“ここではないどこか”への思いが原点
――5歳のときにお母様を亡くされたことで、子ども時代は寂しい思いをすることが多かったと伺いました。
角野栄子(以下、角野) 5歳という年齢は、“人がいなくなる”ということが分かるようで分からない年齢ですよね。記憶もあいまいですし、「新しいものが好きな人だった」なんて人づてに聞いても、確かめられませんし。事あるごとに「こんなとき、本当のお母さんだったらどんな反応をするのかしら」と想像していました。
そんな空想から、「どこかにほかの世界があるに違いない」とか「ここではないどこかへ行ってみたい」という発想にまでつながっていったような気がします。
父はかわいがってくれたし、新しい母もおだやかな人だったし、食べるのに困るほど貧しかったわけでもないんですよ。でもやっぱり寂しかったのでしょうね。
――後に角野さんは物語作家としてデビューされますが、子ども時代の「ここではないどこかへ行ってみたい」という思いと、物語を書きたいという思いは地続きにあったのでしょうか?
角野 子どものころは、自分が物語を書く人になるなんて思ったこともありませんでした。もちろん、物語というのはおもしろいものだ、という気持ちはありましたよ。物語を読んでいると、ここではない世界の住人になれますしね。でも当時は、寂しさを紛らわせたかっただけなのだと思います。
10代に入ってからは、「あっちに行ったらどんなおもしろいことがあるのかしら」、「どんな素敵な人に出会えるのかしら」というわくわくした気持ちから、違う世界を想像するようになりました。それが物語を書くことにつながったような気はしています。
――“ここではないどこか”を想像するときの気持ちが「寂しさ」から「好奇心」に移り変わったのは、とても大きな変化だったのではないかと思います。
角野 きっかけは終戦ですね。戦争中は「日本は勝つ」という言葉でみんながひとくくりにされていたのですが、終戦を境に世界がぱっと開けたんです。そのとき私は10歳。
このときに私が感じたのは、「これから新しい世界が開けて、おもしろいことが始まるんだ」、「好きな所に行けるようになるんだ」という解放感と期待感。この“わくわく感”が、後の物語につながっていったのでしょう。
おもしろくなりそう。それだけを頼りに出発した『魔女の宅急便』
――1985年、『魔女の宅急便』第1巻が出版されました。1989年にスタジオジブリによって映画化されたことでより広く知られるようになり、改めて原作のとりこになったファンも少なくないことでしょう。多くの人を魅了した主人公の魔女・キキは、どのような背景から誕生したのでしょうか?
角野 当時12歳だった私の娘が魔女の絵を描いていたんです。その魔女は、ほうきにぶら下げたラジオを聴きながら空を飛ぶんですよ。魔女の物語はたくさんあるけれど、ラジオを聴きながらすいすい飛ぶ魔女なんていなかったでしょう? これはおもしろいな、と思ったんです。
同時に思い浮かべたのは、学生時代に『LIFE』誌注釈で見た「鳥の目で見たニューヨークの風景」というモノクロの写真。空から見下ろしたニューヨークの街があまりに美しかったから、ずっと忘れられなくて。ああ、この魔女はあんな景色を見ることができるんだわ、物語にしたらおもしろいに違いないわ、と確信しました。
――キキが老若男女を問わず多くの人の心をとらえたのは、13歳という若さで独り立ちし、街の人たちの役に立とうと試行錯誤する姿にあったように思います。
角野 もしキキが16歳だったら、もっと常識にとらわれていたかもしれませんね。13歳というのは大人と子どものはざまで、いちばん訳の分からない年齢。まだどうなるか分からない13歳でいろいろな人に出会うのはすごくおもしろいし、広がりがあるなって。
書き始めるときに決めていたのは、キキが使える魔法は「空を飛ぶこと」ただ一つだけにしよう、ということ。だって、「アラジンと魔法のランプ」みたいに何でも解決できたら、私はつまらないと思ったのです。
この作品はこれだけでスタートしたようなもの。それ以上のことは何も決めていなかったんです。行き当たりばったりの出発でした。
――『魔女の宅急便』は全6巻にスピンオフ作品も加わった壮大な物語ですが、当初はこんなに長い物語にする予定がなかっただけでなく、テーマも何も考えていなかった、と伺って驚きました。
角野 私のなかにあるのは、とにかくおもしろい物語を書きたいという気持ちです。だって、私がおもしろいと思わないと、読む人は絶対におもしろいと思わないでしょう? だから、想像を膨らませて「何だか、おもしろそう」と思ったらそれだけで出発です。「いつ、どうやって終わるのか」なんて考えませんし、前もってテーマを決めて書くこともしません。
この作品は、1巻の最後に「キキが生まれ故郷に帰る」というシーンを書いてしまったので、その続きを書かざるを得なくなりました(笑)。しかも、「魔女として修業に出掛けて、1年たって帰ってくる」という時間の経過を書いたから、13歳のままのキキを書き続けるわけにはいかなくて、自然とキキが成長していく話になったんです。
――『魔女の宅急便』を読んでいると、「本当は自分も一つくらい魔法を使えるのかもしれない」という気持ちになるのが不思議です。大人になると忘れてしまいがちですが、本当は誰もが魔法を持っているのかもしれません。
角野 「おもしろい!」とか「大好き!」と思えるものが見つかったらしめたもの。それが“魔法”に育っていくんです。もちろん、すぐに魔法になるわけではなくて、自分で大事に育てないといけませんけれどね。
私も、「書くっておもしろい。これを一生やっていきたい」と思って、毎日毎日書き続けていたら、ある日「本を出しましょう」という話が舞い込んできて、いつのまにか“作家”ということになっていました。
若いときに好きなことを見つけて、それがすぐに魔法に育つ人もいるし、50歳、60歳で育つ人も。年齢は関係ないと思います。
