最大瞬間風速記録を、10の地点で更新
台風15号は2019年9月8日に日本に接近。神奈川県から東京湾を通過した後、千葉県を直撃し、茨城県から太平洋へ抜けた。強い勢力を維持したまま千葉県に上陸した台風15号は、千葉市中央区で57.5メートルという観測史上1位の最大瞬間風速を記録(※1)。ほかにも千葉県では9つの観測地点で、記録を更新した。
風速40メートル以上の風は、時速に換算すると140km以上になる(※2)。それだけの風が、町と山を駆けた結果、屋根が飛び、木々は折れ、電気や水道などのライフラインにも深刻なダメージを与えた。
台風から2か月半ほど経った11月下旬、千葉県東金市近くに暮らすパルシステム千葉の組合員、辻里美さんを訪ねた。
「とにかく体験したことのない雨と風。ふだんはぐっすり寝ている子どもたちも起きてきて『おうち大丈夫?』って。『大丈夫…だよ』、自分にも言い聞かせるように答えました。それくらい、未体験の恐怖でした」
翌朝、外の光景は辻さんをあぜんとさせた。手作りした木製の門は道路まで飛ばされ、さくはバラバラに。コニファーの木も根元から折れている。さらに目線を先の道路に移すと、カーブミラーが根元から折れ、近隣の住まいの家財が散乱していた。
「それでも水も電気も大丈夫。ご飯も食べて、昨夜は大変だったな、なんて思っていた午後3時。友人から『お水が出ないんだけど、どう?』と連絡が。えっ!って。確かめると、うちもだめ。断水でした」
慌てて水を買いに出るも、手に入ったのは500mlのペットボトル8本。5人家族には圧倒的に不足している。その後断水は3日続いた。
いつもの生協が生んだ笑顔
辻さんが加入する生協のパルシステムは原則、週に一度注文を受け、商品を届ける。月曜日は辻さんの配達日。ふだんは午前中に届くが、台風直後のこの日、午前中には届かなかった。無理もないと思っていた午後、まさかが起きる。いつものトラックがやってきたのだ。
「配送員さんが商品を持ってきてくれた、それだけで感動しました。だれもが自分の家族を最優先する状況です。道路もがれきだらけ。倒木で道がふさがれている所もある中、わたしたちのためにきてくれた、って」
その夜。届いた商品は食卓に並んだ。子どもたちの好きな、まぐろとサーモンが入った丼だった。そして、明るい笑い声が戻ったという。
「パンを頼んだら届いたのかな? 水も届いたのかな? 子どもたちと無邪気に話しましたね。台風の緊張から解放され、ふだんが戻った気がしました」
南房総では、屋根が、壁が吹き飛んだ
房総半島の南端近く。サーファーが浜辺に集い、やしの木が風に揺れる南国ムードから、観光地としても人気のエリアだ。
この南房総を管轄とするのが「東安房漁業協同組合(以下、東安房漁協)」。千葉県の漁業者の1/3が所属しているといえば、いかにエリアが広大か分かるだろう。
「これまで大きな災害もなくてさ、本当に平和でいい所なんだ。この辺は。だから今回は本当に参った」
そう話すのは、東安房漁協・南房総支部長の長谷川繁男さん。被害状況は、そのおおらかな口調をもってしても、悲惨だった。
「工場の屋根や壁が強風で飛ばされ、雨が建屋内ににじんでくる所もある。同じ建屋の事務所は窓が割れ、雨風が入り込みパソコンなどはすべて壊れました。資材庫の屋根も飛び、空が見える状況。社員寮の屋根は半分飛びました。8人のスタッフはかっぱを着て二つのトイレに身を寄せ合い、寝ずに一晩を明かしました」
これは飽くまでも本所施設に関連する被害。房総半島に広がる百数十の施設で、似たような被害を受けたという。
商品の被害も甚大だ。まず名産の乾燥ひじきが雨にぬれた。養殖事業の被害は目を覆いたくなるレベルで、いせえびが4トン、あわびが1トン、さざえが2トン死滅した。原因は、停電だった。
「あわびは一番値段がいい時期で、しっかり仕上げたものを集めていた。それがだめになった。一年の売り上げを考えても深刻です」
9月はパルシステムで人気商品になっている、「しめさば」の製造のピークでもあった。冷凍庫にはぎっしりとさば原料を集めていた。これが吉凶を分ける。お互いを冷やし合うこととなり、さばは5日間にもわたる停電を耐え抜いたのだ。工場を管理する場長の鈴木貢さんは話す。
