大学生の半数が奨学金を利用
日本では「受益者負担論」という考え方が根深いと言われる。「市場経済において、市場の失敗が生じない限り、利益を受けるものが市場で決まる価格を支払い、その経費や生産者への利益へ回すしくみ」とも定義される。要は、自分が受けるサービスは自分で負担せよ。それは、体のいい「自己責任論」でもある。
そして、この「受益者負担論」が教育の分野でも同じように適用された結果、多くの若者が大きな不利益を被むっている。「奨学金」を巡る問題だ。
今や、大学生の半数近くが何らかの奨学金を利用していると言われる。「奨学金」と言っても、あくまでその多くは「貸与」であり、学費の高騰も相まって借入額は増加する一方だ。多くの若者が、大きな債務を抱えながら、社会に出ざるをえなくなっている。
「貸与型奨学金は、返済能力があることが前提です。しかし、非正規雇用の不安定さや低賃金労働が拡大するなか、奨学金の返済環境は崩れてきています」と語るのは、特定非営利活動法人ちばこどもおうえんだんの理事長、湯浅美和子さんだ。湯浅さんは経済的理由で進学がままならない若者、とりわけ親の庇護を受けられない養護施設出身の子どもたちのサポートに奔走してきた。
「奨学金返済の3か月以上の延滞者のうち、半数近くの方が非正規労働者か、あるいは無職で、80%以上の方の年収は実に300万円以下、とも言われます」
しかし、負担を恐れて奨学金を得なければ、大学生活はアルバイト浸けの日々となり、最悪の場合、休学してしまう学生も現実には少なくない。ぎりぎりの生活のなかでどこかで歯車が狂えば、中退に追い込まれる。「そこから挽回をはかるのは、そうそう簡単なことではありません。在学中の学生たちへのメンタルを含めたサポートも不可欠です。彼らはまだまだ社会を知らないんですから」と湯浅さんは言う。
「自分のやりたいことが何も浮かばない」
尚子さん(仮名/22歳)は、母子家庭で育った。アルバイトを3つ掛け持ちする母のもと、小さな頃から家事はもちろん、3歳下の妹の食事や世話も尚子さんの日課だった。そのことに疑問を持つこともなかった。しかし、高校2年生になって周囲が進学や就職のことを話題にするようになってふと、自分は将来何をしたいのか考え始め、愕然とした。自分のやりたいことが何も浮かばなかったのだ。
ずっと独りで考え抜いた末に、「先生になりたい」と思うに至る。小学生のときの担任の教師にやさしく勉強を教えてもらったことを、不意に思い出したのだった。そのときのほのかな喜びが、自分のからだのどこかに残っていた。それを大切にしたいと思った。
「女性に勉強は不要」と考える母親からは、進学を猛反対されるが、それでも尚子さんは諦めなかった。初めての反抗期だったかもしれない。アルバイトを掛け持ちしながら、自分で入学金を作った。そして、地元大学の教育学部に進学を果たす。
「伴走支援」が、給付後の若者を支える
しかし、入学から半年ほど経って、尚子さんは行き詰まる。変わらずアルバイト漬けで学費を工面するうち、「私は何のために進学したのだろう」と思い悩み始めた。
ちょうどその頃、ゼミの教授の助言を得て、パルシステムが運営する奨学金を得ることにした。奨学金を利用するなんて、それまで思いつきもしなかった。そもそも、誰もそうした選択肢があることも、そのメリットもデメリットも教えてくれなかった。聞けば、その奨学金は「給付型」だという。つまり、「返済は不要」ということだ。
尚子さんはその奨学金を得て、「伴走支援」の団体のサポートを受けながらアルバイトの数を減らし、大学の単位もとって、無事卒業を果たした。猛勉強の甲斐もあり、教員試験にも合格した。
「伴走支援」とは、奨学金の給付対象となった若者の日々の暮らしでの悩み、家計のやりくりや引っ越しの手続き、就職活動の仕方など、社会に巣立つまでの間、親代わりになって文字通り「伴走」する支援団体によるサポートのことだ。
「貸与型の奨学金は、給付して終わり、です。その後の生活設計は“自己責任”。でも多くは親に頼れず、他者への相談の手だてもない学生も多い。”社会”を知らない彼らにとって、日々を生きながら将来を建設的に設計していくのは、そう簡単なことではないんです」(湯浅さん)
