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こちらをまっすぐに見つめる西加奈子さん

写真=豊島正直

「今を懸命に生きる『あなた』に、この本を読んでほしいと思った」――カナダでの乳がん治療を経験した作家・西加奈子さんが伝えたいこと

  • 暮らしと社会

2021年、移住先のカナダで乳がんの宣告を受けた作家の西加奈子さん。新著『くもをさがす』には、周囲に支えられて歩んだがん治療の日々とさまざまな思いがつづられています。今、多くの人に伝えたいメッセージとは。

生きてるだけで、自分を褒めてあげてほしい

――乳がんの手術を終えた西さんの「ほかの人から見れば『かわいそうな女性』なのかもしれない。でも私は、自分のこの体を、心から誇りに思っていた。人生で一番自分の体を好きになった瞬間かもしれなかった」という言葉が、非常に印象的でした。がん治療を経て、まっすぐに自分自身を肯定し、愛するに至った西さんの言葉は、多くの人たちにエールとして届いたのではないかと思います。

西加奈子(以下、西) 手術をがんばったから、抗がん剤治療に耐えたから、「私の体はすばらしい」ということではないんです。今まで一度も息が止まることなく、たったひとつのこの体で、40何年間生きてきたんです。もっと前から、がんや治療などと関係なく自分を褒めてあげるべきだった、と気づきました。本当に、生きてるだけですごい、最高なんです。みんな、もっともっと自分を褒めてあげるべきだと思います。

――本作の中で書かれていたように、昨今、多くの女性たちが周囲の言葉にとらわれて「若く見られたい」「幸せそうに見せたい」と、ありのままの自分を肯定できずにいるように感じます。

西 そうですね。私の場合は、今回、切除した両胸を再建しないと決めました。それに対して、例えば「女性はやっぱり胸あってこそ。西さん、胸がなくなってかわいそう」なんて思われる場所に、私の人生はない。私は今、この体が心地いいんです。

 ほかにも「髪は女の命」っていう言葉があるでしょう? 自分自身が心からそう思っているならともかく、誰かにそう思わされる人生はその人のものではない。

 やっぱり、自分自身が心地いいと思えるかどうかがすべてだと思うんです。胸はなくても、私は私なんです。そう思えるようになったのは、治療に専念した8カ月間、徹底的に自分と向き合えたから。たくさん自分と話し合って、自分を慈しむ時間があったからなんです。

話している西加奈子さんの重ねられた両手

「私はSNSもやっていないので、より自分に集中できたのかも。自分が何をしたら、誰といたら、何を食べたら幸せかを考えやすかった」と、西さん(写真=豊島正直)

――がんが発覚する前から、柔術やキックボクシングに熱中していたという話も印象的でした。激しいスポーツを通して自分自身と向き合ってこられたことは、治療中の気持ちの在り方に影響しましたか?

西 「何で道場に通ってるんやろ?」って毎回思うくらい、私、柔術に向いてないんです(笑)。例えば日本だったら、「私は弱いから、お手柔らかに」みたいな自虐で自分を守ることもできるけど、カナダではそんなことを言っても「ノー、あなたは強い」と言われるだけ。自虐という武器すら封じられるんです。

 あんなにむき出しで、丸腰だったことはなかった。そんなときに人間がどうするかっていうと、全力でやるだけなんです。そのすがすがしさったらなかったですね。

 柔術を通して、「私、こんなに何もできへんねんな」と思えたことはすごく大きくて。というのは、がんの治療が始まったとき、「私は何者でもないし、すごく弱い」ということをはっきり自覚できていたんです。それを前提に治療に挑めたから、自分が怖がってることに驚かなかったし、「そりゃ怖いよな、怖くて当たり前やな」と思えたんですよ。それは、本当によかったですね。

――そうした自分自身と向き合う大切な時間の中で、本作を執筆されたのですね。執筆は、西さんにとってどのような意味があったのでしょうか?