「あと1日電気の回復が遅れたら冷凍庫の原料はすべて解けてしまったでしょう。それくらいひっぱくしていました。でも祈ることしかできませんでした。冷凍庫のドアは電気で動くので、原料を運び出すことはできなかったんです」
15号被害のあとにも、台風19号、21号の大雨、スタッフの被災などが重層的に発生。15号の教訓を生かした対策が奏功して停電被害は防げたものの、しめさばの製造が本格的に復旧したのは、11月中旬のことだった。
台風が暴いた、地方の課題
かわらなどを風で飛ばされ、むき出しになった屋根を覆うブルーシートの下でも、被害は進行していた。
「ブルーシートでは完全に雨を防げない。雨が壁の裏や畳にしみ込んで、かびがぶわ〜っと生えるんです。しかも最近の雨は粒が大きくて、量も多いからたちが悪い。台風のあとも、被害が進行しているんです。早く直したくても、業者は地方にもともと少なく、圧倒的に不足している状況。一人で50軒の見積もりを頼まれている大工さんも珍しくない。じゃあとDIYを決意しても、資材が入ってこない…」(長谷川さん)
東安房漁協が位置する南房総市は、千葉県の高齢化率で3位、隣接する鋸南町は2位(※3)と高齢化が進んでいる。高齢者だけでは、ブルーシートをかけることもままならない。自動車が壊れでもすれば、食べ物の買い出しも困難になる。避難所に行くにも黄色信号がともる。だがこうした一生活者の情報が、ニュースのヘッドラインになることはない。地方の現実は、想像よりも深刻化しつつある。
生協の支援に、期待したいこと
「だからさ、生協の皆さんには、人の派遣も含む支援を検討してもらいたいと思うんです。ボランティアの皆さんにはもちろん感謝していますが、生協の職員さんや組合員さんが来てくれるとなると安心感が違う。知った顔の人が来てくれるということは、気持ちも前向きになります」(長谷川さん)
パルシステム連合会は12月10日、東安房漁協へ350万円の支援金を届けた。「応援したい、いつもありがとう」など、組合員が気持ちを託したカンパは、総額9535万187円もの金額となった(※4)。
「ありがたいです。本所の加工場の再建だけで、7億円ほどかかる見込み。きれいごとを言っても、やっぱりお金は必要になるものですから。でもね…これも最終的にはお金になっちゃうんですが、商品を注文してもらえるとうれしい。注文数はパートさんにも伝わる。その数の分だけ応援してくれている人がいると思えるから、力になる。みんなのね」(長谷川さん)
加工場の敷地にはまだ、砕けた屋根材などの破片が散らばり、廃棄処分のパソコンなどが山積みになっている。
「もともと台風などが来れば30mくらいの強風は吹く所なんだけど、今回は60mくらいのが吹いた。前日に急に台風の進路が変わり、勢力が増して不意打ちを食ったのもある。11月の今もまだ停電するし、夜になると潮水を浴びた電柱からバチバチっと火花が見える。50数年ここに住んでいるけど、こんなの初めて。ほっとできるのは……全部が直ったときかな」
長谷川さんのまなざしの先には、修繕を待つ工場と千倉の町が広がっている。
「もうやめようかと、思ったんです」
君津市の曲がりくねった山道を車で進む。不意に違和感を感じて車窓に目をやると、道路わきの木が、おじぎをするようにポッキリと折れている。それも1~2本ではない。
「台風が折ったんです。全部」
運転席から教えてくれたのは、パルシステムへ卵を供給する産直産地の一つ「株式会社菜の花エッグ」代表の梅原正一さん。クワックワッと元気な声が響く鶏舎に着くと、当時のことを話してくれた。
「暴風で鶏舎が動かされ、屋根も飛びました。翌日は猛暑で鶏たちはダメージを受けました。すでに停電していたから、えさも水も人力でやるしかない状態。スタッフ総出で鶏の命を守るべく奮闘したけれど、このエリアで飼っていた4万2000羽のうち、4000羽ほどが死にました」
被災した鶏舎をのぞくと、えさが流れるレールはぐにゃりと曲がったまま。当時の過酷な状況を物語っていた。風以上に深刻なダメージを与えたのは、12日にも及ぶ停電…正しくは、停電の情報だった。
