万歩計は7000歩、カレンダーは空白なし!
――92歳になった今も、料理研究家として現役で活躍されているまさるさん。毎日どんなふうに過ごしていらっしゃるのですか?
小林まさる(以下、まさる) 毎朝起きたら、掃除機かけて、床ふき。洗濯と、風呂掃除もやる日があるよ。掃除が終わったら、リュック背負ってスーパーまで30分近く歩くんだ。暑い日は首に保冷剤巻いて、扇風機のついたベスト着てね。家族3人分の食事なら冷蔵庫にあるもので作るんだけど、撮影とか料理教室とか試作とかいろいろあるから、買い物はほとんど毎日だよ。犬のヴァトンの散歩も毎日。スマホの万歩計見たら、俺、毎日7000歩も歩いてるんだってよ。

愛犬のヴァトンとの散歩はまさるさんの日課(写真=深澤慎平)
家族の夕飯を俺が作る日もある。1回に作るのは3〜4品かな。仕事がない日なら、台所に焼酎を一本どーんと置いてね(笑)。昼過ぎから夕方まで、飲みながらゆっくり作るのが楽しいんだ。最近は昔ほど飲まなくなったけどな。
――カレンダーを見せていただき、驚きました。びっしり埋まっていて、空白がありませんね。
まさる 仕事はほぼ毎日入ってるよ。まさみちゃんといっしょに開いてる料理教室が月6コマ。生徒さんは全部で100人くらいいて、鹿児島、広島、新潟って日本全国から来てくれるんだ。ここ7~8年は俺一人の仕事も増えたね。テレビ出演もあるし、取材も受けるし、YouTubeチャンネルもやってるし、講演会にも呼ばれる。忙しいといえば忙しいけど、もう20年以上こんな感じでやってるからさ。動いてるほうが調子がいいんだ。

写真=深澤慎平
1kgの「麦粉」を9人で分けた少年時代
――樺太で生まれて、12歳で終戦を迎えたのですね。15歳で日本に戻るまでの3年間は、とりわけ食べることに苦労されたと伺いました。
まさる 俺のおやじは炭鉱で使う機械の修理工だったんだ。終戦と同時に入ってきたロシア人たちは日本の機械を使って採掘を始めたんだけど、機械が壊れても直せる人がいない。それでおやじが頼られたんだな。「すぐに日本に帰す」って言われてたけど、全然帰してもらえない。おやじはすぐに帰れると思ってたから、畑も作らなかったし、食べ物も確保してなかったんだ。

写真=深澤慎平
とくに困ったのは冬だね。樺太の冬っていうのはとにかく寒くて、マイナス45℃まで下がることもある。そうなるともう、食べるものが何もないんだ。そんなときは、ロシア人が芋を掘ったあとの畑に行って、残った芋を掘り出したりしてね。一日中掘ってもせいぜい1kgくらいしか取れないんだけど、それをロシア人のところに持って行ってパンと取り替えてもらうんだ。そんなことばっかりだったな。
――少ない食料で生き延びるためには、きっとさまざまな工夫をされていたのだと思います。何か覚えていることはありますか?
まさる 当時は「麦粉」って呼んでいた小麦粉を並んで買うんだけど、手に入るのは9人家族で1kgだけ。そのまま食べたらすぐになくなるから、働きに行くおやじに半分食べさせて、残りは水と混ぜて薄いのりみたいにして飲んだりしてたね。韓国人の豆腐屋で分けてもらったおからを混ぜて、おふくろがパンを焼いてくれたこともあった。あのころは「少ないものをみんなで分けるにはどうしたらいいか」っていうことばっかり考えてたね。
だからかな、今でも何かを独り占めしようとは思わない。みんなで分けようっていうのが癖になってるんだ。冷蔵庫にあるものを「昨日はああして食べたから、今日はこうして食べよう」なんて考えるのも、当時の経験が生きてるのかもしれないな。

