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写真=井田宗秀

「パレスチナで今起きていることは、世界の縮図です」 “人権野郎”が見たその現状とは

  • 環境と平和

イスラエルの軍事占領下に置かれ続けているパレスチナ。自治権が認められているはずにもかかわらず、イスラエル軍による不法な抑圧状況が続き、人々の生活は厳しさを増している。こうした状況を背景に、生協パルシステムではパレスチナの人々を支援するため、オリーブオイルを扱ってきた。しかし、そのオリーブオイルの出荷団体の職員が、2017年5月にイスラエル軍によって突然逮捕・拘禁されるという事態も起きている。現地は一体どんな状況なのか。国連職員としてパレスチナに赴任した経験を持ち、自らを“人権野郎”と呼ぶ人権問題の専門家・髙橋宗瑠さんに伺った。

今も「占領下」にあるパレスチナ

――髙橋さんは、2009年から2014年まで、国連人権高等弁務官事務所のパレスチナ事務所に赴任されていました。まず、そこではどんな活動をされていたのか教えてください。

髙橋 私がパレスチナ事務所に赴任したのは2009年3月で、2008年末から始まったイスラエルによるパレスチナのガザ地区への大規模な軍事侵攻が終了した直後です。イスラエル軍による人権侵害に、国際社会から大きな注目が集まっていました。

 主な活動は、「モニタリング」といって、人権侵害に遭った人の所へ駆けつけ、物的証拠や目撃者の証言などを集め、報告書を作成するというものです。その報告書を基に、国連などの場で国際社会に訴えて、問題を起こしている国にプレッシャーをかけるのです。

――イスラエル軍によるパレスチナ人への人権侵害の例にはどんなものがあるのでしょうか?

髙橋 それはもうたくさんあります。イスラエル軍に抵抗したとか、テロの容疑者だとして殺害されたり、ユダヤ人の入植者による暴行を受けたりしたパレスチナ人の数は年々増えています。戦闘時以外でも、家屋の損壊、畑や車両が損害されることは頻繁に起きています。

東エルサレムで家屋を破壊された家族。破壊のための費用まで請求された(写真提供=髙橋宗瑠)

 今回起きたような「行政拘禁」(※1)もその一つです。一般の逮捕者もまともな軍事法廷で裁かれることはありませんが、行政拘禁の場合はもっとひどい。証拠の開示がされないし、弁護士に会えないこともあります。6カ月という期間はありますが更新可能で、何年も釈放されない人もいます。

 大人だけでなく、子どもの投獄もあります。真夜中に軍が自宅へ来て、「数週間前に投石をしただろう」と子どもを連れていきます。連行先での拷問も少なくありません。たとえ事実無根でも、本人やコミュニティに恐怖を植え付ける目的で行うケースもあります。

※1:行政拘禁:政府にとって不都合な人を予防的に逮捕・拘禁するもの。

写真=井田宗秀

――イスラエルはこうしたケースについて「テロリストから身を守るためだ」と釈明することが多いですよね。日本にいると、実際には何が起きているのか分かりにくい印象があります。

髙橋 そうですね。私も赴任するまでは、イスラエルは民主主義国家だし、人権の扱いに問題があったとしても何か理由があるだろうと思っていました。しかし、実際に行ってみると、一方的にパレスチナ人が迫害を受けていることが明らかでした。

 日本の大学生にパレスチナ問題について話すときは、最初に「どんなイメージを持っているか」を聞くようにしています。そうすると、「戦争」とか「武力衝突」といった言葉が出てくる。それらの言葉には、お互いが対等な感じがありますが、実際はそうではない。まずパレスチナがイスラエル軍の占領下にあることを理解してほしいと伝えています。

 パレスチナ人がユダヤ人を殺傷する事件もありますが、報道ではその出来事だけが切り取られてしまう。もちろん民間人を殺傷するのはあってはならないことですが、なぜそこまで追い詰められているのか、その背景が表に出てこないと誤解を生みます。

日常的な生活苦を強いられるパレスチナの人々(写真提供=髙橋宗瑠)

