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写真=深澤慎平

「料理のハードル、どう下げる?」 自炊料理家・山口祐加さんと考える、”自分らしい”ごはん作りとは?

  • 暮らしと社会
「毎日の献立を考えるのがしんどい」「日々ヘトヘトで料理をする余裕がないのだけれど、冷凍食品や外食では罪悪感がある」など、料理にまつわる悩みはライフスタイルや家族関係とからみあって、皿の外へと広がっている。そんな状況に対して、「日本では家庭料理に求めるレベルが高すぎる」と言い切るのは自炊料理家・山口祐加さん。料理へのハードルを下げて気楽に楽しく、自分らしく食べるためのヒントについて伺った。

目指すは料理の“読者モデル”?

――「料理家」や「料理研究家」ではなく「自炊料理家」と名乗っていらっしゃる山口さん。主宰されている教室も「料理教室」ではなく、「自炊レッスン」なのですね。

山口祐加(以下、山口) 「料理家」や「料理研究家」には、“正解を教えてくれる人”というイメージがありませんか? もちろん私には私なりの正解がありますが、それは万人にとっての正解ではありませんよね。一人一人の正解を大切にしたいと思うと、「料理家」や「料理研究家」はちょっとイメージが違うのかなって。それより、友達みたいな距離感で料理を教える人、雑誌でいうところの“読者モデル”のような立ち位置の人になりたいと思って、「自炊料理家」と名乗ることにしました。

 「料理教室」という言葉にも、正解を教える学校のようなイメージがありますよね。私が大切にしているのは、“学校の先生と生徒”というよりも、“部活のマネージャーと部員”みたいな関係。“指導”ではなく、対等な立場で方向性やヒントを示せたらいいな、と思っています。

山口祐加さん

写真=深澤慎平

――「正解は人によって違う」という感覚はどこから生まれたのでしょうか?

山口 以前、ある料理教室で、ブロッコリーのゆで時間を1分半、2分、2分半……と変えて感想を聞いたことがあるんです。そのとき、食感重視の方は1分半、ブロッコリーの味が苦手だという方は味が抜ける2分半が好きだと教えてくれました。人それぞれなんですよね。

 でも、レシピを作るときには分数を決めなければなりません。そこで「2分半ゆでてください」と書いてしまうと、1分半ゆでが好みの人がブロッコリー料理を好きになる可能性を削いでしまう。それって悲しいことだと思うんですよ。だから、「あなたがおいしいと思うようにゆでてください。切り方によっても変わってきますよ」ということを伝えていきたいな、と思っています。

――この6年で山口さんは700人近い方に料理を教えたそうですね。ふだん料理をしない方や、料理が苦手な方限定とのことですが、実際、どのような方が参加されているのでしょう?

山口 20~30代では一人暮らしを始める方、3040代では同棲や結婚などライフステージの変化で自炊が必要になった方が多いですね。4050代で独身の方だと、今までは外食中心だったけれど、健康が気になるようになったので自炊を学びたいという方もいらっしゃいます。また、50代以降だと親の介護が始まって、これまでのように自由に外食するわけにはいかなくなったという方も少なくありません。最近は、定年退職した男性も増えていますね。全体的に、男性と女性だったら女性が圧倒的に多いです。

 参加者からは「自炊へのハードルが下がった」という声をよく聞きます。そういう方は、料理を作る頻度が上がるようですね。

テーブルの上に、シンプルな野菜炒めや煮物などの手作り料理が並んでいる

「自炊レッスン」で参加者と作った料理(写真提供=山口祐加さん)

自分のための料理」はどこにも売っていない

――そもそも、何を指して「自炊」というのでしょう? 「一汁三菜をそろえなければ」と思う人から「冷凍食品を温めるだけでOK」という人まで、その基準は異なるような気がします。

山口 私は、「自分で納得できるように食べよう」と工夫することが自炊の入り口だと思っています。だから、「コンビニで買ったゆで卵の殻をどうしたらうまくむけるのか?」と考えるのも、「カップめんを3分ではなく、5分置いてみよう」と試してみるのも自炊の始まりだと思うんですよ。

――お弁当でもレトルト食品でも何でもすぐに買えるこの社会で、「自炊」の魅力はどこにあると思われますか?

