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写真=写真工房坂本

共感を引き出す「言葉」の見つけ方。「翻訳できない世界のことば」の翻訳家が追い求める「言葉の可能性」とは?

  • 暮らしと社会
言葉にするからこそ、伝えられること。言葉にしてしまったために、こぼれ落ちてしまうこと。人は言葉の限界と可能性の間で揺れながらも、思いを伝えようと試行錯誤する。絵本作家としてデビューし、『翻訳できない世界のことば』や『100年の旅』など、やわらかな言葉で本質を伝える翻訳書も人気の前田まゆみさんは、その限界と可能性をどのように見ているのだろうか。

“分かりやすさ”を生み出すクリエイティビティ

――前田さんが翻訳を手掛けた『翻訳できない世界のことば』(エラ・フランシス・サンダース著)は、世界各国に存在する52「英訳できない言葉」を、わずか数行の言葉とイラストで紹介する一冊。まさに、翻訳が難しい作品だと思われますが、そこには前田さんならではの高度な工夫が凝らされていると感じました。

前田まゆみ(以下、前田) 著者のエラさんは当時20代前半。そのせいか、文章にはところどころですが、若さゆえのどこか尖ったようなシニカルな雰囲気があるように感じました。

 もしこれが文学作品なら、そのまま訳してもよかったのでしょう。

 でも、出版社の意向は「小中学生をはじめ、たくさんの人に届けたい」ということ。そのまま訳してしまうと、少し生意気に聞こえてしまい、その意向がかなわないかもしれません。だから、私のカラーが出ることは承知の上で、かなりやわらかく訳したんです。

 孤独感を抱える繊細でアーティスティックな女の子(著者)に向かって、お母さんが「まあまあ、そんな言い方しなくても、これぐらいでいいんじゃない?」となだめているような感じですね(笑)。

写真=写真工房坂本

 翻訳をするときに、自分のクリエイティビティを前面に出したいという欲求は全くないんです。

 私が何より大切にしているのは、日本語として自然に心に入ってくるように訳すこと。

 そういう意味で、翻訳は外国語の仕事というよりも、日本語表現の仕事だと思っています。科学的な内容の本などは、専門用語をきちんと訳せれば伝わるのでそれほど難しくないのですが、原文の文字数が少ない詩的なもの、文学的なもの、著者が感覚で書いているようなものはすごく難しいですね。

――0歳から99歳まで、1歳ごとにその年齢を表す一文が記された『100年の旅』(ハイケ・フォーラ著)も、詩的な絵本。ここでも、分かりやすさを優先するために、大きな試行錯誤があったとか。

前田 10歳のページの原文が、「でも、この世界にはアウシュビッツのようなこともある」だったんです。

 ドイツでは、10歳くらいでアウシュビッツのことを勉強するので、“ひどいこと”の象徴としてアウシュビッツがしっくりくるのでしょうね。

 でも、今の日本の子どもたちや若い世代はアウシュビッツと言われて、どれくらい具体的に想像できるでしょうか?

 日本人にとっては、もしかしたら“広島・長崎”のほうがしっくりくるのかもしれません。でもそれは、ドイツ人が「アウシュビッツ」という語から想像する内容と異質な面があり、言い換えればいいという問題でもないだろうな、と思って。悩んだ末に「でも、人間は、同じ人間に対し、恐ろしいまでにひどいことをしたことがある」と訳したんです。

 「分かりやすく訳す、やわらかく受け止めてもらえるように表現する」というのは、もはや私のめざす“芸風”ですね。自著である『えほん 般若心経』などもその部類です。

『100年の旅』(ハイケ・フォーラ著)(写真=写真工房坂本)

“ヤバい”やエモい”は使えない?

――その“芸風”のベースになっているのは、絵本作家として積み重ねてこられた長いキャリアですね。

前田 絵本の世界には、正しい日本語を使う、時代が移り変わっても意味が変わらない言葉を使う、という基本的な考え方があります。

 例えば“ヤバい”とか“エモい”という流行語は、この先まだまだ意味が変わっていく可能性がありますよね。漫画とか小説では、そうした言葉を効果的に使うこともあると思いますが、長く読み継がれていくような子ども向けの絵本では使いません。

 昔から定着している言葉、意味が普遍的に変わらない言葉を使う、という方法論があるんです。そうした考え方は、翻訳の中でも生きていますね。

――近年はAIの進化も著しいですね。翻訳の世界でも、その影響はあり得るのでしょうか?

前田 昨今、多くの人が翻訳作業をAIに任せるようになりました。確かに、日本語を英訳する際も、長くて説明的な文章ならAIもそれなりに上手に訳すことができます。

 でも、表現が文学的であればあるほど難しい。最新のディープラーニング技術を使っても太刀打ちできない状態ですね。ちなみに、私が翻訳した日本語をAIに入れて英訳してもらうと、本来の原文とは全く違うものが出てくるんですよ。

 赤ちゃん向けの絵本のレビューに「日本語訳が原文と違う」という声が書き込まれていたのですが、かっちりした構文で書かれている英文を直訳しても、赤ちゃんの心に言葉は入っていかないと思います。相手が赤ちゃんなら、赤ちゃんに向けた言葉にする。そこまで考えた翻訳は、現段階ではやはり人間にしかできないと思います。

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共感を引き出す言葉の力

――『翻訳できない世界のことば』では、「帰ることができない場所への郷愁と哀切の気持ち」を表すウェールズ語の「ヒラエス」、「時間やお金があるのに、それを費やす気持ちの準備ができていないこと」を表すアイスランド語の「ティーマ」など、初めて聞くのに、つい共感してしまうような言葉がたくさん紹介されていました。

