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写真=山本尚明

ソーラーシェアリングによる新しいカタチ。福島の「エネルギー兼業農家」が示すこれからの農業とは?

  • 食と農

2011年3月、多くの人々の平穏な日常を奪った東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故。この出来事を教訓に発電事業を立ち上げたのが、福島県の有機農業者グループ「一般社団法人二本松有機農業研究会」だ。半世紀近く有機農業一筋に土と向き合ってきた彼らは、なぜ自ら「電気を作ろう」と考えたのか。この10年の歩みを振り返りながら、これからの地域農業にとって希望の光ともなり得る「エネルギー兼業農家」の可能性を探る。

※感染防止策を講じ、撮影時のみマスクを外していただきました。

作物と発電パネルで太陽光をシェア

 年の瀬も迫った2020年12月、福島県二本松市に拠点を置く「一般社団法人二本松有機農業研究会」を訪ねた。代表・大内督(おさむ)さんに案内されたのは、自宅裏のなだらかな傾斜地。2018年8月に完成した「ソーラーシェアリング」の現場だ。

二本松有機農業研究会の自宅裏のソーラーシェアリング

自宅裏の畑に、990枚の太陽光パネルが設置されている(写真=山本尚明)

 ソーラーシェアリングというのは、営農を前提とした太陽光発電システムのこと。農地に立てた支柱の上部に太陽光パネルを設置し、作物を栽培しながら発電を行う。「太陽の恵み」を作物と発電パネルとで分け合う(シェアする)仕組みだ。

 従来、食料の安定確保を目的とする「農地法」により、農地を農業以外の目的に使用する「農地転用」は厳しく制限されてきた。ソーラーシェアリングはまだ新しい取り組みで、農地転用の対象となるか否かも明らかにされていなかったが、実用段階に入った2013年、農林水産省は、改めて農地転用の対象であることを通達(※1)。導入条件を明確に示すと同時に、一定の条件を満たす限りにおいて、農地に太陽光発電設備を設置することを認めたのだ。

 二毛作で大豆と小麦を栽培するこの畑でも、1,998㎡の面積に990枚の太陽光パネルが並んでいる(パネル設置部分は1,238㎡)。パネルの幅は約30cmと細身で支柱も高く、下に立っても圧迫感はほとんどない。この日も冬の明るい日ざしが、5cmほどに育った小麦に優しく降り注いでいた。

太陽光パネルを下から見た様子

一枚一枚が細く、支柱も高いため、圧迫感はほとんどない(写真=山本尚明)

「今のところ、パネルの下の作物の生育に影響はないという感触です。大豆の場合、8月に花が咲きますが、遮光することで高温障害が抑えられ、むしろプラスだったかもしれない。支柱があるので多少作業には気を使いますが、コンバイン(収穫機)も問題なく使えます」

 肝心の発電のほうも、初年度にあたる19年には8万265kWhと、一般家庭10~20軒分の年間使用量に相当する電気を産出。青果で産直提携を結んでいる生協パルシステムの子会社「パルシステムでんき」に売電し、240万円の収入につながった。

※1:「支柱を立てて営農を継続する太陽光発電設備等についての農地転用許可制度上の取り扱いについて」(2013年3月31日付、2018年改正)

40年余の歴史を誇る全国屈指の有機の産地

 「『農家が何で電気まで作らないといけないの?』とよく聞かれますが、僕らにすれば、『僕らがやらないでだれがやる』って感じなんです」と大内さん。

二本松有機農業研究会の大内督さん

二本松有機農業研究会の代表・大内さん(写真=山本尚明)

 「僕らがやらないで」の言葉の奥にどんな思いがあるのか――。その意味を理解するために、同研究会の成り立ちから発電事業を立ち上げるまでの道のりを振り返ってみよう。

 もともと同研究会は、1978年に大内さんの父・信一さんが地元JAの生産部会として、有機農業を志す仲間と共に立ち上げた。信一さんは当地で16代続く農家であり、日本の有機農業界では先駆者として名の知られた存在だ。同研究会では有機JAS認証を積極的に取得し、個人消費者への直売と、生協や地元の直売所向けに有機野菜を出荷してきた。

畑で収穫された人参

二本松有機農業研究会は、40年以上にわたり有機作物を作り続けている(写真=山本尚明)

 大内さん自身が就農したのは、90年代の終わり。子どもの頃から、農業体験や収穫祭などの折りに二本松へやって来る大勢の「お客さん」を目にしていたので、父が消費者との「顔と顔が見える関係」を大事にしていることは肌で感じていた。農業を始めたばかりの頃は、そうしたダイレクトなつきあいに面白みを感じる反面、プレッシャーも大きかったという。

