「ほんとにあの人はいないのかしら」
かつて小さな漁村の集落のあった一帯は現在(2017年10月現在)、大規模な護岸工事が行われ、巨大な防潮堤が太平洋と陸地を隔てている光景が広がる。絶え間なく土砂を運び入れるトラックの群れ。無機質なその流れは、かつてここが普通に人々の営みがあったことを想像させない、そんな非情ささえあった。
「古くから小さな漁村だったけど、活気のある集落でした。北海道からくる親潮が南岸からくる黒潮に潜り込む海域だから、魚はたくさんいたわねえ」と語るのは長谷川良子さん(仮名)。かつて豊間地区の中心部、目の前はすぐ海、という立地に暮らしていた良子さん。「お父さんとはお見合いして、豊間にお嫁に来たの。腕の良い宮大工だったのよ」
夫は津波に飲み込まれ、今は遺影となって新居の一角から良子さんを見つめる。
「こうして今、毎日ひとり暮らしをしてても不思議な気持ちになるの。空気のような存在の人だったから、ほんとにもういないのかしら?…って気持ちになって。でも、もういないのよね」
良子さんが住まう「新居」とは、平豊間地区から内陸に1キロほど入った丘陵地に造成された復興住宅「豊間団地」のこと。耐火構造の堅牢なアパート群には集合住宅が168戸、敷地内には戸建住宅も24戸が建設されている。
3社の社長が思い立った決断
「こうして丁寧にきれいにして差し上げるのはいつも通りの作業ですが、心なしか気持ちの入れようは変わりますよね」と語るのは、株式会社エコロジーホームサービスの柿崎さん。この日、良子さん宅にエアコンの掃除でお邪魔している“職人”である。
生協パルシステムのエアコンクリーニングの委託会社3社が「自分たちも持ちうる技術を使って復興支援に貢献したい」と思い立ったのは、2016年暮れのことだった。「3社(※)は“同志”として長年、ひとつのサービス事業を協同で担ってきた仲間ですが、あるとき社長たちがふと思い立ったらしくて。うちの社長も帰ってきていきなり、“よし、お前らやるぞ!”と。突然言われた時は、一同ぽかーんだったんですよ」と、柿崎さんは当時を思い出す。
復興のお手伝いはしたい。しかし日常の仕事はおろそかにはできない。だったら、この仕事を活かしてできることはないだろうか? それが、「無償のエアコンクリーニングサービス」だった。3社の発想に、パルシステムも賛同、パルシステム福島の安齋専務に、その具体策を相談した。
「震災から5年あまりが経過しても、まだまだ取り残された人もいる。風化の加速もあったので、とてもうれしかった」
安齋さんは、2014年にいわき市に建設された豊間団地の自治会長たちにその提案をなげかけ、その取り組みは実を結ぶ。記念すべき第1回のクリーニングは2017年3月に、そして9月下旬に第2回が実施され、合計で39戸を訪ねることができた。
※:パルシステムのエアコンクリーニングは(有)清和商会、(株)エコロジーホームサービス、グリーンホームズ(株)の3社が連携して受託している。
「海が見られないのは辛い」
「震災から6年、報道も少なくなり現地の状況がわかりづらくなっている今、現在の状況や課題がわかり有意義でした」と語るのは3社のひとつ、有限会社清和商会の関根秀樹さん。この道、20年の超ベテラン。自宅にお邪魔するだけに利用者には気を遣うものだが、関根さんはその快活で機敏な仕事ぶりでリピーターも多く、“職人の鏡”的な存在だ。
この日、2軒目に訪ねたのは大谷加代さん。今は家族3名で豊間団地に暮らしている。
「幸い夫も娘も、そして愛犬も無事でした。震災後は家族一緒に転々とし、今はこの団地に仮住まいですが、愛犬は老衰で天寿を全うしました。今春には新居で新たなくらしがスタートしますが、連れてってあげたかったな」
愛犬家として近所でも知られていた大谷さんの住まいには愛犬の立派な位牌が備えられ、今もあたたかく見守られている。そんな大谷さんは今、「いわき語り部の会」の一員として、いわきを訪ねてくる観光客や修学旅行生たちに、平豊間で遭遇した震災の一部始終を伝える活動に取り組んでいる。
「私たちにとって何が辛いかって、海が見られないことなの」と大谷さん。内陸に建築された豊間団地からはもちろん、かつて集落のあった地に行っても、そこは今巨大な防潮堤が視界を遮り、かすかに潮の香りがするだけ。
「当たり前だった海が見られないことが、こんなにも自分を不安にさせるとは思わなかった。そんなもどかしさが伝われば」
関根さんはエアコンのクリーニング中も、利用者の気持ちをほぐしていく。大谷さんが愛犬の話に言葉を詰まらせたとき、作業に集中しながらも合間を縫って会話を投げかける配慮が印象的だった。
「継続的な交流が必要」
今回、クリーニングのボランティアを受け入れる決断をしたひとり、管理会事務局長、佐藤隆廣さんは団地の現状は、必ずしも安泰ではないと言う。
「サポートしてくださった多くの心ある方々には感謝してもしきれません。一方で、同じ福島県内にあっても津波被災者と原発事故の被災者では、その補償に大きな隔たりがあるのも事実」
そこには杓子定規な補償システムに翻弄され、人生設計が狂ってしまう人もいる、という現実。被災した人々はこれからも自分たちで自分たちの暮らしは守り、作っていかなくてはならない。
「今回のような生協さんからのご支援もまた継続的なものとして交流できれば、それが何よりと思っています」と佐藤さん。
「復興が進んでも人の心が取り残されているようで、心のケアの必要性を痛感します。パルシステムとともに自分たちでできることはまだまだありますよね」(関根さん)