山口 例えば、コンビニの食品は10人中7人がおいしいと感じると思うんです。でも、それは“だれが来てもいい場所”で売られている“だれもがおいしいと思うように作られたもの”であって、自分に向けて作られたものではありません。そういった食品を毎日食べ続けていると、疲れてしまう人もいると思うんです。

 それに対して、自分で作る納豆ごはんはどうでしょう? 「付属のタレだけじゃなくて、うちのしょうゆもちょっと入れよう」とか「冷蔵庫にあるワカメも混ぜてみよう」とか、ほんの一手間加えるだけで「自分のための料理」になりますよね。そうして少しでも自分のために手を加えたものを食べると、心が満たされるような気がしませんか? その満足感や納得感が、自炊の一番の魅力だと思います。

 そうした「自分のための料理」はどこにも売っていません。何でも売っているこの世の中で、自炊料理はもはや聖域ですよね。

「おかかご飯に目玉焼きを乗せただけですが、これもりっぱな自炊。小腹がすいたときや朝食によく食べます」(写真提供=山口祐加さん)

――「生きる力」という観点でも、自分の食事を自分で用意できるというのは大事なスキルですね。

山口 そうですね。例えば災害時には、生米をなべで炊いたり、おかゆを作ったりできるだけでも、ちょっと安心できると思うんです。「食べられないものを、食べられるものに変えることができる」というだけで、人間としてすこし強くなれますよね。どんなにお金を稼げるとしても、お金そのものは食べられませんから。

 災害だけでなく、人生には経済的に不安定になる時期もありますし、物価もどんどん上がっています。スーパーの見切り品コーナーで手に入るものだけで料理ができるということも、生きていく上での安心感につながりますよね。

日本人は家庭料理へのハードルが高すぎる

――山口さんは昨年1年かけてさまざまな国を巡り、40軒近くの家庭で“いつもの料理”を見せてもらったそうですね。日本と海外の自炊事情はどのように違うのでしょう?

山口 どこの国でも感じたのは、家庭料理には献立という概念がほとんどないということです。

 あるスペイン人は「週に3〜4種類ぐらいしか料理を作らないのが普通」だと話してくれました。また、あるベトナム人は、朝食をまとめて作ってお弁当にも詰めるし、夜にも食べるそうです。フランスでは、パスタを大量に作って翌日もフライパンで温めて食べている人がいました。ドイツ圏では、パンを切ってチーズとピクルスをのせただけの夕食もよくあるそうです。

「南フランスでワイナリーを営む家族のおうちでごちそうになったランチ。温かいものはないけれど、大満足の食事でした」(写真提供=山口祐加さん)

「ラオスの70代のおじいちゃんが作る自炊料理。味付けは顆粒スープのもと、塩、こしょうなどのシンプルなものばかり。季節の野菜の味が引き立ちます」(写真提供=山口祐加さん)

 多くの家庭に共通していたのは、「次の日も同じことの繰り返しだから、献立で悩むことなんかない」ということ。日本は、冷凍食品やミールキットを使っただけで、「こんなのは自炊じゃない」とか「こんな手抜きはダメだ」と言われることりますよね。「献立も味付けも一定レベルを超えなければ」というプレッシャーを感じている人もたくさんいます日本人の自炊へのハードルがどれだけ高いかを知ったら、海外の人はみんな驚くと思いますよ。

「自分のために料理をするのはつらい」という人たち

――ハードルを高めに設定しがちであるせいか、日本には自炊しんどいと感じるたくさんいます山口さんは『自分のために料理を作る――自炊からはじまる「ケア」の話』で、「自分のために料理ができない」と訴える人たちについて言及されていますね。

山口 料理のスキルはあるのに、自分のために作ろうという気持ちになれないという人はたくさんいます。そこには「1人分の料理とそこにかける労力が釣り合わない」という感覚があるのではないでしょうか。それは、もっともなことだと思います。

 太古の時代からほんの数10年前まで人間は大家族で暮らしていたし、大勢のために料理を作って大勢で食べるのが当たり前だったんです。自分のためだけに料理を作らねばならないという状況そのものが特殊なんですよね。その特殊な状況に合わせて、毎日1人分の料理を作ることを当たり前だと思わなくちゃいけないなんて、そもそも無理があるのではないでしょうか?