畑で人参を持つ副会長の渡辺文男さん

副会長の渡辺文男(ふみお)さん(写真=山本尚明)

 「おやじが20年くらいつきあい続けているお客さんだから、農業や環境問題についても僕なんかより知識も豊富で意識も高い。『そんなことも知らないの』としかられたりして、ずいぶん鍛えられました」

 2006年に施行された「有機農業の推進に関する法律」も追い風となり、順調に生産・販売を伸ばしていた同研究会。一方、大内さん自身は、偉大な父を前に自分がなすべきことが見出せず、もんもんとした思いを抱えていたという。

 そんなときに起きたのが、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故だった。

原発事故で、顧客の6割が離れ……

 原発から約50km離れた同研究会では、震災直後から農地の除染に取り組み、農作物への放射性物質の移行を抑えることに注力。また、農産物の放射線測定を徹底するなど、消費者に安心して食べてもらうためにあらゆる手を尽くした。それでも150軒あった個人宅配の顧客の6割が離れていったという。

 「いやぁ、きつかったですね。『大内さんを助けたいのは山々だけど、野菜は注文できません』という電話ががんがんかかってきて。10年たった今も、思い出すと胸が苦しくなるほどです」

インタビューに応じる大内さん

写真=山本尚明

 父が丁寧に培ってきた関係がもろくも崩れ去る現場に立ち会い、一時は人間不信に陥りそうだったという大内さん。だが、そうした逆境で支えになったのもまた、人とのつながりだった。離れていく顧客がいる一方で、熱心に二本松へ足を運び、農業の復興、再生に共に取り組もうとする支援者も大勢いたからだ。

 「そうした人たちと一緒に安全性の高い農業技術を追求する中で、堆肥を投入して地力を上げていた有機の土壌では作物に放射性セシウムが移行しにくいことが分かってきたんです。長年信じて実践してきた農法は間違っていなかった。これからは、被害に遭った福島だからこそ、環境に負荷をかけない有機農業を軸とした地域づくりを発信していくべきだ。そう確信できたことが前に踏み出す力となりました」

「エネルギー兼業農家」へ再スタート

 震災と原発事故に直面し、有機農業に向き合う姿勢は一層揺るぎないものになった。同時に大内さんたちは、これまで自分たちが、エネルギーについていかに無頓着だったかを痛感したという。

 有機農家の仲間の中には、以前から原発について積極的に問題提起をしていた人もいた。けれど大内さんたちにとって原発は「山の向こうにあるもの」でしかなく、危機感も問題意識も低かった。

 「スイッチを入れれば電気がつくのが当たり前で、電気がどこから来るかなんて考えたこともなかったですね。事故の後におやじが、『米や野菜を作って自給率を上げるんだって頑張ってきたけれど、いざとなったらこんなにも無力なのか』とがく然としていた姿が目に焼き付いています」

 食だけでなくエネルギーについても自給を視野に入れ、「エネルギー部会」を立ち上げた同研究会。再生可能エネルギーについて学び始めた大内さんの胸に刺さったのが、支援者のひとり、経済学者・金子勝さんが提唱する「エネルギー兼業農家」という言葉だった。

 「僕ら有機農家って、どこか専業じゃなきゃ一人前じゃないという固定観念があるんです。でも金子先生は『江戸時代の農家はみんな手に技を持って、それで生計を立てていたんだよ』と教えてくださった。兼業農家で恥じることはないんだと可能性が開けた気がして、なんだかワクワクしましたね」

「新しい事業を始めるなら、まずは成功例を」

 ただ、太陽光発電に対しては、大内さんをはじめ、同研究会のメンバーに強い抵抗があった。

 「FIT制度(※2)が導入された2012年当時、買取価格も1kWh当たり40円と高かったので、大手企業がこぞって太陽光発電に参入していたんです。山や森林が切り崩され、山肌を太陽光パネルがびっしり覆う光景をあちこちで目にするようになっていたので、僕らは『太陽光発電は再生可能エネルギーじゃない』なんて思っていましたね」

 そこで当初は、有機物を発酵させることでガスタービンを回しエネルギーを得る「バイオマス発電」を目指した。

 空いている農地でデントコーンやソルゴーなどのエネルギー作物を育てよう。家畜の糞尿や家庭の生ごみなどをガスの材料に利用しよう。ガス生成の途中で出る液肥を農地に還元しよう……。「学べば学ぶほど、耕作放棄地やごみの問題などがいっぺんに解消し、循環型の地域づくりに貢献できる夢のような事業に思えたんです」と大内さんは振り返る。

