避難民のほとんどが母子と高齢者、という現実
2022年2月24日に発生した、ロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻。これに伴い、東京に本部のあるピースボート災害支援センター(以下「PBV」と表記)では、これまでに培ってきた国際ネットワークを活用して、即座に情報収集と支援を開始した。
核兵器保有国でもあるロシアによる武力侵攻は、国際的にも非常に深刻な影響を及ぼすことが懸念された。連日、学校や病院、商業施設等の市民が利用する場所への攻撃や、人道回廊、チョルノービリ(チェルノブイリ)原発への攻撃は、ウクライナ国民の心身に対する負担を増加させた。これは第二次世界大戦以降、最大級の人道危機であることは間違いない。
国連人道問題調整事務所(※5)によると、軍事侵攻から1か月半あまりがたった4月11日時点で、ウクライナ国外への避難民は約450万人。国内避難民は710万人を超えた。人口約4,400万人のうち4分の1が、避難を余儀なくされていることになる。
また現在、ウクライナでは、18歳から60歳の男性は原則出国できないため、避難民のほとんどは母子と高齢者である。
しかし、国内避難民は、政府が関与して避難を把握している人数であり、親類や知人宅に自主的に避難している人などは、把握ができていないという。
東北6県の人口を足しても約860万人(2022年時点)であり、それを想像すると710万人もの受け入れを行っている地域や近隣国の負担は非常に大きいことが分かる。
※5:通称「OCHA」。国連事務局の一部局として、国際緊急人道支援の調整、緊急物資・人員・資金の動員、情報管理、政策形成等を担う。本部はニューヨークとジュネーブにあり、60以上の国・地域事務所と合わせて約2,200名の職員が活動している。日本はOCHAの活動を支える大切なドナー国であり、パートナーとなっている。
隣国ルーマニアへ逃れた避難民へ施されている支援の内容は?
PBVではこの状況を受け、避難民がポーランドに次いで60万人を超えた隣国ルーマニアに職員を派遣した。
PBVでは、軍事侵攻開始直後よりルーマニア第2の都市クルージュ・ナポカに本部を置くPATRIR(ルーマニア平和研究所)をパートナーとして支援を行っている。
彼らは、紛争前から平和を構築しておくことを目的に作られた国際的なネットワーク組織であるGPPAC(※6)のメンバーとして、平和教育などの活動に取り組んでいる。
そのつながりから、ウクライナ国内への支援物資の提供や、ルーマニアへ逃れた避難民への支援をルーマニア国内のNPOや企業、行政機関と連携して実施している。
※6:「武力紛争予防のためのグローバルパートナーシップ」(Global Partnership for the Prevention of Armed Conflict)。「紛争予防」を目的とした世界的なNGOプロジェクト。戦争や紛争が起こらない世界を作るために、市民が政府や国連と協力し、どのような役割を果たせるかを議論する大規模なプロジェクト。
ウクライナ避難民に不足する医薬品や生活物資
ここからは今回の現地入りに際して、私たちピースボートの視点で把握したさまざまな状況や課題を伝えたい。
私たちが現地に入る際には事前に、安全面を含めた現地情報をさまざまな機関から収集する。例えば、在ウクライナ日本大使館などからは主に、以下のような情報を得ていた。
- 電車などの公共交通機関は、首都キーウ(キエフ)を中心として東側はまひしている一方、西側は生きている。
- ウクライナ語は、私たちの支援するルーマニアなどの周辺国では通じないが、ポーランドは言語が似ていて比較的通じる。
- 大学進学を機にポーランドで生活を送る学生が一定数おり、今回ポーランドへの避難民が多いのはそのためである。
現地に入り、国際機関や現地行政、地元支援団体などにヒアリングを続けると、ウクライナ国内避難民の多くは、戦火が激しさを増す東部から移動していた。
侵攻から1か月が経過し、攻撃の対象地域はウクライナ全土に広がり、すでにウクライナ国内の避難場所は限界を迎えていた。医薬品や食料品は底をつきかけているという。
ルーマニア国境近くにある女性の家庭では、親類や友人など15名を自宅で受け入れて生活をしており、生活物資も不足している。こういった家庭がたくさんあるそうだ。
生協の国際ネットワークに果たせる役割はあるのか?
