しめ飾り作りは縄を“なう”ことから
9月下旬の秋晴れの日、JAささかみ(新潟県阿賀野市)本所で、しめ飾り作りの体験教室が開かれていた。先生役は、JAささかみ「しめ飾り部会」から、5名の方たち。産地交流ツアーで訪れた生協パルシステムの組合員家族が、5つのグループに分かれ、先生たちを囲んでいた。挑戦していたのは、シンプルな「輪飾り」。同じものを3つ作り、少しずつずらして重ね組んで飾りをつけたら完成形になる。
まずは、数本のわらを手に取り、縄をなう(綯う)(※1)ところから。これがそもそも難しい。左手の平にのせたわらを、右手の平で上から押さえて転がしているように見える。だが、やってみると、それだけではひねりが生まれない。回転させつつねじる感覚を、まずつかむ必要がある。酒井イサヲさん(85歳)は、ベテランの作り手。「あなたたちもみーんなできますよ。大丈夫」と声をかけて、コツを伝授していた。
※1:よりを掛けて縄などを作ること。
米より先に始まったしめ飾りの産直
この体験教室は、今年で、もう31回目になる。パスシステムの前身である首都圏コープ事業連合と、JA ささかみの前身である笹岡農協との米の産直が始まったのは、産地との直接取引ができるようになった1988年のこと。実は、しめ飾りの産直は、それより早く1984年から始まっていた。当時は、食料管理法の下、米の産直ができなかったため、「それならば餅としめ飾りから」となったのだ。減反で青刈りされた稲を生かせるうえ、高齢者の仕事も生み出すというアイデアだった。
米どころのささかみでは、収穫後の稲わらで縄をない俵やみのを編むことは、かつて当たり前に行われていた。しかし、1960年代ごろからは、わら製品は工業製品に代わられ、当時のささかみには、稲わらを編める人がほとんどいなくなっていた。そこで、農協はお年寄りに声をかけ、毎年講習会を開いて作り手を育ててきた。今、その数は44人ほど。しめ飾りの産直は、途絶えかけていたわら仕事の技術と文化をつなぐことにもなったのだ。
とはいえ、高齢で辞める人もいる。「だんだん力が入らなくなって、縄がきれいにならないんです」と、しめ縄部会会長の五十嵐繁さん(82歳)。「ベテランが急にいなくなった後に、新しい人が同じようにたくさん作れるかというとなかなか難しいです」と、JAささかみ職員の須田勇治さんは思案顔だ。新たな作り手育成が課題になっている。
材料の稲わらは、もちろんJAささかみ管内で育ったものだ。現在は、野村地区の3人の生産者が育てている。穂を出させる分を残して7月の暑い時期に青刈りし、稲の発芽用加温庫で乾かして、しめ縄作りが始まる11月まで保管しておく。
作り手と買った人の心をつなぐ便り
この産直のしめ飾りを毎年楽しみに待つ生協組合員も多く、購入した人からの喜びや感謝を伝える便りが届く。
「丁寧に作っていただいてありがとうございます。稲穂たっぷりで豊かな1年になりそうです!」「多分、地区の皆さんが集まって作業をされているのだろうと想像しています。都市にはない風景で、うらやましく思います」「わらの香りがとてもよく楽しみにしています」……。こうした手紙が作り手のやりがいにつながっている。
しめ飾り作りは毎年、11月初旬から約1か月の間が勝負。輪飾りだけでも一人300個は作る。「下手したら朝2時頃起きてやることもある。その時間なら電話も人もこねえしな」と言って笑う酒井昭平さん(80歳)の言葉からは、夢中になって取り組む姿が浮かんでくる。
70歳の長谷川美智子さんは、「わら仕事なんてしたことがなかったから、右ならなんとかできたけど、“左ない”(※1)が半日全然できなくて、あんまり切なくて『これで帰る!』って言ったの」と、6年前の講習会を振り返る。リースタイプのしめ飾りの輪の部分などは、左ないなのだ。簡単な飾りつけは娘さんに手伝ってもらうこともあるそうだ。「お正月前のお金が必要なときに、これがあるから助かりますね」。
輪飾りの仕上げには、しめ飾り用の田で実った稲穂が添えられる。「今日体験に来られたお客さんが、市販では穂がついたしめ飾りはあまりないとおっしゃっていましたね」と、酒井イサヲさん。「父がわら靴を作っていたのを、今でも覚えています。この歳でも作りに来てくれと言われて感謝しています。本当に楽しい仕事です。仕事やっているのか集まって楽しんでいるのか分からないもの」
しめ飾り作り体験と作り手との交流を満喫した参加者の皆さんには、最後に一つずつお土産の輪飾りが手渡された。暮れにこのしめ飾りを飾るとき、きっとわらの青々とした香りがよみがえってくることだろう。
※2:しめ縄は本来、左回転させる左ないで作り、日常で使う「わらひも」などは右ない。JAささかみでは、量産を求められる輪飾り用のしめ縄のみ右ないにしている。
