異常気象で、農薬削減は「もう限界」
「気候の変化を強く感じ始めたのは、10年ほど前からだと思います。今までなら降らない時期に雨が降ったり、そうかと思えば日照りが続いたり。病気や害虫が大発生する年も増えて、地域では『こんなに作りづらいならもうりんごの栽培をやめようか』と言う高齢の生産者も出てきているほどです」
そう話すのは、天童果実同志会代表の片桐完一さん。山形県天童市で約40年、りんごや洋なしをはじめとする果樹栽培を行ってきたが、近年の異常気象によって深刻な病害虫被害が増えてきたという。
出荷先の一つ、生協パルシステムと定めた基準(※2)にのっとり、化学合成農薬や化学肥料を地域の栽培基準の半分以下に減らす「エコ・チャレンジ」を実践しているため、異常が発生した際に農薬を使えず被害がさらに拡大してしまうことも。「ほかでまだ流行していない病気も、うちで一番に発症するんです」と、頭を抱える。
そんな状況に少しでも対策を講じようと、天童果実同志会では今年から、パルシステムおよび株式会社ジーピーエス(※3)の協力のもとIPM(総合的害虫管理)実施の足掛かりにしようと、「生き物調査」を始めている。
IPMとは、多様な農業技術をバランスよく組み合わせることで、化学合成農薬だけに依存せず病害虫の発生を抑えようとする考え方。生き物調査は、ほ場に自然に生息している害虫と天敵生物の関係性を把握し、天敵を活用することで農薬に頼らずに害虫から農作物を守るための第一歩となる取り組みだ。
この日は2回目の調査の日。ジーピーエスの職員らとともにほ場で虫の採取を行うと、早速興味深い発見があった。アブラムシの死骸を顕微鏡でのぞき込んでみたところ、その背中に穴が開いていたのだ。
ジーピーエス職員として各産地の調査を担当する田村忍さんは、デジタルカメラで撮影した写真を指し示してこう説明する。
「この穴は、寄生バチの一種がアブラムシに寄生し、羽化した跡である可能性が非常に高いです。アブラムシは、りんごの葉から栄養分を吸い取ってしまう害虫です。寄生バチを殺さずに増やせるような環境を守れば、アブラムシ退治のために使用していた農薬を削減することができるかもしれません」
※2:パルシステム独自の栽培基準には「コア・フード」と「エコ・チャレンジ」がある。
※3:株式会社ジーピーエスは、パルシステムグループの産直青果や産直米の仕入れ、品質管理、物流を担う専門子会社。
オクラを植えたら、テントウムシがやってきた
次に訪れたのは茨城県の西部、八千代町のなす畑。父の跡を継ぎ、この地でできる限り農薬に頼らない野菜作りを実践してきた八千代産直の坂入清史さんは、IPMを活用して「もう一歩踏み込んだチャレンジ」に乗り出そうとしている。
「わが家では、『エコ・チャレンジ』の野菜作りを親父の代から続けてきました。でも、これまで有機栽培には一度も挑戦してこなかったんです。これだけ長い間、産直の取引をさせてもらっているんだから、自分もさらなる高みを目指したい。そのためにも、新しい農法を試してみたいと思いました」
坂入さんは昨年から、なす畑の周辺にオクラやとうもろこし、そばを植える実験を始めた。これらの作物に咲く花で、なすに被害を与える害虫の天敵となる昆虫を誘引し、農薬に頼らずに害虫の被害を軽減させようとするのがねらいだ。こうした、天敵となりうる昆虫を誘引する植物は「天敵温存植物」と呼ばれ、IPMの重要なアプローチの一つだ。
「昨年の実験では、植えたオクラに、害虫のアブラムシを食べてくれるテントウムシがやってきているのが確認できました。今年も植える場所を変えながら実験を継続していますが、気候もいいのか生育は順調。苗を植えた後は化学合成農薬を1回も使わずになすの収穫ができました。それでも、まだまだ手探りの段階。少なくとも3年はやってみなければ分からないと思っています。農業ってとにかく、時間がかかるものですから」(坂入さん)
農薬への依存は、もっと減らせる
こうして各地で取り組みが始まっているIPM。「総合的害虫管理」と一口に言っても多様なアプローチがありそうだが、一体どのような考え方なのだろうか。IPMの研究を行い、パルシステムの産地への指導も行っている宮崎大学農学部植物生産環境科学科教授の大野和朗さんはこう説明する。