 だが、結果的に同研究会が選んだのは、太陽光発電だった。プラント製造の初期費用に加え、稼働し続けるためのランニングコストなど、バイオマス発電には想像以上の資金力が必要であることが分かったからだ。
「これは僕らの手には負えないなと。ただ、そう思いつつも、なかなか頭を切り替えられなくて……」

十文字チキンカンパニーのバイオマス発電所焼却炉

バイオマス発電は、この焼却炉のように大きな施設や巨額の費用が必要となる(写真=編集部)

 理想と現実との間で葛藤する大内さんたちは「環境エネルギー政策研究所(ISEP)」(※3)所長の飯田哲也さんに相談した。すると飯田さんから、「新しい事業を始めるなら、まず成功例を作ること。今の日本でいえば、それは太陽光発電でしょう」というアドバイスが返ってきたという。

 さらに、大内さんたちの気持ちを前進させたのは、同じ福島ですでにソーラーシェアリングに取り組んでいた先駆者たちの存在だった。

 「森林や山を新たに切り崩すのではなく、田畑や耕作放棄地を利用して発電している会津電力(※4)や川俣町のKTSE合同会社(※5)を視察して、太陽光発電への先入観がいっぺんに吹き飛びました。自然を守りながら発電ができるんだと。『これは、すごいっ』と、思わず口にしていましたね」

KTSE合同会社のソーラーシェアリング

大内さんが視察した川俣町にあるソーラーシェアリング(写真提供=大内督さん)

 狭い日本で土地を立体的に利用する。もともと日当たりのよい場所にある農地なら、太陽光発電にはもってこいではないか。 「なんて理にかなった方法なんだろうと、目からウロコでした。もう勉強は充分だ、やってみなければ始まらないと、ようやく腹をくくれたんです」

※2:再生可能エネルギー電気を電力会社が一定価格で一定期間買取る制度。

※3:持続可能なエネルギー政策の実現を目的とする、政府や産業界から独立した第三者機関。2000年9月、地球温暖化対策やエネルギー問題に取り組む環境活動家や専門家によって設立。

※4:「原子力に依存しない安全で持続可能な社会作りと会津地域のエネルギー自立」をスローガンとし、福島県喜多方市に本拠を置く電力会社。2013年8月、会津地域の会社経営者らを中心とする市民により設立された。

※5:福島第一原発事故の影響で一部避難指示も出た川俣町で、専業農家の斎藤広幸さんが2015年に立ち上げた発電事業のための会社。

農業も発電も、人とのつながりが力に

 こうして4年間の「勉強」を経て、いよいよ発電事業の実践へとかじを切った同研究会。2016年6月に、融資を受けやすくするために任意団体だった組織を法人化し、9月には、パルシステム東京の会議室で支援者を集めてキックオフ集会を開いた。

 ところが、本当の試練はここからだった。申請のための手続きが煩雑を極めたからだ。 「途中であきらめようと何度考えたことか」と大内さんは苦笑する。

インタビューに応じる大内さん

写真=山本尚明

 ソーラーシェアリングの設置許可は地元の農業委員会に申請するのだが、その際、栽培作物の予定販売先や販売金額、年間の売上予想など約30項目について、膨大な書類やデータの提出が求められた。二本松市では第1号、つまり農業委員会にとっても前例がない手続きだったこともあり、審査に入る前に長く待たされるような状況が続いたという。

 「品目ごとに地域の平均的な収量の8割を収穫できる見込みを証明するための論文が求められたり、これから先20年間営農を継続することを証明しなければならなかったり。営農とは名ばかりの、売電利益だけを狙った申請が多いせいで、かえって審査が厳しくなっていたようです。推進という割に、足を引っ張られているようなことが多く、なんとももどかしかったですね」

 最終的に同研究会の申請が認められたのは2018年の3月。2016年12月に初めて書類を提出してから、実に1年3カ月の年月がたっていた。

 苦労の日々を思い出したのか、太陽光パネルを見上げながら、「本当に建ってよかったです。あきらめずに挑戦し続けられたのは、ひとえに応援してくださった方々への熱い思いがあったから」と感慨深げにうなづく大内さん。

 「資金面でも、総工費1,620万円のうち約480万円は、パルシステムの地域づくり基金やパネルサポーター(※6)などからの支援で賄い、その分借入額を抑えることができました。有機農業をやってくる中で大切にしてきた人と人とのつながりが、発電事業にチャレンジする上でも一番支えになった。父が口を酸っぱくして言っていた『顔と顔が見える関係』という言葉の意味を今かみしめています」