日本の民芸と稲作文化に魅了された「ことほき」
クリエーターユニット「ことほき」の二人が作るしめ飾りは、日本各地で作られてきた形を忠実に再現しつつ、クリエーターとして多少のアレンジを加えたものだ。
余分な飾りを排したデザインは、昨今の市販のものを見慣れた目にはかえって新鮮で、洗練さが際立つ。鈴木安一郎さんはアーティスト、安藤健浩さんはデザイナーとして、それぞれのフィールドで実績を重ね、二人とも大学の教壇にも立つ。
毎年、1~2 月に予約を募り、育苗から、田植え、稲刈りまですべて自分たちで手がけた稲わらを使って、しめ飾りを作っている。その数は約100点。すべて手作りだ。
昨今の外国産のしめ飾りの登場にはどんな印象をもっているのか聞いてみた。「外国産のものではわらでなっているように見えて、かやを使ったものなどもあります。じゃあ、わら以外が邪道かというと決してそうでもなくて、例えば日本民芸館などに展示されているものを見ると、その土地で栽培されている麻とかいろいろな種類のものでお飾りを作る文化が、日本に昔からあったようです」(鈴木さん)
父が毎年手作りしていたしめ飾り
二人がしめ飾りを作るようになったのは20年ほど前にさかのぼる。「僕の父が毎年自分でしめ縄をつくっていると安藤に話したら、『ぜひつくらせてほしい』と言って。彼がうちに来るようになってからはいっしょにやろうということになりました」(鈴木さん)。
安藤さんはしめ縄を自分で作るということ自体に驚いたそうだ。「それに、市販で、これだなというものがなかったんです。鈴木のアトリエに行くと、お父さんが『安藤くんよく来た、座りなさい。まずはわらを一つかみ』というところから始まって、それはいい時間でした」。鈴木さんのお父様はその後他界したが、ふたりは2011年にユニットとして活動を始め、2013年からは休耕田を借りて稲も栽培するようになった。
栽培しているのは古代米だ。「品種名は『シブサライ』と聞いています。ミトラズといって稲の実を取らないもので、勢いがいい年は180㎝にもなります。ですから倒れやすいんです」(安藤さん)。その後の乾燥もすごく大変なんです。アスファルトの限られたスペースの上に平たく並べて、夏の日差しで干すような感じで」(鈴木さん)。
自分で作ったしめ飾りでお正月を迎える喜び
秋から暮れにかけては、しめ飾り作りのワークショップを都内などで数回開催している。参加者の多くが20~30歳代の女性だ。「皆さんでき上がるとすごく喜ばれます。僕自身がそうだったのですが、自分が丹精込めて作ったしめ飾りで自分の家のお正月を迎えるのって、とても気持ちがいいんですよ。その辺で急いで買ってきたものと違って、新年を迎える心の準備がある。そういうことに、皆さん、はまるんだと思います」(安藤さん)
「しめ縄は3束のねじったわらを寄り合わせているんです。その3本のねじり方の強さがそろっていると、きれいなスパイラルができます。最初は僕も、うまくやりたい気持ちが先走って、ぐいぐいねじっちゃったので、まっすぐになんかいかない。それが人生の教えのようで」と、笑う安藤さん。
「力まずに何事も自然体でかかわりなさいということかなと。そういうふうにやっていると、本当に欲がなくなってきて、きれいにできるようになるんです」(安藤さん)。鈴木さんもうなずき、「その人らしいものができ上がってくるんです。女の人が作るとしなやかに。男の人が作ると、やはり力強くなって」と話す。
「農家さんからわらをもらえたら、自分で作れるんじゃないでしょうか」
ワークショップの参加者からは、わらの入手先を尋ねられることもあるそうだ。分けてあげられるとよいが、ことほきでは予約分以外の稲は育てておらず、栽培面積を広げる余裕もないのが現状だ。
「僕たちは青刈りのわらで作っていますが、本来、しめ飾りは食べる目的で作った稲を脱穀したあとの稲わらで作るものでした。農家さんに頼んでコンバインで粉砕する前のわらをもらえたら意外とできるんじゃないでしょうか」。そう言って鈴木さんは奈良の二月堂に飾られているしめ縄の写真を見せてくれた。「これは本当に脱穀した後のわらです。繊細できれいな形ではないけれど、すごくいい。力強くて」
ことほきのしめ飾りに共通するのは、まさにこの力強さも備えた造形だ。「飾りものや縁起ものをたくさんつけるのもけっこうなのですが、稲わらが見えなくなってしまいます。しめ飾りの基本はしめ縄の構造がベースなので、形はとてもシンプル。これだけでもきれいなフォルムなんだということを伝えたいです。買ってくださった方から『やっといいものを見つけた』と言われるとうれしいですよね」(安藤さん)
作り手の心が込められたしめ飾りで迎える新年は、めでたさもひとしおかもしれない。