親と栄養士の思いから始まった給食
――東京都武蔵野市の給食センター
東京都武蔵野市は、有機食材の使用を含む「安全安心な給食」作りを行う、オーガニック給食の先駆け的存在のひとつだ。その取り組みは、40年以上前に一人の母親と一人の栄養士が声をあげたことに始まり注釈、2010年には「武蔵野市給食・食育振興財団」を設立。新宿からほど近い場所でありながら「地場産」の野菜を積極的に取り入れる。
2021年に新設した最新鋭の桜堤(さくらづつみ)調理場では2024年現在、市内の中学校6校と小学校2校、計86クラスに毎日約3,000食を提供している。
「武蔵野市の給食のモットーは、安全安心な食材を使うこと、手作り調理にこだわること、伝統的な和食の献立を中心にすることです。その結果、今のような有機農産物を取り入れた形にたどり着いています。「財団」という形をとったのも、40年以上前に子どもによい食を、と声をあげた方々の思いや、子どもたち、地域の方々とのかかわりをきちんと組織として継承していくためでした」
財団の事務局長、大杉洋さんはそう話す。
朝7時45分、野菜の下処理と洗浄が始まる。この日の副菜に使う玉ねぎ、小松菜は地場産のもの。「泥落とし室」があることが武蔵野市ならではだ。泥付きのものや、有機であればときどき潜んでしまう虫を、ここで丁寧に洗う。
有機の食材を使おうとするとき、泥が付いた野菜の洗浄、ふぞろいなものの下処理がネックになりやすいが、武蔵野市でもそれを特別早くこなす方法があるわけではない。手間ひまをかけてもよい給食を届けようという思いを、ここで働く人みんなで共有していく。本当に、ただそれだけなのだそうだ。
煮炊き調理のエリアには、400リットルの蒸気釜11釜がずらりと並ぶ。山盛りのかつお節と昆布でだしを取る釜からは、いい香りが漂う。みそ汁の日は毎日、昆布とかつお節からだしをとっているという。
そこにたっぷりの野菜と、国産大豆が原料で消泡剤不使用の豆腐を使った生揚げを入れて。みそは東京都練馬区のみそ蔵「糀屋三郎右衛門」のものを使った合わせみそ。給食に使うのであれば、と提供してもらっており、もう長いつきあいになるそうだ。
「炊飯室」では、化学合成農薬と化学肥料を使わずに栽培された新潟県妙高市産の米も炊き上がり、鶏肉の照り焼き、ひじきのガーリック炒めも続々と完成。10時半には配送トラックの第1陣が出発。11時半ごろには、すべての学校に給食が行き届く。
武蔵野市の職員である栄養士の諏訪久子さんにお話を聞いた。桜堤調理場には1年前に異動してきたが、長く市内の小学校に勤務し、「武蔵野市の給食」を継承し形づくってきた一人でもある。
「昔から、調味料も含め食材にはこだわって、可能な限り産地やメーカーさんのところに足を運んでいます。地場産野菜の仕入れは、もともと市内に一人だけ農薬をできる限り使わないという農家さんがいらっしゃって、その方が始まり。もっとそういう農家さんを増やしたいねとなり、JA東京むさしさんに相談したのが25年くらい前。何人か紹介いただき、一人ひとりお話しに行って。
そういったことを続けてきて、武蔵野市はだいぶ体制が整ってきていると思います。新たに始めることは大変なこともあると思いますが、だれかがどこかで信念を持って踏ん張らないと先に進まない。信念を伝えていけば、きっと賛同してくれる人がいるはずです」(諏訪さん)
盤石な給食作りの背景には、密にコミュニケーションを取りながら長い時間をかけて築き上げてきた、さまざまな人たちとの関係性がある。そんな武蔵野市の取り組みをぜひ学びたいと、国内外からの視察も増えているそうだ。
桜堤調理場の場長、宮澤大介さんは、「我々としては『オーガニック給食』をめざしたというより、『安全安心な給食を』実現しようとした結果なのですが」と前置きしたうえで、こう話してくれた。
「食材へのこだわりも、手作りした海苔の佃煮やりんごのジャムも、食べているお子さんたちはきっと、特別なことだとは思っていない。でも、子どもたちには選択肢がありませんから、未来を担う彼ら彼女らのために、我々大人が安全安心でおいしいものを提供する責任があるのではないでしょうか」
畑から変えて、世の中を変えていく
――茨城県の産地・カモスフィールド
「安全安心でおいしいもの」を調達するために、思いを持った農家の存在が不可欠になる。茨城県で給食への取り組みが大きく進んでいると聞き、常陸大宮(ひたちおおみや)市を訪ねた。JR常陸大宮駅から車で15分ほどのところに、パルシステムとも産直提携を結ぶ、農業法人カモスフィールドの畑がある。