日本で起こる自然災害では、大きなインパクトは基本的には1回のみで、その後はインフラや物流を含めて回復していく。
しかし戦争となると、よくなるどころかどんどん悪くなっていき、医薬品も食料品も国内での確保が難しくなる。そのため周辺国からの継続的な支援は、絶対的に必要となる。
私たちも、クルージュ・ナポカから医薬用品10トンを載せたトラック4台に同乗し、350㎞離れたウクライナ国境まで約8時間かけて運んだ。ルーマニアには日本のように整備された高速道路はなく、長距離の移動はかなり厳しい。
物資がウクライナ国内まで入ると、拠点病院や物資支援拠点からウクライナ国内のさまざまな場所へ医薬品や食料品が届けられていく。
私たちが把握した物資支援拠点では、パスタや缶詰、生理用品などが入った2週間分の食料・生活支援キットが毎日3,000セット、地元ボランティアによって作製される。その日のうちになくなるため、日々物資を必要としているそうだ。ちなみに物資支援拠点には「COOP」と記載されたパスタもあり、生協の国際ネットワークの強さを改めて認識した。
こういった物資支援拠点は、攻撃の対象となる可能性があり、ウクライナ政府からはSNSや通信機器を使って、位置情報が特定されるような写真掲載や発信は控えるよう周知されているため、ここでも詳細は控えさせていただく。
また、ウクライナからルーマニアへの国境付近は、いまだに出入国審査のために1㎞以上にも及ぶ車列や、徒歩での出国希望者が列を作っている。
気温は低く、雪がちらつく日もあり、持てるだけの荷物を持った母子が徒歩で国境を渡って来ざるをえない状況が、事態の深刻さを物語っている。
隣国ルーマニア国内に広がる避難民支援の輪
ルーマニア国内の話に移すと、避難が始まった当初は、ルーマニアはポーランドやEU諸国へ移動するための経由地という位置づけが強かった。しかし1か月が経過し、避難してくる人の状況が変わってきた。
侵攻直後は経済的にも比較的余裕があり、EU諸国に親類がいるなどの人が多かったという。それが1か月を過ぎると、戦火を逃れてウクライナから脱出せざるをえない人が増え、経済的にも厳しい人が増えたそうだ。
また周辺国でも、避難民の増加によって受け入れが厳しくなっており、ルーマニア滞在者や、隣国モルドバからの避難民も増えている。
そういった避難民を支えるため、ルーマニアの市民団体やボランティアが中心となりさまざまな支援が行われていた。言語面のサポートから始まり、食事、休憩場所、子どもの遊び場、携帯電話の無料SIMカード、移動支援、医療の提供などが国境沿いや主要な駅などで実施されている。
意外と思われるかもしれないが、ルーマニアには日本の避難所のような大型の避難施設はほとんどなく、市民がホストファミリーとして志願し、生活場所を提供している。そういった宿泊場所を紹介するマッチングサイトなども、民間組織によって運営されていた。
市民の支援活動をルーマニア政府がバックアップ
ルーマニア政府もそういった市民の動きをバックアップするため、避難民に対する支援制度を拡充させ、ホストファミリーへの費用を補助したり、ルーマニア国民と同じ公共サービスを受けられるよう制度を整えたり、また医療費も原則無料とした。
しかし、まだまだ課題は山積している。駅などの両替所では、ウクライナ通貨からルーマニア通貨への両替ができなくなっている。そのため、さまざまなモノが購入できない。為替レートも日に日に悪化している。
また、長期滞在となると収入が必要となるが、ルーマニア語ができないと就職先が見つからない。それだけでなく子どもを預ける施設がないと、母親が働くこともできない状況である。もちろん、子どもの教育の問題もある。がんで闘病生活を送る避難民もいる。
私が出会った女の子は、自宅の上空を何発ものミサイルが通過したり、自宅の庭に戦車が入ってくる光景を見たことで、毎晩その光景が夢に出てきて眠れないそうだ。そういったトラウマを抱えた人は、たくさんいるであろう。
人こそが、人を支援できる
こういったさまざまな課題は、容易には解決しない。60万人を超える避難民に対する支援は、経済的な負担も大きく、ルーマニア国内でも議論が出始めている。まさに持久走のような支援が求められている。
PBVとしても今回、パルシステムの組合員の皆様からのご支援を活用し、医薬用品や食料、生活拠点整備のほか、言語面でのサポートや、抗がん剤治療などが必要な避難民の支援、ストレスを抱えた人々に対する心理社会的サポートなどを現地支援団体と協力して実施している。
私たち日本人は、ウクライナの人にとってとても珍しい存在であるのと同時に、遠い異国の地から支援に来ているということで、とても喜ばれた。
私たちは活動理念に「人こそが人を支援できる」と掲げており、今回もそれを実感した。私たちは戦火を逃れた人々の生活を少しでも安定させるために、現地に入り最前線で取り組んでいく。
しかし、私たちだけでは、この支援は成なしえないことは明らかであり、引き続き、市民一人ひとりのご協力をお願いしたい。