病気の人と健康な人を区別しない
――2021年度から中学校、2022年度から高校の学習指導要領に「がん」を学ぶ保健教育が組み込まれました。助友さんと桜井さんは、もっと早い段階からがん教育に携わっていらっしゃったのですね。
助友裕子(以下、助友) 国立がん研究センター[1]の研究員として、『がんのことをもっと知ろう』という小学生向けの教材制作に携わったのが2008年。もう15年近く前ですね。
桜井なおみ(以下、桜井) この教材をきっかけに東京都豊島区ががん教育を始めることになって、乳がんサバイバー[2]であるわたしのところに「体験談を録画させてほしい」という依頼が来たのが10年ほど前。それが、私ががん教育にかかわるようになったきっかけです。
教育カリキュラムの中で、体系立ててがんの知識を教えようと言い始めたのは、助友さんたちが最初でしたよね?
助友 そうですね。学習指導要領に「がん」という言葉が載っていない段階で、あちこちの学校を回って「この教材を使ってがんの授業をしませんか?」と説得するのは、“アウェイ感”もあって大変でした。
教育界の大御所から、「この業界にまた“ナントカ教育”を増やす気か?」と言われたこともあります。
ただでさえ、教育現場はやるべき課題が山積みしていますからね。でも、だんだん仲間が増えて、患者会の皆さんも国の協議会で発言してくださるようになり、政治も動いて、法律も変わって、こうして学習指導要領に載るまでになりました[3]。
――がん教育の目標として「がんの正しい知識について理解を深める」「生きること、命の大切さを主体的に考える」の2つが掲げられています。大人になってからのがん検診受診率アップもねらいのひとつでしょう。
お二人ががん教育を通して子どもたちに伝えたい、と思っていることは何ですか?
桜井 病気になった人と健康な人を区別する社会ではなく、多様な人たちが共生する社会を作っていこう、ということですね。
「病気にならないように」という予防も大事ですが、むしろ「だれもがなる可能性がある」という前提で、人と人はどんなコミュニケーションを取っていけばいいのだろう、と一緒に考えていきたいと思っています。
「がんは治らない」?
助友 大人の中には「がんは治らないもの」という昔のイメージを持っている人もいるかもしれません。
そういう人たちは、がんにかかった人とそうでない人を“あっち側とこっち側”に分けてしまいがちですね。
がん教育が始まる前の学校教育も「病気にならないように」という話ばかりでした。
「だれもがかかる可能性がある」という前提に立って、早期発見の重要性や治療法に関する知識を学んでおくことで、病気になったとしても自分で人生設計ができるようになってほしいと思っています。
桜井 がんにかかわらず、あらゆる病気や障害、高齢者の問題、みんな同じですよね。
大事なのは “共生”だと思います。
助友 もう一つ、私が教材の企画段階から望んでいたのは、この教材が親子の会話を増やすツールになったらいいな、ということです。
実際、がん教育の授業前後に保護者にアンケートを取ると、保護者の知識も増えているんですよ。子どもが持ち帰って、親に話しているということですよね。
桜井 家に帰って、家族に「検診受けてる?」って聞く子もいるんですって。そうしたことから、がん検診受診率が上がるといいですよね。
がんにかかわらず、持病のことを子どもに伝えづらくて悩んでいたという親御さんから「お母さんもこんな病気を持っているんだよ、と話せる雰囲気ができて助かった」という声も頂きました。
助友 ちなみに、新型コロナウイルス感染症の流行でウイルス性の病気を自分事としてとらえる方が増えました。
そのことが影響して「がんの中にも、子宮頸がんのように感染が原因になるものがあるんだよ」という話を伝えやすくなっている状況もあります[4]。
桜井 そうですね。ただ、「感染症」という概念だけが独り歩きしてしまうと、まるで子宮頸がんが空気感染するような誤解が広まってしまうので、「性交渉などで感染する」というところまできちんと伝えなければ、と思っています。
どこか一部を切り取ると、子どもたちに伝わらなくなってしまう
――現在は小学校6年生からがんについて学び始める学校が多いようです。子どものうちにがんについて学び始めるメリットとして、「生活習慣が確立する前に正しい知識を身につけることで、主体的に健康を維持できるようになる」「義務教育に取り入れることによって、だれもが等しく知識を得られる」といったことが挙げられています。
その一方で、子どもに病気や死にまつわることを伝えるのは難しいという側面もあるかと思いますが、どのように感じていますか?