「『明日復旧する』と聞いて、翌日になると、また『明日には』、と情報が更新される。目の前の信号がともれば、いよいよかと思うじゃないですか。でも復旧したのは12日後です。しばらく復旧しないと分かっていれば、別の対策も採れたのですが…」
台風の直後は、事業をやめようかと思った。梅原さんは当時のショックを隠さない。出荷数は1/8以下になり、被災していない鶏舎の鶏たちも、ストレスで卵を産まなくなっていた。壊れた鶏舎以上に、見えない問題が梅原さんを苦しめ続けたのだ。
「どんな理由であれ『商品を出荷できない』となると、一般的なお店はほかの会社の商品を仕入れる。それはしかたがない。でも『また用意できました』となっても、元には戻らないことが多い。食品の現場はシビアなんです」
梅原さんは今回、それが分かっていても出荷先を減らす決断を重ねた。鶏が卵を産まない以上、大口の出荷は維持できないからだ。ほかにも原因があった。停電で、パックセンターが稼働できなかったのだ。
一つの卵も、無駄にしないために
「卵はパッキング時に、センターで選別包装者や採卵者を記入する必要があります。基本的にこれができないと流通にのせられない。でもそれを何とかしてくれたのが、パルシステムでした。別の産直産地のパックセンターでうちの卵をパッキングしてくれるように話をつけて、しかも商品の受付時間も延ばしてくれた。これはうれしかったです」
なぜそこまでしたのか。それは「卵を無駄にしたくない」という、生産者と同じ思いがあったからだ。食品の流通は例外を極力なくすことで、安全性を確保しているところがある。それだけに短時間で例外を突き通すのは容易なことではなかっただろう。
「12日間の停電を乗り切って、やれやれと思ったら今度は19号。そのときも停電しちゃってね、またこの作戦で出荷したんだ。前回で実地の経験を積んでいるから、19号のときは慣れたもんだよ」
梅原さんが笑って話せるようになったのには、現場で奮闘する社員と、困難に立ち向かう同業者、二つの存在が影響している。
「経営者としては少し先を見てしまって、修繕費とそれを回収するには…と暗くなっていた。そんなときも社員のみんなは一生懸命に鶏舎を直し、取引先に頭を下げてくれた。そして同業者の奮闘を見て、関わるうちに『やるか、もう一度』と思えたんです」
しかし復興に必要な努力は、精神論で乗り越えられるほど甘くはない。鶏舎などの修繕だけで4億円、さらに鶏が卵を産むようになるまでの飼育費もついて回る。
「鶏舎を建て替える間は、どうしても鶏の数が減るから卵の出荷数量も落ちる。それは売り場を失うことを意味するので、そのリスクも負わなければならない」
「鶏は卵を毎日産みます。土日も祝日も関係ない。だから『卵』として出荷できない卵(余剰卵)を使う加工商品などをたくさん開発してくれるとありがたいですね。一つでも『もったいない卵』を減らせますし、収入にもなりますから」
いまだ不安と期待が交錯する状況だが、梅原さんの目は力強く前を向いていた。
地域の一員として、組合員として
辻さんは、経験を役に立てたいと考え始めた。
「わたしたち千葉県に暮らす組合員は、停電、断水、浸水などの災害下で暮らす経験をしました。このときのアイデアをみんなと共有できれば、だれかのヒントになれるかもしれません。生活者の協同組合である生協に、組合員として期待したいところです」
「独り暮らしのお年寄りのことが、ずっと気になっていました。生協なら配送の途中でどんな人がそこに住んでいるか、知る機会がありますよね。今回のような時、そういう人にも声をかけてくれるとうれしいなと思いました」(辻さん)
横で話を聞いていたパルシステム千葉・東金センター長の松島大介さんは、メモを取り終えると、話し始めた。
「センターはどうあるべきだったか、今でも答えを探しています。センターは断水しませんでしたし、電気も大丈夫だった。届けることは難しくても、取りにきていただければ提供することはできました。でも、それを伝える手段がなかったんです」
だから今、こう思っているという。
「もっとふだんからセンターの仕事や、イベントの告知をして、組合員だけでなく、地域の人に知ってもらいたい。何かあったときに、『あそこに行ってみるか』って思ってもらえるくらいに。それが地域とともにある生協の役割なんじゃないかと、思っているんですよ」(松島さん)