出合ってすぐに、紙芝居のとりこに
――ビナードさんは、約30年前に来日し、精力的に詩や絵本などの創作活動に携わっていらっしゃいます。紙芝居の創作は『ちっちゃい こえ』が初めてということですが、なぜ、今回、紙芝居を作ろうと思ったのですか?
アーサー・ビナード(以下、ビナード) 実は、紙芝居はずっと作りたいと思っていたんです。
僕が紙芝居に出合ったのは、日本に来てすぐのころ、借りた部屋の近くにあった池袋図書館ででした。当時は日本語のビギナーだったので、児童書コーナーに入り浸って、毎日絵本を読んでいたんです。
図書館のスタッフがすごく親切で、子どものためのお話会に、「アーサーの日本語年齢は子どもだから」って、僕の参加を特別に許してくれました。そこで初めて紙芝居を体験したんです。日本の昔話でした。
――アメリカでは紙芝居を見たことがなかったのですか?
ビナード 紙芝居は、日本で生まれたメディアなんですよ。今では世界に広がろうとしている感じですが、アメリカで育った僕はその存在すら知りませんでした。
初めて見た紙芝居に、たちまち引き付けられました。紙芝居に必要なのは、木の箱と絵が印刷された厚紙だけ。始まる前は何も特別な感じがしなかったのに、箱の扉が左右に開いた途端、そこが突然舞台となった。そしてぐいぐい話に引き込まれていったのです。
それ以来夢中になっていろいろ見たり体験したりしているうちに、いつか自分も紙芝居を作りたいという無謀な夢を抱くようになりました。
「原爆の図」は巨大な紙芝居だ
――紙芝居を作りたいという夢を、「原爆の図」とのコラボレーションでかなえることになった経緯を教えてください。
ビナード 『ちっちゃい こえ』のプロジェクトがスタートしたのは2012年でした。その直前まで僕は、『さがしています』(童心社)という絵本を作っていたんです。語り部は、広島のピカ(※1)で亡くなった人たちの遺品。モノたちが持ち主の代わりに語る言葉を、聞き取って通訳するのが僕の役目でした。
その過程で、広島を題材にした先人たちの作品や仕事を学び直したのですが、中でも「原爆の図」は特別で、僕にとって道しるべのような存在でした。
――「原爆の図」のどの辺りが特別と感じたのですか?
ビナード それまでに観ていた絵画とは違う力学だと思いました。最初はそれが何なのか理解しきれなかったのですが、何回か絵の前に立って、自分の中で起きていることを分析したら、「原爆の図」は、美術作品であり絵画でありながら、観る人と作品との間に、いわゆる美術鑑賞とは違う、もっと密な関係性を紡ぎ出すということが分かりました。
おそらく多くの人は、最初は傍観者として、外から、あるいは傍らから「原爆の図」に近づく。けれど向き合っているうちに巻き込まれるんです。絵の前に立っていると、いつの間にか自分も当事者側として、その場に一緒にいるような感覚にさせられるのです。
「原爆の図」の前で体験したこの感じは、初めて紙芝居に出合って引き込まれた体験と、僕の中で近い感覚でした。
――そこで、「原爆の図」の絵を使って紙芝居を作ろうと?
ビナード はい。あるとき童心社の会議室で、編集者に「『原爆の図』は、ただ観るんじゃなくて巻き込まれていくんだ。いわば、巨大な紙芝居なんだ」って、僕が力を込めて語ったことがあったんです。そしたら、「ならば『原爆の図』で紙芝居を作ってください」って。このプロジェクトはそんなところから始まりました。
※1:ビナードさんは、「原子爆弾」は、原爆を落とした側あるいは遠くからキノコ雲を眺める傍観者の視点からの言葉であり、「ピカ」「ピカドン」は、体験者の目線に立った言葉として区別している。(参考:『知らなかった、ぼくらの戦争』(小学館)など)
絵の中の人や生き物に「ほだされる」
――「原爆の図」という大作から絵を切り取って、新たな物語を構成するというのはたやすいことではないと思いますが、どのようにアプローチしていったのですか?
ビナード まず、絵の前に立ち、しゃべってくれる人物と向き合い、ひたすらその声を聞き取ろうとすることから始めました。
「原爆の図」の大きな特徴の一つは、主人公が限定されていないということです。なぜかというと、みんなが主人公だから。一人一人の命に格差をつけて、存在意義をランクづけするような描写はされていないんです。もっといえば、この絵の前に立って、この絵を見詰めている人の視線が合った相手が、主人公なんです。
絵の中のだれかと目が合うと、いつの間にかほだされる。で、ほだされたときに関係性が生まれ、引き込まれる。だから、僕も、ほだされて声を聞くことから始めました。出会っては話を聞いて、出会っては話を聞いて……。ある意味、聞き取り調査ですね。そうやって、絵の中の人々や生き物たちと親しくなっていきながら、この紙芝居で何を語るべきかを考えていったのです。
じりじりと細胞を虫ばんでいくピカの本質
――戦争を題材にした絵本や紙芝居は、世の中にたくさんあります。「原爆の図」と向き合ったからこそ見えてきた“語るべきもの”とは何だったのですか?
