能登の地で生きていく。進まない復興の中で、田んぼと地域が人の輪をつなぐ[能登半島地震から見つめる-3]
棚田が黄金色に染まる秋の能登。作業に励む農家は今年の収穫を喜びつつも、人手不足による将来への不安を口にしていました。復興と過疎、一朝一夕で解決しない問題に臨む、能登の声をお届けします。
- 食と農
棚田が黄金色に染まる秋の能登。作業に励む農家は今年の収穫を喜びつつも、人手不足による将来への不安を口にしていました。復興と過疎、一朝一夕で解決しない問題に臨む、能登の声をお届けします。
2024年元日に発生した「令和6年能登半島地震」。実は、特に被害が甚大だったのが奥能登地域にはかつて「原発の立地計画」があり、地元住民による苛烈な反対運動の末、撤退した歴史があった。住民たちはその日々をどう闘ったのか?
2024年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」。被災地となった石川県能登半島では、長い歴史のなかで工芸や工業が発展してきました。発災から半年がたつ頃、さまざまな立場でものづくりに関わる方々に、ここまでの歩みと思いを聞きました。