(右から)『自分のために料理を作る: 自炊からはじまる「ケア」の話』『自炊の壁 料理の「めんどい」を乗り越える100の方法』(写真=深澤慎平)

 とはいえ、一人でも食べなければなりません。そこで大事なのは、「作るか作らないか」ではなく、「自分が食べているものに納得感があるかどうか」なのだと思います。

 例えば、コンビニで買ってきた肉まんで食事を済ませたとしても、自分が納得していたら全く問題ないと思うんです。なぜなら、心が傷つかないから。でも、「自分の食事なんてどうでもいい、この程度で十分」という自分をないがしろにするような気持ちで食べているとしたら、積み重なって傷になります。もし、納得していなかったとしたら、改善策を考える必要があるかもしれませんね。

――改善策として、何かいいアイデアはありますか?

山口 もし、食べながらスマホを見ているのであれば、やめてみてはどうでしょう? 私は今朝、スマホをいじりながらピーナッツバタートーストを食べたのですが、ふと「全然味がしない」と気づいたんです。それで、スマホを置いて食べることだけに集中してみたら、「ああ、カリカリしていておいしいな」とか「明日は違う食べ方を試してみようかな」とか、いろいろな考えが浮かんできました。

 何かに気を取られながら食べると、食事はただ空腹を満たすだけのものになってしまいます。心が満たされていないから食べた気がしない、胃は収まっても心は収まらないんです。食べ始めるときだけちょっとスマホをやめてみるだけでも、納得感は変わってきますよ。

菜の花とホタルイカのパスタ

「私が最近作ったのは、菜の花とホタルイカのパスタ。季節を感じる春の定番料理です」(写真提供=山口祐加さん)

「家族のためのごはん」にまつわるお悩み

――「家族のために料理を作るのが苦しい」と感じている人も少なくありません。パルシステムでも、組合員の皆さんからたくさんのお悩みが寄せられています。代表的なお悩みは、「毎日、違う献立を考えるのがつらい」というものでした。

山口 大昔の人間は、海や山でその日に取れたものを食べるしかありませんでした。きちんとした献立を立てるというのは、お殿様に献上する食事のようなケースでのみ成り立っていたのではないでしょうか。時代が変わったからといって、お殿様に作るような食事を毎日家族に作るなんて、あまりに大変です。

 私は、その日に冷蔵庫にあるもので作れば十分だと思いますし、もし文句が出ても、「イヤなら食べなくてもいいけれど、私にできるのはここまで」ということでいいと思いますよ。もしお子さんが学校で給食を食べているのであれば、夕食が毎日同じメニューだとしても、昼食は毎日違いますよね。過剰に心配したり、罪悪感を抱いたりする必要はないと思います。

 ちなみに、マンネリと定番は紙一重。定番料理があるというのは「料理ができる」ということ。たとえマンネリだとしても、嘆くようなことではないと思います。

 でも、もし自分自身が「いつも同じ料理はイヤだ」と感じているのであれば、食材を一つだけ足したり減らしたりしてみたり、日ごろ使わないスパイスを一つだけ足してみたりするのはどうでしょう。酸っぱくなる手前で止める“隠し酢”もおすすめです。豚肉のしょうが焼きも、ちょっと酢を入れるだけでだいぶ雰囲気が変わりますよ。

山口さんお気に入りのごま油

「ごま油など、定番の調味料をちょっといいものに変えるだけでも。香りがいいので、ただの冷ややっこでもぜいたくな気分になれます」(写真=深澤慎平)

――「毎日ヘトヘトで、キッチンに立つのがつらい。とはいえ、冷凍食品や外食では罪悪感がある」というお悩みも多いです。

山口 そういった疲労を抱えている方がたくさんいますよね。疲れているときは、本当はまず休んでいただきたいですが……。子育て中の方はそうもいかないのかもしれません。

 もしある程度大きいお子さんや、大人の家族であれば、「お金を渡して好きなものを買ってきてもらう」ということでも、「パックのごはんと缶詰で済ませる」ということでもいいと思うんです。それだと罪悪感を抱くのであれば、「今日は災害食体験だ!」とイベントにしてしまってはどうでしょう? 何でも楽しんでしまうマインドも大切だと思います

