日本の学校制度がずっと一番に重視していること
――カタリバでは、不登校の小中学生がオンラインで通える居場所として、インターネット上の仮想空間(メタバース)に「room-K」を作り、学びのサポートをしています。不登校支援をオンラインで始めたきっかけは何ですか?
今村久美(以下、今村) コロナ禍で一斉休校になった2020年、家にいなければならない全国の子どもに向けて、オンラインプログラムの提供を始めました。
その中に、休校の前から学校に通えていない子どもたちも参加していたんです。ダンスのプログラムで楽しそうに踊っている子が、実は不登校だと後から知って、「こんなに元気で、チームのみんなと明るくコミュニケーションが取れているのに?」と驚きました。
カタリバとしては、2015年より自治体と協働して不登校支援施設(教育支援センター)を運営していますが、私自身が不登校のリアリティに直面したのは、このときが初めてだったんです。不登校は一部の子どもたちの問題ではないのだと、改めて思い知る機会になりました。
私は、子どもたちには学校へ行くかどうかはさておき、その子なりに、人と関わりながら生きていけるようになってほしいと思っています。
一斉休校が明けてからも登校しない、できない子どもたちのために、引き続きオンラインの居場所を提供しようと2021年に立ち上げたのが、オンライン上の不登校支援施設をイメージしてつくったメタバースの空間”room-K”です。
――学校ではない場所でも、メタバースであっても、本人が楽しく学べて、人との関係性が築ければいい。でも、現実にはまだまだ「学校へ行く」のは「常識」であり、「学校に行かない」ことで社会からはみ出してしまったような感覚に苦しむ子どもも実際には多いのではないでしょうか。
今村 これは本当に難しいテーマです。
例えば、海外では親たちが公立学校を作りたいといえば、国がお金を出す国もあります。
日本の学校の場合は、学習指導要領を前提に教科や時間が決まっていますし、教科書検定を通った教科書しか使えないことになっているので、子どもにとってはもちろん、保護者にとっても選択肢がありません。
もともと日本の学校制度は、子どもが労働力だった時代を背景に、どんな家庭環境の子どもにも一定水準以上の学びの機会を与えるために始まりました。日本社会の産業化や工業化を進めるうえでも、一律であることが重要でした。
今はもう、みんなと同じように働いてさえいれば経済的に安定できる時代は終わりましたよね。AIが発達してさまざまな仕事の自動化も進み、これからの時代ではどんな「仕事」が重要になっていくのか誰も分からなくなっているにもかかわらず、周囲の人たちと同じことをし続けていたら、むしろ不安定さが増してしまうかもしれません。
――「公教育の在り方」自体が問われているのですね。
今村 フリースクールやオルタナティブスクール(編集部注:公教育とは異なる知念に基づくカリキュラムと方法を備えた教育機関)など、学びの選択肢は増えていますが、それを選べるのは経済力や情報を持つ家庭に限られています。
近代化のプロセスで、公教育を通じて労働現場で働ける規律みたいなものを全国の子どもたちが一律に獲得できたように、それぞれの個性が開花する教育をすべての子どもたちに届けることが、これからの公教育の本来の在り方です。
今は技術革新も相まって働き方が多様化し、「何を学ぶべきなのか」の議論が過渡期を迎えています。混乱前夜で大人も不安定、そのしわ寄せが子どもたちに影響しているのだと感じます。
不登校の子どもには「自分を取り戻す時間と場所」が必要
――「学校が、すべての子にとって、『行かなければいけない場所』ではなく、『行きたい場所』になれないものか」と、著書に書かれていました。本来は、親も先生も、子どもたちの笑顔を願っているはずなのに、と。
今村 教員の皆さんの多忙や過労も社会の課題です。最近、いろいろなかたに「学校に残すべきものって、何だと思いますか?」と問いかけることが多いんです。学校では必要に迫られて、トレーニング的な勉強が行われますが、計算や漢字練習ならば、塾でも家庭学習でも、オンライン学習でも進められます。学校という集団を通じて学びたいことは何なのか。学校現場の皆さんも、試行錯誤を重ねながら悩んでいる渦中だと思います。
不登校の子どもは、心のエネルギーが下がり続けている状態であり、時間をかけた休養が必要だといわれています。
カタリバが運営するroom-Kは、そうした子どもたちが回復するための準備運動をする場だと考えています。
――不登校の子どもには、休養が必要なんですね。
今村 例えば、会社に勤めている大人がうつになったり、調子を崩してお休みしたいと思ったりしたら、産業医が介在して個別に対応しますよね。ときには中期、長期の休暇が付与されます。
しばらく休みながら心のケアをして、職場に戻るプロセスを踏むことが、多くの労働者には認められているわけです。もしも仕事を辞めたとしても、ハローワークや転職サービスにアクセスするなど、少なからず再チャレンジのチャンスがある。でも、子どもたちにはそうした保険や選択肢がありません。
だから私たちは、子どものペースで休めるような、もう一度、自分を取り戻せるような居場所としての伴走に努めています。
大人も子どもも、一度小さなコミュニティの外に出てみる
――でも、親にしてみれば「子どもを休ませる=甘やかし」のような、自分たちが育ってきた環境の中で植えつけられてきた呪縛のようなものがあります。甘えさせるべきなのか、しつけるべきなのか……。
今村 しつけって、何が正解かよく分からないですよね。私自身も小学生の息子の子育てをしながら、常に迷っています。