西 書くということは、「自分自身の中にあるモヤモヤした恐怖をつまびらかにして、一つひとつちゃんと見る」という作業でした。

 私が感じる恐怖というのは、世界でたったひとつしかない「私自身が生んだ恐怖」。だから、「幸せだな」と思うのと同じくらい尊いもののはずだし、その恐怖を正確に表現できるのは自分だけですよね。ハッピーなときだけでなく、怖がりで、弱虫で、ひきょうなところもあって、でも、そんな自分にこれからも生きていてほしいからこそ、何ひとつ見逃したくない。実際、何ひとつ見逃さなかったことを、誇りに思ってます。

 ネガティブな感情であってもきちんと見て、なぜこういう感情が生じているのかを考えながら先に進むことは、私にとって大切なことでした。書くことそのものが、救いだったと思います。

――「あなたに、これを読んでほしいと思った」という言葉は、西さんの体温とともに一人ひとりの読み手に届いているように感じます。

西 最初は本にするつもりはまったくなくて、自分のために書いていたんです。“小説家”としてではなく、“私自身”として正直に書いたっていう感覚ですね。

 誰かに読んでもらう予定はなくても、体調のいいときに自分の感情を思い出しながら少しずつ書いていく時間は特別なものでした。でも、ある程度書き上がったときに、自然に「誰かに読んでほしい」という気持ちがわき上がってきたんです。

「自分の弱さやネガティブな感情を見ないふりして、歯を食いしばって無理に乗り越えようとしてしまうのは、時に危険なのかもしれないですね」と、西さん(写真=編集部)

どんなときも、自分の体のボスは自分

――治療期間中、交替で食事を作って運んでくる「ミールトレイン[1] 」を計画してくれたり、お子さんを寝泊まりさせてくれたりしたお友だちの存在は、とても大きかったのではないかと思います。

西 8カ月間、自分の体のことに集中できたのは、本当に友人たちのおかげです。「体調のいいときは、自分でごはん作るよ」と言ったら、「体調のいい日は、加奈子がしたいことをして。今までできなかったことをしたらいいよ」って。それで、ゆっくり海を見たり、心ゆくまで読書をしたり、自分のことを考えたりできたんです。

 当時4歳だったうちの子が、親以外の人が作ったごはんをたくさん食べられたことも、とても大切だったと思います。ありきたりな言い方ですけど、みんなの愛をそのままもらった、という感じです。この本を書けたのも、自分に向き合う時間をもらえたから。本当に私は幸運だったと思ってます。

――治療中の方に少し手を貸すことで「ゆっくりとひとりになる時間」を作ってもらう、というのはとても大切なことだと感じました。西さんがしてもらってうれしかったことには、ほかにどんなことがありますか?

西 一度、抗がん剤のせいでごはんは食べられないけど、ジャンクフードなら食べられるっていう時期があって、それをちらっと友人に話したら、次の日、玄関の前にカップラーメンがいっぱい置いてあったんですよ。事前の確認もなくいきなり、「玄関に置いといたよ!」って。それは、本当にうれしかったですね。

 私、自分ががんになる前は、あんまりお節介になるのもどうかなと思って、困ってる人には「何かできることあったら言ってね」という声のかけ方をしてたんです。でもこれからは自分も遠慮せずに、とりあえず玄関の前に何かを置いておく人間でありたいなと思いました。

写真=豊島正直

――カナダの看護師たちの会話が大阪弁で表現されていることも、本作の魅力のひとつだと思います。このアイデアはどこから生まれたのでしょう? また、いきいきと働く彼女たちから、どのようなことを感じましたか?

