「私たちが望むのとは違う社会になってしまいそう」
――飾り気のない人柄とオリジナリティあふれる料理でメディアにもひっぱりだこの枝元さんだが、社会問題に鋭く突っ込むツイッターなどでも注目されている。枝元さんにとって、TPPの第一印象は「何となくあやしい」だ。
枝元 私、最初にTPPのことを知った時、どこかうそをつかれているような気がしてなりませんでした。「自由に貿易したらお得ですよ」とか「もっと安く買えるようになりますよ」とか盛んに言われるんだけど、どうも、どこかに絶対損をしない人がいて、私たちの目先にエサをちらつかせているような。大きな流れでは、どこか私たちの望むのとは違う方向に持っていかれちゃうような。そんな気がしていました。で、その印象は、TPPのことを知れば知るほど強まっていきましたね。
TPPで心配なのは、食べ物が車や機械と同列に、経済の論理だけで語られているってこと。それって、人が生きていくってことが大事にされていないなぁって思うんです。
「他者を蹴落としながら登り続ける。TPPってそんなイメージ」
――枝元さんが食べ物や料理以外のことでの発信を始めたのは、2011年に起きた東日本大震災の後。震災と福島の原発事故を経験し、自身の価値観や世界観が大きく変わったのだと言う。
枝元 私だけじゃないと思うのですが……。被災された方のお話を聞いたり、これからどうしていこうって考えたりしたときに、自分一人が大丈夫だったら大丈夫なんじゃなくて、人といっしょに未来を考えていくことのなかにこそ私の幸せはあるんじゃないかなって思ったんです。すごく大きな代償を払いながら、価値観が、お金じゃない方向へ転換したんだって気がしました。
TPPが嫌なのは、そんな風に、「人とともに生きたい」「みんなが生きていてくれてよかった」と、3.11後に多くの人たちが抱いたであろう想いが、また違う方向に変えられてしまう気がするから。もっと利益を上げるため、もっと便利にするためということが優先される世の中にまた戻ってしまうんじゃないかって危機感があります。
お金持ちになることを否定するわけじゃないんですよ。でも、お金があるからこそ、経済的に強いからこそ幸せなんだって思ってしまったら、お金を失うことが怖くてしかたないですよね。それって、なんだか急な斜面に立っているみたいなイメージ。もっともっとお金を稼いでいかないと転がり落ちちゃうような気がするんじゃないかな。いっしょに登ってこようとする誰かが重かったりしたら、自分までズリズリと下がっちゃう恐怖がある。だから、自分がもっと登っていくために他人を蹴落とす、みたいな。
毎日斜面にいて、登り続けなきゃ生きていけないなんて、そんな競争をし続けるなんて、苦しすぎませんか。それじゃ人は平和になれないじゃないかな。なんかTPPって、そんな価値観じゃないかと思うんです。
知識を詰め込む前に、「何かおかしい」って“勘”を大事にしたい
――TPPのような社会問題や政治について、ふだん私たちは、自分の意見を口にすることをためらいがちだ。けれど、枝元さんは、「暮らしの感覚で、“何か変だぞ”って感じたら、遠慮しないで『おかしいんじゃない』って言っていい。勉強不足なんておじけづかなくていいから」と話す。
枝元 TPPってホント複雑で、条文も膨大だし、むずかしいことだらけですよね。私も、頭悪いんじゃないかってくらい、覚えきれないことがたくさんある。
でも私、3.11の後、これからどこに自分の軸足を置いたらいいんだろうって考えたとき、社会学者の宮台真司さんの「任せて文句を言う社会から、リスクを負って自分で考える社会へ」という言葉が胸に刺さったんです。
私たちって、誰かに任せていれば安心ってどこかで思っています。専門家に任せていれば、よほどのことがない限り、そんなひどいことにはならないと思っている。それに、専門家が研究してくれたことを勉強するのが先、勉強してからじゃないと意見を言っちゃいけない、みたいな空気もあります。でも、むずかしいからって考えるのを人任せにしていたら、自分の望むのとは違うところに行っちゃうことがある。福島の原発事故で、私たちはそれを学びましたよね。
私たち誰もが“生きること”の専門家なわけです。だとしたら、自分自身でどういうことなんだろうって、まず生きものの本能みたいなものを働かせてみればいい。いろいろな人の意見を聞き、自分の意見も言ってみればいい。正しいとか間違っているとか論争するんじゃなくて、もっとおおらかに、どうやれば自分たちが望む暮らしのほうに近づいていけるか、どうすれば“生きる”ということに軸足を置いて暮らせるかを考えたほうがいいんじゃないでしょうか。