写真=深澤慎平
――大変な状況を生き抜かれたのですね。平和な時代に生きていると、想像することすらむずかしいように感じます。
まさる 人間、食べるものがなくなったら何でもやる。そうなったら惨めなもんだよ。今の人たちがこういう昔の話を聞けば、「ああ、それは大変だったろうなあ」とは思うだろうけど、やっぱり経験した人にしかわからないものがあるね。
敗戦のあとは、ロシア人の恐ろしい暴力も見た。おやじが手りゅう弾を持って、「恥をかくくらいだったらみんなで死のう、俺がピンを切る」って言ったこともあったんだ。「今日死ぬかもしれない」という気持ちも、やっぱり経験した人じゃないとわからないだろうな。『永遠の0』っていう映画、知ってる? 特攻隊の人が「自分は明日死ぬだろう」と思うところ、気持ちが分かるような気がして、俺、泣いたよ。

写真=深澤慎平
「どうせやるなら、楽しくやろう!」
――15歳で樺太から北海道に引き揚げたあとは仕事一筋。3年間のドイツ勤務を経て結婚したものの、離婚してシングルファーザーになるという激動の時期を過ごされました。ここでもやはり、食事のことでは苦労されたのではないでしょうか。
まさる 当時は、2人の子どもが4歳と5歳。最初は実家で面倒見てもらってたけど、おやじが糖尿病で入院して、おふくろが看病で泊まり込むようになってからが大変だったね。
そもそも、俺、料理はできたんだよ。子どものころ、釣りが好きでね。友だちといっしょに泊まりがけで釣りに行って、飯盒(はんごう)でメシ炊いたりしてたんだもの。
でも、まだ30代だったとはいえ、残業して帰ってきて子どもたちにメシ作って食べさせて、寝かしつけてって、そんなこと続けてるとのびちゃうよ。あるとき、「もうこんなことはうんざりだ、いったいどうしたらいいんだ」と思ったんだけど、ちょっと待てよ、と。イヤだイヤだって言ったって、やらなくちゃいけないんだ。それだったら気持ちを切り替えて、楽しくやるしかないだろうって。歌いたくなくても歌なんか歌ってさ。それが今も続いてるよ。料理は楽しむもの。楽しくないとダメなんだ。楽しく作って、うまいって喜んでもらえて、うれしくなる。そういうものだと俺は思うよ。

食後のコーヒーも楽しみの一つ。「その辺の喫茶店よりおいしいよ。豆をたっぷり使うのがコツなんだ」(写真=深澤慎平)
――当時も決して潤沢に食材があったわけではないと思います。そんな日々の中、お子さんたちにどんな料理を作っていたのでしょう?
まさる 村には1軒しか店がないし、大したものも売ってない。だから山に野菜を採りに行ったりして苦労はしたよ。でも、気持ちを切り替えてからは作るのが楽しくなって、「うまいもん食わしてやろう」と考えるようになったんだ。
当時は珍しかったハンバーグなんかも作ったね。樺太で暮らしてたころ、俺はロシア人が料理をするようすをよく見てたんだ。遊び仲間がロシア人だったし、彼らの家に出入りすることもあったからね。ハンバーグは彼らが作ってた料理の一つ。自分の子どもに食べさせるときは、買ってきた肉を自分でたたいて、肉だけだったら硬いから卵なんかも入れてさ。当時は調味料もあんまりなかったな。今でも俺の料理は調味料をあれこれ使わないんだけど、それも当時の経験からきてるのかもしれないね。
「男子厨房に入らず」は“ちょんまげ時代”の考え方
――大人になった息子さんの結婚相手が、後に料理研究家になる小林まさみさん。まさるさんは70歳のときに、まさみさんのアシスタントになったことから人生が新たな方向に開けていったというから驚きです。
まさる まさみちゃんは最初は会社員だったんだけど、働きながら調理師学校に通うようになって、卒業してから平野レミさんなど、いろいろな方のアシスタントになったんだ。俺が70歳のとき、そんなまさみちゃんが料理の本を出すことになって、アシスタントが欲しいって言い出した。だから「そんなの俺がやってやるよ」って言ったんだ。包丁持つのは自信あったからさ。
料理の本の撮影っていうのは壮絶だよ。毎日毎日、明け方から夜中まで料理を作り続けるんだから。でも、俺はなかなかいい働きをしたんだ。まさみちゃんも、「お義父さん、使いものになる!」って言ってくれてさ(笑)。そのころからまさみちゃんが忙しくなってきたから、俺も腹くくって、「あんたこの仕事でずっとやっていくんだろ? 俺、家事全部やってやるから、あんたは仕事にぶっ込め!」って言ったんだ。それから、家のことは全部俺がやってる。こんなに働くおやじ、なかなかいないだろ(笑)。

