届けて、集める。生協の配達と回収の中で自然に参加できる、リサイクルの理想形
埼玉県北葛城郡・杉戸町。生協パルシステムの商品配送およびカタログや資源の回収を担う複合型物流センター、通称「杉戸センター」には、今日もガシャン、ガシャンと大きな機械音が響く。組合員から集められた紙パックやカタログなどの古紙をリサイクルすべく、種類別に圧縮・梱包しているのだ。
「これは『ベール化』と呼ばれる、古紙リサイクルの最初の行程です。このように物流センターにリサイクルシステムの一部を組み込むことで、よりスムーズに、確実に、私たちの資源を商品へと活用することができます」。そう話すのは、杉戸リサイクルセンター所長の河野将気だ。組合員の各家庭からここに集められる古紙は、1日約2.4トン。月間にすると50トン弱もの古紙が、提携する製紙会社へと届けられる。
これを受け取るのが、古紙再生のプロであるマスコー製紙株式会社。同社では牛乳パック類、注文用紙のほか、通常はリサイクルできない、裏面がアルミコーティングされた紙パック(ABパック)などを主原料に再生紙を製造。パルシステムオリジナルのトイレットペーパー『り・さいくりんぐ』シリーズへとよみがえらせている。
組合員から資源を回収する流れはとてもシンプルだ。週1回の商品お届け時、前回使用した保冷箱などを回収するのと同時に、数々のリユース・リサイクル品も集めている。
「難しく考えなくても、生協の箱に返すだけでリサイクルに参加できるのがうれしい」「いろいろ回収してくれるから、捨てるゴミが減ってありがたい」。組合員からはそんな声すら聞こえてくる。
独自の流通経路をもち、週に1回商品のお届けをする生協ならではのこのシステムの手軽さも手伝って、パルシステムではリユース瓶で約60%、紙パックは約75%という回収率を誇っている。
そして、この取り組みを下支えしているものこそ、「洗って、開いて、乾かす」のひと手間だ。今では当たり前のようになっているが、実はこの習慣を広めたのは、ある市民グループの活動がきっかけだった。
「もったいない」の気持ちを子どもたちに伝えたい。一人の女性が社会を動かした
さかのぼること約30年前、牛乳パックは1回だけ使うことを目的として作られた「ワンウェイ容器」として、飲み終えたら捨てるというのが当たり前だった。高度経済成長期を過ぎ、牛乳はそれまでの主流だった瓶での流通から、徐々に紙パックでの大量流通が中心となっていく。空き容器を「洗う」という発想すらなかったこの時代、牛乳パックは当たり前のように捨てられていたのだった。しかも両面にポリエチレンフィルムが貼られているため古紙原料に入れてはいけない禁忌品扱いとなっていた。
それでも、牛乳パックに使用されている紙の原料は、良質で丈夫な針葉樹のバージンパルプ。使用後すぐに洗うことで再生紙として活用できれば、大きな資源となる。もったいない、何とか生かしたい。そして何より、物を大切に扱う心を伝えられないか――。そう思い立った一人の女性がいた。山梨県大月市で子育てと女性の生き方を考える自主グループ「たんぽぽ」を主宰していた、故・平井初美さんだ。
「牛乳パックは生まれ変わります。洗って、開いて、乾かして再び使いましょう」。彼女の呼びかけは、大きな波紋となって全国へ波及していった。
現在パルシステム山梨の理事長を務める白川恵子はもともと、この「たんぽぽ」のメンバーだった。白川は、当時のうねりのような運動の熱をこう振り返る。
「経済的には発展していくけれど、公害の問題もあちこちで聞かれるようになり、家庭を守る主婦たちも自分の生き方や社会のあり方に対して、何となく疑問や不安を抱いていた時代だったと思うんです。そんなとき、牛乳パックがもう一度よみがえるというストーリーが、女性たちの思いを一気に突き動かしていったんですよね。
個人も、商店も、学校も、いろんな方たちが集めてくれるから、『たんぽぽ』の事務所はいつも牛乳パックでいっぱい。今思うとなぜあれほど、と不思議なくらい、みんなが自分の問題として、懸命に取り組んでいました」
そしてパルシステム山梨の前身生協のひとつ、山梨県郡内労働者生協(郡内生協)は、『たんぽぽ』の活動拠点にほど近い事業団体として、いち早く牛乳パックの回収運動に乗り出していった。「生協の参画によって、回収量も増えましたし、この運動が着実に全国へと広がっていったと思います」(白川)
日本のリサイクルは、世界でも類をみない品質に
1984年に「たんぽぽ」での回収活動がはじまり、翌1985年には「全国牛乳パックの再利用を考える連絡会(全国パック連)」が発足。並行して平井さんらは、地元行政から国、製紙会社、量販店など、さまざまな立場、役割の人々に働きかけながら牛乳パックを回収し、集められたパックのリサイクルシステムを構築すべく、奔走した。
「平井は、『牛乳パックは社会をのぞくレンズなのよ』って、いつも話していました。本当に、牛乳パックを媒体のようにして、平井は世界中の人々とつながっていったんです」
