重要な指針とされる「IPCC報告書」とは何ですか?
最近、「気候危機」という言葉をよく聞きます。どういう意味で危機なのか、危機ならばどうしたらいいのかをお話しする前に、私が原稿の執筆に参加したIPCCの第6次評価報告書の第1作業部会報告書がどういうものかということから話したいと思います。
IPCCは「気候変動に関する政府間パネル」と言って、世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)によって1988年に設立された組織です。
各国政府の気候変動に関する政策に科学的な根拠を与えることを目的に、政府関係者と科学者たちが共同作業で、気候変動に関する最新の研究成果や科学的知見を評価した報告書を作成しています。
IPCC報告書は、総会で承認された骨子案に沿って、世界中から選抜された執筆者が執筆し、各国の政府代表が承認したものが公表されますので、信頼のおける最新の科学的な評価として、COP(世界気候変動枠組条約締約国会議)をはじめとする交渉や政策の基本として利用されています。
地球温暖化は人間活動の影響が大きいのでしょうか?
IPCCには3つの作業部会のほか、タスクフォースと呼ばれるチームがひとつあり、それぞれ異なる任務に従事します。私が参加した「第1作業部会」では気候システムと気候変動の自然科学的な根拠について評価をします。
2021年8月に公表した「第6次評価報告書の第1作業部会」では、地球温暖化が人間活動によるものであることは「疑う余地がない」と初めて断定し、極端な大雨や熱波、干ばつなどの異常気象の増加にも人間の影響が現れていると指摘しました。
第1作業部会報告書の評価には、気候モデルを使ったシミュレーションが用いられます。「世界平均気温の変化」のグラフでもわかるように、世界の観測データはここ数十年で特に上昇しています。
そこで、コンピュータの中に擬似的な地球(気候モデル)をつくり、気候を時間発展で再現するシミュレーションを行い、先ほどの気温上昇データと比較して評価します。
過去百数十年の「人間活動による気候変動要因」(温室効果ガスの増加、大気汚染物質の排出など)と「自然要因」(太陽活動の変動、火山噴火など)のデータを入れて計算するとオレンジ色部分のようになり、観測された気温上昇と傾向が合うと確認され、「説明ができた」と結論づけられます。
さらに、人間活動がない「自然要因」データのみで計算すると緑色部分になるので、気温上昇が再現できず「説明できない」となります。
以上を主な根拠として、地球温暖化は人間活動の影響によるものと断定したわけです。
気候変動が「社会構造的な人権問題」とされる理由は?
「地球温暖化」と言ってまず思い浮かぶのは、「異常気象は増えているのか?」ということでしょう。
「日降水量100ミリ以上の日数」のグラフからは、不規則な年々の変動を繰り返しながら長期的には大雨の出現頻度が増えていることがわかります。30年に一度よりも稀にしか起きないような極端な自然現象を「異常気象」と呼んでいますが、地球温暖化がないころに比べて気温のベースが上がっているので、記録的な暑さが増える傾向が見られるようになりました。気温が上がると水蒸気は増えるので、記録的な大雨も起こりやすくなり、極端な低温が減るということも起きます。
このような異常気象の増加を含め、気候変動の主なリスクとして、海面上昇、大雨や洪水、強い台風の増加、健康被害、食糧や水への影響、生態系への影響がすでに始まっています。
リスクがある以上、人間社会は、変動する気候に合わせていかなければなりません。とは言っても、リスク回避や軽減への適応策は対症療法に過ぎませんから、地球温暖化が進めば凌ぎ切れなくなるでしょう。
それに、気候変動のもっとも深刻な被害を受けるのは、被害の原因となるCO₂をほとんど出していない発展途上国や、「将来世代」と呼ばれる人たちです。
原因に責任がない人たちが最初に深刻な被害を受けるのです。非常に理不尽で不公平なことだと思います。これを社会構造的な人権問題として捉え、不公平さを是正し、すでに始まっている被害や、今後起こる被害を、社会で協力して食い止めようという認識が非常に重要だと思います。
世界平均気温はいま何度上昇しているのでしょうか?