戦争体験を書くということ
――2015年、角野さんは『トンネルの森 1945』で初めてご自身の戦争体験を基にした物語を書かれました。実話をベースにしながらもノンフィクションではなく、10歳当時の角野さんをモデルにした「イコちゃん」の息遣いや心の中まで伝わってくるような作品として仕上げられています。
角野 私は父の店を空襲で失ったり集団疎開を経験したりしているので、戦争についてはいつか書きたいと思っていました。
戦争を書くのは難しいものですね。大人の目線で書くと、「善か、悪か」という話になりかねませんから。でも、私は物語で「善か、悪か」という目線から戦争の話を書きたいとは思いませんでした。
確かに、戦争は悪、人を殺すのは悪です。でも、その悪に対して「善とは何か?」と問われたら、答えるのは難しいですよね。
戦争の背景には、宗教の違いとか、階級の違いとか、さまざまな要素があります。ある立場の人にとっての善が、違う立場の人にとっては悪だということもあります。それを物語のなかで「これは悪」、「これは善」と決めつけて語ることはしたくないと思っています。
じゃあ、どうやって書けばいいのだろうと思ったときに、最初から最後まで子ども(10歳だった時の私)の目線から離れなければ書けるかもしれない、と思ったのです。
――「イコちゃん」の目線と自分の目線がいつのまにか重なり、まるで自分自身が戦争中の暮らしを体験しているかのような臨場感を覚えました。それは、主張を押しつけられることのない“物語”だからこそ得られた感覚なのかもしれません。
角野 私自身が物語で明確にテーマを決めたり、善悪を言い切ったりすることはありません。そうではなく、登場人物一人ひとりのなかに、それぞれの生き方として入れ込んで表現することが多いですね。だから、読者が登場人物の誰かに共感したら、それがその人にとっての物語のテーマになると思うんです。そのように自由に読んでほしい。すると、読んだ人の数だけテーマは生まれてくると思っています。
逆に、私が何か一つのことを主張したら、読者は私の考え方に従って読むことになるでしょう。世の中は“一つ”ではありません。一つだと思い込むと、そこから社会がゆがんでくるんですよ。
――2025年は戦後80年にあたる年です。戦争を経験した角野さんが今どのようなことを感じていらっしゃるのか、教えてください。
角野 先ほど申し上げたように、私はここでも善悪について話そうとは思いません。ただ、今はすごく大きな危機、世界的な危機を感じています。
戦争というのは、気づいたときにはすぐそこまで迫っているものだというのが子どもだった私の実感です。たとえば、チョコレートやビスケットなど好きなだけおやつをもらっていたのに、ある日突然、半紙におせんべい2枚だけが包まれて渡されるようになりました。ついこの前まで好きなだけ食べられたおやつがなくなって、「あれ、どうして?」と思ったときには、もう戦争がすぐそばに来ていたんです。
今は遠い所の話だと思っていても、戦争は始まってしまったらあっというま。止めようがありません。これは、とても怖いことですね。
そして世の中で起きていることに対して、一人ひとりが用心深くなり、しっかりと自分の意見を持つようでありたい、そう私は考えます。
子どもたちには、紙の本で物語を読んでほしい
――ところで、子どもたちに対して「将来、本の好きな大人になってほしい」と願う人は多いのではないかと思います。子どもが本好きになるには、どのようにして本と出合っていくことが理想的なのでしょう?
角野 読み聞かせをしてもらって育った子が、だんだん自分で読むようになる“橋渡し”みたいな時期がありますよね。その時期がすごく大事です。私が気を入れて幼年童話を書いているのは、その大事な時期におもしろい物語に出合って、最後まで読む達成感を味わってほしいと思うからなんです。
親が選んだ本を押しつけるのはよくないですね。子どもが自分で探してくるのがいちばんです。自分で選んだ本は自分の本になりますよ。
――最近は本よりもスマホやタブレットを手にしている子どものほうが多い印象です。こうした現代の子どもたちを見て、どのようなことを感じていらっしゃいますか?
角野 産業革命がもう一度起きたようなものなのかもしれませんね。産業革命は公害を引き起こすような側面があるけれど、生活を便利にしてくれる側面もあった。すべてがネガティブではなかったと私は思っています。
スマホやタブレットについても全否定はしないけれど、そこに入っている知識や情報はすべて過去の“誰かさん”が考えたことであって、自分のものではありませんよね。そこに注意深い判断が必要になります。
たとえば私が物語を書くとなると、すでに私のなかに入っているいろいろなものを使いながら、自分で新しいものを生み出そうとします。自分だけの発想は、自分の想像力からしか生まれないんですよ。
――常々「想像する力」が大切だと力説されていらっしゃる角野さん。「想像する力」と本を読むことには密接なつながりがありそうです。
角野 かつての子どもたちは、ふらりと寄り道をした先で冒険をして、いろいろなことを発見して驚いたり、想像力を膨らませたりしていました。たとえば、アリの世界にのめり込んだ子は、アリの生態から想像して工夫する力を身に着けていきます。それは、その人の生きる力でもありますよね。本を読まなくてもそういう経験があれば、私はそれでもいいと思っています。
でも、今の子どもたちは、ふらりと冒険に出掛けるようなことが昔ほどないので、発見し想像力を育む機会も減っているように感じています。そんな子どもたちが冒険できるのが物語の世界。とくに紙の本はめくりながら読んでいると、ページとページの間からまるで吹き出しみたいに想像の世界が飛び出してくるんですよ。
だから、私は今の時代の子どもたちに物語を、できれば紙の本を読んでほしいと思っています。ページをめくりながら、想像しながら、主人公といっしょに冒険してもらいたい、そう思っています。