――イスラエルとパレスチナの歴史はとても複雑です。「占領状態」について、もう少し教えてください。

髙橋 よく「宗教戦争」だと思われているのですが、これは土地をめぐる争いだと言っていい。もともとパレスチナ人が住んでいた土地を、パレスチナ(アラブ国家)とイスラエル(ユダヤ国家)に分割する決議を国連が採択したのが1947年です。それによって第一次中東戦争と呼ばれる戦争が起き、圧勝したイスラエルがパレスチナ人を追放し、75万人ものパレスチナ難民が生まれました。彼らが逃げ込んだ先が、この戦争の結果エジプトやヨルダンに統治されることになったガザと西岸、そして隣国だったのです。

パレスチナの地政学的変遷(出典:Weblog de ilustração de Luis Silvaより作成)

 今、国際社会のいう「パレスチナ」(西岸地区・ガザ地区)とは、その後の1967年の戦争(第3次中東戦争)でイスラエルが占領した領土のことです。しかし、パレスチナ人にとっては、この土地は不法に占領されたもので、本来は自分たちのものだという気持ちがあります。

 少なくとも「パレスチナ自治区」(※2)と呼ばれる西岸地区とガザ地区では、1967年の戦争から50年経った今でもイスラエル軍による占領状態がずっと続いています。自治区と聞くと、その中では自由に暮らせるように思うかもしれませんが、実際はあらゆる場所をイスラエルが直接的もしくは間接的に支配・統治しているのです。

※2:1988年に「パレスチナ国」として独立を宣言、2012年11月に国連総会オブザーバーとして承認された。日本政府は独立を承認していないため、「パレスチナ自治政府」と呼称している。

人種差別にさらされている日常

――自治区の中でも、行動の制限があるということでしょうか?

髙橋 まず西岸地区では「入植地」の問題があります。入植地というと、「誰もいないところに作った」みたいに聞こえますが、実際には「植民地」と同じ。パレスチナ人の家や畑のあった土地、水源などを収奪して、西岸地区内にユダヤ人の移住が推し進められています。入植地のある丘の上には、家やマンションが立ち並び、商業施設や金融機関、学校もでき、プールもある。一方で、パレスチナの人たちは畑や水を奪われて農産物も育てられません。

エルサレム郊外に作られた見上げるような入植地(写真提供=塩塚氏)

――入植者とパレスチナ人の関係はどうなのでしょうか?

髙橋 先ほども話したように、入植者がパレスチナ人のオリーブ畑を燃やすとか、暴行を振るうということは日常的にあります。でも、それで罪に問われることはほぼありません。イスラエル軍は入植者に対しては何もしないからです。しかし、もしパレスチナ人が抵抗して石でも投げれば、発砲したり逮捕したりするでしょう。パレスチナ人の人権を守ってくれるものは何もありません。同じ西岸でも、入植者に適用されるのはイスラエルの一般法ですが、パレスチナ人には軍令が適用されます。それはまさに「アパルトヘイト」(※3)と同じです。

※3:アフリカーンス語で「分離、隔離」の意味を持つ言葉。特に南アフリカ共和国が1948年から1994年まで実施した、法によって定められた人種隔離と差別の制度を指す。

西岸地区のヘブロン旧市街。イスラエルの入植者が上からゴミや汚物、火のついた油を落とすなど、パレスチナ人への嫌がらせが絶えない(写真提供=髙橋宗瑠)

――西岸地区の中でも、イスラエル軍が直接統治しているエリアが6割を占めていて、どこに移動するにも「検問所」を通らないといけないと聞きました。

髙橋 西岸には、常設の検問所だけでも96か所あり、すぐ近くであっても、パレスチナ人は移動する度にイスラエル軍によるIDカードや荷物のチェックを受けなくてはなりません。移動の自由が奪われているのです。検問所はいつも渋滞していて、学校に通うことをあきらめたり、仕事に遅れて失業してしまうことは珍しくないほどです。発作を起こした急病人が病院に間に合わず亡くなってしまうということも起きています。

