思いますか? 自分たちの国にはナチスの負の歴史があって……」と、もう私は話についていくのに精一杯。
「やっぱり教育だ!」
――それだけ学校で歴史をしっかりと学んでいるということですね。
東 第二次世界大戦だけの教科書があって、1年半くらいかけて勉強するんだそうです。日本だと、ポツダム宣言が何年だとか、受験のために暗記したら終わりですよね。第二次世界大戦の意味について話し合ったり、深く考えたりするような機会はあまり多くありません。
「なぜあなたたちは第二次世界大戦のことを勉強するんだと思う?」と聞いたら、「今の時代を生きる私たちに何ができるかを考えるため」と答えていました。17歳で自分の言葉をちゃんと持っている。「やっぱり教育だ!」と思って日本に戻りました。
――日本でも若い人たちと戦争や平和について話す機会はありますか?
東 ありますよ。日本でも、きっかけさえあれば「もっと知りたい」と素直に関心を持つ若い人は多いです。私が出ていた平和村の番組を5歳のときに見たという人が、「いつか行きたい」と語学を勉強して、今ボランティアで平和村にいるんですよ。すごいでしょう? 知る機会さえあれば変わる。だから、まずは知ることです。
戦争がない=「平和」とはいえない
――今年は元号が変わり、平成は「戦争がない平和な時代」だったとも言われました。
東 うーん、平和な時代ね……。確かに日本での直接の戦争はありませんでしたが、他国の戦争にまったく無関係だったといえるのでしょうか。それに、広い意味で考えると、やっぱり平和ではないですよね。被災地の復興もまだですし、若い人や子どもの貧困問題もあります。
私が考える「平和」とは、その人がその人らしく、自分を大切にして生きられる状態のこと。どんな人も基本的人権がちゃんと守られていてこそ、初めて平和だといえると思います。
――たしかに戦争がないからといって平和だとはいえませんね。日本では人権意識についても、あまり学ぶ機会がないように思います。
東 広島の場合は、人権教育にも熱心なんですよ。ただ、これも育った地域によってかなり違いがあることを大人になってから知りました。
あるドラマの撮影で京都の学校に行ったときに、「差別をなくそう」と書いてあるポスターが貼ってあったんです。私も小学校のときに授業で書きました。でも、それを見た東京出身のスタッフが「へえ、変わっている学校だね。日本には差別はないのに」って言ったんです。私、それを聞いて本当にひっくり返るような思いでした。
「戦争が起きる10年前みたいだ」
――学校だけでなく、親や周りの大人が子どもたちに平和や人権について教えることも大事かもしれません。
東 教えるというよりも「一緒に考える」のがいいと思います。私が、子どものうちに学ぶことができたらいいと考えているのは、「哲学」「政治学」「経済学」「性教育」の4つ。こういう教育をちゃんと受けられたら、生きるのがすごく楽になるし、平和教育にもつながると思います。
3年前、広島の原爆被爆者のかたが、「(今の社会は)ちょうど戦争が起こる10年前みたいだ」とおっしゃっていました。「あれ?」という感じで社会が少しずつ変わっていくんだけど、日々の忙しさに追われて傍観しているうちに戦争になっていたそうです。世界各地の紛争国から来ている平和村の子どもたちの親御さんも、「気づいたら戦争になっていた」と同じことを話していました。
「歴史は繰り返す」という言葉があります。若いころは「そんなわけがない。ちゃんと私たちは学ぶから大丈夫」と思っていたけど、最近、歴史は繰り返すのかもしれないなって不安になるんです。戦後、たった74年しか経っていないのにこんなに不安になるのは、私たちが過去の戦争から学んでいないということだと思います。
ボランティア活動も根っこは同じ
――東さんは平和活動に取り組むと同時に、骨髄バンクやあしなが育英会、マイノリティの権利を擁護する活動など、幅広いボランティア活動もされています。平和活動とそうしたボランティア活動には、共通する思いがあるのでしょうか?