実際にパルシステムの「給付型奨学金」を利用している若者は、すでに国が運営する他の奨学金を利用しているケースも多いが、コロナ禍でたとえアルバイトの収入が減少してもその影響は比較的限定的であったアンケート結果もある。「給付型」の存在は、彼らの人生設計に大きな安心をもたらしているともいえそうだ。
「誰かが見てくれている」という安心感
自身もまた、伴走支援団体として若者たちに関わる湯浅さんがここ数年、応援を続けている奨学生、明さん(20歳)は、千葉県内の養護施設出身だ。
明さんは小学2年生のときに、地元の児童相談所の職員に連れられて養護施設に来た。そこには3歳から18歳までの子どもが数十人、共同生活をしていた。
「母子家庭でした。母はちょっと精神を病んでいて、いわゆるネグレクト状態だったようです。それで近所の誰かが通報して、僕は施設に預けられた。当時の自分には何が起きているかまったく理解できてなかったんですけどね」と、当時を振り返って明さんは苦笑いした。
幸い、施設での暮らしにはすぐに馴染めた。似た境遇の子どもたちの中には、虐待を受けていた子、親と死別した子もいたとあとで知る。自分自身の過去はほとんど誰にも話さなかった。でも、それでとがめられることもない。いつもたくさんの大人が入れ代わり立ち代わり気遣ってくれ、思春期のときはそれが窮屈に感じることもあったものの、常に「誰かが見てくれている」という安心感が、確実に明さんの中に宿った。
「家族じゃないけど、友だちでもない人たち」との共同生活は10数年続き、そして大学への進学とともに、施設を出た。
「湯浅さんの勧めもあって奨学金を得たんです。そう、パルシステムの給付型の奨学金です。湯浅さん自身が伴走支援をしてくれて。支援者というよりも、親戚のおばちゃん、かな(笑)。恋愛相談もしたことありますよ」と笑う明さんは、どこにでもいる20代だ。
学びたいと思う若者が進学や就学の機会を得られる社会へ
「明さん、将来何になりたいと言ってると思います?」と、湯浅さんはいたずらっぽく質問をする。「児童福祉士になりたくて、いま福祉の勉強真っ最中なんです」
養護施設出身の若者が、養護のスタッフを目指す。出来過ぎな話にも聞こえるが、明さんにとって、その選択は自然な流れだったようだ。
「いつも一緒にいて、慕っていたスタッフのお兄さんにずっと憧れていたんです。こんなに人を安心させるなんてすごいな、いい仕事だな、って。そこに暮らす子どもの気持ちが自分にはよくわかるから、じゃあ今度は自分が彼らを安心させてあげたいな、と」
「今日明日のお金の心配をしないで済むことが、こんなに気持ちを楽にしてくれるとは思ってもみませんでした。給付型に出会わなかったら今頃どうしてたんだろうなあ、っていまも夜ひとりで考えることがあるんです。離れて暮らす母のことはいまも大切に思ってますよ。だって、母ですから。互いの距離のとり方とか、家族それぞれでベターな関係ってきっとあるんじゃないですかね」と、明さんはまた笑った。
奨学生のなかにはごく平均的な家庭の出身と表面的には見えても、実は家族との間にトラブルを抱えたり、事情あって親を頼ることのできない学生も多く存在する。
だからこそ、若者たちに寄り添いながら、ゆくゆくは社会人としての責任を自覚してもらえるよう見守ることは社会の責任、と湯浅さんは断言する。そのためにも見守り、支え続けられる「しくみ」をつくり、維持しながら、ひとりでも多くの若者に「人生って楽しい」ことを伝えられれば、と考えている。
「コロナ禍で経済的にさらに困窮する方々が増えている昨今、学びたいと思う若者が進学や就学の希望が叶うような社会であってほしいですね」
若者たちが一人でも多くが学びの機会を得ていくために、適切で多様なサポートを投げかけることができるかどうか、が私たちの社会にいま強く求められている。
*パルシステムでは、学生に将来の負担や不安を与えることのない、返済不要の「給付型」の奨学金を設立しています。基本的に4年間(所定の修学期間)、毎月4万円を給付。組合員からの支援を得ながら拡大をめざしています。