焦らずにゆっくり、「ふわり、ふわり」と生きていけばいい
――2024年の秋、17年ぶりのニューシングル「FUWARI」注釈をリリースされました。舌がんを克服されてから最初の新曲で、堀さんは作詞も手掛けられています。
堀ちえみ(以下、堀) がんを経験して伝えたかったこと、それは「ありがとう」の一言に尽きます。また歌える日が来るとは、思ってもいませんでした。だから歌詞にも、「ありがとう」の気持ちをつづったんです。
――「FUWARI」という言葉が軽やかで心地よく、優しい響きですね。
堀 ありがとうございます。病気は自分自身のメンタルとの闘い、かっとうの繰り返しです。その中で家族、病院の先生、看護師や介護士の皆さん、リハビリの先生、友人、ファンの皆さん、多くの方々が支えてくれて、前へ、前へ、ゆっくりと進むことができました。焦らず、ゆっくり、「ふわり、ふわり」と生きていけばいい。その願いをタイトルに込めました。
――闘病中、仕事へ復帰に向けて歌っている動画を拝見しました。とてもいい表情でした。
堀 言葉が少したどたどしくても、今の私をさらけ出す。ステージで歌うことを目標に掲げ、1年かけて「リ・ボ・ン」という私の歌を練習しました。歌っている私、すごく幸せそうな顔をしていますよね。昔のようには歌えない。それでも家族は、歌っている幸せな私に戻したいと願ってくれました。
舌のほんのわずかな異変が、私の人生を大きく変えた
――2018年5月ごろから舌に異変を感じ、2019年1月に検査入院したところステージ4の舌がんとの診断を受けられました。つらい記憶だと思いますが、当時のことをお聞かせください。
堀 30代のころからさまざまな病気にかかったこともあり、健康診断も人間ドックも受けていました。それでも発見が遅れたのは、口腔がんはがんの中でも罹患率が低く、私も全く知識がなかったからです。もう一つ、私の服用していたリウマチ治療薬の副作用が口内炎だったんです。
ボイストレーニングを受けたとき、舌の左側の裏側に白い小さな点を見つけたんです。ふだんは痛くもかゆくもないけれど、ときどき痛みが走る。口内炎にしてはおかしいので、内科、婦人科、リウマチ科、整形外科、歯科で診てもらいましたが、どの先生がたも「副作用です」との診断でした。
――口腔がんは珍しいがんなので、診察したことのある医師も少なかったのではないでしょうか?
堀 そうだと思います。それから痛みがひどくなり、水は飲めないし、だ液も飲み込めません。夜中、痛みで目が覚めたとき、パソコンで「口内炎 治らない 舌」と検索して、ヒットしたのが「舌がん」。震えが止まらず、でも腑に落ちました。「ああ、そうだったのか」と。
紹介状がなかったので、夫があちこちの病院に電話をかけてくれました。たまたま電話に出た受付のかたが口腔外科につないでくれた。それが今でもお世話になっている病院との出会いです。舌に違和感を覚えてから、8カ月後のことでした。
「すっと逝きたい」という気持ちを揺り動かした次女の言葉と涙
――検査入院後、すぐに告知を受けられます。具体的に、どういった治療方法が提案されたのでしょうか?
堀 ステージ3の舌がん(左舌扁平上皮がん)でしたが、リンパ節へ転移していたので「ステージ4」と告知を受けました。覚悟はしていたので、涙は出ませんでした。それよりも「仕事をどうしよう」「家族にどう伝えよう」という気持ちのほうが大きかったです。
先生からは3つの選択肢を提案されました。1つめはがんを切除する手術。2つめが化学療法。3つめが痛みを和らげる緩和ケア。「ご家族と相談して、次の診察日までに決めてほしい」と言われました。
――そして、手術を選択されます。3つの選択肢の中で、5年生存率の可能性がいちばん高いものの、それだけつらい治療になったはずです。
堀 「命を確保することを考えてほしい」と先生から言われましたが、手術に対して消極的でした。それまで痛みと向き合ってきたので、これ以上は闘う気力が残っていなかった。「緩和ケアでいい。お迎えが来たら、すっと逝きたい」と考えていたんです。
その気持ちを、当時高校1年生だった次女が変えてくれたんです。「お母さん、お願い、手術を受けて。まだまだそばにいてほしいから」と泣きながら言ってくれて……。「自分だけの命ではない」と感じ、手術することを選びました。
がんを乗り越えることができたのは、家族の支えがあったからこそ
――舌の6割超とリンパ節を切除し、太ももの組織を舌に移植する、11時間に及ぶ大手術だったと伺いました。そのあと、リハビリの日々が始まります。
堀 リハビリで大事なのは、舌根(ぜっこん)を鍛えること。言語聴覚士の先生にサポートしてもらいながら、一音ずつ習得していきました。せっかくリハビリしたのに発音が悪くなることもあり、「悪くなっているのは、よい風に考えると変化しているんだよ」と夫が励ましてくれました。
でも、「ありがとう」だけは自然と言えるようになったんです。闘病中は看護師さん、介護士さん、家族、友人、いろんな人に「ありがとう」と口にします。いっぱい発する言葉だからこそ、自然と習得できたんでしょうね。
――著書『Stage For~ 舌がん「ステージ4」から希望のステージへ』(扶桑社)には、家族の支え、夫婦と親子のつながりの深さをつづっておられます。
堀 入院中、夫に「ごめんね」とよく謝っていました。「持ちつ持たれつだから、大丈夫だよ。僕が病気になったら、頼むな」と言ってくれて。
退院したあと、夫が伊豆の温泉に連れていってくれて、「つらかった」と初めて言えました。家族や周りの人が心配すると思って、言えなかった言葉です。それが温泉につかって、心がほっとしたとき、「つらかった」とぽろっと言えて、涙がボロボロ出てきました。
