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「被災地への思いを、あなたの町にも向けてほしい」 熊本地震から学ぶまちづくり~生協にできること(1)

  • 暮らしと社会

2016年4月の熊本地震から2年半。被災地では、プレハブの仮設住宅での暮らしが長く続いているほか、アパートやマンションなどを借り上げた「みなし仮設」では、被災者が地域で孤立するなどの課題も出ている。甚大な自然災害が他人事ではない今、私たちが学ぶべき住民が主体のまちづくりとは何か。生協パルシステムが組合員による募金を基に設立した「パルシステム熊本地震支援ファンド」の助成先で、どんな取り組みが進んでいるのか。現地を訪ねた。

“笑いカフェ”は被災者の心の拠りどころ

 「ヨカバイ! ヨカバイ! イェーイ!」

 楽しそうに身体を動かしながら、大きく口をあけて大笑い。ここは熊本城のそばにあるコミュニティスペース「じーばーずcafe」。今日は、「くまもと笑いヨガ倶楽部」が毎月第3水曜日に開く「笑いカフェ」の日である。

笑いカフェの参加者

 「私たちがやっている『笑いヨガ(ラフターヨガ)』は、笑いの体操とヨガの呼吸法を組み合わせたものです。無理なく身体を動かしながら、最後はみんなで、ただ意味もなく笑う。いつでも、どこでも、誰でもできる。愉快な健康法ですよ。ハハハハ!」

 満面の笑みで語るのは、同倶楽部代表の西嶋敏(さとし)さん。月に一度の「笑いカフェ」は、地震で被災した熊本の人たちにとって、大切な“笑える居場所”となっている。

西嶋敏さん

「くまもと笑いヨガ倶楽部」代表の西嶋敏さん

 西嶋さんは52歳のとき、心臓の大手術を受けた。その闘病中に、TVのニュースで『笑いヨガ』のことを知った。つらいときこそ、笑いが大切。そう痛感した西嶋さんは、「笑いヨガティーチャー」の資格を習得。“笑いの伝道師”として、2010年に「くまもと笑いヨガ倶楽部」を設立する。

 その後、入退院を繰り返しながら、熊本で活動を続けてきた。笑いヨガの仲間も増え、『笑いヨガ』は少しずつ地元に広がっていく。それから間もなく、あの熊本地震が起きたのだ。

笑い声にあふれた避難所の夜のこと

 被災者として、避難所で夜を明かした西嶋さん。「こういうときこそ、笑いでみんなを元気づけたい。でも、自分に何ができるのか」そう自問自答した。

 そんなとき、一般社団法人「よか隊ネット熊本」(※1)の当時代表だった佐藤彩己子(あやこ)さんから、ある依頼を受ける。「避難所で車中泊する人たちに、炊き出しをするので、笑いの力を貸してほしい」

 ある夜、西嶋さんは妻の和子さんと、熊本市内の避難所を訪れた。「俺たちを笑わせてみろよ」。被災した若者から、そう挑まれた西嶋さんは、若者の手を握り、精一杯の笑いで応えた。つられて若者も笑い出し、笑いはいつしか避難所全体へと広がったという。

笑いカフェのようす

笑いカフェの一コマ。右は西嶋和子さん

 「笑いの力はすごい。そう実感しました。自分が笑うことで、相手にも笑いが伝わったんです。それからは『笑いの炊き出し』と称し、笑いヨガの仲間と、避難所や仮設住宅を回るようになりました」(西嶋さん)

 「パルシステム熊本地震支援ファンド」のことを知ったのは、「よか隊ネット熊本」とのつながりが縁だった。ファンドの助成金は、年に一度熊本で開催する「笑いヨガフェスティバル」のほか、「笑いの炊き出し」「笑いカフェ」「笑いの炊き出し養成プロジェクト」の活動費に充てた。

 養成プロジェクトでは、高校生含む12名の「笑いヨガLeader」が誕生。“笑いの伝道師”は、地元・熊本で少しずつ増えている。

 一方で、“笑えない”人たちは今も、熊本には数多くいる。「みなし仮設」では、地震前に住んでいた地域を離れての暮らしのため、知り合いも情報もなく、孤独を深める被災者が少なくない。

 「“笑い”をテーマにした場づくりを、熊本でもっとやりたいです。目には見えない、人には言えないつらさを、みんなが抱えている。その中で、前を向いて、生きようとしている。だからこそ、私は言いたいんです。『笑って、いいんですよ。笑いだけは忘れないでね』と」(西嶋さん)

