家が丸ごと、水に浸かった
岡山県倉敷市真備町。今回の豪雨で5千棟以上が浸水、50名以上が亡くなるという、甚大な被害を受けた地域の一つだ。小田川をはじめとする河川の堤防が決壊、広い範囲が浸水し、家が丸ごと水に浸かった。ボランティアによる屋内の泥のかき出しは進んでいるが、同時にリフォームするか、解体するのかの判断を迫られる段階でもあり、将来に不安を抱えたままの被災者も多い。
残暑厳しい8月27日、パルシステム生活協同組合連合会地域支援本部の職員、鈴江茂敏さんとともに現地を訪ねた。現地の状況を再確認するとともに、7月10日から募金の受付を開始した、組合員からの募金の送金先をどうすべきか検討するためだ。
現地では、すでにパルシステムをはじめ全国の生協から職員が派遣され、支援活動が行われている。鈴江さんはまず、支援活動の拠点となる倉敷市のボランティアセンターを訪ねた。
「泥まみれになった家財道具の搬出がようやくひと段落して、これからは床下や天井、壁の中に入り込んだ泥をかき出す作業が中心になります」
ボランティアの仕事内容について教えてくれたのは、「ピースボート災害ボランティアセンター(以下、PBV)」の辛嶋友香里さん。話を聞いている最中も、辛嶋さんの電話は鳴り止まない。それもそのはずで、PBVは、ボランティアの受付から派遣先の決定、道具の管理などまで、幅広く災害支援活動を運営。ボランティアセンターの大黒柱のような存在だからだ。
「8月の盆休み付近の時期は、1400人近くのボランティアが来てくれていたのですが、今はその半分以下。真備町地区は被害範囲がとても広いですし、家屋の掃除は人力が中心で時間がかかるので、まだまだ人手が欲しいのが実情です」
辛嶋さんの運転する車で、避難所となっている岡田小学校へ向かった。主に真備地区の住民、148人55世帯の方(※1)が避難している。ここには、地元の生協「生活協同組合おかやまコープ」の支援で、夕食として弁当が届けられている。
「近くの若い子がとっておいてくれるんよ、私のお弁当。おいしぃやつをちゃ~んと選んでね」。そう、笑いながらお弁当の話してくれたのは、真備地区に住む岡田珠美さん。昼間は避難所から戻り、家の片付けを続けている。その自宅へ案内していただいた。
「何とか一部屋だけでも、使えるようになるといいんじゃがねぇ~」。部屋に一歩足を踏み入れるなり、唖然とする。床も壁も、窓も、ない。残った柱や梁には、なすりつけたような泥のあと。2階まで、水に浸かったのだ。
「私がいつもいたのはこの部屋。目の前に学校があるじゃろぅ? だからね、毎日見よったんよ。お、今日は先生はやいなぁ。子どもたちは運動会かな、なんていうふうにね」。学校の屋根の色も、目前の稲穂も、景色としては変わらない。ただそれを、日常として眺める生活は奪われた。「あっちからとこっちからと、2方向から川の水が来たけぇね、早かったんよぉ~。あっという間じゃったんじゃけぇ」
真備町では、10月19日現在でまだ100人以上(※2)の住人が、避難所での生活を強いられている。
※1:2018年8月27日現在。
※2:2018年10月19日倉敷市発表。
助ける生協、助けられる生協
ここはボランティアセンターに比べて小規模な活動拠点、箭田(やた)サテライト。「長靴を洗ってくださーい!」「シャベルはこちらです」。声を張り上げるスタッフは、色や形こそ違うが、皆、CO・OPの文字が書かれたベストを着ている。
「皆さんお疲れ様です」。鈴江さんの声に、「あれ~今日はどうしたの?」と、生協の職員が気さくに声をかけてくる。西日本豪雨に対し全国の生協は職員を派遣、ボランティアとともに災害支援活動に取り組んできた。
ここでは、現代ならではのスマートフォンアプリが活躍している。ちらりと画面を見せてもらうと、自己紹介や引き継ぎ事項、活動を終えての感想や写真などが並ぶ。「東日本大震災などの時点では、各生協が自分たちなりの支援をバラバラに行っていました。しかし近年は日本生活協同組合連合会さんの呼びかけも手伝って、「生協」として一致団結しての支援活動が増えています。その意味では組織だった活動ができ始めているのではと思います」