太陽光パネル

申請から1年3カ月。組合員の協力もあり、ようやく完成した。(写真=山本尚明)

※6:太陽光発電パネル1枚1口(7,000円)とし、クラウドファンディングで「パネルサポーター」を募集した。

地域と農民の自立のモデルとして

 ここで大内さんに、「農家がどうして電気まで作るのか」という問いを改めて投げかけてみた。

 「福島県は、『福島県再生可能エネルギー推進ビジョン』で、2040年頃までに県内のエネルギー需要を100%再生可能エネルギーで賄うという目標を掲げました。ところが“エネルギーの地産地消”とうたっているものの、震災復興の補助金目当てで大手企業がどんどん参入してきているのが実情です。このままでは僕らの土地が食いつぶされて、お金はみんな都会に流れていってしまう。それじゃ、原発と変わらない、そんなことは許せないという憤りがベースにはあります」

 福島の真の再生のために、地域でお金が循環する仕組みを作りたい。そのためには、地元の人間が立ち上がり行動を起こさねば。数々の困難を乗り越える原動力となったのは、この地を受け継ぎこの地に根を下ろす農業者としての切実な使命感だった。

 一方、「農家の自立」という側面からも、ソーラーシェアリングは大きな可能性を秘めていると大内さんは考える。

 「気象変動の激しいこの時代、農産物や農産加工品に頼り切ることはリスクが大きい。その意味で、発電は農家の経営を安定させるのに非常に有効な手段ではないでしょうか。なにせ、ソーラーシェアリングは、設備さえできてしまえば、ランニングコストはほぼかかりません。パワーコンディショナー(※7)が壊れない限りは、年に1回ネジを増し締めするくらいで、ふだんは何もしなくていい。それなのに確実な収入につながるんです」

支柱に設置されたパワーコンディショナー

支柱に設置されたパワーコンディショナー(写真=山本尚明)

 安定経営のめどが立てば、自信を持って農業に打ち込める。そうなれば、たとえば農地法がなくたって、自分たちの手で「農」というなりわいを守り、農地を次世代に手渡していくことができるようにもなるだろう。

 「農業で自立を目指す人たちにとって、ここが持続可能な地域農業のあり方、農家としての生き方を模索するうえでのひとつのモデルになればという思いがあります」

※7:太陽光パネルで発電した電力を、家庭で使用できる電力に変換する装置。

点を面にし、エネルギーも地域で自給を

 同研究会では、この1号機に続き、2号機、3号機の建設も計画している。現在、農地の一時転用を申請中だという。すでにFITの認定は受けているが、気になるのは、買取価格が14円/kWhと、同27円だった1号機のほぼ半分まで下がっていること。

 「FITに関してはやや不安な状況ですが、パネルや支柱も量産できるようになり建設コストもずいぶん下がっているので、なんとかやっていけそうかなと。1号機では借入金の返済や税金の支払いなど、組織を支えるための費用を賄うので精いっぱいでしたが、2号機、3号機では、後継者の育成など地域に収益を還元していくことが目標です」

二本松有機農業研究会のソーラーシェアリングを上から撮影した画像

この1号機に続き、2号機、3号機も申請中だ(写真=山本尚明)

 太陽光発電に抵抗を示す農業者仲間も、ここに来て、「これならいいね」と納得することが多いとか。

 「僕らの発電量ではせいぜい一般家庭20軒分ですが、こういう設備が地域にどんどん増えていけば、点が面になり、思いを共有する人の輪が広がっていく。そうしたらエネルギーの地産地消も夢じゃない。だからぜひ、現場を見てもらいたい。僕らもそうでしたが、百聞は一見にしかずですからね」

 大内さんの夢は、ソーラーシェアリングで成功事例を積み上げ、いつかは一度あきらめたバイオマスに再チャレンジすること。さらに、将来的には、自分たちの作った電気で自分たちの暮らしを賄いたいとも考えている。

 「おやじたちの世代もエネルギーについてはさまざまな思いがあるようですが、あえて口を出さずに任せてくれています。野菜作りはどうしたってかなわないけれど、僕たちはこの地から安心できる食べ物とエネルギーを届け続けるという形で、有機農業を盛り上げていきたい。これらからも応援をよろしくお願いします」

大内さん親子

写真=山本尚明

取材協力=「一般社団法人二本松有機農業研究会」 取材・文=高山ゆみこ 写真= 山本尚明 構成=編集部