※1:困窮者支援、環境問題、地域の孤立者支援、子ども支援、東日本大震災の被災者支援などの活動団体により発足。熊本地震で被災し、公的支援の手が届かない被災者への支援に取り組んでいる。

くまもと笑いヨガ倶楽部のみなさん

熊本城を背に笑う、「くまもと笑いヨガ倶楽部」のみなさん

地域の活力を育む「シェアストア」

 上益城(かみましき)郡御船(みふね)町も、熊本地震で大きな被害を受けた。その中心街に2017年12月、築150年の元・鮮魚店をリノベーションした「シェアストア★みんなのふね」がオープンした。

みんなのふねの外観

「シェアストア★みんなのふね」

 運営するのは、「一般社団法人OJAK(オジャック)」。御船町を拠点に、有機野菜販売、移住支援、イベントなどを通して、熊本のまちづくりに取り組む団体である。

 「みんなのふね」では、地元の人たちが店長を“シェア”する。居酒屋、カフェ、家庭料理、ヨガ、ヘナサロン、ウクレレ教室など、店長がそれぞれ得意なことで店を開く。

ウクレレ教室のようす

温かみのある店内で開かれるウクレレ教室

 今回お邪魔したのは、水曜日の夜。毎週この時間は、旬の有機野菜をたっぷり使ったメニューが人気の「オーガニックカフェ そらのもり」と、豆からこだわった珈琲を供する「Coffee【豆】伊勢屋」が同時にオープンする。

 注文した「おまかせプレート」には、御船町産の有機野菜がたっぷり使われていた。なすとこどもピーマンの煮浸し、レンコンと人参のごま酢合え、ゴボウと人参とコンニャクの炒め煮、栗ごはん……。一品一品、手間ひまをかけた料理ばかりだ。

おまかせプレート

「オーガニックカフェ そらのもり」の「おまかせプレート」

 元の鮮魚店は、店主が高齢だったこともあり、地震を機に廃業した。OJAK代表の園田光祥(みつよし)さんは、「御船町でボランティア活動する中で、この空き店舗と出会った」と語る。

 「御船町の方から、『空き店舗を使ってほしい』と相談を受けた頃、『パルシステム熊本地震 支援ファンド』のことを知りました。そこで、地場の有機野菜や果物を使った加工食品の加工場を作ろうと考えたんです」

野菜を炒める

御船町には有機野菜を育てる生産者が多い

 ファンドの助成金は、空き店舗をリノベーションする費用に充てた。その工事の様子を、興味深く見守る御船町の人たちからは、「ここでお酒が飲みたい」「手作りのお菓子を出したい」といった声も出てきた。

 「地元の皆さんに喜んでもらえるのならと、入ってすぐの場所をカフェ&バーにし、奥を加工場にしました。おかげさまで、連日盛況です。御船町では、元の生活に戻る人も増えました。でも、前向きになれない人たちもいます。『みんなのふね』の存在が、少しでも地域の人たちの励みになってくれたら、うれしいです」(園田さん)

加工場のようす

カフェ&バーに併設する加工場(写真提供=OJAK)

アレルギー対応の災害非常食を

 「みんなのふね」の加工場では今後、地元産みかんのソースや有機野菜の漬け物を商品開発。地元の雇用の場にすることを目指している。この加工場には、二児の父である園田さんの、ある切実な願いも込められていた。

 「私の長女(10歳)が、小麦・卵・牛乳などの食物アレルギーなんです。熊本地震のときは、支援物資の食品がほとんど食べられませんでした。地域の有機野菜で、無添加で、食物アレルギーに対応した災害非常食、例えばグルテンフリーの食品を、ここで加工できないかとも考えています」

園田さん家族

園田光祥さん、妻の萌子(もえこ)さん、今年8月に生まれたばかりの竹麻(たくま)君

 「熊本を応援したい!」というパルシステム組合員の思いが、「支援ファンド」の形で寄せられたことについて、園田さんはこう話す。

 「どこかでまた、大きな自然災害が起きるかもしれません。私たち家族と同じような悩み、苦しみを抱える人たちが、きっとまた出てくるはずです。アレルギー対応の災害非常食を、何か起きたときに支援物資として役立ててもらう。それが、今回使わせていただいたファンドの助成金を、次に生かすための知恵だと思っています」