県内の常陸大宮と笠間の2カ所に拠点を置き、化学合成農薬や化学肥料を使わずに小松菜やほうれん草などの葉物、トマトや里芋を栽培。2022年から常陸大宮市内の学校給食に野菜を出荷している。
野球場約2つ分(約1.7ha)の敷地にハウスが立ち並び、いきいきと育つ小松菜の畑に、雑草も同じくいきいきと育っていた。
「このくらいの草は全然問題ないです。僕たちの農法では、種をまく前にどれだけ土中の微生物によって発酵させるかが勝負。種をまいたあとはほとんど世話をすることはないですね」
カモスフィールドの農場長、横山慎一さんはそう話し、植わっている小松菜を1株取ってパクリ。何とついでに、雑草も1本抜いてパクリ。
「うちの小松菜はえぐみが全然ないでしょう。えぐみは葉先に出やすいんですが、生で食べてもおいしい。味の良し悪しは雑草にいちばん表れます。雑草って畑のいいものも悪いものも全部吸うので。いい畑に生えた雑草は全然生で食べられますよ」
手作業での除草もやむを得ない場合のみ。きちんと微生物が活発に働いて土壌が発酵していれば、雑草が生えても、少し虫に食べられても、作物が負けない。また、微生物が自らの力でしっかりと地中から水を吸い上げてくれるので、夏場でもほぼ水やりの必要がないのだという。
微生物のえさとなる有機質肥料を入れ、約2週間かけて発酵させる畑の土は、驚くほどふかふか。発酵がうまくいったかどうかは、ハウスに足を踏み入れたときの感触だけでわかるそうだ。
代表の大橋正義さんは、「おもしろい農業をやりたい」というごくシンプルな理由で今の農法にたどり着いた。そして同じ考えを持つ横山さん、もう一人のメンバー照沼さんと、カモスフィールドを立ち上げる。
「人間が作物を育てるのではなく、微生物に育ててもらうという考え方。自然の法則の原点を追求していくのがおもしろい。化学合成農薬や化学肥料を足していくやり方じゃなくて、どんどん削ぎ落としていこうと」
一般的な農法とはまるきり異なるやり方に、当初は周囲から「何をやっているんだ、あいつら」と言われたことも。しかし今では市から補助金注釈が出るようになり、給食への取り組みにもかかわり始め、「世の中捨てたもんじゃない」と思ったという。
給食については、もちろん野菜を出荷する現場にも課題はある。学校の長期休み中に出荷ができなくなることや、先述の武蔵野市と同様、泥やふぞろいの問題など。しかし「『難しい。だからやらない』じゃなくて、子どもたちや地域にとって絶対いいことなんだと。だから絶対実現しよう、そのためにこの課題をクリアしよう、というビジョンを持ってやらないといけない」と大橋さんは話す。
常陸大宮市ではまさに、実現しようと各所が手を取り合い、進み始めている。市が事前に給食センターとも話をしていたため、野菜の多少のふぞろいや泥は難なく受け入れてもらえるという。
「有機野菜がもっと当たり前になり、『有機』というくくりすらなくなるような世の中になれば、オーガニック給食も自然と広がっていくと思うので。まずは作る側である僕たちが頑張りたい。畑から変えていかないといけないと思っています」(横山さん)
農家を後押しし、市民も巻き込んでいく
――茨城県常陸大宮市の取り組み
カモスフィールドがある茨城県常陸大宮市は、2023年に「オーガニックビレッジ宣言」注釈を行い、有機農業の推進に今最も力を入れている市区町村のひとつだ。2か所の給食センターで小中学校15校に毎日約2,700食を提供する中で、2027年度にはみそやしょうゆ、パンや麺なども含め100%オーガニックの給食を実現することを目指している。
鈴木定幸市長(2020年より現職)はオーガニック給食の推進に取り組む理由についてこう語る。
「最大の理由は、今の日本の残留農薬基準に非常に疑問を持っているからです。因果関係は立証されていませんが、子どもの発達障害やアトピーに悩む親御さんも増えている。いっぽう、オーガニック給食に変えたことで病欠の子どもが減ったというデータが出ています。そんな状況の中で学校給食を変えたいという思いが前々からあり、首長になりましたからさあやるぞと」
補助金、支援の体制を整え、茨城県で有機農法を実践していたカモスフィールドと、もう1社の農業法人を誘致した。そして、JA常陸とも連携する。JA常陸の組合長・秋山豊氏は「この先の農業では、オーガニックなくしては生き残れない」と断言しており、市の方針とは合致していたのだが……。
JAの生産者から出たのは「失敗したら責任を取れるのか」という声だった。本当にその農法でうまくいくのか。ちゃんと収入になるのか。