ただ、多くの親御さんと話してきて思うのは、小さなコミュニティの中で、限られた人たちとだけしか接することができない環境にいる方は、特に苦しみやすいと感じます。
例えば、専業主婦で実家や親戚との関わりが深いとか、地域の関係性が濃い地方に住んでいるとか。子どもが学校を休むことに対して、周囲の目を必要以上に意識しなくてはいけない環境にいるかたです。
学校を休むことが甘えだとか、恥だとか、親がガツンと言わなきゃダメだといった考え方がスタンダードな構造の中で生きていると、子どもを真ん中にして「この子にとってのベスト」を考えようとしても、さまざまな干渉が降りかかってきます。
――そうした「周囲の目」が気になるとき、どうしたらよいでしょうか。
今村 そうした構造パターンの中にいれば、だれでもつらくて当然です。
だからこそ、ぜひ小さなコミュニティから勇気を持って、外の世界へアクセスしてほしいと思います。
カタリバのサービスでも、無料で参加できる「オンライン保護者会」を開催しています。LINEの中にも、不登校の子どもの親御さんが集まるオープンチャット(誰でも参加できるグループ会話機能)があります。
子どもに手を上げてしまうとか、食べていないお弁当を子どもが部屋に隠していたとか、匿名の当事者同士だからこそ話せることって、ありますよね。悩んでいるのは自分だけじゃないんだ、と思えるだけで少し救われます。
独りで抱え込んでも、一つもいいことはないです。ぜひ自分の立場を気にせずに気軽に参加できる場所を見つけてほしいです。
――今村さんが著書の最後に、ご自身の子育て体験を踏まえ、「外側から教育を語るよりも、実際の子育てははるかに難しい」と書かれていたのが印象的でした。
今村 周囲の影響を受けて、わが子の個性には全然マッチしない早期教育(編集部注:主に小学校就学前の子どもに、英語などの外国語の学習や読み書き、ピアノなどの習い事を取り入れること)を勧めてしまった、私の失敗談です。将来の役に立つだろうからと、親があれこれするのは子どものためなのか、自分のためなのか……。
親は、子どもを愛しているからこそ、最も感情的になってしまう存在です。親の希望を過剰に子どもに投げかけてしまうんですよね。
――多くの親が思い当たることだと思います。
今村 不登校の理由は複雑に絡み合っていることがほとんどなので、原因を特定するよりも、「子どもの心のエネルギーをどう回復させていくか」にまず向き合っていきます。
しかし、いじめがあった場合には、親が見守ることはとても難しいんです。
実際に、深刻なケースもありますし、SNSの普及で実際の動きが見えにくくもなっています。だからといって、親が先回りをしすぎては、子どもたち自身で解決していく経験を奪ってしまうかもしれない。
子どもたちが傷つかないように先回りすることよりも、傷ついたときに自分自身をどう修復していけるのかが生きる力につながる、そこを忘れないようにしたいですね。
親にできるのは、子どもを「斜めの関係」につなげること
――見極めは難しいですね。自分の子ども時代の経験を振り返ってみると、いじめを受けたときにいちばん知られたくない存在は親でした。親との仲が悪いわけではないからこそ、心配をかけたくなくて知られたくなかった。今、自分が親になり、子どもに対してどうしてあげるのがいちばんいいのか、考え込んでしまいます。ふだんからできることはありますか?
今村 本当にそれは個別のものだし、「唯一の答え」はないです。
ただ、日ごろから親以外の安心できるコミュニティに子どもをつなげておくことはとても大切です。
子どもを理解してくれる大人のいる塾や習い事もそうですし、地域の商店街の人に「いつでも、来たいときに来ていいよ」と言ってもらえて、通い続けている小学生もいました。
そうした「大人」は勉強を教えてくれるわけではないです。でも、たまに仕事を手伝ってみたり、とにかくその場にいる人と話してみたり、子どもが「自分を受け入れてもらえている」と感じられる場があると安心ですよね。
将棋好きの小学生の子が、週に1回、街の将棋教室に通って地元のお年寄りと対局するのを楽しみにしている、なんてケースもありました。
――親以外とのつながりを見つける。それは何も同世代のコミュニティでなくてもいいわけですね。
今村 そうですね。むしろさまざまな視点のある大人のほうが、悩みをおおらかに受け止めてもらえて、いいかもしれません。
親でも先生でもない年上の人と「斜めの関係」を持つことは、子どもの世界を広げるきっかけになります。また、親と子のクローズドな関係しかないと、特に思春期はお互いにぶつかってしまいがち。親は子どもをあれこれせんさくするより、そうした大人を通して客観的に子どものことを知る、ぐらいなほうが、距離感としても無理がないのではないでしょうか。
ひとつのシステムに縛られず、サブとしてのシステムを複数用意しておくのは、ビジネスでは当然のリスクヘッジとして取り組まれていますよね。それは子育てにもいえることなんです。
公式である学校だけでなく、塾や習い事などの地域の居場所も子どもを支える環境になっている。そうすれば、たとえひとつに何か問題が生じても、そのほかのサブシステムがきっと子どもの存在を支えてくれます。
そうして大人たちも、ほかの子どもに対して「おせっかい」をする。わが子に対してはつい感情的になっても、ほかの子どもには客観的に、自然体に、気軽に接することができるものです。
「斜めの関係」を地域に返していけば、「子どもを支えるサブシステムが循環していく、寛容な社会」になるのではないでしょうか。