ビナード 一人ひとりの物語を掘り下げているうちに、本質が見えてきました。
原爆というのは核分裂の連鎖反応が起こされ、ピカァァァと破壊力が放たれるけど、それで終わるわけではない。放射線を浴び、放射性物質を吸い込んだり飲み込んだりした生命体は、そのダメージを一生背負い続けなくてはいけない。そこを紙芝居で伝えないと、「原爆の図」を踏まえて語る資格はない。そう考えるようになったのです。
細胞レベルでじりじりと命を虫ばんでいく放射能の影響こそ、ピカの本質。それを伝えるためにはどうしたらいいのだろうと一生懸命模索して、どんな生きものの体も細胞でできているのだから、細胞そのものを主人公にするのがいいと、そこに行き着いたんです。「サイボウ」を中心に据えたときに、今度はネコが語り部に浮上しました。
――人間ではなくて……ということでしょうか。
ビナード ヒバクさせられたのは、あらゆる生き物たちです。土の中にいる微生物も含めて、みんなこの理不尽で愚かなヒバクをさせられた。「させられた」側は、人間もネコもイヌもウシもウマもひまわりも、選べないし、逃げることもできなかった。それを語らせるのには、人間と近いかもしれないけれど、人間が把握できないような感覚もとらえられる、ある種の神秘性を抱え持ったネコがふさわしいと思ったのです。
サイボウの「こえ」に“いのち”を重ね合わせて
――『ちっちゃい こえ』というタイトルには、どのような思いを込めたのですか?
ビナード さまざまな感覚を音で伝えるのが詩人の仕事の一つです。古今東西の詩人たちはそうやって言葉を作ってきました。とりわけ、日本語は擬態語、擬音語がとても豊かな言語だと思います。
先ほど述べたように、最初は物語そのものを探すことに必死だったのですが、語るべきストーリーが見えてきたら、どんどん擬態語、擬音語がわいてきて、それらが力を放つようになったんです。
中でも僕が感じ取ろうとしていたのは、サイボウの音でした。もちろん聴診器を当てても拾えません。でも、精神的にも肉体的にも元気なときって、体の内から何かが響いてくるような気がしませんか。例えば、幼い子どもと思い切り遊んでいると、もう、ずんずんずんずん、ずんずんずんずん……って。
命の源であるサイボウを感じ取ろうとして、ずっと耳を澄ましていたのです。
――「ちっちゃい こえ」とは、サイボウの声なのですね。
ビナード ええ。紙芝居でサイボウが登場して、「からだのなかのちっちゃいこえ」という表現が出てくる。その声が止まる、消える、あるいはずっと続くという文脈に、多くの人はたぶん、「いのち」の存在を重ね合わせるのではないでしょうか。
「いのち」という言葉はいろいろな使われ方をされているので警戒しなきゃいけないと思っています。だから、この紙芝居では使わなかった。けれど、「サイボウのこえ」を描写すれば、きっと「いのち」についての大事な情報も伝わると考えたのです。
紙芝居をきっかけに、「原爆の図」に分け入ってほしい
――『ちっちゃい こえ』が生まれたプロセスがよく分かりました。それにしても、プロジェクトが立ち上がってから完成するまで、ずいぶん長い時間がかかったのですね。
ビナード ちょうど7年です。俊さんと位里さんが「原爆の図」を描くのに費やした時間と労力を思えば、7年なんてあっという間なのですが、出版社からしたら長かったと思いますよ(笑)。
――ビナードさんご自身は、途中で投げ出したくなったことはないのですか?
ビナード それはないですね。僕自身は、止まっているとか行き詰まっているという感じでは全然なかったですから。絵の中に分け入っていけばいくほど、自分にも声が聞こえてくるような気がしたし、登場人物との関係が深まっていく感覚もあった。途中でいろいろな発見もあった。ただ、なかなか紙芝居にならなかっただけなんです。
2年ぐらいたったときに、童心社の会長さんに「進んでいますか?」と聞かれて、「いや、後ずさっています。絵と見つめ合っているけど、脚本が定まらないんです」と答えたんです。そしたら、「こんなことだれもやったことないですからね」って。
どうやら紙芝居の定石は、最初に物語があって絵をつけるというスタイルらしい。すでにある絵を基に後からストーリーを作るなんて、だれもしていないんですって。
――そうなんですね。なんてチャレンジングな!
ビナード 最初はそんなことを知らなかったもの(笑)。でも、やり始めてから考えたのは、もし途中であきらめるような形で納得できないまま出版したら、この作品は決して一人歩きできないということ。成功例にならなかったら、二度とだれも挑戦しないだろう。そんな可能性をつぶすようなことは絶対したくないと思いました。
――これからいろいろな場所で上演されるのが楽しみですね。
ビナード 実は試作の段階で全国で何度も試演を繰り返し、アドバイスを受けながら脚本を直してきたんです。5月に出版されて、そのプロセスは一応終わったけれど、紙芝居が完成したわけではない。演じ手や観客一人ひとりの内側の声と響き合って、そこで初めて成立します。どんなふうに広がっていくのかを考えるとわくわくします。それに、『ちっちゃい こえ』を観て興味をもった人が、「原爆の図」と出合って、体験するきっかけにもなったらうれしいですね。
「原爆の図」は、スケールの大きな作品で、無限の物語を秘めています。僕は今回、その中から一つの物語を見付けて、16場面の紙芝居を作りましたが、おそらく実際に使わせていただいている絵は、面積でいったら全体の3%にも満たないはずです。つまり、97%は未発見で未開拓。もしだれかが挑戦しようと思えば、「原爆の図」で、あと軽く10作品は作り出せるんじゃないかな。
※本記事は、2019年5月17日に原爆の図丸木美術館で行われた「新作紙芝居『ちっちゃい こえ』刊行記念イベント 『ちっちゃい こえ』に耳をすませて―アーサー・ビナードが今『原爆の図』をよむー」を基に構成しました。