そこで、生産者が安心して有機農業に取り組めるよう、作ったものは市で可能な限り適正な価格で買い上げることを確約した。2023年からは有機米作りもスタートしている。
「先日子どもたちと給食を食べましたが、野菜の味も本当に濃くて、エネルギーがもらえる感じがしましたよ。親御さんたちも、子どもが給食で食べているから家でも取り入れてみよう、と関心を持つきっかけになればと思います」(鈴木市長)
常陸大宮市では今後、有機農業に特化した就農支援の体制も整えていく。定住促進につながれば、地域の活性化も期待できる。
仕組みだけでは、もちろん活動は続いていかない。給食を喜ぶ子どもたちと、その子どもたちにこんな食べ物を……と願う大人たちの存在こそが何よりの原動力になる。鈴木市長も「市の取り組みを通してこれからどんどん市民の関心や理解が深まっていけば」と期待を寄せている。
つながり始めた声と声。大きなうねりへ
――サイトの立ち上げやフォーラムの開催も
国内全体の状況はどうだろうか。農林水産省のデータによると、2022年度、給食に有機食材を取り入れている自治体は193市町村。前年度の137に比べると大きく増えている。
海外に目を向けると、世界的にも取り組みが進んでいるのが韓国だ。大都市ソウルでは、2021年からすべての小中高校でオーガニックかつ無償給食が実施された。提供がスタートした当時の数字で、小中高1,348校、約83万5,000食分。
同様に先を行くフランスでは、2017年に「学校給食に20%のオーガニックを含む50%の高品質の製品を取り入れる」ことが法律注釈で義務づけられた。「当たり前」を大きく変えていくためには、やはり国の動きが不可欠だ。
「数年前の日本では、『オーガニック給食』なんて言っても鼻でフンと笑われるような感じでした。で、その費用はだれが負担するの?とまずお金の話になるような。ようやく今、本当にがらっと状況が変わってきています」
「オーガニック給食マップ」というウェブサイトを運営する野々山理恵子さん、杉山敦子さん、遠藤奈美恵さんはそう声をそろえる。野々山さんは2018年度までパルシステム東京の理事長を務め、TPPの差し止め意見訴訟注釈など、日本の農業を守るための活動を行ってきた。杉山さんは日本の種子を守る会注釈、食べもの変えたいママプロジェクト(Moms Across Japan)注釈などの活動にかかわる。遠藤さんは民主党政権下での元農林水産大臣、現在弁護士である山田正彦氏の秘書を務めている。
「オーガニック給食マップ」は、オーガニック給食に関する活動を可視化する情報サイトだ。野々山さんたちや、同じ思いを持つ仲間たちが集い立ち上げた。各地の活動が記録され、現在総数800を超える賛同団体・賛同個人名も見ることができる。「何かできないかな」と思ったとき、近くの人や団体とつながることが可能だ。
3人は、2022年10月に東京都中野区で行われた「全国オーガニック給食フォーラム」で事務局も務めた。東京・世田谷区で行われていたオーガニック給食を求める活動がきっかけとなり、オーガニック給食を掲げた場としては国内で初めて大規模に開催されたものだった。
「すでに各地では活動している人たちの話が増えてきていました。でも給食はあまりにハードルが多く、個人でどんなに一生懸命やっても難しいことが出てくる。だったら、みんながつながって体験を共有できる場があればもっと進めやすくなるんじゃないかと」(杉山さん)
フォーラムには、各地で活動をしている人たちをはじめ、オーガニック給食を実現しようとしている国会議員、市区町村の首長、農業関係者などさまざまな立場の人が一堂に会した。1,200人収容のホールがほぼ満席、オンラインでは3,000名の参加があった。
遠藤さんと野々山さんも次のように話す。
「給食を変えることは、食や農の活動にずっとかかわってきた私たちでさえ、利権やいろいろなことにまみれたこの社会では不可能だと思っていたんです。でも、動けば変わるということがわかり始めてきた。私も子どもがいますが、重い荷物を持って一生懸命学校に行っているわけなので、勉強して運動して、おいしい給食を食べてほしい。お昼ごはんの時間が楽しみであってほしいんです」(遠藤さん)
「いろんな立場のたくさんの人が、給食を通じてかかわれるといいですよね。産地と物流を持っている日本の生協も、もっと何かできるかもしれない。完全に有機農業に切り替えることは難しいという農家の方が、子どもたちのためにちょっとだけ何かしたい、というのだっていい。少しずつ少しずつ、ゆるいつながりを作っていけたら……」(野々山さん)