こうした災害現場での支援活動に加えて、倉敷のボランティアセンターの運営には地元のおかやまコープが参加。資材や飲料の配送などを行いながら、官庁や行政などと一緒に、ボランティアの派遣先選定などの運営に尽力している。業務をともにする、PBVの辛嶋さんはこう話す。
「土地勘があるからすごく話が早いですし、顔なじみも多い。さらにどの道が使えそうだとかの情報も早い。被災地域の皆さんと言葉が同じなので、同じ支援をしても、そこに安心感や温かさが生まれているように感じます。一緒に活動していて、私たち自身も安心できる。存在感としては大きいです」
災害支援団体は支援のプロフェッショナルだ。その方法は的確でムダは少ない。しかし、外部支援者であるが故に、方言など言葉の壁が生じることもある。そこに生協が関わると、聞きなれた、使い慣れた言葉で被災者に伝えられるようになる。これができるのも全国に生協があるからこそ。地域に根づいた活動をしてきた、地元生協なくしては成り立たない。
暮らしに、寄り添い続けるために
今後、避難所はやがて閉所され、被災者は建設型の仮設住宅や、アパート、マンションなどを借り上げた「みなし仮設」へ移る日がやってくる。体育館などの硬く冷たい床から開放されても、別の不安がつきまとう。隣に誰が住んでいるのか分からないといった緊張感に加え、孤立することで情報が入手しづらくなるなどの懸念だ。特にみなし仮設に入居すると、個人情報保護の観点からボランティアに住所を教えることができないため、その問題が生じやすい。
「そこは私たちの仕事かなと思っています。私たち生協にはそもそも、配送という仕事がありますから。他の団体とも協力して、地域の人々に寄り添って、一緒に頑張っていきたい」。ボランティアセンターの運営にも携わっているおかやまコープの福尾泰平さんは、そう話す。
それを長く続けるために、事業としても成り立たせたいとも福尾さんは話す。外部からのボランティアや支援金は、いつか終わる。その翌日も支援をし続けるためには、支援方法が自立している必要があるからだ。これはおかやまコープに限った話ではない。生活者による生活者のための組織である生協が、いかに自立し、地域住民が安心して暮らしていくための支えとなれるのかは、すべての生協にとっての課題でもある。
「インフラの問題で買い物に行きにくくなってしまった方もいる。そういう方には商品が届くという便利さを通じて、生協の輪に入っていただければうれしい。まずはイベントなどで生協を案内して、その後はうちの組合員さんも混じっての交流をしてくれたら…。いや、そうするぞ!って今は強く思っています。そして組合員同士が支えあう生活支援が、理想形です」
組合員の厚意の募金を、被災地へ
パルシステムは7月10日から「西日本豪雨緊急支援募金」を組合員に呼びかけ、9月12日現在で1億3,897万998円が寄せられた。一人一人の力は小さいけれど、「現地では活動できない、けれども困っている誰かに寄り添いたい」。そんな気持ちが積み重なった、重みのある金額だ。募金は大きな被害を受けた地域の自治体への義援金(1億54万998円)、被災地で活動する支援団体への支援金(3,523万円)、被災した取引先の支援金(320万円)に分けて届けられた。
支援団体として支援金を受け取ったPBVでは、仮設住宅などへの入居で離れ離れになってしまった住民が集い、温かいごはんを囲んで情報共有する場づくりに支援金を活用した。こうした活動には地元生協のおかやまコープや、社会福祉協議会なども参加している。
災害はいつどこで起こってもおかしくはない。だからこそ、起こった場所に関係なく連帯し、地域に根を張る生協ならではのネットワークを生かす。そして、人々が「安心できる暮らし」を取り戻す支援に尽力する。生協にできることは、まだまだある。