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震災・原発事故から5年――自主避難「支援打ち切り」がもたらすもの

  • 暮らしと社会

東京電力福島第一原発の事故から丸5年。今も、"収束"にはほど遠く、福島県内外に避難している人は約10万人にものぼります。不安を抱えたまま解除される避難指示、切り捨てられる自主避難者への生活保障。避難者の前に立ちはだかるのは、「被ばくを避ける」という選択すら認められない現実です。東京で家族とともに避難生活を送る1人の女性を通して、自主避難者が直面している問題を探ります。

「福島から離れたくなかったけれど、今は戻れません」

 福島市から避難し、現在家族で東京多摩地域に住むめぐさん(仮名)。原発事故が起きたのは、3人目の子を妊娠中のときでした。

 「最初はわけがわからなかったのですが、友人からのメールで、妊婦にはとくに放射能の影響を受けやすいと知らされ、とにかく逃げようと。当時3歳と1歳の子を連れ、夫が単身赴任していた東京の1Kのアパートに避難しました」

 当初は実家の家族もいっしょに避難するはずでしたが、高校生の妹が学校を離れるのを嫌がったために断念。友人のなかにも、避難先のあてがなかったり家のローンを抱えていたりといった理由から避難を諦めて福島に残った人も多いそうです。

 「生まれも育ちも福島ですから、私だって本当は離れたくなかった。今年のお正月も、帰省した実家で過ごした時間はあっという間にたってしまいました。やっぱり落ち着くんです、空気も人も」とめぐさん。「でも、放射能の問題も何も解決されていない今は、戻ることはできません」と語ります。

避難指示区域を分けた"年間被ばく限度線量20mSv"とは?

 原発事故の後、政府は、被ばく線量年間20mSv(ミリシーベルト)を基準として、福島県内の市町村を"避難指示区域"と"避難指示区域外"とに分けました。めぐさんの住んでいた福島市のような区域外からの避難者は、推計によれば3万人以上いるとされています。区域内からの「強制避難者」に対し、「自主避難者」と呼ばれていますが、両者の間には補償も賠償も大きな開きがあります。

 「『自主避難者』というと、自らの意思で避難したような印象がありますが、実際には、高い線量から子どもや家族の身を守るために、やむにやまれず避難を続けているという人がほとんどです」と語るのは、自主避難者への支援を続けている「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」の弁護士・福田健治さん。そもそも事故前の日本で定められていた一般人の被ばく限度は「年間1mSv」であり、それが安全への根拠も示されないままに「年間20mSv」に引き上げられたことに問題がある、と指摘します。

 「例えば、レントゲン技師など訓練された職業人しか立ち入ることができないとされている放射線管理区域の被ばく限度は年間5.2mSv、原発労働者などが白血病を発症した場合の労災認定の基準は年間5mSvです。これらと比較しても、年間20mSvという基準がいかに高い数値であるかがわかるでしょう」と福田さん。

 めぐさんも、「国や県は、事故の影響を最小限に評価しようとしているとしか思えません。納得できる説明もないまま"安全だ"と言われ、一方的に福島への帰還を促そうとするやり方に、私たちの命をないがしろにされているように感じます」と不信感をあらわにします。

日本政府に欠けている"被ばくを避ける権利"という視点

 原発事故の被災者支援について引き合いに出されるのが、チェルノブイリ原発事故の5年後に制定された「チェルノブイリ法」。同法には「年間1mSv以上の被ばくをもたらし得る領域では、住民に対し放射能防護と正常な生活を保障するための対策が実施されねばならない」と記され、年間追加被ばくが1~5mSvとなる中間的な避難区域として「避難の権利ゾーン」が設定。この区域では、住民は避難するか居住し続けるかのどちらも選択でき、どちらを選んでも必要な支援が受けられると定められています。

 「チェルノブイリ法に照らし合わせてみて日本の政府に欠けているのは、『人は被ばくの影響を避けるために避難する権利がある』という考え方です」と福田さん。「憲法でも国際規約でも、人は誰でも安全に、健康で文化的に暮らし、幸福を追求する権利が認められているのに、国の避難政策の不合理さで、区域外の住民には『避難する』という選択肢が用意されていない。これでは人権上からも大問題です」と訴えます。

「自主避難ということ自体が認知されていない」と訴える「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」の弁護士・福田健治さん

 じつは日本でも、2012年に、当事者団体や市民運動の熱心な働きかけにより、チェルノブイリ法に倣った「原発事故子ども・被災者支援法(※)」が制定。一定以上の放射線量の地域について、住み続けること、避難すること、避難先から帰還することのいずれをも自らの意思によって行うことができると宣言されたのですが、実際には理念に留まり、ほとんど機能していないのが実情です。

 「当初は、"被ばくを避ける権利"や被災者である子ども・妊婦の医療費の減免が認められるなど画期的な内容と評価されていました。ところが、2013年に閣議決定された基本方針には当事者の声はほとんど反映されず、支援対象地域も非常に狭い範囲に限られてしまいました。『自らの意思で避難を選択できる』『選択が可能な環境を政府が整える』という当初の精神が骨抜きにされてしまったのは残念です」(福田さん)

