はじめよう、これからの暮らしと社会 KOKOCARA

食と暮らし、持続可能な社会を考える、
生協パルシステムの情報メディア

インタビューに応じるさだまさしさん

写真提供=株式会社まさし

命を大事にするのは、それがあなただけの命ではないから。さだまさしさんからのメッセージ

  • 環境と平和

今年は“戦後76年目”。原子爆弾の被爆地、長崎の出身である歌手、さだまさしさんは、これまで音楽活動に限らず、自然災害での復興再生の支援活動にも積極的にかかわりながら、「平和」についてメッセージを発してきた。今、改めて世界が大きく揺れ動く中、「平和を継いでいくために、わたしたちができること」を尋ねた。

もし自分たちが原爆を持っていたら、自分たちも使ったかもしれない

 「うーん、難しいですよねえ」。さださんは1時間余りのインタビュー中、何度もそう口にした。

 平和のために、私たちは何をすべきか。70余年前に原爆が投下され、炸裂した火の玉の下で約7万4千人の命が失われた長崎を故郷に持つさださんにとって、平和への希求の思いは人一倍強い。フォークデュオの「グレープ」でデビュー後、ソロシンガーとして4,480回以上のコンサートを重ね、これまで平和をテーマにした名曲も数知れない。

 それでも「どうすれば平和が続くのか?」という問いに答えることには、いまだにためらいを隠せなかった。

 叔母と叔父も被爆者だった。原爆症を患いながら50年生き抜き亡くなった叔母は、その晩年に、さださんに原爆のことを多く語ったという。

 「叔母がね、こう言ったんです。『もし自分らが先に作っていたら、自分らが先に他の国に落としたんじゃないだろうか』と」

 故郷の惨状は原爆が投下された時だけでは終わらず、その後も長く原爆症にほんろうされた被爆者とその家族の苦しみを身近に感じ、深く理解しつつも、同時にぬぐい切れない感情があった。

 「それまで日本中で空襲をし、焼夷弾を落としていた延長線上に広島と長崎での原爆があります。その二つの原爆はなぜ、ウランとプルト二ウムに分けたんでしょうね」

 当時、米国は広島に「リトルボーイ」、長崎に「ファットマン」という異なる原爆を投下した。広島型は細長く、長崎型はその名の通り、ずんぐりとしている。二つの形状が異なるのは、構造が異なるためだ。

 広島型は細長い筒の両端に核分裂に必要なウランを二つに分け、互いにぶつけながら核分裂の威力を最大限に引き出そうとした。一方、長崎型は中心部にプルトニウムを置き、全方向に配置した爆弾から一気に圧力をかけ、核分裂を起こし、さださんの故郷の上空で炸裂した。

長崎の町の全景

故郷、長崎の上空で原爆は炸裂した(写真= PIXSTAR / PIXTA)

 「それはね、つまりは人体実験だった、ってことじゃないかな、って思わずにはいられない」

 戦争末期、大陸や南方での激烈な攻防戦の末に日本軍は玉砕や“転進”が続き、しかも米軍の本土上陸も迫っていた当時、「戦争に勝つ」という命題に対して、もし日本軍の手の内に原爆があったら、それでも使わなかったという選択肢は想像しにくい。

 「でも実際にはアメリカが日本に落とし、歴史的に日本は敗戦国になった。そのことが、ときに日本人に戦争を情緒的に語らせてしまう側面もあるように感じるんです」

 「平和とは?」を考えるとき、さださんの頭の中を巡るのは、そんな「戦争に勧善懲悪はあり得ない。複雑な伏線と思わくが折り重なって、人々を巻き込んでゆく」ことへの、慟哭にも近いやるせなさ、でもある。

 「それに、今現在も世界のあちこちに火種はあります。シリアでも、ミャンマーでも、ガザ地区でも。それぞれに背景があって、敵味方が複雑に絡み合う。だから、もしその解決の糸口を真剣に考えるのであれば、もっともっと自分たちの足元を見つめ直さなくちゃダメだ、と思うんです」

足元の見つめ直しには、「教育」が欠かせない

 「ちょっと皮肉めいたことを言うのが許されるなら、今の日本はとっても“平和”なんです」と、さださんはいたずらっぽく笑った。

 スマホを片手に大声で話しながら道をわがもの顔で歩く中年男性を、街中で見かける。横断歩道のない車道を、子供の手を引いて平然と渡る親がいる。それにまゆをひそめることはあっても、特段大きな問題になるわけでもない。しかし――。

 「別に、わたしは道徳的なことを言いたいわけじゃなくて(笑)。でも、平和って小さなことの積み重ねじゃないかな、って思っていて。個人的な立ちふるまいが積み重なった延長線上に、地域の安全や心の安定がある、それでようやく“平和”って状態が形作られていく、そんな感覚があるんですね」

 しかし、かいま見える日常の一こまは、そんな積み重ねとは無縁な、利己的なもののはんらんにも見えてしまう。次第に「今の日本はとても“瞬間的な平和”のただ中にいるだけなのでは」と思わずにはいられない感覚を覚える。