東 いろいろな活動をしていますが、全部つながっているんですよ。いちばん最初は、ある白血病の男の子との出会いから、骨髄バンクの支援を始めました。そこで、白血病で親を亡くした子どもたちが進学をあきらめていることを知ったんです。
私は本当に無知だったから、「この豊かな日本に経済的理由で進学できない子どもがたくさんいるんだ」とびっくりしました。それで、あしなが育英会の支援を始め、さらに貧困の子どもたちの存在を知り、障がいのある人やホームレス状態の人と出会って……そうやって活動が広がっていきました。
2012年には、アートや音楽などを通じて「まぜこぜの社会」を目指す「一般社団法人Get in touch」も設立しました。そこにはホームレス状態の人、ブラックカードを持つ人、いろんなメンバーが一緒に参加しています。でもね、いろいろあっても全部一緒。みんな幸せになりたいし、ただただ自分らしく生きたいだけ。それを平たくいうと「人権」なんだと思います。
対立ではなく、対話
――ご著書の中で「世界の平和は各国の平和で、それは各個人の平和の集合体だ」と書かれていたのが印象的でした。
東 一人一人の平和を保つために必要なのは「寛容」です。決して対立しないこと。例えば平和村には「やられてもやり返さない」というルールがあります。AさんがBさんに叩かれて泣いたとしても、大人がBさんを叩いて「痛いでしょ? だから、やってはいけないよ」という教え方をすることは絶対にありません。それは体罰です。
時間がかかっても、Bさんときちんと対話する。「なぜ叩いたんだろう? 叩くってどう思う? Aさんはなんで泣いたんだと思う?」と怒らずに話をします。そして最後に必ずBさんを抱きしめる。その子自身が満たされていないから、相手に暴力を振るうのです。
もしもBさんが大人から叩かれたら、恥ずかしいし、悔しいでしょう。今度はAさんに陰で報復するかもしれません。そういう報復の連鎖が戦争を生むんです。だから、戦争を防ぐためには、対立をしないこと。個人個人がハッピーでいることが大事なんです。
――平和と、一人一人が自分らしく生きられる状態というのはセットなんですね。
東 そうです。戦争を突き詰めていけば、殺し合いでしょ。そうじゃなくて、お互いに尊重し合って、大事にできる社会のほうがいい。戦争や平和を考えていけば、おのずと人権の話にもつながります。
でも、戦争が起こる背景には、対立をあおる存在もあるわけですよね。戦争経済がストップすると困る人たちがいます。経済と戦争は深く結びついている。そういう仕組みを習う機会はないけれど、知っておかないといけない。
戦争が起きると経済が活性化するという側面があります。だけど、だれかが血を流している経済をどう思いますか? 本当の豊かさって何でしょうか? そういう論議をふだん私たちはしませんよね。
平和は「願う」より「つくる」もの
――戦争について考えていくと、いろいろなものが見えてくるようです。
東 「平和」というのは、漠然としていて可視化しにくいものです。だから、平和を考えるのはなかなか難しい。でも、風邪を引いたとき、ケガをしたときに健康のありがたさに気づくのと同じで、戦争を知ることで平和が見えてきます。
「戦争ってなんだろう?」「武器はどこが作って、どうやって売買されているんだろう?」「どうして戦争になるんだろう?」と戦争を切り口にして、たくさん語ることができる。目先のことだけでなく、今の子どもの、またその子どもたちのことまで考えたら、自分の国だけでなく地球規模で考えるようにもなるし、選挙の投票率だって上がると思います。
「平和」という言葉のあとには、よく「願う」とか「祈る」という動詞が続きますよね。でも、願ったり祈ったりするだけではしかたない。平和というのは、戦後に私たちの大先輩たちが「頭で考えて、手でつくって」きたもの。それを受け継いで、今、私たちが絶対に平和をつくらなくちゃいけないと思うんです。