「きちんとしなきゃ」の「きちんと」とはどういうこと?
――有賀さんはご著書などで「頑張らない」「楽に日々のごはんを作れるように」ということを提唱しています。
有賀薫(以下、有賀) そうですね。日本は家庭に専業主婦層が多くいた昭和の時代に、家庭の食を充実させてきました。家庭料理がお店並みのレパートリーとおいしさになっていますよね。そのこと自体は素晴らしいこと。外食しても、コンビニで買ってきてもおいしいものが食べられるのは、充実した食文化で育ってきた人たちが作っているからだと思います。
ただ、家事を担っている人の中には、がんばって食卓を守ろうと奮闘したからこそ、「家庭料理の価値」を重く受け止めがちなケースもあるかもしれません。
例えば、一汁三菜や手作りを重視する、インスタで”映える”おしゃれな料理にあこがれる、外食のようなおいしさを家庭でも求めたい。こうした、ある種の「幻想」に囚われがちな人は意外に少なくないのではないでしょうか。
――確かに、他人のInstagram投稿を見ては落ち込んでばかりです・・・。こうした幻想を捨て切れない根本にあるのは、「きちんとしなきゃ」という思いなのではないかと思います。
有賀 でも、「きちんとしなきゃ」という人によくよく聞いてみたら、すごくきちんとしていることが多いんです。なのに「きちんとしていない」と悩んでいる。それだけ家事に関心が高く、そもそもレベルの高い悩みなんですね。
たとえば、世の中には親が家事を放置してお子さんが餓死してしまう、というような悲しいニュースがたくさんあります。世界を見渡せば戦争や貧困で食べられない人たちも大勢います。
毎日の食べ物が「ある」、家族のために食事を用意しているということは、実はみなさんが思っている以上にすごいこと。自分の家族は飢えていない、今日も元気でちゃんと生きている。
そのことに感謝するというほうに、気持ちを切り替えていった方がいいと思います。
――華やかな食卓を目指す前に、「ある」ことで十分だと、自分の気持ちを緩めてあげるんですね。
有賀 とはいえ、現実的には「え〜、また今日も同じメニューなの?」なんて家族に反応されたら、なかなか「あるから十分」とはならないことも確かだと思います。
そこには「主婦や主夫に家族が求める要求の高さ」という問題もあるのかもしれません。家事の担い手がお店の人のようになってしまい、「もっと家族にサービスしなければ」と感じてしまう。
家事は言うなれば「ケア」です。
互いにケアし合うことが理想的ですが、家族だとなれあってしまって、だれか一人がケアしっぱなしになりがち。それはつらいですよね。 料理も「一緒に作って一緒に食べる」という感覚を自然に持てたらいいなあと思います。
私自身、夫とのやりとりや、仕事を通じてさまざまな考えの方々とお話するうちに、「家事という仕事の見えなさ」が問題なんだ、って気付いたんですね。それで「じゃあ”見える”ようにしよう!」って考えて。
新しいごはん装置「ミングル」で料理に参加意識が生まれる
――一緒に作って一緒に食べる。有賀さんのその考えを形にしたのが新しいごはん装置「ミングル」ですね。食卓・IHコンロ・上下水道・食洗機・換気扇を95×95センチ四方にコンパクトにまとめ、作る・食べる・片付けるがシェアしやすい。「ミングル」という名称にはどういう意味があるのでしょうか。
有賀 ミングルという呼び名は「この装置に新しい名前をつけたい」と設計士さんに頼んだところ提案してくれたのですが、もともと英語で「混ぜる、一緒にする(mingle)」という意味があり、一部ではシェアハウス的な住まいをミングルと呼んでいるそうです。
「みんな」と「グルグル(循環)」という意味をかけることもできて、音の響きもかわいらしいのでそう名づけました。
実際に使ってみると、一つの熱源を家族で囲んで、フライパンで野菜を焼くだけ、せいろを載せて蒸すだけでもとても満足度の高い食事になります。
料理ができ上がっていくようすを一緒に見ていると、その楽しさが加わって味付けになるんです。なにか特別に名前の付いた料理を無理して作らなくてもいい。家庭でつくる料理は「名もなき料理」であってほしい、とさえ思っているんですよ。
――家族とのコミュニケーションも取りやすい。
有賀 そうですね。働いて帰ってきて、寝るまでの短い時間をどう料理に充てるか。大抵は「作る」部分を合理化して時短に励む方向に行きがちですが、それでは「私一人だけこんなに高速回転してがんばっているのに・・・」という寂しさばかりがつのってしまう。