「安くてうれしい」は、回り回って自分の給料にはね返ってくる
――TPPでは、関税や規制などが見直され、価格の安い輸入食品が大量に入り込んでくるといわれている。「安く買えるのはうれしい」という声も聞かれるが……。
枝元 例えば、外国からのお米の輸入が増えるとされていますね。向こうの畑(田んぼ)は広いですからね。巨大な機械でわーっと植えて、わーっと収穫できる。そんなお米が10kgで1000円前後とかで入ってくるかもしれないといわれています。そうしたら、私たち、日本の生産者を支えたいと思っていても、お金がないときには外国産を選んじゃいますよね。外食産業でも、働いている人の給料を上げたいと思ったら、お店で出すのに安いほうの輸入米を選んじゃうかもしれない。
でも、私も農家さんと知り合って、自分でやってみるとすごくよくわかりますが、まっとうなものにはまっとうなコストがかかるんです。安く買おうとすることは、自分の給料も安くてもかまわないってことといっしょなんです。安く買うということは、回り回って、結局、自分の給料に跳ね返ってくるんじゃないかなって思います。
だいたい、戦争しているわけでもないのに、農地がありながら食料の自給率が50%を切っているってものすごく異常なことです。食べ物を自国でつくることは本当に大事なことなのに、TPPで大量に安い輸入農産物が入ってきたら、まず農家の人たちが作らなくなっちゃいますよ。
前に知り合いの農家さんに、TPPになったらどうするんですかって聞いたんです。そしたら、「俺らは全然困らないよ」って言うの。「俺らは何十年もかけて安全な食べ物を分け合える仲間づくりしてきたから大丈夫。困るのは都会の消費者でしょ」って言われて、そりゃそうだよなって納得しました。
日本ではずっと「飢える」ということを考えずにすんできたので、食べ物が「ない」という状況は想像しにくいと思いますが、実際には、いま、すごく豊かなところにいながら、すぐ背中に飢えがくっついている状態なんじゃないでしょうか。
「私たちには、日に3回、社会を変えるチャンスがある」
――映画『フードインク』のエンドロールに流れた「私たちは日に3度社会を変えるチャンスがある」という言葉に感銘を受けたという枝元さん。社会を変えていく最後の砦は私たち生活者だ、と希望を語る。
枝元 考えてみれば、資本主義社会では、どんな大企業であっても、買ってもらわなければ生き残ってはいけない。たとえばEUでは、遺伝子組換えの種子や農薬を売り込んでいこうとする企業に対し、消費者が大きな反対運動を起こして撤退させたという事例もあります。強欲な企業が、もっともっとと利益を上げようとしても、私たちがふだんの暮らしのなかで、「いらない」「嫌」といえば、それを止めることができるんです。
だからこそ、1日3食、何を買って何を食べるかっていうことがとても大事。ただ単に「安い」「高い」という金銭的な価値ではなく、どんな人が作ったんだろう、どんな風に作ったんだろうと想像力を働かせて、作り手にもつながっていく。それが農家さんを支え、自給率を上げていく力になると思うんです。
一つひとつの選択は私たちの未来を選ぶことと同じ。私たちが変わることで世の中を変えていけるんだってことを思い出したいんです。人を大事にしていけるような世の中に変えていく方向なのか、安いからって大量に買って大量に廃棄し、子どもたちに渡すべき未来を食べつくしちゃう方向なのか、しっかり見極めたい。その分岐点にあるのがTPPなんじゃないでしょうか。
いろいろ考えると楽観ばかりでもいられませんが、希望はある。世界を平和にしたいんだったら、まず隣の人に笑いかけてみてください。お互いに笑い合えて、考えが違っていてもつながっていけるような、地に足のついた暮らしの視点からTPPのことも考えていけたらいいなって思います。「そんなのダメだよ!」って意見を押し付けたら引かれちゃうかもしれないけれど、「私は嫌!」「なんかやばいみたいだよ」とか、言い方に工夫をする。マイルドに取り込んでいくっていう作戦がきくんじゃないかと、私、思うんです。
※この記事は、2016年8月23日にパルシステムで行われた「ほんもの実感!」連続講座(「毎日の食卓からTPPを考える」)をもとに構成しました。