 また、イスラエル兵が予告なく道路で非常の検問を行うことも頻繁にあり、パレスチナ人は理由もなく足止めされてしまいます。検問以外にも、道路に障害物が建てられるなど、「移動に対する障害」は何と476個もあると報告されています(2017年3月時点)。

東エルサレムに入るカランディアの検問所前で起きる渋滞。イスラエル兵はわざとヘブライ語(パレスチナ人はアラビア語)で通行を指示する(写真提供=髙橋宗瑠)

――同じく西岸地区で2002年から建設が始まった、イスラエルとパレスチナ自治区を隔てる「分離壁」もありますね。

髙橋 高さ8メートルもある「壁」は象徴的な存在です。自国の領土内であれば違法にはなりませんが、実は「グリーンライン」(1948年に定められた事実上のイスラエルとパレスチナの境界線)よりも、ほとんどがパレスチナ側に作られているのです。それによってパレスチナ人の土地が奪われるだけでなく、村が分断されるなどの問題も起きています。

 2004年に国際司法裁判所でこの壁は違法だと判断されましたが、拘束力のない「勧告」だったために無視されています。壁を建設したのはテロ対策だけでなく、パレスチナ人を「見えない存在」として隔離するためでもあります。イスラエルの一般市民は、日常生活の中でパレスチナ人を見かけることはありません。接点があるのは兵役に就くときだけ。それも、検問所とか戦車や戦闘機の中からなので、とても人間的な接触とはいえません。

渋滞する道と、分離壁の向こうに建つ入植地の家々(写真提供=髙橋宗瑠)

ガザ地区は「天井のない監獄」

――もう一つのガザ地区は、もっとひどい状況だと聞きます。2014年の軍事進攻は一般市民や子どもの被害が多かったことから、国際社会からも大きな非難を浴びました。

髙橋 ガザ地区はどんどん状況が悪くなっています。2008年から2014年までの間に3度もの大規模な軍事侵攻がありました。2014年の時には、死者が2000人以上、負傷者も1万人以上に上っています。その少なくとも半数以上が民間人です。イスラエルはいろいろと言い訳をしていますが、意図的に民間人を攻撃するのは重大な戦争犯罪です。

――停戦合意が結ばれたあとでも、ガザの状況は悪いのですか?

髙橋 2007年からガザ全域が封鎖されているため、ほとんど物資が入らないし、失業率も高い。多くの人が国連の食糧配給に頼って暮らしています。電気も制限されていて、使えるのは一日に3~4時間だけ。外に出る自由もなく、「天井のない監獄」と呼ばれる状況です。

 報道されなくても、数か所程度の空爆や無人攻撃機による「テロ容疑者」の暗殺などは日々起きています。境界線も上空もイスラエル軍が完全に管理していて、ガザに行けば偵察用のドローンも飛んでいます。

ガザ地区の様子(写真提供=髙橋宗瑠)

――ガザはなぜそれほどまでに攻撃されるのでしょうか?

髙橋 西岸とガザは、政治的にも分断されています。西岸を統治するのはパレスチナ当局で、指導的立場を占めるのは「ファタハ」という政党です。一方、ガザを統治しているのは「ハマス」という政党です。

 ハマスはイスラエルの侵略に対して武装抵抗を続けてきたため、国際的に「テロ組織」の烙印を押されています。そのハマスがガザ地区を2007年に統治して以来、イスラエルはガザ地区を「敵地」として封鎖を敷き始めました。実際にはハマスにも人権侵害などの問題があるのですが、ガザ地区の市民にとってはパレスチナを守ろうとする同朋でもあるのです。

 イスラエルと協力関係にあるファタハと、パレスチナ国家のために闘うハマスは長年対立してきたのですが、最近では両者が手を組み、パレスチナの連立政権を目指す動きが出てきています。

ガザ地区の街(写真提供=髙橋宗瑠)