そのうえ、食が貧弱になってしまうこともあります。そうならない形として考えました。
作る時間と食べる時間が重なれば、時短にはなるけれどもコミュニケーションの時間は長くなる。時間の概念が変わってきます。
キャンプだとふだん料理をしない大人も子供も、自分から「やらせて、やらせて」となりますよね。でも家に帰ってくるとしない。この差は何だろうと考えたんです。
料理をしない人にとって、キッチンを入りにくい場所にしてしまっていないか、どこにどの調理器具があるか分からないようになっていないか。 そういう状況を解消せずに「どうして一緒にやってくれないの?」と相手を責めがちですが、そのことに気がついていない人は意外と多いように思います。
――有賀さんのお宅ではこうした工夫によって料理への参加意識が生まれましたか。
有賀 はい。例えばなべを火にかけているときに、リビングにいる夫に「ちょっとなべを見ててね」と気軽に頼みやすくなりました。片付けも夫が座っているそばにシンクがあるので、お皿を水でザッと流してもらってから私が食洗機に入れるという共同作業が生まれます。
リビングから大きなキッチンに入るのは心理的な段差が大きいけれど、その手前の目の前で料理ができ、その過程が見えるから、今、何を補えばいいのかが分かりやすいんです。
小さなお子さんであれば、参加を促すことで料理への関心が高まるでしょう。近くに座って宿題をして、隣で親が絹さやの筋を取ったり栗の皮をむいたりすれば食育にもなります。
20年前と同じ方法ではなく、第3の方法でシェアしていく
――「家事が大変」という声を聞くと、どうすれば楽になるか、時短できるかという思考になりがちですが、それでは根本的な問題は解決しない。有賀さんは「ミングル」という形で全く新しい「シェアの発想」からアプローチしました。どうすればそういった柔軟な思考ができるのでしょうか。
有賀 スープを作り始めて約10年。SNSなどで感想や日々の暮らしについていろいろなご意見を聞くようになりました。 その中には、私が20年前に感じたのと同じように「私ばっかり」と、悩んでいるかたもきっと多い。
でもだからといって、自分流の家事を家族にやってもらいたいと思ってもうまくいかないことが多いですよね。そこでそのどちらとも異なる、第3の方法を考えないと、家事に参加していない人たちを参加させることはできないんだ、と気づいたんです。
もっと生活の根本的なところから料理や家事の大切さを感じてもらえる方法はないか、どこまでも考えていった結果なんです。
――ほかにもすぐにチャレンジできる家事をシェアするアイデアはありますか。
有賀 息子が小学生のとき、夏休みに毎日の昼食作りを任せたことがありました。
食材の買い物から料理まですべて。そうめんが3日続くこともありましたが、だんだん自分でも関心が出てきて、「チャーハンにジャガイモを入れてみようかな」などと工夫するようになりました。
年末には、カレンダーの余白に自分でチェックボックスを作っています。
玄関掃除、トイレ掃除、風呂掃除、換気扇掃除、年賀状を買う、年賀状をプリントするなど細かく項目を作って、済んだことはチェックしていく。 やることが見える化してるから共有できるし、自分でやってチェックするってちょっとした快感らしくて、何も言わなくても進んでやります。
特別なことをしなくても、引き出しにしまい込んでいた調理器具を見えるところに置くだけで、家族みんなが使えるようになることもあります。
どうすれば家事を体験してもらえるか、そしてうまくシェアできるか、アイデアをみんなで出し合っていければいいですね。
――家事の見える化は取り入れやすそうですね。2022年3月に、10年以上続けた毎朝のスープ作りを卒業されたとのことですが、今後はどのような活動を考えていますか。
有賀 異業種のかたやほかにはない発想をしていらっしゃるかたと話をしてみたいですね。
結婚して30年、どうしたら家事について分かってもらえるか、ずっと考えて行き着いたのが「ミングル」ですが、これは「じゃ、あなたならどうしますか?」という問いかけでもあるんです。
これから先の家事はどうなるのか、暮らしはどう変わっていくのか。料理というジャンルにとらわれず、さまざまなかたたちと一緒に考え、話したり、執筆したりしていけたらいいなと思っています。