国際社会は1992年の「国連気候変動枠組条約」以来、1997年の京都議定書などを経て、紆余曲折しながら30年近く気候変動問題に取り組んできました。
2015年のパリ協定では長期目標が合意され、「世界平均気温の上昇を、産業革命前に比べて2度より十分低く抑え、さらに1.5度に抑える努力を追求する」と決まりました。このパリ協定が現在の世界基準になっています。
すでに世界平均気温が1.1度ほど上昇し、1.5度に近づいているなかで、今回のIPCC報告書では、世界の気候変動の行方をどのように評価しているでしょうか。
次の「5つのシナリオ」と「気候変動の将来予測結果」で、このことについて話していきたいと思います。
世界はこれからどのような行動をとるべきですか?
報告書では、5つのシナリオを想定して、温室効果ガスの代表であるCO₂の排出削減ペースを提示しています。どのシナリオに従うかは、世界中の人の集合的な行動の結果で決まります。
「非常に低い」シナリオは「1.5度を目指す」もので、今世紀半ばに実質ゼロになるまで減らした後、マイナスにしていきます。「低い」は「2度を目指す」シナリオで、2070年代頃に実質ゼロにしてから少しマイナスにします。
昨年開催のCOP26前に取り決めた各国の約束がすべて達成された場合が「中間」シナリオの排出削減ペース程度になりますが、「2度」よりも上がってしまいます。
「高い」シナリオではさらに対策が後退するので、CO₂の排出がもっと増えていくかもしれませんし、「最悪」シナリオならそれ以上に悪化します。
海面水位は今世紀末にどれくらい上昇する可能性が?
では、近未来の気温上昇の予測をみてみましょう。
「世界平均気温の変化」のグラフのように2021年から20年間の平均をとると、1.5度を超える可能性はどのシナリオでも5割以上ある計算になります。
1.5度をめざす「非常に低い」シナリオでも、5割ほどで1.5度に一回達します。つまり、確実に1.5度で止めるのはもはや難しいわけです。それでも、「非常に低い」シナリオが軌道に乗れば、最終的には1.5度前後で温暖化は止まってきますので、人類はこのシナリオをめざすほかはないということになります。
また、気温上昇による海面水位を考えると、1.5度で地球温暖化が止まったとしても、今世紀中は上昇が続きます。また、最悪のシナリオの場合で、南極大陸の氷床が崩壊し始めれば、今世紀末に海面水位が2m近くまで上昇する可能性も排除できません。
今後何百年、何千年と海面上昇がつづくことを考えると、やはり、温度上昇をできるだけ低く抑えていくしかないのです。
エネルギーはどう転換していくとよいのでしょうか?
現在、世界のエネルギー資源(一次エネルギー)の約8割が、石炭、石油、天然ガスといった、CO₂を多く出す化石燃料でつくられています。
コロナ禍での石油消費のリバウンドも見込まれるうえ、発展途上国でエネルギー消費が増加していますので、石油や天然ガスの消費は増えざるを得ません。
そのため、太陽光・風力などの再生可能エネルギー(略称、再エネ)や原子力、水力などのような、CO₂を出さないエネルギーに置き換えていこうという動きが加速しています。
こうした世界の流れのなか、昨年イギリスでCOP26が開催されました。
COP26で気温上昇抑制の目標を「1.5度」とする決意を合意し、石炭火力を削減する方向性が明記され、温室効果ガスの排出量を減らす脱炭素政策など、具体的な行動を確実に進めることが各国に求められました。
脱炭素政策として、インドやサウジアラビアなどの国々が、新たにカーボンニュートラル(温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させること)の目標を宣言したことは注目に値します。1.8度で地球温暖化が止まる可能性も視野に入ってきました。
日本に「再エネ100パーセント」は可能ですか?