※正式名称は「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」

"被ばくか貧困か"の選択を迫る「住宅支援打ち切り」

 今、自主避難者が直面している深刻な問題は、自主避難者に対する唯一の公的支援ともいえる住宅支援(家賃補助)が、2015年6月に発表された「福島復興加速化指針(改訂版)」により打ち切られようとしていること。現在、避難者の多くには災害救助法に基づく「借り上げ住宅制度(みなし仮設住宅制度)」が適用され、避難先の自治体が公営住宅の提供や民間の賃貸住宅の借り上げを行い、国や福島県がその住宅費を負担、無償で提供しています。しかし福島県は、区域外の避難者に対して、この住宅支援を2017年3月で終了させる方針を打ち出したのです。

福島県の「支援策」よると、2017年3月の住宅支援終了後は、低所得者世帯に家賃補助を設けるが、段階的に引き下げ、2年程度で打ち切る

 これは、「避難する権利」を保障したはずの「原発事故子ども・被災者支援法」の精神を奪うものと言わざるをえません。

 「住宅支援の打ち切りは『困る』のひと言です。避難した時にお腹にいた子が4歳になり、上の子たちもこちらの生活にようやく慣れてきました。今は"戻る"という選択は考えられません。暗闇に放り出されるような怖さがあり、正直、どうしていったらいいのかわかりません」と、不安を訴えるめぐさん。

 福田さんも、「生活の安定の基盤である住居への支援を打ち切るなんて言語道断。『福島に戻ってくれば支援する』というやり方は、避難者に"被ばくか貧困か"という理不尽な選択を迫るものです。原発事故被害者の切り捨てと言っても過言ではありません」と憤ります。

 一方で、国は、2017年3月までに帰還困難地域を除くすべての地域の避難指示を解除する方針も発表。避難指示の解除後1年以内に帰還した住民には1人あたり90万円の早期帰還賠償が支払われることになっていますが、「年間線量20mSvを下回るという目安では、高すぎて安全性を確保できない」と、いたずらに帰還を促す姿勢に批判が高まっています。

5年たっても孤立を深める避難者

 自主避難者に特徴的なのは、仕事や住宅ローンなどの理由から夫を福島県内に残した「母子避難」が多いこと。二重生活に伴う経済的負担が重いなか、子どもを抱えてはなかなか仕事に就けず、蓄えを切り崩しながら暮らしている家庭が大半です。

 「避難先での孤立化も深刻です。本来なら助けてくれるはずの国や県に裏切られた、という思いから人間不信になっている人も少なくありません。わずかな賠償金しか手にしていないのに、『賠償金もらっているんでしょ』と言われて傷ついたという話も聞きます。避難していることを周囲には言い出しにくい雰囲気があると多くの人が言っています」とめぐさん。

 めぐさん自身も、当初、避難指示区域外ということで都営住宅の入居申請を門前払いされたり、妊婦健診を受けたくて行った大学病院で、避難者であることで嫌味を言われたりと心が折れるような出来事が何度もあったそうです。

 「知る人のいない土地に避難した人だけでなく、実家や親せきを頼って避難して来た人でも、だんだんぎくしゃくすることも出てきて、かえって孤立を深めてしまうというケースもあります」

 めぐさんにとって幸いだったのは、早い時期に助産師協会が開いていた妊婦向けの支援プロジェクトを知り、親身になって話を聞いてもらえたこと。

 「当時抱えていたつらさを吐き出せたことで救われました。何より、ここでは話してもいいんだと思えたことが、心の支えになったのです。近所に住む同世代の女性も紹介してもらい、買い物はどこへ行くとか、病院はどこがいいとか相談できたのも、生活面でとても助かりました」と振り返ります。

「本当の意味での支援が必要なのはこれからです」

 自らの経験から、最初の"出会い"によって、その後の避難生活や生きやすさがまったく違うことを痛感するめぐさんは、「何かしてあげたいという支援者と助けてほしい避難者とがうまく出会える入口をつくりたい」と、2012年8月、支援者とともに避難者支援団体「むさしのスマイル」を設立。今も、避難者同士が安心しておしゃべりしたり困りごとを相談し合えるお茶飲みサロンや、弁護士や医療者など専門家を招いての講演会などを開いています。

 「最近になって、初めて参加するという人が少しずつ増えてきているように感じます。ずっと心を閉ざしていたのが、5年たって生活面で少し落ち着いてきて、ようやく余裕が出てきたのかもしれません」

 被ばくが子どもたちの健康に及ぼす影響への懸念、住宅支援打ち切りへの不安など、これまで以上に緊迫した事態が予想されるなか、「逆に、これからが本当の意味で支援が必要になってくると思う」とめぐさん。

 「受け入れる余裕がなくて、避難したくてもできない友だちに、『避難してきなよ』と声をかけられないのが悔しいんです。だからせめて、声を上げたくても上げられない人の分まで、私は声を上げ続けたい」と言葉に力がこもります。

 「この5年間、"辛い"と感じる余裕もありませんでした。いつもいつも考え事をして気が張っている。振り返ることもできない。振り返るのは本当に乗り越えられたときでしょう。だけど生きている間にそういうときが来るんでしょうかね」

取材・文/高山ゆみこ 構成/編集部