――軍によるパレスチナ人への人権侵害を、イスラエル市民はどう感じているのでしょうか? 反対運動が起こらないのが不思議です。

髙橋 それは本当によく受ける質問です。多くのイスラエル人は外国語ができるし、大学も出ています。政府のプロパガンダはありますが、外から情報を得ようと思ったらできるはず。それなのに、なぜ誰も疑問に思わないのか……。簡単には答えられません。

 学校教育も含めて、社会全体でそういう風になっているのだと思います。18歳になると男女ともに軍隊に行き、ユダヤ人国家を守るのだと刷り込まれます。軍が「セキュリティのため」「テロを防ぐため」と言えば何でも受け入れてしまう。疑問を持つ様子はありません。

「エルサレム開放の日」(すなわち67年にパレスチナを占領した日)を祝い、エルサレムの旧市街を闊歩するイスラエル人のヘイトデモ(写真提供=髙橋宗瑠)

 ただ、かつてパレスチナ人との交流があった時代を知る人たちは、もう少し違うイメージを持っています。例えば私の知人に、1948年のイスラエル建国前のことを覚えている高齢の女性がいます。彼女はグリーンラインのそばで育ち、小さい頃はアラビア語(パレスチナの公用語)を話したそうです。1980年代にイスラエルの軍事占領に対するパレスチナ人の抵抗運動が激しくなる前までは、「パレスチナ人のほうが正直者だから、車の修理はいつも彼らに頼んでいた」とよく話していました。しかし、その彼女にしても「こんな状況になったのはパレスチナ人のせい」という認識なのです。

日本も決して無関係ではない

――これだけ国際法違反が認識されているのに、状況は改善されないままです。

髙橋 国際社会が動かない大きな理由はアメリカとの関係です。国連の常任理事国であり、拠出金を多く出すアメリカがイスラエルの味方をしてきたのです。その背景にあるのが、アメリカに住むユダヤ人有力者による政治家へのロビー活動です。莫大なカネをばらまいて、親イスラエル的な政策を政治家に要求しています。

 さらに言えば、イスラエルは新自由主義者にとってのモデル国なのです。表面的には民主主義でも、軍が「セキュリティー」といえば人権侵害も許される。軍需産業で生んだ利益によって一部の支配層だけが潤い、そのことから市民の目をそらすために外に「敵」を作っておく。イスラエルこそ理想の国だと思っている人たちがいるのです。

 一部の支配者層が権力を使い、抵抗する市民の人権を侵害する――パレスチナで起きていることは、今、世界中で起きていることの縮図であり、象徴ではないでしょうか。そう考えると、パレスチナの闘いはパレスチナ人だけのものではないはずです。

写真=井田宗秀

――日本とはあまり関係のない出来事のように感じている人もいると思いますが……。

髙橋 かつては日本も中立的な立場を執っていましたが、最近はイスラエル寄りです。武器の輸出・共同開発の面でも、いろいろな動きがある。パレスチナという実戦現場で「効果は実証済み」というのが、イスラエルの軍需産業のいちばんの売りなんです。軍事技術を民事転用したハイテク産業の分野でも、日本企業との協力が進められています。そうやって日本のお金がイスラエルへと入っていく。決して無関係ではありません。

――私たち市民の動きが、政治的解決を後押しする力になることはできるでしょうか。

髙橋 もちろんです。欧米でもイスラエルに対して声を上げる人が増えてきました。イスラエル企業製品のボイコット運動も起きています。街頭でのデモでもボイコット運動でも、仲間と小さな勉強会を開くことからでもいい。よく「市民運動をやっても何も変わらない」と言う人がいますが、我々がそう思い込むことをまさに権力側は望んでいるのです。

 日本では人権は「みんなが仲良くすること」のように教えられています。政府や権力者が知らないふりをして「自分たちで勝手に仲良くしなさい」というのは間違った認識です。本来は、人権というのは国家などの権力から市民を守るためにあるもの。そのことをぜひ知ってほしいと思います。

取材協力/株式会社オルター・トレード・ジャパン 取材・文/中村未絵 撮影/井田宗秀 構成/編集部