では、日本での再エネへの動きはどうでしょうか。
日本は昨年から、2030年の温室効果ガスの削減目標を26パーセントから46パーセントに強化すると表明しており、2050年までの温室効果ガス排出実質ゼロをめざしています。
2011年の東日本大震災の原発事故によって火力発電による排出量が増えましたが、太陽光発電の増加や原発の再稼働もあって、順調にCO₂を減らしてきました。
環境省の試算によると、現時点の経済性で開発できる再エネのポテンシャルは、現在の電力需要の少なくとも2倍はある見込みです。技術の改善などにより経済性がよくなればさらに増えるので、理論的には再エネ100パーセントも夢ではありません。ただし、メガソーラーによる乱開発やコストの問題など、解決しなくてはいけない大変な課題を解決する必要があります。
再エネポテンシャルの6割を占める「洋上風力」を本格的に開発することがひとつの切り札になると思います。
「社会の大転換」とは何ですか?
2015年に世界で行われた調査の中で、「あなたにとって気候変動対策はどのようなものか」という質問がありました。
それによると、世界の多くの人が「生活の質を高める」という回答を選んだのに対し、日本では多くの人が「生活の質を脅かす」を選びました。日本人は「温暖化対策=我慢・負担」とイメージしてしまうようですね。
でも、そのようなネガティブな考え方では、「排出ゼロ」の達成は難しそうです。
では、どうしたらいいのか。ここで「社会の大転換」が起きる必要があるのです。大転換とは、単なる制度や技術の導入ではなく、人々の世界観が変わってしまうような社会の変化の過程です。
具体的に説明しましょう。30年ほど昔はどこででもタバコが吸えたのに、今では考えられなくなりました。受動喫煙の健康被害が科学的に立証され、健康増進法ができ、受動喫煙の防止が努力義務から義務になったりしているうちに、分煙・禁煙の飲食店や喫茶店が多くの人にとって普通のものになりました。いつの間にか新しい常識に従うようになっていたというわけです。
これが「社会の大転換」です。かつて奴隷制が当たり前だった文化圏が今では許されなくなったように、人々のものの見方や常識がすっかり変わってしまうのは不思議なことではありませんし、気候変動の危機が迫っているのですから、徐々に大規模な変化が社会に起きはじめていてもおかしくはないです。こうした変化を私たちで加速させればいいのです。
「CO₂がほとんど出ないのが当たり前の社会」にも、そうやってたどり着けるはずです。
化石燃料文明から卒業することはできるのでしょうか?
これまでの常識では、化石燃料といえば「枯渇」が心配でした。有限な資源なので無駄遣いすると早く無くなってしまうので大事に使いましょうと言ってきました。
ところが、最近では、化石燃料は「たくさん余っているのに使うのをやめる」ことを目指すのが新しい常識になりました。1.5度で温暖化を止めるには、今ある石炭は9割、石油や天然ガスは6割くらい使わずに埋めておかなければいけません。
それが実現するには、我慢して化石燃料を使わないというのではなく、化石燃料よりもよい新しいエネルギーシステムを手に入れて、化石燃料文明から卒業すればよいのです。現在、太陽光発電や風力発電のコストがすごい勢いで安くなっていますので、やがてそうなるのではないでしょうか。
どんなに電気を使っても、どんなに出そうと思っても、CO₂が一切出ない環境に早くなってしまえばよくないですか。私たちも手を貸して変化を加速させていけたらいいと思います。
脱炭素への動きを後押しするために、社会システムの変化を求めるメッセージを社会に発信していきましょう。気候変動のニュースに関心を持ってSNSで発信したり、脱炭素に取り組む企業や自治体を応援したりするのもひとつの方法です。
ただし、技術が入れ替わってCO₂が出なくなればよいかというと、それだけではありません。生態系破壊や社会の格差、国際関係などの問題を同時に改善しながら、気候危機の出口を目指す必要があります。いっしょに取り組んでいきましょう。