キッチンで調理中のまさるさんとまさみさん(写真=疋田千里)
――年配者の中には、「家事は女性の仕事だ」と言う方もまだまだ少なくありません。
まさる 「男子厨房に入らず」って言う人もいるけど、そんなの“ちょんまげ時代”の考え方だよ。家事をやりたくない男性が、自分に都合がいいように言っているだけ。もし奥さんに先立たれたら、どうするの? メシの一つも作れなかったら、しっぺ返しがくるよ。
俺は、家事なんか手の空いてる人がやればいいと思ってる。やってみてできるようになったら、だれだってうれしいよね。料理だって、おいしく作れるようになれば楽しくなってくる。
もし、「自分の夫は家事を何もしなくて困る」という女性がいたら、いきなり「これ、全部やりなさいよ!」と言うよりも、初めのうちは「ちょっとこれだけ手伝ってくれない?」なんて言うといいのかもしれないね。きっかけは何でもいいけど、本人が「自分にもできる」とか「やってみたら楽しかった」と思えたらいいんじゃないかな。何事もおもしろがることが一番の近道だからさ。
料理初心者が守るべきことは?
――これから料理を始めようと思っている方は、何から着手すればいいのでしょう?
まさる 道具をそろえたり、料理の本を買ってきたりすることから始める人が多いよね。でも、最初からそんなにハードルを上げちゃダメ。だって、それで失敗したら、「もう、やーめた!」って言いたくなるでしょ。まずは冷蔵庫を開けてみて。例えば、納豆があったら、今日はねぎを刻んで入れてみる。次の日は、キムチを切って入れてみる。その次の日は、ツナ缶を混ぜてみる。そんなことから始めればいいんだよ。冷ややっこも、しょうゆと削り節じゃなくていい。塩辛をのせてもいいし、それに飽きたら塩辛をフライパンで焼いてからジャーッとかけてみたりしてさ。そんなふうに少しずつ身につけていったら、いずれはむずかしい料理にも挑戦できるようになるよ。

写真=深澤慎平
――「冷蔵庫にあるものでささっと料理を作る」というのも、初心者にとってはむずかしく感じることがありますよね。失敗しないコツはありますか?
まさる 最初から調味料をどばっと入れないことだね。最初にたくさん入れちゃうと取り返しがつかなくなるから、少しずつ入れるといいよ。それから、必ず味見をすること。味見をしながら少しずつ味を調えたら、大失敗はしないから。本を見て作るなら、まずは書いてある分量を守るほうがいい。計量カップに少し残ったしょうゆを「まあいいや」って捨てたりしたら、それだけで味が変わっちゃうからね。
それから、いくら「あるもので作る」といっても、俺は香りの強い食材どうしは合わせないようにしてる。例えば、ごぼうと玉ねぎはいっしょに煮ない。ごぼうとにんにく、ねぎと玉ねぎも合わせない。香りがぶつかって、お互いのよさを消してしまうんだ。最初はむずかしいかもしれないけど、頭に置いておくといいと思うよ。