――リハビリを続けながら、「歌う」ことにも前向きになっていかれます。本にも書かれていた、下の娘さんとカラオケに行ったエピソードが印象的でした。
堀 「話せない」「歌えない」「恥ずかしい」と何事もネガティブに物事を考えてしまい、気持ちがどん底に落ち込みました。心に余裕をなくしていたんです。それなのに次女は、私の歌をカラオケに入れたんです。恐る恐るマイクを握って歌ってみたら、「歌えるじゃん!」と娘が言ってくれた。
そのうちに、自分なりに未来が見えてきました。時計の針は戻せない。前を向くためには、今の自分を認めて、愛するしかない。「やってやろうじゃないか!」の気持ちになりました。
――「話す」「歌う」のほかに、言葉を発するという意味では「書く」もあります。
堀 当時、大学で心理学を学んでいた長女が、1日1ページ日記をプレゼントしてくれました。同じ日記を2冊持っていて、「交換日記をしよう」と提案されたんです。娘が心配するようなこと、ネガティブな気持ちは書きたくない。「今日は検査がつらくて、涙が出そうになった。でも、これからもっと楽しいことが待っている」と前向きな言葉を付け加えました。
その日記は、今でも大事に残しています。「今日はいい1日だった」「私は生きている」「朝、病院の外はいいお天気。キラキラしたお日さまを見て、幸せ」。日記には心地よい言葉が並んでいて、いい意味で過去を振り返ることができます。
がんは、私だけの闘いではない。改めてかみしめる家族のかっとう
――大手術と闘病生活を乗り越え、2023年にはアニバーサリー・ライブ「Chiemi Hori 40thプラス1 Anniversary Live~ちえみちゃん祭り2023~」とクリスマスディナーショーを開催されました。
堀 東京公演のあと、次女が「お母さん! よかったよ!」とすごくテンションが高かったんです。そばにいた長男が「これでよかったんや」と言い、娘が「そうだね、お兄ちゃん!」とすかさず言い返した。
その姿に、すごく考えさせられました。子どもたちは、「お母さんに手術を勧めたのは、私たちのエゴだったのでは」と後悔したかもしれない。しかもその気持ちを、母親の私にみじんも感じさせなかった。そうした家族の思いやり、つらさを忘れてはいけないと肝に銘じました。
――堀さんがステージで歌う姿を見て、ご家族も初めて本音が言えたんでしょうね。がん患者の家族として、それぞれがかっとうを抱いていたはずだと思います。
堀 夫も、子どもたちも、みんなつらい思いをしたはずです。でも、病気で苦しいときは、家族に感謝の気持ちがあっても、自分のことで精いっぱいでした。思いやりの心を持てる余裕がなかったんです。
でも、がんは私だけの闘いではありません。「あなたはがん患者じゃない!」と夫に気持ちをぶつけたとき、「がん患者の家族の気持ちは分かるかい?」と言い返されました。つらいのは、家族も同じなんです。
――自分のモチベーションと家族の熱量が、かみ合わないことはありませんでしたか?「応援してくれるのはうれしいけど、少ししんどい」みたいな。
堀 子どもたちも、夫も、私のこれからを家族がそれぞれ見据え、うまくコントロールしてくれました。「私はがんだ」という殻に閉じこもってしまうと、日々の暮らしや仕事に戻ることが難しくなります。殻を割って、手をつなぎ、責任を持って引っ張っていってくれる。それが家族の支えであり、いい距離の取り方なんでしょうね。
母親の姿を見て、子どもたちも命の大切さを感じてくれたはずです。今日生きているのは、当たり前のことではない。日常の幸せこそが、いちばん尊いものだと感じてくれたと思います。
かけがえのない命。「自分のために」が「だれかのために」へつながっていく
――舌がんを告知され、手術を受けてから5年半たちました。堀さんはその経験を通して、口腔がんの啓発活動にも積極的に取り組まれています。
堀 がんになったことをプラスに持っていくためにも、この経験を無駄にしたくなかったんです。自分の経験を通して、だれかの力になりたい。それが啓発活動のきっかけです。
ほかのがんと同じように、口腔がんも早期発見、早期治療が大切です。口腔がんを疑う一つの基準として、口内炎が2週間治らない場合は、専門の病院で診てもらうことをおすすめします。
――「生きよう」と前向きになれた秘訣、「もう一度歌う」というバイタリティは、どこから生まれたのでしょうか?
堀 「生きる」と決めたら、前を向くしかありません。つらい過去ほど、切り捨てるのは難しい。だからこそ、今を一生懸命生きていく。そのためには目標と欲、つまり「意欲」が必要です。やりたいことを目標に掲げて、そこに向かって頑張っていく。
がんに対する意識は、私が告知された5年前とかなり変わりました。がんに向き合いながら、ポジティブに生きる人も増えています。そういう社会になるためにも、がんを経験した人が前向きになることが大切だと思います。
――「がんからの贈り物」を意味する「キャンサー・ギフト」(Cancer gift)という言葉も広がってきています。
堀 がんになって気づけたこと、見えてきたものは、いろいろありました。朝、目が覚めると「今日も生きている」と思う。夜、寝る前は「今日も無事に過ごせた」と感謝する。「生きる」という本当の喜び、尊さを、教えてもらいました。
こうして今、お話しできることの幸せをかみしめています。命はかけがえのないもの。「自分のために」が、「だれかのために」へつながっていく。そのことを皆さんにお伝えしたいです。