前田 漠然としていて目に見えなくて、あるのかないのか分からないもの。自分の中に確かにあるのだけれど、言葉にし切れないあいまいな感情。そうしたものが言葉で名づけられることによって、形になることってありますよね。

 名前をつけられたことで、存在の実感を得られるのはすごいな、と思います。

――「分かる、分かる!」と思わずひざを打つような言葉もあれば、私たち日本人にとってはなじみの薄い国のものが多々混じっていることにも驚かされました。

前田 例えば「だれか来ているのではないかと期待して、何度も何度も外に出て見てみること」を表す「イクトゥアルポク」というイヌイット語は、氷に閉ざされた世界で暮らしている人々だからこそ生み出せた言葉でしょう。

 自然の条件とか生活、文化と関わり合いながら、それぞれの国独自の言語が生まれるというのが面白いですよね。

 同時に、自分とはかけ離れた環境で暮らす人々に共感できることに気づかされるのが、この本の大きな魅力です。

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―ー英訳できない言葉として、日本語からは「木漏れ日」や「侘び寂び」、「ボケっと」などが選ばれています。これらの言葉は、歴史や文化の壁を越えて、エラさんの心を強く揺さぶったのでしょうか?

前田 あるとき、エラさんに「日本には“物のあはれ”という言葉があるんですよ」とお伝えしました。

 そうしたら、ひどく感激されて、「自分は一生“もののあはれ”について考え続けると思う」とおっしゃったんです。

 “物のあはれ”という感覚が伝わって、エラさんの心を打ったのでしょうね。エラさんならきっと分かってくれると思いましたが、通じたときはとてもうれしかったことを覚えています。

――昨今、国籍などの違いを理由にした排除や分断が社会問題を引き起こすことも少なくありません。そんな中、『翻訳できない世界のことば』や『100年の旅』は「どんな人との間にも相通ずる思いがある」という事実に気づかせてくれるのでは?

前田 確かに、昨今、排外主義的な傾向はありますが、本来、日本人は海外の人と仲良くしたり、海外の文化に親しんだりすることが好きですよね。

 『翻訳できない世界のことば』が日本ですごく受け入れられたという事実からも、皆さん、こうして世界とつながることを求めていたのかな、と思います。

 『100年の旅』も、ページを開けば、どの年齢の人にも共感できるという面白さがあります。著者のハイケさんはドイツ人ですが、この本はドイツ人だけの世界観というわけではなく、ユニバーサルなものだから広く受け入れられているのでしょう。そういう意味で、この2冊には共通するところがあるのかもしれませんね。

『100年の旅』は、訳者の前田さん(左)と著者のハイケ・フォーラさん(右)の共作ともいえる(写真提供=前田まゆみさん)

「独房」の小窓から言葉を放つ

――前田さんとハイケさんは年齢が近いことから意気投合し、ハイケさんが来日した際には全国各地でのトークイベントにも共に登壇されてきました。そうした交流の中では、言葉の壁を越えて分かり合えることと同時に、分かり合えなさもあったでしょうか?

前田 ハイケさんのお名前のスペルは“Heike Faller”なのですが、それをGoogle翻訳に打ち込んだら“平家落人”と出てきたんですよ。おもしろいですよね(笑)。

 源平合戦の話から始まって、それがいかに面白いのかを一生懸命説明したんです。でも、“平家落人”が突然出てくる意外性ゆえの面白さとか、だれもが学校で「祇園精舎の鐘の声……」と覚えさせられた共通の思い出ゆえの面白さなんかは、なかなか伝わりませんよね。一緒に笑ってはくれましたが、ニュアンスのすべてが伝わったのかどうかは、心許ない気がします。

 それこそ、本当に“翻訳できない世界のことば”の一つだなと思いました。

――言葉にすることであいまいなものが顕在化することがあると同時に、言葉にしたばかりに大切なものがこぼれ落ちてしまうこともあります。言葉とのつきあい方には、だれもが戸惑いを感じた経験があるのではないでしょうか?

前田 人の心は“体”という独房の中に閉じ込められているのではないか、と感じることがあります。その独房についている小さな窓から外にいる人とやり取りをするには、言葉を使うしかありません。

 でも、その言葉は本当に自分の意図した形で別の独房の中にいる人に届いているのでしょうか。

 例えば“多様性”という言葉。登場した当時は、全面的にポジティブなものとしてとらえられていましたが、時代の変化とともに「多様性も行きすぎるとね……」とネガティブなイメージを持つ人たちも出てきていますよね。

 言葉は、人によって受け取り方が違うだけでなく、時とともにニュアンスが変わっていくこともあるのだと思います。

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――私たちはつい言葉の普遍性を過信し、時代の中で善とされてきたキーワードやスローガンを考えなしに繰り返してしまいがちです。その言葉が何を伝え、何を取りこぼしているのか、時に立ち止まることも必要なのかもしれませんね。

前田 もちろん、自分の発した言葉が意図したとおりに相手に届くこともありますが、相手は自分とは違う意味でその言葉を使っているかもしれません。

 それは、分からないわけですよね。言葉には可能性と限界の両方があります。

 だからこそ、“白か黒か”と単純に決めつけて盲信するのではなく、この言葉はどんなニュアンスを帯びているのだろう、どんな形で相手の元に届いているのだろう、と考え続けることが大事なのだと思います。

 

取材・文=棚澤明子 写真=写真工房坂本 構成=編集部