そう話すのは、現在、全国パック連の代表を務める平井成子さん。平井初美さんの猛烈な活動は、世界初となる容器包装のリサイクルシステムを日本で実現させただけでなく、後に制定される容器包装リサイクル関連法や拡大生産者責任(EPR)の内容にも大きな影響を与えていった。「当時、厚生省の課長をされていた方にも『みなさんの活動が実を結んだのは間違いない』と、言葉をいただきました」(成子さん)
実は成子さんは、平井初美さんの長女として、20代のころから彼女の活動を一番近くで支えてきた存在でもある。
「活動を開始した当時はまだ、洗って出すということは日本には浸透していませんでしたが、牛乳パック再利用運動をきっかけに、瓶や缶などの分別収集もよい状態で定着したのだと思います」と、成子さん。事実、現在も紙パックや瓶・缶類を家庭で洗って出すのは、世界でも日本だけの習慣だそうだ。
「昨年も、ヨーロッパのある再生紙工場や分別工場を訪れましたが、飲料の付着した紙パックのベーラー(圧縮梱包機)にハエがびっしりとたかっていて、工場の手すりも階段もベタベタ。それは大変な光景でした。EUでは、事業者への容器回収責任が義務づけられているため、消費者が手間を負うという発想がないんですね。でき上がる紙の品質としても、また労働環境としても、日本ははるかに秀でています」
私たちが何気なく、ともすると意味も考えることなく行っている「洗って、開いて」の先にある、大きな成果を実感するエピソードだ。
今こそ見直したい、「洗って、開いて」に込められた思い
「平井先生が話していた、こんな言葉が今も私の胸に残っています。『牛乳パック回収はリサイクルの問題じゃない、生き方の問題なのよ』って」。パルシステム山梨理事長の白川は、1枚の懐かしい写真を眺めながらそう話す。
そこに写っているのは、平井さんが大勢の子どもたち、大人たちを前に、ジュースミキサーを囲んで何やら説明をしている様子。ご経験のある方もいるかもしれない、「牛乳パックで紙すき・ハガキづくり」体験の一コマだ。
実はこの「牛乳パックで紙すき」という手法も、平井さんが多くの人に「紙」という素材の成り立ちと、モノを無駄なく生かすことの喜びを伝えるためにと、一から考案し広めたものだった。その試行錯誤を、成子さんも印象深い母の姿として記憶しているという。
「紙すきのことなんて全然知らないから、自宅の2階にこもって、夜中まで試行錯誤していました。とにかく、『リサイクルなんてこの程度?』と思われないように、いいはがきを作ることに熱心に取り組んでいました。それでいて変な気負いもなく、楽しそうだったんです。
結果的にはもちろんリサイクルにつながるんですが、平井の第一の目的は子どもたちに、大人がものを大切にしている姿を見せたいということでした。今、日本と世界のリサイクルの在り方がこんなにも違っているのは、この最初の部分の違いじゃないかって思うんです」
そんな平井さんをはじめとする女性たちの奮闘の末に、今、日本の使用済み紙パックの品質は海外でも高く評価されるところとなった。しかしこれにより、思わぬ事態も招いている。世界市場では諸外国の使用済み紙パックに比べ、日本のものだけは品質がよく、高値で取引されるため、海外へ流出しつつあるというのだ。
「何とも皮肉なことです。今、日本のトイレットペーパーがこれほどの安値で買えるのは、国内での紙パック再生があってこそなのに、製紙会社はどこも原料不足で頭を悩ませています」と、成子さん。「リサイクルは、まず資源を出し、再生された商品を購入してまた使う、そこまでで一つの流れが完結するもの。海外に流出してしまっては、せっかく国内でがんばってくださっている製紙会社も再生紙事業から手を引いてしまうかもしれません」
そんな状況のなか、「パルシステムなら回収から製造まですべて連携していますから、理想的です」と、成子さんは言う。
パルシステムの再生紙トイレットペーパー・ティッシュペーパーの仲介に携わるJPホームサプライ株式会社の大久保淳さんも、パルシステムの仕組みを「最も理想的」と評する。
「リサイクルに取り組む企業や生協はほかにもありますが、出した資源の行方が分かり、さらに組合員さん自身が出した古紙がまた商品となって組合員さんの元へと戻ってくるというのは、ほかにはなかなか見られないものだと思います」
そう、パルシステムの『り・さいくりんぐ』シリーズとは、組合員が出した古紙を原料にした、自らが作ったリサイクル商品といえる。もちろん、リサイクルはコストや水資源の問題など、いまだ課題が残る部分もあるが、「今できる環境保全」として、バージンパルプ原料を生かすこと、そして国内での資源循環の実現に取り組んできた。
私たちはいま一度、「もったいない」を胸に日本中にネットワークを広げた彼女たちの思いと原点に立ち返るときなのかもしれない。
まずは子どもと、牛乳パックで紙すきをしてみる――。そんな体験や手触りからも、なにか見えてくることがあるかもしれない。私たちにできることは、まだまだあるはずだ。