助友 先生向けの補助教材には、「恐怖心を起こさせるのではなく、命を大切に、生き生きと前向きに生きる姿を伝えよう」といったことが書かれていますが、子どもの年齢に合わせて伝え方を工夫する必要はありますね。
中学生くらいだと感情が揺れ動きやすいので、できるだけ客観的に、エビデンスを用いて伝えるほうがいいと思います。
小学生だと、生活に落とし込んで、「野菜をたくさん食べよう」など、分かりやすく伝えています。
桜井 私は逆に、死を想起させないための配慮はあまりしないかな。
「お空に旅立った人もいるけれど、心の中で生きているよ。だから、その人を忘れないでいようね」っていうような言い方をしています。
助友 エビデンスに基づく話と、エモーショナル(感情的)な話のバランスなのでしょうね。
桜井 どこか一部を切り取っても、きちんと伝わらないと思うんです。
例えば、私の体験談を聞くにしても、子どもたちはその前後にいろいろな授業を受けるわけです。生き物の解剖で生死に直面することもあるかもしれない。
たくさんの積み重ねの中の“いま”ですよね。私の話だけから何かを学び取ってほしいということではなくて、いろいろな授業とつながった結果、何かが伝わるといいなと思っています。
助友 教育用語でいうところの「カリキュラムマネジメント」[5]に通じる考え方ですね。
例えば「食育」だって「食育」という教科があるわけではなくて、保健、家庭科、生物と、教科横断的に取り組むから伝わるんです。
桜井さんの体験談をみんなで聞いたら、後日、先生たちがそれぞれ自分の教科につなげていく。
そうしたら、一つの体験談にもいろいろな“面”ができてくるでしょう?
「大変だね」で終わらせず、「どうしたらいい?」まで考える
桜井 確かに「あの話とあの話って、つながるんだ!」というスパークが起きると、その科目が急におもしろくなったりしますよね。
実際にがんの話には、確率、お金、家族関係、薬と、要素がたくさん詰まっているから、いろいろな教科につなげやすいと思うんです。
「自分の町には○○がんの患者さんが○人いる。それは住民の何分の1になる?」って算数の時間に計算してみてもいいじゃないかと思うのです。
学びのおもしろさが、がん教育で促進されるといいですよね。
――外部講師として出向く学校で、桜井さんは体験談を話すだけでなく、がん患者さんの術後の指先のしびれや感覚まひの疑似体験を取り入れているそうですね。具体的にどんなことをされているのですか?
桜井 高校生向けの授業では、指先の感覚を鈍くするために、手袋を二重にはめてもらうことがあります。
そうすると、ペットボトルのふたが開けづらいとか、スマホの操作がしづらいとか、周囲に助けを求めるのは勇気がいるとか、皆さんいろいろなことに気づくんですよ。
そのときに「大変だね」で終わらせず、「じゃあ、どうしたらいい?」というところまで考えてほしいと思っています。ある高校では、財布から小銭をさっと出すことが難しい人たちのために、レジを「ゆっくりレーン」と「素早いレーン」に分けよう、という案が出ました。グッドアイデアでしょう?
助友 コストもかからないし、素早く動くことが苦手な人みんなが助かるのがいいですね!
先ほど、教科横断的に、という話をしましたが、例えばこうした授業の中で「便利グッズを作ろう」というアイデアが出たら、家庭科や図工の授業で作るのもありだと思います。
「白でも黒でもない存在がここにいるよ!」
――長きにわたってがん教育に携わる中で、悩まれた経験も多々あるかと思います。お二人ががん教育の課題だと感じているのは、どのような点ですか?