写真=深澤慎平
振り向けば、“ガンバコ”が追いかけてくる!
――約30年間、息子さんとまさみさんと3人で暮らしてきたまさるさん。みんなで仲良くやっていくために大事にしてきたことはありますか?
まさる たとえ家族であっても、相手の心の中にズカズカ入っていくのはダメだと俺は思うな。これ以上は言わないっていう線を心の中に引いておかないと。言っちゃいけない言葉もあるよね。俺は、人が作ったものを「まずい」とは絶対言わない。たとえば、俺とまさみちゃんは味付けが全然違うけど、「まずい」なんて絶対に言わないよ。「俺の口には合わないから、食べるときにちょっと塩かけてもいいかな?」っていう言い方をするかな。「まずい」なんて言われたらだれだってカチンとくるし、家族の和が崩れておもしろくなくなっちゃうでしょ。
あとは“親風”を吹かさないこと。同じ人間どうしなんだから、「親なんだから従え」とか、「親の面倒は見ろ」とか、そういう考え方は絶対にしない。そういうことを守っていれば、家族の和ってそんなに簡単に崩れないと思うんだよね。

写真=深澤慎平
――人生100年時代。まさるさんのように、年齢にとらわれず充実した日々を送るひけつは何でしょう?
まさる シングルファーザーになったとき「どうせやるなら、楽しくやろう」って切り替えた話をしたよね。俺は、今でもそう思ってる。だから、「今日はイヤだなあ」なんて思うことはまずないんだ。仏頂面してたってしかたないからね。こういう生き方は、周りの人にとってだけじゃなくて、自分にとってもプラスになると思うよ。
それから、何でも興味を持っておもしろがることも大事だね。俺は、自分の作った料理を食べた相手の顔を見るんだ。「あ、うまくないんだな」っていうのはすぐ分かる。そうすると、次に作るときにあれこれ考えてちょっと変えてみるんだけど、それがおもしろいんだよね。外食したときは、「これは何が入ってるな、俺ならもっとこうするな」なんてことを考える。もちろん、口には出さないけどね。ぱっと食べてしまわずに、考えることがおもしろいんだ。
――これから新たに挑戦したいことは?
まさる 男のための料理教室をやってみたいね。みんなで作って、最後に一杯やりながら武勇伝を語り合ったりしてさ。楽しそうだろ(笑)。まあ、そもそも料理には「これでよし」っていう終わりがないから、今だって日々挑戦だけどな。

写真=深澤慎平
俺は、「年だからあきらめる」っていう考え方が大嫌い。いつだって前に進むことしか考えないし、後ろなんか見ないよ。後ろ見たら、ガンバコが追いかけてきてるんだから。“ガンバコ”って何のことか分かる? 棺おけのことを北海道では“ガンバコ”っていうんだよ。この年になったら、もう迷ってる時間なんてないんだ。だから、失敗したってすぐに切り替えて「前に、前に!」だよ。そう思えなくなったらおしまいだね(笑)。

写真=深澤慎平
【豚小間としらたき、豆腐の煮物】
「これは、肉とねぎとしらたきを炒めてさっと煮た『たきたき』と呼ばれる料理。樺太から北海道に引き揚げてきたころに、おふくろがよく作ってくれたよ。すき焼きみたいなものなんだけど、当時の北海道では牛肉が手に入らなかったし、子どもが7人もいたから豚肉とか鶏肉で作ってたね。食用に育てたウサギを〆て使うこともよくあったよ。食材を炒めてさっと煮るだけだし、調味料も少ないから、料理が苦手な人でも簡単にできると思うよ」
●材料(2人分)
豚小間切れ肉 200g
もめん豆腐 200g
しらたき 180g(約1袋)
ねぎ 100g(約1本)
油 大さじ1
A(砂糖大さじ1、しょうゆ大さじ2、酒大さじ2、水大さじ4~5)
●作り方
1.豚肉は食べやすい大きさに切る。豆腐はひと口大に切る。しらたきは水けをきり、食べやすい長さに切る。ねぎは斜め薄切りにする。Aの調味料は混ぜておく。2.フライパン(24cm目安)に油を熱する。豚肉を入れて炒め、半分ほど色が変わったら火を止める。
3.Aを加え、豆腐、しらたき、ねぎを入れ、強火にかける。煮立ったらふたをし、中火で5分煮る。
●でき上がり
「煮汁を多めに作って、残った分を次の日に汁ごとごはんにかけて食べるのがうまいんだ。ぜひ、試してみて!」