2024年11月、全国オーガニック給食フォーラムの第2回が茨城県常陸大宮市で開催される予定だ。取り組みがさらに広がるきっかけになればと、鈴木市長やカモスフィールドの皆さんの期待も大きい。全国で点と点で活動していた人たちがつながり、大きな壁を乗り越え始めている。
給食をきっかけに、社会を変えていく
――社会学者・谷口吉光先生の視点から
フォーラムからも見えてくるように、各地でオーガニック給食をめぐる動きがふつふつと沸き上がっている。今なぜ、それが起こり始めたのか。環境社会学、食と農の社会学、有機農業研究を専門とする秋田県立大学特別研究員の谷口吉光さんは、根本的な要因は「行きすぎた経済のグローバル化にある」と指摘する。
「農業は規模拡大や効率化ばかりが求められて小さな農家が守られず、農山村が荒廃していった。輸入品をどんどん受け入れるために緩和される残留農薬基準、経済格差による貧困、進み続ける少子高齢化……。私たちを取り巻く社会状況は悪くなるばかりで、人々の不安や不満は積もり続けています。
それがだんだん熱を帯びてきて『何とか変えなきゃいけない』と声を上げる人たちが出てきました。僕は、オーガニック給食を求めるこの動きは、単に給食に有機の食材を入れるかどうかの問題ではなく、『子どもたち、私たちの食の環境を、もっと安全安心なものにしてほしい』という大きな願いの濃度が高まって高まって、オーガニック給食に『結晶化』した結果なのだと感じています」
グローバル化の影響が広がっていく中で、同様の動きは日本だけでなく世界各地で、何十年の時間差で起こっているという。言い換えると、何十年前に海外で起こった出来事が今日本で起こっているということだ。では、今取り組みが先を行く韓国ではどんな流れがあったのか。
韓国では、1990年代半ばに世界の貿易体制が変わったときに国内の農業が大きく見直された。国を挙げて環境保全型農業を推進する「親環境農業政策」注釈に舵を切ったのだ。
そして給食の民営化が増えるさなか、大規模な食中毒が起こったことから、親たちが給食の改善を求めて全国的な運動を起こすに至る。その動きと「親環境農業政策」が見事に結びついた。さらに経済格差を背景にした無償化の流れも取り込み、「親環境無償給食」と呼ばれる給食の形が生まれることになった。
それが2000年ごろのこと。オーガニック給食の動きを比較すると、日本との時間差は実に20年以上。現在韓国が世界的にも先進的な取り組みを行っていることは先述のとおりだ。
韓国の例が示すように、国を巻き込む大きな動きも、生活者の声なくしては生まれなかった。しかし現代の日本で、そういった大きな運動の事例が少ない理由について、谷口さんは「パブリック(公共)の概念が希薄なこと」だと言う。
「パブリックというのは、その社会に属する全員にかかわること。でも日本の食の運動は、関心を持った人たち同士で作るネットワークだけの世界になりがちだった。ところが、韓国にはパブリックの概念がある。欧米にも、市民が自治体に対して政策を提言し、実際に必要なサービスを立ち上げる力を持った市民団体注釈が数百とある。その差だと思います」
しかし、オーガニック給食を旗印に同じ思いを持った多くの人たちが集おうとしている今、学校や地域を超えた取り組みに昇華させていく必要がある。
「今各地で起こっている動きも、地域の頑張りだけでは限界にぶつかるでしょう。韓国でなぜ全国的な動きになったかというと、国を変えたからです。消費者団体だけじゃなく生協や労働組合、環境や福祉といったいろんな団体が子どもたちの食を守ろうということで大団結したのだそうです。
日本にもそういうダイナミズムを生む余地がある。もっと大きなうねりにするために、農家を支えていろんな人を巻き込んで、日本全体を変えるっていう視点をみんなで持っていきたい。
オーガニック給食というテーマには、農業、教育、貧困……いろんな問題がすごく凝縮されています。だからオーガニック給食を実現すること自体がゴールではない。給食は僕らが変わるひとつのきっかけなんです。僕ら日本と日本人がどこまで変われるか、大人が子どもたちのためにどこまで変われるかが問われている。どの国でも国を動かすためには大きな壁があったと思いますが、市民運動がその壁を壊しながら進んでいる。日本はまさに今、壊すべき壁の前に立っているのではないでしょうか」(谷口さん)
※本記事での「オーガニック給食」は、有機JAS認証あるいはそれに準ずる農産物を一部にでも取り入れた給食のことを指しています。