小麦を輸入に頼る日本と、国内生産のいま
2022年度の日本の小麦の自給率(生産額ベース)は15%で、85%は海外からの輸入に頼っている。その多くは、アメリカ、カナダ、オーストラリアの3か国からの輸入だ。
ロシアによるウクライナ侵攻では、世界規模での小麦の価格変動が心配されたが、現在は落ち着いている。国は製粉会社が2.3か月分の外国産小麦の備蓄を行った場合に保管経費を助成しており、不測の事態が生じた場合でも、外国産小麦の安定供給を確保している。
しかし、日本の小麦をめぐる現状は楽観視できない。農林水産省農産局穀物課の福田満さんは、小麦を外国産に頼ることへの懸念をこう語る。
「日本は海外から、アメリカ、カナダ、オーストラリアの小麦生産者団体、輸出業者などと対話を重ねつつ、日本の消費者が求める品質の良い小麦を、入札を通じて輸入しています。ところが近年、ウクライナ情勢、干ばつなどの発生で、中国などの国が小麦などの穀物の輸入量を増加させています」(福田さん)
そのような中、日本の小麦生産量を見てみると、1973年度は20万トンまで落ち込んだ小麦の生産量は、2021年と2023年には110万トンまで増加した。しかし現在、小麦の自給率は15%程度であり、今後、国は「食料・農業・農村基本法」[2]を改正し、それに基づく施策に沿って食料安全保障を強化、輸入依存度の高い小麦の増産をすすめることとしている。
「国は、小麦の作付面積および収量を増やす取り組みを進めています。2023年度は130億円の補正予算を措置し、小麦の品質向上や流通改善など、さまざまな施策を講じています。今後は、特に水田における小麦の増産を進めていきたいと考えています」(福田さん)
消費者意識の高まりから、「国産小麦100%の食パン」に挑戦!
これまで日本で栽培される小麦の多くは、うどん用の品種が占めていた。2000年代に入ると、消費者の国産志向や安全・安心への意識が高まり、パン、中華めん、パスタへと用途が広がった。それに伴い、さまざまな小麦の品種が開発された。株式会社パルブレッド[3]の金子全利さんは、こう話す。
「パルシステムの組合員さんからも、国産小麦のパンを作ってほしいとの要望を多く頂きました。それまでの国産小麦は、グルテン(タンパク質)の含有量が少なく、パンが膨らまない課題があったんです。そうした中、国産小麦の品質と弊社の製パン技術の向上を受け、開発に着手できました」(金子さん)
パルブレッドが、国産小麦100%のパンの開発を始めたのは2019年。焼いても、そのまま食べてもおいしい食パンを、「山食」ではなく「角食」でやる。それも、価格を抑えて実現させる。プロジェクトを任されたパルブレッド八王子工場工場長の丸山隆史さんは、当時を振り返る。
「食パンは毎日食べるものなので、できるだけ安くて、シンプルで飽きのこないものを目指しました。角食のパンは、生地を型に詰め込み、ふたをして焼くので、もっちり感が出ます。ただ、山食より作るのが難しい。プロジェクトを任されたときは、プレッシャーを感じました。本当にできるのかな、と」(丸山さん)
北海道産の超強力小麦「ゆめちから」という希望
国産小麦100%のパンを実現させるためには、いくつものハードルがあった。その一つが、外国産に比べて流通量が少ない、国産小麦の確保である。
国産小麦の最大の生産地は北海道で、全国シェアの5~6割を占める。パルシステムでも、生産者グループを組織するなど、北海道を中心に国産小麦の作付けを増やしてきた。しかし、パンに向く国産小麦の品種は限られていた。
「それまでの国産小麦の品種では、ふっくらとした、いわゆるパンらしいパンができなかったんです。そうした中、北海道で生まれたのが『ゆめちから』[4]です。グルテンが豊富な超強力小麦で、小麦特有のコムギ縞萎縮(しまいしゅく)病にも強く、『これで国産小麦のパンができる!』と自信が持てました」(金子さん)
それまで主流だった国産小麦の品種は、春に種をまくため、3か月ほどしか栽培期間がない。小麦は雨に弱いため、梅雨など天候不順の影響を受けやすい。「ゆめちから」は、秋に種をまき、翌年の夏に収穫する。「春まき小麦」に比べて栽培期間が長い分、天候に左右されにくく、安定した収量が見込めた。
北海道では、うどんに多く使われる中力粉の「きたほなみ」に、コムギ縞萎縮病が広がっていた。「ゆめちから」は、縞萎縮病に対する強い抵抗性があり、「きたほなみ」から「ゆめちから」の栽培にシフトする生産者も増えた。
「おいしいパンになる小麦粉を作るのが、製粉会社の使命です」