助友 がん予防の話の中でお酒やたばこの危険性について触れると、まるでがんになった人全員が自業自得であるかのように伝わってしまうことがあります。それで悩んだ時期がありました。
もちろん、予防をしていてもがんになる人がいることは話すのですが、小学生くらいだと「たばこを吸ったらがんになる、吸わなければがんにならない」という“白か黒か”の考え方になりがちなんですよ。
「健康的な生活をしていたのに、がんになった」という“白でも黒でもない人”もたくさんいる、と理解してもらうのは難しいですね。
桜井 白でも黒でもない“グレー”が存在することを理解できるようになるのは、いろいろな経験を積んで、「世の中には解けない問題もあるんだ」ということが分かってからですね。
小学生くらいの子には、「白でも黒でもない存在がここにいるよ!」って、がんサバイバーが外部講師として登場するのが一番だと思います。
助友 外部講師の数が少ないのも、大きな課題ですね(2021年度の外部講師活用率は8.4%)。
先生だけ、もしくは先生と医療従事者で授業をしているケースがほとんどです。
桜井 外部講師の質について考える必要もありますよね。
熱意のあるかたに限って、一方的に自分の体験を話したり、価値観を押しつけたりしがちです。
あくまでも主役は子ども。子どもが知りたいことをつかんで、キャッチボールしながら授業を進めていくことが大切だと思います。
助友 外部講師の皆さんが元気で明るいので、「がんサバイバーは、みんな困難を乗り越えた強い人たちなんだ。だから、自分も弱音を吐いちゃいけないんだ」という思い込みが生じるのではないか、と心配になることもあります。
桜井 それは大いにありますね。私は「自分はこういう状態だけれど、一人一人違うんだよ」ということを必ず伝えています。
そして「どんなことでも、乗り越えられないと思ったときは、助けてって言おうよ」ということも必ず伝えますね。「助ける」というのは、合意のもとでなされること。黙っていたらだれも助けてくれませんから。
「がん治療中の先生」という存在が忘れられている現実に、もっと目を向けて
桜井 がん治療中の先生から「がん教育に力を入れても、がんを患う教員への配慮は全くない、相談先もない」という悩みを聞くことも多々あります。
助友 それも大きな課題ですね。本来、治療と仕事の両立の悩みは産業医に相談できるのですが、50人以上の従業員がいない事業所には産業医が選任されないので、ほとんどの学校は対象外。先生たちの健康管理や働き方が個人任せになっている現状は、改善する必要があると思っています。
桜井 子どもに健康の大切さを教えながら、自分の体のことは後回しにせざるをえないのはつらい状況ですね。
健康を犠牲にしない働き方や、がんを抱える同僚とのコミュニケーションの在り方なども考えてほしい、といつも先生がたには伝えています。
子どもたちもいずれは社会に出て働くわけですが、ちゃんと弱みを見せられる場所、心理的安全性が担保される場所をどれだけ作っていけるのか、ということは本当に大切ですね。
身近にある小さな幸せを見つけ、「生きてる」を実感する
――子どもたちに命の大切さを伝えるために、家庭の中で試行錯誤されている親御さんもたくさんいらっしゃると思います。お二人が、子どもたちと向き合うときにいちばん大切にされていることを教えてください。
桜井 日々のコミュニケーションの中で子どもと誠実に話すことが、がん教育にもつながるのではないでしょうか。
その中でも大事なのは、何があっても子どものレジリエンス(適応能力)を信じることだと思います。
先回りして答えを用意せず、本人が自力で乗り越えていくと信じて、待たなくちゃいけないと思うんですよ。
助友 私は今、思春期の息子たちと日々向き合っていますが、大切にしているのは、やはり「自立」させることですね。
がん教育で「お酒はほどほどに、たばこはダメ」と教わることもあるかもしれませんが、最終的に生活スタイルを選択するのは自分です。
知識をしっかり身に着けたうえで、「じゃあ自分はどうするの?」と選び取る力をはぐくんでほしいですね。
桜井 ちなみに、私は「命は大事だよ」って、ダイレクトに言うのも言われるのも苦手。おへそが横向いちゃう(笑)。
それよりも、朝起きて「おはよう」って言えるとか、水を飲めるとか、そういうことの素晴らしさを伝えたいと思うんです。病気になったら、最初にできなくなることですから。
身近にある小さな幸せを見つけることで、「生きてる」って実感できる。そこから、命の大切さが伝わるといいなと思っています。