西 本当に、関西弁で聞こえてきたんですよ。例えば、私のイヤリングを見て「That’s cool!」と言うのも、「それいいね!」じゃなくて、「それええやん!」に聞こえるんです(笑)。

 彼女たちの他人に対する距離感、おおらかさ、明るさ、適当さは、大阪で私を育てたおばちゃんたちを感じさせて。だから、私の中で英語が関西弁で再生されたのかもしれませんね。

 彼女たちは大きな声で歌ったり、看護服をおしゃれに着こなしたり、ハロウィンの仮装をしたり。そして、どれだけ忙しくても、お昼になればみんなで誘い合ってランチに行くし、17時になったらさっさと帰ります。それを見たとき、そうやんな、と腑に落ちたんですよ。クオリティ・オブ・ライフを大切にして、自分の生活にゆとりを確保してるからこそ、他者に優しくできるんです。

――看護師たちが西さんを「かわいそうながん患者」ではなく、対等なひとりの人間として接しているようすが会話の端々から伝わってきました。本作の大きなテーマにもなっている「自分の体のボスは自分」という言葉をかけてくれたのも、ひとりの看護師だったのですよね。

西 みんな、私がどれだけやせようが、つらい顔をしていようが、「ハーイ、加奈子! どう、元気?」みたいな感じでしたね。それにすごく救われました。自分はがんだけど、まあ、よくあることなんだな、と思えたんです。

 柔術やキックボクシングについても、「加奈子がやりたいんやったら、やっていいと思うで。がん患者やからって、喜びを奪われるべきやないよ」って。「医者がどう言ってるかは知らんけど」と言いながら、対等の人間として、自分の意見をちゃんと言ってくれたのはうれしかったですね。

あはははと笑いながら話す西加奈子さん

写真=豊島正直

がん治療を経て、新たに人生に向き合う

――治療期間を経て、改めて自分自身への愛情を痛感するようになったことで、人生への向き合い方は変わりましたか?

西 たったひとつしかない自分の体をめちゃくちゃ愛するようになると、他人の体もたったひとつなんだ、と大切に思うようになります。そうすると、こんなにがんばっていて、こんなに愛おしい私たちに、絶対ひどいことをさせないっていう気持ちになるんです。こんなに大切な私たちに、苦しい思いをさせたくないじゃないですか。

 苦しいのは、自分だけのせいでしょうか。きっと何かがおかしいからではないでしょうか。それは何だろうって考えるようになって、私の場合はそこから、暮らしや生き方の土台となる仕組みを作っている政治に、より目が行くようになりました。

――自分をより深く愛するようになったことが、「社会を変えていきたい」という思いに直結したのですね。

西 そうですね。私は幸運なことに、家族や友人のおかげで自分に向き合う時間をたくさんいただけた。そして、余裕をもって自分のことを愛せるようになった。そういう人間から、社会を公正な方向に変えていこうと考える、行動することが大切だと思うんです。逆にいえば、自分を愛せないまま、周りを変えようっていうのは、私の場合はちょっと難しいような気がするんですよ。

 朝から晩まで働きづめで、ゆっくり自分に向き合ったり、自分を慈しんだりする時間を作れない人もたくさんいらっしゃいます。そういう人に少しでも自分のための時間が残るような社会にしないと、と今すごく思ってますね。

――パルシステムでは、がんサバイバーの方々の活動紹介などを続けてきました。当事者の声を発信していくということについて、どう思われますか?

西 大切なことだと思います。今、がんは2人に1人がなる病気[2]ですからね。私も今回本を出して、たくさんの方からご感想と一緒に「実は私も……」というお話をいただきました。

 もちろん、無理に打ち明けなくてもいいと思うんです。でも、「がんの話をしたら、周りを困らせるかもしれない」とか、そういう気づかいでがんの話ができない社会は、ちょっと違うんじゃないかな、と思います。話したくない人は話さなくていいけど、話したい人は話せばいい、っていうぐらいの感覚になったらいいですね。

脚注

  1. 闘病中や出産直後などの人のために、友人や近所の住民がボランティアで毎日交替で食事(ミール)を作って届けるシステム
  2. 日本人が一生のうちにがんと診断される確率(2019年データに基づく)は、男性65.5%、女性51.2%(出典:国立がん研究センター がん情報サービス「最新がん統計のまとめ」 2023年9月15日閲覧)

取材協力=株式会社河出書房新社、柳原出版株式会社 取材・文=棚澤明子 写真=豊島正直、編集部 構成=編集部