 「既成品では罪悪感が……」という声はよく聞きますが、私は子どものころ、食卓に既成品が並ぶと「家なのにレストランの味だ!」とうれしく思ったものです。それを食べて子どもが喜ぶと、「私の料理がおいしくないに違いない」と落ち込んでしまう方もいますが、子どもはそんなことを考えているわけではないと思いますよ。

 子どもにとってきっと大事なのは、手作りかどうかよりも親が笑っていること。だから、罪悪感がわいてきたらちょっと立ち止まって、状況を楽しむ方向に気持ちを切り替えられたらいいなぁと思います

「お皿を変えるのも一つのアイデア。いつものメニューや総菜品も、お気に入りの皿に盛りつけるだけで気分が変わります」 (写真=深澤慎平)

――食事を用意してもらうことをパートナーが当たり前のように思っているのがつらい、というのもよく聞く話です。

山口 必死の思いでやっていることを、当たり前だと受け取られたらどっと疲れてしまいますよね。

 もしできるなら、思い切って1週間、料理を作ることをやめてみたらどうでしょう。そして1週間後に「毎日、何を食べていたの?」と聞いてみるのです。外食やコンビニ弁当が続いていたのだとしたら、それをどう感じたのかも聞いてみてください。その結果、問題がなかったのだとしたら、「毎日自炊する」という習慣を再考してもいいのではないでしょうか? 逆にパートナーが自炊の価値を痛感したのであれば、「週1回は自分が作ろう」などと行動が変わってくるかもしれませんね。

 作り手は「料理が私の義務になってしまってつらい」と思っていても、相手は案外「頼んでいないんだけど……」とか「外食のほうが自由で気楽だな」と思っていることもあるかもしれません。率直に話し合って、お互いにとって負担のない形を選び直せたらいいですね。

 いろいろとトライして、お互いにどう感じたのかを話し合いながら、着地点を見つけていくことが大事だと思います。

――「家族が自分の料理を喜んでくれず、せっかく作ってもカップ麺や缶詰を開けられてしまって傷つく」という切実な声もありました。

山口佑加さん

写真=深澤慎平

山口 それは傷つきますよね。これは作る方の料理の問題というよりも、人間関係の部分も大きい気がします。献立や予算を考えて買い物に行き、仕事や育児の疲れをひきずりながら長時間キッチンに立つことがどれだけ大変なのか、そうして作ったものを否定されることがどれだけつらいことなのか、きちんと家族に話してみてください。

 そのときに大事なのは、感情的ならずに淡々と説明することです。人は怒りをぶつけられると「怖い」という気持ちが前面に出てきちんと相手に向き合えなくなりますから。まずは、悲しい気持ちをしっかり共有してもらうことだと思います。

 自分の好みに合わない味付けのときにカップめんを出してくる……ということなのかもしれませんが、一人一人の好みに合わせて料理をするなんて無理なことですよね。好みの違いを作り手が一人で背負うのではなく、「好きな味付けはそれぞれ違うよね、じゃあどうしたらいい?」と家族で話し合ったらいいのではないでしょうか?

 「味付けの責任を手放す」というのも手です。肉と野菜に火だけを通して、「好きなものをかけて食べてね」と家族にゆだねるのです。子どもであれば、「しょうゆマヨってどんな味なんだろう?」「いちばん合うタレ選手権をやってみよう!」なんて盛り上がることもあると思いますよ。おいしいかどうかは二の次。それより、「食卓は楽しい場所なんだ」というマインドセットを作るほうが大事だと私は思っています。

――最後に、今キッチンに立っている方々に伝えたいことはありますか?

山口佑加さん

写真=深澤慎平

山口 今日たくさんのお悩みを聞いて感じたのは、自炊にまつわる鬱々とした思いが自分一人の中で淀んで、ぬかるみのようになっている方が多いということです。そうした悩みを解決してくれるのは、レシピ本ではありません。まずは、その淀みを流すこと。料理の話はそれからです。

 そのためにも、しんどさを家族みんなで共有することや、家族みんなが料理できるようになることが大事ですよね。みんながフレキシブルに動けて、みんながお互いの気持ちを理解できることが、風通しのよい暮らしにつながっていくと思います。

取材・文=棚澤明子 写真=深澤慎平 構成=編集部