「おしゃべりの会」が育む当事者同士の支え合い

 熊本市市民活動支援センター「あいぽーと」では、毎週水曜日の午後、「NPO法人でんでん虫の会」が主催する「おしゃべりの会」が開かれている。集うのは、生活保護など、何かしらの支援を必要とする、独り暮らしの人たちである。でんでん虫の会の会員(年間一口500円)になれば、誰でも参加することができる。

おしゃべりの会のようす

「NPO法人でんでん虫の会」が主催する「おしゃべりの会」

 「おしゃべりの会」では毎回、テーマ(お題)が出される。今日のテーマは、「今まで一番悲しかったこと」と「思い出の場所」。最愛の家族を亡くしたこと、新婚旅行や家族旅行の思い出、生まれ故郷の忘れられない風景。

 それぞれの人生が投影された悲しみと思い出に、周りの参加者はじっと耳を傾ける。だからといって、重苦しい雰囲気ではない。休憩時間には、参加者がお茶を飲みながら、参加者は楽しげに談笑していた。

おしゃべりの会で発言する参加者

 「『おしゃべりの会』は、相談の場でもあるんです。さまざまな事情を抱えた人たちが参加するので、当事者の困りごとも、お互いに話しやすい。当事者どうしの支え合いが、ここで育まれています」

 そう話すのは、同会の事務局長で、社会福祉士・精神保健福祉士の吉松裕藏さんだ。

吉松裕藏さん

「でんでん虫の会」事務局長の吉松裕藏さん

 でんでん虫の会が発足したのは2010年。熊本市内で独り暮らしの方が亡くなり、死後2か月で発見された出来事がきっかけだった。「でんでん虫」の名は、熊本の方言「なんでん・かんでん(どんなことでも)、いつでん・どこでん(いつでもどこでも)、だれでん・かれでん(どんな人でも)」に由来する。

 「高齢だったり、障がいがあるなど、『災害弱者』となる会員さんも多く、減災をテーマにした勉強会も開きました。災害時こそ、支え合いが不可欠ですから。でもまさか、熊本で地震が起きるとは、私も考えていませんでした」(吉松さん)

相談する車椅子の方

災害の起きる前に、弱者に寄り添うまちづくりを進めていく

 でんでん虫の会の会員は、熊本地震の発生直後から、避難所でボランティア活動を始めた。「おしゃべりの会」も休まず開かれた。しかし、会員の多くもまた被災者であり、身寄りや頼る人のいない人たちである。

おしゃべりの会のようす

 「一番心配だったのが、壊れたアパートから入居者が退去させられるケースです。保証人を探して、次の住まいを見つけるのは、大変なことです。懇意にしている不動産屋さんに事情を話し、部屋を押さえてもらいました」(吉松さん)

 吉松さんが懸念しているのが、「みなし仮設」の入居期限後のことだ。身寄りのない独り暮らしの人が、自分たちで次の住まいを探さなければならない。でんでん虫の会が身元引受人となり、次の住まいを見つける人も少なくない。

 「元路上生活者や生活保護を受けている人たちへの、世間の冷たい目もあります。福祉の対象は“高齢者”だけではないという視点が、地域にもっと必要だと感じています」(吉松さん)

相談する参加者

 2017年には、「パルシステム熊本地震支援ファンド」の助成を受けて、伴走型支援士(※2)養成講座を開講した。地元のケアマネージャーなどが受講し、暮らしに困難を抱える人に寄り添うことの大切さを、広く伝える機会となった。

 「パルシステム組合員のみなさんをはじめ、全国の人たちが今も、熊本のことを心配してくれる気持ちは本当にうれしい」と吉松さん。「生協に何ができると思いますか?」と最後に尋ねた。

 「困りごとを抱えた人たちには、それぞれに事情があります。差別や偏見をなくし、そうした人たちに私たち一人一人が、どう向き合うのか。被災地に向ける温かな思いを、自分たちが暮らす町にも向けてほしいです。災害は、いつ、どこで起きるかわかりません。災害の起きる前に、弱者に寄り添うまちづくりを進めていく。それが、生協にできることではないでしょうか」(吉松さん)

※2:特定非営利活動法人「ホームレス支援全国ネットワーク」認定の民間資格。個々の判断や経験だけに頼らず、路上生活者支援の本質論・技術論・生活支援の流れなど、幅広い知識 をもって支援活動することが求められる。

取材協力=くまもと笑いヨガ倶楽部、一般社団法人OJAK、NPO法人でんでん虫の会 取材・文=濱田研吾 写真=坂本博和(写真工房坂本) 構成=編集部