2019年当時、国産小麦100%のパンを、工場の大型ラインで製造することは、日本のパン業界では珍しかった。パルブレッドの決断に、北海道の横山製粉株式会社[5]が協力を申し出た。同社の古巻伸悟さんは、その開発担当者である。
「最終的においしいパンになる小麦粉を作るのが、製粉会社の使命です。パルブレッドさんから『国産小麦100%のパンを、安定的な品質と普段使いできる価格で』というお話を頂いたときは、とてもうれしかった。弊社にとっては、大きな挑戦でしたから」(古巻さん)
製粉会社は、生産者が栽培したさまざまな小麦を仕入れ、小麦粉に加工する。横山製粉は中堅メーカーだが、国産小麦の取り扱い量は業界で上位に入る。同社は、ホクレン農業協同組合連合会の協力のもと、5~10年に一度は発生する大きな不作に備えるため、国産小麦の備蓄を増やしていた。
国産小麦が抱える課題と、外国産小麦とパンをめぐる秘密
国産小麦は、播種前に生産者と実需者(加工等を行う食品製造事業者等)の間で契約を結び、その契約に基づき取引をしている。販売予定数量のうち3割程度を入札取引とし、それ以外は入札価格を基本とした相対取引が行われている。
ただし国産小麦には、品質が安定しにくいという課題がある。国産小麦100%のパンを開発する際、小麦の品質をいかに安定させるかが最大のハードルになった。
「小麦の粒は、野菜や果物と同じ生鮮食品です。小麦は、栽培した年によって品質が異なり、畑の違いや生産者の技量によっても差が出ます。それまで扱ったことのない、デリケートな小麦粉だったので、工場の機械に生地を流したとき、うまくパンになるか心配でした」(金子さん)
外国産のパン用小麦は、単体の品種ではなく、パンにしやすいように初めから品種が配合されている。国内産の場合は、製粉会社が品種ごとに小麦を仕入れ、独自の比率でブレンドする。
「品種ごとのよさを生かすためには、小麦の小さな粒を細かく分解し、検証することから始めます。そのうえで『もちもちとした食感』『さっくりした口溶け』といった最終的なパンのイメージに沿って、ブレンドします。国産小麦でパンを作るのは、手間がかかるわけです」(古巻さん)
できない理由を探すのではなく、できるヒントを探っていく
食パンに使う国産小麦粉は、独自の配合比率だったため、開発当初はトラブルの連続だった。ブレンド粉の品質が安定せず、パンが膨らまなかったり、生地の伸び方が悪かったりした。
「吸水率の少ない硬い生地のほうが、パンにしやすい。だからといって吸水率を減らすと、もっちり感としっとり感が損なわれてしまう。焼いても、そのままでもおいしい食パンにするためには、吸水率は妥協できませんでした」(丸山さん)
横山製粉とパルブレッドは、“できない理由”ではなく、“できるヒント”を探っていった。生地のミキシングや吸水率など、1年以上かけてトライ&エラーを繰り返し、ノウハウを積み重ねた。
「現場の開発担当者は、何度も食パンを試食し、味と食感と風味を確かめました。『もう少し生地の吸水率を減らしたほうがいい』とか、パルブレッドさんとの情報共有も欠かしませんでした」(古巻さん)
国産小麦のパンに込めた夢とメーカーの使命
2年近い開発期間を経て、2020年、パルシステムオリジナルの『国産小麦もっちり食パン』[6]が誕生した。パルブレッドでは、国産小麦粉を糊化させた「湯種(ゆだね)」、乳酸菌と酵母菌で発酵させた「発酵種」を製造。2つのパン種を加えることで食感を高めた。
材料の国産小麦粉『道産PALブレンド』には、3種の小麦[7]を使用。グルテンが豊富でパンがより膨らむ超強力粉の「ゆめちから」、パン生地の伸びを手助けできる「きたほなみ」、生地がまとまりやすく、味と香りもいい強力粉「春よ恋」を、独自配合率でブレンドしている。
「横山製粉さんをはじめ、多くの技術者の方にご協力いただきました。たくさんの英知が結集したパンだと、自負しています」(金子さん)
「弊社が取り扱う国産小麦の比率は、2019年度には21.6%でした。現在は大幅に伸び、70%まで近づいています[8]。それを何とか100%まで近づけたい。外国産より国産小麦のほうが、より生産者と顔の見える関係も築けると思います」(パルブレッド・丸山さん)
国産小麦のパンのシェアを高めていくことは、小麦の自給率を上げることになる。しかし、まだまだパン業界の主流にはなっていない。
小麦全体の自給率は15%だが、国内で製造されているパンの国産比率は8%程度にすぎない。国産小麦のパンは、外国産小麦のパンに比べると、まだまだ少ないのが現実だ。小麦とパンのプロたちの挑戦は、これからも続く。