「もともとIPMとは、1960年代にFAO(国連食糧農業機関)の専門家会議で提唱された概念です。当時は第二次世界大戦後、世界じゅうで一気に広まった化学合成農薬の弊害として、環境汚染や人的被害などといった負の側面が注目されていた時代。さまざまな農業技術を組み合わせることで化学合成農薬への依存度を下げ、農薬一辺倒の農業による環境への負荷を少しでも減らそうとする技術がここから研究されていきました」
この「さまざまな技術」の中には、農薬以外に物理的防除や耕種的防除、生物的防除などが含まれる。これらを上手に組み合わせることで、化学合成農薬の出番を少なくしようとするのがIPMの基本だという。
主な防除の種類
害虫を手で取る、 害虫が入れないほど細かい網目のネットで作物を覆うなど |
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病害虫に強い品種を植える 病害虫が発生しにくいほ場環境を整える (天敵温存植物を植えるなど) |
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天敵を活用して害虫の発生を抑制する | |
化学合成農薬を使用して病害虫の発生を抑制する |
「こうして農薬に依存しない農業を継続的に行い、農地や周辺の自然環境を守ることは、生産している地域の持続可能性、ひいては食の持続可能性を維持することにもつながります。温暖湿潤な日本では農薬削減は難しいといわれていますが、ベトナムのような熱帯モンスーン気候の土地でも、IPMによって、先進国から押し寄せてきた農薬の波を押し返した、という実例があるほどです」(大野さん)
実際のところ、すでにこの考え方により、国内の産地で農薬削減に成功している実例も数多くあるそうだ。
そして坂入さんは、生産者の立場として次のように話す。
「結局、農薬をいちばん近くで浴びているのは僕たち生産者自身なんですよね。最近の農薬は価格も高いし、できれば使いたくない、農薬散布の労力も減らしたいという人は多いんです。IPMの実践で、僕たち自身を守ることにもなると証明できたら、きっと地域でもぐっと広がっていくはずです」
食は、多様な命とともにはぐくまれるもの
パルシステムではIPMの導入に乗り出した産地に対し、調査協力などを通じて継続的に支援している。その理由を「作る人と食べる人が、リスクも利益も分かち合うのがパルシステムの基本だからです」と語るのは、ジーピーエス事業本部長の工藤友明さん。
「パルシステムでは“産直”を、単なる食料調達の手段ではなく、『作る』と『食べる』のパートナーシップをはぐくむための運動と位置づけています。作り手である生産者たちが現在の栽培に難しさを感じているなら、わたしたち食べ手はそれをできる限りサポートしてこそ、継続的なパートナーシップとなるはず。ジーピーエスでも、現在はIPMについて生き物調査の協力のみを行っている状態ですが、今後調査が進んだあとはIPM実践のための資材の共同購入などの支援も必要に応じて行っていけたらと考えています」
パルシステム連合会環境活動推進室の松本斉さんも、生き物調査を行い、農地を取り巻く豊かな生態系を改めて可視化し共有することは、パルシステムの産直運動を広げるうえでもとても大きな意義があると話す。
「例えば、神奈川県の産直産地の一つ、ジョイファーム小田原の果樹園で行われた生き物調査では、有機キウイのほ場で神奈川県の準絶滅危惧種に指定されているカヤネズミが発見され、大きな話題となりました。生き物調査は、生産者にとっても組合員にとっても、『農産物は周囲の命とともにはぐくまれるもの』であることを再認識させてくれる活動だと考えています。この調査がさらに、IPMという考え方を通して、さらなる農薬削減や持続可能な地域づくりにつながっていけば、意義の大きさは量り知れません」(松本さん)
もちろん、それぞれの地域や気候、栽培する作物に合ったIPMの技術が確立するまでには長い時間を要することは想像に難くない。それでも、その間の農産物を「食べて、支える」こともまた、継続的な産直のつながりがはぐくむ作り手と食べ手のパートナーシップの形といえるだろう。
生き物調査を終えたりんご畑で、自前の拡大スコープを手に、天童果実同志会の片桐さんは「エコ・チャレンジ栽培を始めて30年以上。今まで、害虫のことは見ていたけれど、天敵のことにまで目を向けたことはなかったよなあ」と、つぶやいた。
「これからを担う息子たち世代のためにも、安定的にエコ・チャレンジ栽培を続ける手だてを見付けるのが、今の仕事。俺たちにもまだまだ、やらなきゃいけないことがあるってことだね」