都会の通勤風景

今のわたしたちに、立ち止まって足元をみる余裕があるだろうか?(写真=編集部)

 さださんは、そんな「足元の見つめ直し」に必要なのは、つまるところ「教育」に尽きるのだと考えている。「学び直し」と言ってもいいかもしれない。

 「今、8月9日は何の日か問われて、きちんと答えられる長崎の子供は、約3割だそうです。たった、3割ですよ」

 東日本大震災で2万人余りが犠牲になって、10年余り。その節目に「震災の記憶の風化」が叫ばれもした。原爆は76年も前の話だが、長崎・広島で二十数万人が犠牲に、太平洋戦争全体で言えば、日本人全体の戦没者数は310万人とも言われる。しかしそれでも、記憶の継承は容易ではない。

 「かつて戦争が起きたのは、よく言われるように軍部の暴走だけだったのでしょうか。国民の熱烈な支持や、それに迎合するマスコミもまた、共犯者ではなかったのでしょうか。8月9日に何があったのか、そのことを意識するのは、惨劇に至る経緯を考えることなんですよね」

 「世界史を勉強していて、一つ発見したことがあるんです」と、さださん。それは「平和が脅かされるときは、音楽が止められるとき」ということだった。

 「自由に自分の言葉で語り、歌う」ことは、平和の目印。しかし有事がひたひたと迫ると、気づかぬ間に自由はからめ捕られてゆく。それは今、新型コロナウイルス感染症という“有事”の中で、さださんはじめクリエーターたち発信者が、だれしもさらされている状況にも共通している。人と人が分断され、中には糧を失う人もいる。しかし、その声は届かない。

 「それで今年は意を決し、万全に万全を期してコンサートをスタートしました。来場するお客さんの“平和”も守らなくてはならないのだから、とても重い責任です。それでも、今だからこそ届けなくてはならない言葉があると思って」

 それは「平和を守るには、重い責任が伴う」ことも示唆していた。祈りを通じて思いをより強くする。分断を乗り越え、向かうべき方向に向かうために、やはり「言葉」は不可欠だ。

 「わたしが“さだまさし”という役を演じているところもあると思うんです。人一人、政治的、思想的な言葉を発すると、さまざまな影響がある時代ですからね。“佐田雅志”とは違うんです。だから、言葉を発する度にとても慎重にもなります。ただ、自分は幸いにして、その思いを歌に乗せることができる。やめるわけにはいかないんです」

命は全部、どこかでつながっている

 東日本大震災が起きた当時、友人が支援活動で訪れた東北で、100人ほどが身を寄せる、とある避難所へパンを80個届けたことがあった。すると「皆に平等に配れないから受け取れない」と、固辞されたという。

 「責任者の方にとって、それはやむにやまれぬ対応だったでしょうが、『平等』のはき違えと感じました。その時わたしは、それでも“おなかがすいた人から食べればいい。傷の重い人から治療すればいい”、そう思ったんです」

 その後、さださんは仲間とともに公益財団法人「風に立つライオン基金」を作り、仲間たちと議論しながら、東日本大震災に限らず、さまざまな災害による復興再生の支援を、歌手活動と並行して続けることにした。それはかつて1990年に噴火し、翌年大火砕流が発生した普賢岳で死者40数名を数えた故郷の大惨事に寄せたときの姿勢と、今も何も変わらない。

 「困っている人がいれば、自分なりにやるべきと思ったことを、できるだけやる。それが“平等”じゃないかと思ったんです。その積み重ねの先に、本当の平和な日々があるんじゃないかな、と信じて」

 その普賢岳での大災害への鎮魂歌でもあった『奇跡~大きな愛のように~』で、さださんは「僕は神様でないから 本当の愛は知らないけれど あなたを想う心なら 神様に負けない」と歌った。

 故郷である長崎は、歴史的にクリスチャンが多い土地柄でもある。さださん自身はクリスチャンではなくとも、地元の敬虔な信者たち隣人が、静寂の中で祈り続ける姿に、ときに心打たれることが多々あった。

 「長崎の被爆者の方々にも、クリスチャンは少なくなかった。だから、相手を恨んだり憤ったりする前に、二度とこういうことを繰り返さないように、との切実な祈りの心持ちが強ったように思います」

 それは「神頼み」で他力本願なそれではなく、一人ひとりでは容易に克服できそうもない強大な壁を前にしても、それでも「平和」を希求するならば、「祈り」という崇高な行為には深い意味が宿る。そこに、さださんは一つの希望を感じる。

 『奇跡~大きな愛のように~』でさださんは、「大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい」とつづる。なぜなら「どんなにせつなくても 明日は来る」と断言し、「あなた独りじゃない」と呼びかけ、終わる。

 「命を大事にするのは、それがあなただけの命ではないから。知っている人の命も、知らない人の命も、全部どこかでつながっている。だから、全部大事にしましょうよ、と。思えば、それが歌い続けるすべての源泉かもしれませんね」

取材協力=株式会社まさし 取材・文=編集部 写真=株式会社まさし 構成=編集部